【元組長告白 昭和のヤクザ事情】赤坂では複数の暴力団事務所が隣り合っていても揉め事がほとんどなかった理由

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警察や軍関係、暴力団組織などの内部事情に詳しい人物、通称・ブラックテリア氏が、関係者の証言から得た驚くべき真実を明かすシリーズ。今回は、かつて同じ町内会に複数の暴力団事務所があった東京・赤坂では、不思議と揉め事が少なかった背景について。
【写真】暴力団の関係先に捜索に入る捜査員たち * * * 赤坂のある商店街はかつて暴力団が関係する店が軒を並べていた。そこに昭和の一時期、元組長は事務所を構えていたという。「ここにあったんだ」と元組長が車のハンドルを握りながら窓から指さしたのは、赤坂見附の交差点からすぐの場所だ。「小さな部屋だったけどね。赤坂のここら辺には暴力団の事務所がいくつもあった」というのだから、当時の赤坂はヤクザにとってステータスのある地域だったのだろう。

赤信号で車が止まると、「あそこには○○組の事務所、ここには▽▽組、あのマンションには××組がいた」と、元組長は通り沿いのビルを次々に指しては、懐かしそうに名前をあげていく。どれも指定暴力団傘下の組ばかりだ。「20以上は事務所が並んでいたと思う。うちの事務所の窓からも、他の組の出入りや警察の動きがよく見えた」(元組長)。「ここは元住吉会の本部ビルだった」という場所は、地下鉄赤坂駅近く、赤坂通り沿い。9階建ての本部ビルがあったが、その面影も今はない。この地域では再開発が進んでいるという。赤坂界隈の組員らが集まる親睦会 山口組の抗争などを考えると、暴力団同士が同じ町内会に事務所を構えていることで、争いは起きなかったのかと尋ねると、元組長は「若いヤツらが、飲んで騒いで喧嘩するということはあったが、組同士が争うということはほとんどなかった」という。「親睦会があったからね」と元組長は、当時の赤坂のヤクザ事情を説明する。元組長によると、年に何度か赤坂界隈の暴力団事務所の組員らが集まって、親睦会が開かれていたというのだ。「町を歩いていれば、誰が同業者か匂いでわかる。通りで見かけるヤツ、いつも使う喫茶店が同じヤツ。飲み屋にいたヤツ。どこの組の者かはわからないがね。親睦会を開けば、お互い名刺交換をするだろう。そこでどこの組の者かわかるし、案外ご近所さんだったりするわけで。顔見知りになって、挨拶するようになれば、無用ないざこざは避けられる」(元組長)。 新宿の歌舞伎町には「ヤクザマンション」と呼ばれるマンションがある。「知っているだけで一時期は40近くの組が入っていたと思う。山口組に住吉会、稲川会の傘下組織からテキヤ組織までいくつもあった。数は減っただろうが、あそこは今でもヤクザマンションと呼ばれるだけあって、まだいくつもの事務所が入っている」という。 赤坂には細い路地や一方通行が多い。その路地を縫うように進んでいた元組長の車が、スピードを落とした。レトロな喫茶店の前をゆっくりと通過する。「懐かしいねぇ、まだ同じ名前でやってるよ」と目を細める元組長。「ここにはいつもヤクザや詐欺師がいた。いや、そんなヤツらしかいなかったな。ヤクザ御用達だね」と、”ザ業界”で有名だった組長や投資詐欺で逮捕された者らの名前をあげていく。「ここでは、どこで誰が何をやっているのか、耳を澄ませばヤバい話がいつも聞こえてきた。あの頃はヤクザにとって、いい時代だった」(元組長)。ここら辺にあったという事務所はすでにほとんどなく、やくざや詐欺師がいることもないという。 通りが変わり、街も変わった。自分たちがそこにいた時代を懐かしく思い出せるのは、この喫茶店ぐらいなのだろう。
* * * 赤坂のある商店街はかつて暴力団が関係する店が軒を並べていた。そこに昭和の一時期、元組長は事務所を構えていたという。
「ここにあったんだ」と元組長が車のハンドルを握りながら窓から指さしたのは、赤坂見附の交差点からすぐの場所だ。「小さな部屋だったけどね。赤坂のここら辺には暴力団の事務所がいくつもあった」というのだから、当時の赤坂はヤクザにとってステータスのある地域だったのだろう。
赤信号で車が止まると、「あそこには○○組の事務所、ここには▽▽組、あのマンションには××組がいた」と、元組長は通り沿いのビルを次々に指しては、懐かしそうに名前をあげていく。どれも指定暴力団傘下の組ばかりだ。「20以上は事務所が並んでいたと思う。うちの事務所の窓からも、他の組の出入りや警察の動きがよく見えた」(元組長)。
「ここは元住吉会の本部ビルだった」という場所は、地下鉄赤坂駅近く、赤坂通り沿い。9階建ての本部ビルがあったが、その面影も今はない。この地域では再開発が進んでいるという。
山口組の抗争などを考えると、暴力団同士が同じ町内会に事務所を構えていることで、争いは起きなかったのかと尋ねると、元組長は「若いヤツらが、飲んで騒いで喧嘩するということはあったが、組同士が争うということはほとんどなかった」という。
「親睦会があったからね」と元組長は、当時の赤坂のヤクザ事情を説明する。元組長によると、年に何度か赤坂界隈の暴力団事務所の組員らが集まって、親睦会が開かれていたというのだ。「町を歩いていれば、誰が同業者か匂いでわかる。通りで見かけるヤツ、いつも使う喫茶店が同じヤツ。飲み屋にいたヤツ。どこの組の者かはわからないがね。親睦会を開けば、お互い名刺交換をするだろう。そこでどこの組の者かわかるし、案外ご近所さんだったりするわけで。顔見知りになって、挨拶するようになれば、無用ないざこざは避けられる」(元組長)。
新宿の歌舞伎町には「ヤクザマンション」と呼ばれるマンションがある。「知っているだけで一時期は40近くの組が入っていたと思う。山口組に住吉会、稲川会の傘下組織からテキヤ組織までいくつもあった。数は減っただろうが、あそこは今でもヤクザマンションと呼ばれるだけあって、まだいくつもの事務所が入っている」という。
赤坂には細い路地や一方通行が多い。その路地を縫うように進んでいた元組長の車が、スピードを落とした。レトロな喫茶店の前をゆっくりと通過する。「懐かしいねぇ、まだ同じ名前でやってるよ」と目を細める元組長。「ここにはいつもヤクザや詐欺師がいた。いや、そんなヤツらしかいなかったな。ヤクザ御用達だね」と、”ザ業界”で有名だった組長や投資詐欺で逮捕された者らの名前をあげていく。「ここでは、どこで誰が何をやっているのか、耳を澄ませばヤバい話がいつも聞こえてきた。あの頃はヤクザにとって、いい時代だった」(元組長)。ここら辺にあったという事務所はすでにほとんどなく、やくざや詐欺師がいることもないという。
通りが変わり、街も変わった。自分たちがそこにいた時代を懐かしく思い出せるのは、この喫茶店ぐらいなのだろう。

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