【太田垣 章子】48歳の娘が青ざめた、警察からの「突然のお知らせ」…40年前に生き別れた実父が「変わり果てた姿」で現れた

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2025年には6世帯に1世帯が一人世帯という現実を目前に控え、必ずやってくる老後不安に「自分だけは大丈夫」と思っていても、多くは自分が“最後のひとり”になることは想定していない。そしてもしも最後のひとりになってしまった場合に直面する、多くの問題についてもあまり知られていない。
そんな盲点をついたのが、司法書士の太田垣章子氏が著した『あなたが独りで倒れて困ること30』だ。
頼るべき親族がいない高齢者のサポートを続ける太田垣氏は「結婚していようが、子どもがいようが、誰しも『おひとりさま』になる可能性はあり、困らないように『自分ごと』として捉えてほしい」と話す。
太田垣氏が「すべての人が最後はおひとりさま」と言う理由は、これまでの活動のなかで「もう少し早く備えておけばこんなことにはならなかった…」という人たちをたくさん見てきたからだ。じつは老後に発生する問題は、ひとりひとりの生き様によって事情が異なるため、備えもまたそれぞれなのだという。
そんな実例のなかから、今回は両親の離婚後、養育費も振り込まれず、会いにも来ず、縁が切れたと思っていた実の父親の「おひとりさま」の始末に巻き込まれた娘の実例を紹介したい。
離婚などで「子どもと縁が切れた親」「親と他人になった子ども」がおひとりさまになった時に周囲に招く混乱を、双方の立場から見極めてほしい。
陽子(48歳)さんには、父親との楽しい思い出はありません。物心ついた時から、両親は喧嘩ばかりしていました。その原因は父親の借金。今から思えば、家には入れ替わり立ち代わりお金の支払いを催促する人が来ていました。
玄関で督促の大きな声が鳴り響き、それが止んだと思えば、両親の言い争う声。当時家の中で笑い声なぞ、聞いたこともなかったと言います。
幼い陽子さんにとっては、父親はただただ怖い存在でした。酒を飲み、大声で怒鳴り、母親を殴るといった、いまならばDVと非難される光景を日常的に目の当たりにしてきたからです。
父親と遊びに行った記憶はなく、自分が暴力の的にならないよう、大人しくすることが小さな陽子さんにできる唯一のことでした。
写真:iStock
結局、陽子さんが小学校に上がる直前に両親は離婚。その後の陽子さんは、母親とふたりでひっそりと堅実に生きてきました。
今から40年程前は、母子家庭は世間的にもまだ珍しい時代でした。恵まれた状況とはほど遠く、母親も慣れない工場での作業と家事で疲れた様子でしたが、それでも家の中で怒鳴り声が響かないだけで不安から解放され、とても穏やかな日常のなかで思春期や成人を迎えました。
しかし幼少期の辛い記憶は残り、だからこそ陽子さんは結婚相手に声を荒げない大人しい男性を選びました。
そんな陽子さんに、ある日突然、警察から電話がかかってきました。
「お父さんが病院に運ばれました」
父親の存在なぞ、まったく忘れていたので、「義父のことかと勘違いしたくらいだった」と振り返ります。陽子さんは両親の離婚の際に母方の姓に変更しており、幼少期の頃の姓なんか記憶の片隅にもありませんでした。一瞬、振り込め詐欺を疑ったほどです。
「今後のこともありますので、一度病院にきてください」
状況が把握できず、自宅からもそう遠くない病院だったため、警察官の促しに倣い病院に行ってみることになりました。
そこで見た“父親”という人は、病院で管にたくさん繋がれていました。どうやら脳梗塞を起こしたらしく、意思の疎通がすんなりとできません。父親は、旅先で倒れたのがたまたま陽子さんの近くの病院だったようで、本来父親の住んでいる場所は隣の県でした。
さらに<48歳の女性が絶句した、40年前に生き別れた「実父との対面」…家族と言われるだけで苦痛だった>では、病院側からの対応を迫られた陽子さんの、苦渋の選択を明かします。

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