迷惑行為続出「廃墟ホテル」撤去が難しい複雑事情

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白樺湖の廃墟ホテル(写真:筆者撮影)
多くの観光地を悩ませているのが、倒産後放置されて廃墟化しているホテルだ。地域の寂れたイメージを強調し、YouTuberの撮影や肝試しスポットとして望まない形で名が売れている。
観光庁はコロナ禍で傷んだ観光産業を立て直すため、2020年度第3次補正予算で「負の遺産」である廃屋撤去の支援に乗り出し、これまでに補助金を使って167件の撤去が完了した。
バブル崩壊後にホテルが相次ぎ倒産し、長らく低迷していた長野県・白樺湖でも、景観を損ねていた廃墟状態の大型ホテルが撤去され、滞在型リゾートとして再生の道を歩み始めた。関係者が「一筋縄ではいかない」と声をそろえる道のりを追った。
白樺湖は茅野市と立科町の境界、標高約1400メートルに位置し、夏は避暑地、冬はスキーの旅行客を中心に、コロナ禍前は年間200万人が訪れていた。
だが近年は招かざる客にも悩まされてきたという。検索サイトやYouTubeで「白樺湖」と入力すると、予測変換に「廃墟」が表示される。バブル崩壊後に営業停止したホテルや民宿が放置され、YouTuberやブロガーが現地を訪れては廃墟探訪コンテンツとして発信するため、負のイメージが再生産されているのだ。
池の平ホテル&リゾーツの矢島義拡社長(40)は、「廃屋を面白おかしく発信することに怒りを感じる。廃屋が点在していることも、それが発信されることで時代遅れの観光地というイメージが広がることも、地域の長年の課題になっている」と語った。
2000年ごろから放置された大型ホテルにはYouTuberがしばしば撮影に訪れる(写真:筆者撮影)
白樺湖は80年前まで高原の樹木が生い茂る湿地だった。農業用水を確保するため1940年代に建設された人工の温水ため池が現在の白樺湖だ。
矢島社長の祖父の矢島三人氏(故人)は、農地開拓のために戦後に白樺湖に移住した開拓団の1人だったが、山歩きをしている高校生を家に泊めたことをきっかけに、1951年に民宿を始める。
同じ時期に、登山客向けの民宿や飲食店が複数開業し、農村だった白樺湖の観光地化が進んだという。三人氏は1960年代にスキー場、遊園地を次々に開設し、池の平ホテルを核とした複合リゾートを展開するようになる。その後団体旅行が流行すると、周辺にはホテルが相次ぎ建設された。
高度経済成長期からバブル期にかけて急速に発展した白樺湖は、昭和の時代にオーバーツーリズムによる観光公害を経験している。1970年代後半に旅館や観光施設からの排水が白樺湖を汚染し、アオコが発生したのだ。
地元は下水処理場を建設するなど長期にわたって対策に追われた。その後、1981年に茅野市街と美ヶ原高原をつなぐ観光山岳道路「ビーナスライン」が全線開通したことで白樺湖の観光産業は絶頂期を迎えた。大型バスで観光客が押し寄せるようになり、宿泊施設は団体客を受け入れるべく設備投資を加速していった。
しかしバブルが崩壊し、団体旅行から個人旅行への転換が起きると、2000年ごろからホテルや民宿が相次ぎ営業停止・破産に追い込まれた。
ホテル山善の跡地の隣にも営業を停止したホテルがそのままになっている(写真:筆者撮影)
「小学校の同級生にも旅館やホテルの経営者の子どもが何人かいて、白樺湖一帯はいつも人でにぎわっていた。ただ、高度成長の勢いに乗ってチャンスを早くつかんだ分、谷も深かった」
そう語る池の平ホテル&リゾーツの矢島社長は、中学で地元を離れ、東京で進学・就職したため白樺湖観光の衰退を直接は体験していない。学生時代に家業を継ぐ決意を固め、25歳で白樺湖に戻り、高齢の祖父から段階的に事業を引き継いだ。社長に就任したのは2011年、27歳のときだ。
祖父が投資を抑制していたこともあり、リゾートはバブル崩壊後も生き残ることができた。ただ、白樺湖を訪れる旅行者が減っていたため、ピーク時の1990年に100万人だったリゾートの来訪者は4割減まで落ち込んでいたという。自社の立て直しに10年を費やし、客足がある程度回復した2017年ごろから、矢島社長は地域の課題に目を向けるようになった。
「いろいろやってきたが、『バブル時代の観光地』という白樺湖のイメージが変わらない限り、自社もこれ以上の成長は難しい。特に廃屋の撤去は避けて通れない問題だった」
地域との関わりを増やし、白樺湖観光を取り巻く課題の整理を始めたが、知れば知るほど廃屋の撤去の難しさを実感したという。
白樺湖の湖畔周辺は、古くからの地主で構成される北山柏原財産区が土地を保有管理し、宿泊施設や別荘地に土地を貸し付けていた。バブル期まではそれで潤ったが、その後は経営破綻したホテルが廃墟化し、賃料収入が入ってこないだけでなく、一帯の資産価値に悪影響を及ぼしていた。
放置し続けることの悪影響は皆が認識していても、建物の所有権の問題や、解体費の捻出など難題が複雑に絡み合ってなかなか手が付かなかったという。
財産区には100を超える地主がおり、観光業との関わりの深さもそれぞれ違う。矢島社長は「それぞれ自分の仕事があるし、私も家業を継いで10年は従業員の離職をどう防ぐかというような自社の課題を優先してきた。しかし、白樺湖の将来について話し合いを重ねていくうちに、何とかしなければと考える人々が骨を折り、廃屋撤去の合意形成が徐々に進んでいった」と振り返る。
そうして2019年11月、柏原財産区が身銭を切る形で「白樺湖ホテル山善」南館が解体された。複数ある廃屋の中でも、湖畔のほとりに建ち景観を大きく損ねているのが2007年に破産したホテル山善だった。建物はタヌキの住処となり、外からタヌキの群れを確認することができたほどだという。
解体前の白樺湖ホテル山善(本館)周辺の建物の状況資料(資料:柏原財産区提供)
信濃毎日新聞の報道によると南館の解体費は1億2000万円余り。柏原財産区の財産は大きく圧迫されたが、さらに大きな本館が残されていたーー。
ホテル山善の解体は膠着するかと思われたが、思わぬところから援軍が現れた。2021年1月に成立した2020年度第3次補正予算で、観光庁が景観改善のための廃屋撤去を支援する補助金を創設したのだ。
2020年に始まった新型コロナウイルスの流行で、全国の観光地は大きく傷んだ。観光庁は同補正予算に国内旅行の需要喚起に向け「Go Toトラベル事業」の予算1兆円を計上したのに加え、観光地の施設改修や廃屋撤去にも550億円の予算を盛り込み、跡地の観光目的での活用を前提に、廃屋撤去に最大で費用の2分の1、1億円を補助することにした。
それまで民間の建築物は自己責任で撤去するのが原則で、行政が代執行するにも倒壊の危険があるなど強い大義名分が必要だった。観光庁は廃屋撤去の補助金導入について、「コロナ禍によって全国の観光地が面的にダメージを受けた。それまでは国費で廃屋撤去を支援するスキームはなかったが、短期集中的に観光地を再生し、地域の魅力を高めるために効果があると判断した」と説明する。
地元の観光地域づくり法人(DMO)「ちの観光まちづくり推進機構」が申請したホテル山善本館の撤去事業案は事業初年度の2021年6月に採択され、事業費の半分(約1億円)を観光庁が補助し、残りを地元が負担。数カ月の工事を経て2022年夏に本館が取り壊された。
ホテル山善本館の撤去工事の様子(写真:柏原財産区提供)
2020年秋に首相官邸で開かれた観光戦略実行推進会議に宿泊施設の代表者として出席した矢島社長は「廃屋解体や公共施設の改修など、民間と行政がお見合いしてなかなか手を付けられないところに公的な補助があれば助けになると訴え、国もその重要性を認識した。
白樺湖が初年度に補助金を得られたのは、地域が時間をかけて廃屋撤去の課題を整理しており、財産区が2019年に南館の解体にこぎつけていたことが大きかった」と振り返った。
ホテル山善の跡地は公園として整備されている(写真:筆者撮影)。
「負の遺産」の処理が進む中、再生の芽も育ちつつある。矢島さんの小学校の同級生で、元スキー選手の福井五大さん(40)は2019年に約20年ぶりに白樺湖に戻り、両親からペンション「リトルグリーブ」とレジャー事業を継ぎ、新たにアウトドアショップをオープンした。
スキー選手として世界各地を転戦するうちに「四季がはっきりしていて、夏は水上スポーツ、冬はウインタースポーツ、年間を通してマウンテンバイクやランニングも楽しめる。アウトドア愛好家にとってこんな恵まれた場所はどこを探してもない」と家族での帰郷に踏み切った。
白樺湖はレイクリゾートとして再生の歩みを踏み出している(写真:白樺湖観光まちづくり協議会提供)
家族経営のペンションはバブル崩壊後も大きな打撃を受けることがなく、「年末年始や夏の繁忙期にだけ手伝いに帰ってきていたので、忙しいという記憶しかなく、白樺湖が寂れているとはまったく感じていなかった」(福井さん)。
2021年11月には都内のスタートアップ「Sanu」が運営するサブスクリプション型の別荘2棟が、白樺湖湖畔にオープンした。同社は50年後の解体を前提に、自然環境に負荷の少ない工法で建築された宿泊施設を各地に展開しており、白樺湖を最初の拠点に選んだ。湖畔に新たな宿泊施設が建設されたのは約30年ぶりで、地域の新陳代謝を象徴するできごとだった。
2021年にはサブスクリプション別荘が湖畔に2棟建設された(写真:筆者撮影)
福井さんは今春、38年前に両親が開業したペンションを全面改装し、宿泊客に長期滞在してもらえるよう部屋数を半減した。
池の平ホテルも67年営業してきた旧本館を解体し、今年4月下旬に全面改築した本館をオープンした。
今年4月に改築オープンした池の平ホテルは、大浴場や客室から白樺湖を一望できる(写真:池の平ホテル&リゾーツ提供)
長期滞在型の「レイクリゾート」を目指したホテルは、客室や大浴場、サウナから白樺湖を一望できる。
矢島社長が改築を最終決断したのはコロナ禍に入ってからだ。
「地域と自社は一連托生。白樺湖の景観が少しずつよくなったから、決断ができた。時代のトレンドに左右される部分ではなく、地域の本質的な価値に重点的に投資していきたい」
湖畔の景観を損ねていたホテル山善は取り壊されたが、周辺にはまだ廃屋が残る。山善ホテルの対岸に建つ白樺湖グランドホテルも、2000年ごろに営業停止して以降放置され、開きっぱなしの玄関から入る野次馬が後を絶たない。
矢島社長は「廃屋を取り巻く状況は1件1件違い、一筋縄ではいかない。地域で協調しながら粘り強く道を探していく」と話した。
観光庁によると、コロナ禍に導入された「既存観光拠点の再生・高付加価値化推進事業」を活用した廃屋撤去は2021年度にホテル山善を含め42件、2022年度に125件、合計167件実施されたという。
(浦上 早苗 : 経済ジャーナリスト)

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