意図せぬカミングアウトから父親と目も合わない生活が始まり… 男性から女性になった未悠さん(28)が車の中で一家号泣した日

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〈「こんなに雑な感じで扱われるのか!」女性から男性になった歩夢さん(31)が驚いた、職場での“筋肉チェック”事件〉から続く
女性として生まれ男性になった歩夢さん(31)と、男性として生まれて女性になった未悠さん(28)。2人は2020年に結婚し、現在は「性別逆転夫婦」としてSNSや講演などで活動している。
【画像】10代のころの妻の未悠さん
男性として生まれて、女性になったいわゆるMtFの未悠さんに話を聞いた。
◆ ◆ ◆
――10代の頃の写真、とても可愛いらしいですね。
未悠 ありがとうございます(笑)。物心ついた時から自分のことを男の子だと思ったことがなくて、迷うこともなく女の子だと思ってたみたいです。幼稚園ではセーラームーンごっこが大好きで、友達はほとんど女の子。お昼寝の時間は男女で分けられて、隣に男の子が来るとドキドキしたり、ちょっとマセた子でしたね。

――「あれ」と思ったのはいつ頃からですか?
未悠 最初は小学校のランドセルが黒かったことでした。お友達はみんな赤なのに、「男の子が黒で、女の子は赤なんだよ」って言われて違和感があったのは覚えてます。せめて筆箱とかは自分で選ぼうと思ってキティちゃんのピンクの物を持ってたら、今度は近くの席だった女子に「なんで男やのに青じゃなくてピンクの持ってるの?」って聞かれて。
――小学生って固定観念が強いところありますよね。
未悠 そうですよね。「間違ってる」ぐらいの勢いで言われている感じがして辛いんですよ、あれ。高学年になる頃には体つきも変わってくるけど、自分が男性として生きていく感じが全く想像できなくて。中学に入っても女の子とばっかり遊んでたんですけど、制服も違いますし明らかに目立ってはいました。
――水泳の授業とかはどうしてたんですか?未悠 水泳は自分が男性であることを突きつけられるので本当に嫌でしたね。ほしくない男性器がついてるし、胸もないし。あとはトイレに行くのも「お前どっち行くねん」とか男子に言われるので嫌でした。周りからも「あいつオカマや」みたいに言われるようになって……。――いじめのような状態に?未悠 そうなりかけていたんですが、クラスにいた幼稚園から一緒の女の子がヤンキーになっていて(笑)、その子たちが守ってくれました。「いじめとかするつもりならぶっ飛ばすからな」みたいな。――ヤンキーの友達(笑)。未悠 変な目で見てくる人は確かにいましたけど、受け入れてくれる友達もいたので、それはラッキーだったんだろうなって思います。ただ学校では女の子たちと自然体でいられても、家ではある程度は男の子として振る舞う必要があって。「私」って言うだけで気持ち悪がられるし、でも「僕」とか「俺」は言えなかったから、私も歩夢と同じで一人称は「自分」に落ち着きました。――家の雰囲気的には受け入れてもらえる気配は感じていましたか?未悠 むしろ、「男らしくなれ」という強い圧を感じてました。小学生の頃から父親にボクシングの試合の映像を一緒に見ようと誘われて、たぶんボクサーのような強い男の人になってほしかったんだと思います。興味がなさすぎて全然覚えてないんですけど(笑)。むしろ私はモーニング娘。が好きで、後藤真希さんのようになりたいとずっと思ってました。――芸能人を見るときも女性は「なりたい」、男性は「好き」という?未悠 そうですね。なりたかったのは後藤真希さんで、好きだったのは小栗旬さんとか、松田翔太さん。「花より男子」のドラマが流行ってたので。あとは伊藤英明さんとか。「見た目ゴリゴリに男だけどいいのかな」――初めてお付き合いした相手も男性でしたか?未悠 最初から男性でしたね。私は性別で迷った時期がほとんどない方で、自分は女性で、性的に男性に惹かれるという部分は最初から一貫してました。中学2年の時に最初の彼氏ができて、高校生のときも何人か。「見た目ゴリゴリに男だけどいいのかな」と私は思ってましたけど、それでもいいよ、可愛いよって言ってくれる人が何人かいたんですよね。――彼氏は女の子として扱ってくれるけど、家では「男らしく」というギャップは苦しそうです。未悠 高校に入ったくらいから隠すのもどんどんキツくなってきて、部屋もピンクにしてセーラームーンと西野カナのポスターを貼って、ってバレバレ状態でした。耐えきれず高2で母親にカミングアウトした時も「メイクをした跡も洗面台に残ってたし、そうかなと思ってた。やっぱりそうだよね」って言われました。――母親は割とスムーズに受け入れてくれた?未悠 カミングアウトした瞬間は「受け入れてもらえた」と思ったんですけど、そこからちょっと病む時期もあって「私の育て方がおかしかったのかな」とか「妊娠中に何かしたせいかな」とか悩んでいたようです。それでも父親よりはずいぶんスムーズでしたけどね。――父親は大変でしたか。未悠 父はボクシング大好きなめちゃくちゃ昭和の男で、「男はこう生きろ」というのも強く感じていました……。高校を卒業するまで言えなくて、最終的にカミングアウトしたも偶然というか、ほとんど事故みたいな感じでした。事故のようなカミングアウト、反応は「俺にはわからへん」――どういうことでしょう?未悠 父親はずっとLINEをやってなかったので、私はLINEのアイコンを女の子姿の写真にしてたんですけど、急に「友達追加されました」って父親の名前が出てきて。――焦りますね。未悠 それで帰った時に「これどういうことやねん」って聞かれて、私もしょうがないから「写真の通りで、私は女の子として生きていくから」って伝えたら、「俺にはわからへん」ってずばっと言われてそれっきり。私は開き直って次の日から家でも女の子の格好をするようになったんだけど、父親は目も合わせない口もきかない状態。それが2カ月くらい続きました。――息苦しいです。状況が変わるきっかけはあったんですか。未悠 20歳になったら適合手術も受けられるのでその準備でクリニックに通うようになったんですけど、親の承認がいるんですよ。それを渋々承諾してくれて、行き帰りも車で送ってくれて。それである日「お前の人生やから、後悔せずに生きろよ」とぼそっと。一緒に乗ってたおばあちゃんと私はそれを聞いて号泣、父親も泣いちゃって。その後もすぐに完全にスッキリというわけではないんですけど、「今日かわいい格好してどこ行くん」とか聞いてくれて、前に進んでる感じはあります。――結婚はお2人にとって大きな転換点になりましたか?未悠 それは間違いないですね。特に父親は結婚を本当に喜んでくれました。結婚式では父親が泣きすぎて、周りが引いちゃったんですけど(笑)。歩夢 なんか本当にかっこいいお父さんなんですよね。敵う気がしないというか。スピードには個人差があっても、家族が受け入れてくれるのは本当に嬉しいですね。▼▼▼歩夢さんインスタグラム instagram.com/ayumu0019未悠さんインスタグラム instagram.com/nakachin0911TikTok https://www.tiktok.com/@nakachin0411(「文春オンライン」編集部)
――水泳の授業とかはどうしてたんですか?
未悠 水泳は自分が男性であることを突きつけられるので本当に嫌でしたね。ほしくない男性器がついてるし、胸もないし。あとはトイレに行くのも「お前どっち行くねん」とか男子に言われるので嫌でした。周りからも「あいつオカマや」みたいに言われるようになって……。
――いじめのような状態に?
未悠 そうなりかけていたんですが、クラスにいた幼稚園から一緒の女の子がヤンキーになっていて(笑)、その子たちが守ってくれました。「いじめとかするつもりならぶっ飛ばすからな」みたいな。
――ヤンキーの友達(笑)。
未悠 変な目で見てくる人は確かにいましたけど、受け入れてくれる友達もいたので、それはラッキーだったんだろうなって思います。ただ学校では女の子たちと自然体でいられても、家ではある程度は男の子として振る舞う必要があって。「私」って言うだけで気持ち悪がられるし、でも「僕」とか「俺」は言えなかったから、私も歩夢と同じで一人称は「自分」に落ち着きました。
――家の雰囲気的には受け入れてもらえる気配は感じていましたか?
未悠 むしろ、「男らしくなれ」という強い圧を感じてました。小学生の頃から父親にボクシングの試合の映像を一緒に見ようと誘われて、たぶんボクサーのような強い男の人になってほしかったんだと思います。興味がなさすぎて全然覚えてないんですけど(笑)。むしろ私はモーニング娘。が好きで、後藤真希さんのようになりたいとずっと思ってました。
――芸能人を見るときも女性は「なりたい」、男性は「好き」という?未悠 そうですね。なりたかったのは後藤真希さんで、好きだったのは小栗旬さんとか、松田翔太さん。「花より男子」のドラマが流行ってたので。あとは伊藤英明さんとか。「見た目ゴリゴリに男だけどいいのかな」――初めてお付き合いした相手も男性でしたか?未悠 最初から男性でしたね。私は性別で迷った時期がほとんどない方で、自分は女性で、性的に男性に惹かれるという部分は最初から一貫してました。中学2年の時に最初の彼氏ができて、高校生のときも何人か。「見た目ゴリゴリに男だけどいいのかな」と私は思ってましたけど、それでもいいよ、可愛いよって言ってくれる人が何人かいたんですよね。――彼氏は女の子として扱ってくれるけど、家では「男らしく」というギャップは苦しそうです。未悠 高校に入ったくらいから隠すのもどんどんキツくなってきて、部屋もピンクにしてセーラームーンと西野カナのポスターを貼って、ってバレバレ状態でした。耐えきれず高2で母親にカミングアウトした時も「メイクをした跡も洗面台に残ってたし、そうかなと思ってた。やっぱりそうだよね」って言われました。――母親は割とスムーズに受け入れてくれた?未悠 カミングアウトした瞬間は「受け入れてもらえた」と思ったんですけど、そこからちょっと病む時期もあって「私の育て方がおかしかったのかな」とか「妊娠中に何かしたせいかな」とか悩んでいたようです。それでも父親よりはずいぶんスムーズでしたけどね。――父親は大変でしたか。未悠 父はボクシング大好きなめちゃくちゃ昭和の男で、「男はこう生きろ」というのも強く感じていました……。高校を卒業するまで言えなくて、最終的にカミングアウトしたも偶然というか、ほとんど事故みたいな感じでした。事故のようなカミングアウト、反応は「俺にはわからへん」――どういうことでしょう?未悠 父親はずっとLINEをやってなかったので、私はLINEのアイコンを女の子姿の写真にしてたんですけど、急に「友達追加されました」って父親の名前が出てきて。――焦りますね。未悠 それで帰った時に「これどういうことやねん」って聞かれて、私もしょうがないから「写真の通りで、私は女の子として生きていくから」って伝えたら、「俺にはわからへん」ってずばっと言われてそれっきり。私は開き直って次の日から家でも女の子の格好をするようになったんだけど、父親は目も合わせない口もきかない状態。それが2カ月くらい続きました。――息苦しいです。状況が変わるきっかけはあったんですか。未悠 20歳になったら適合手術も受けられるのでその準備でクリニックに通うようになったんですけど、親の承認がいるんですよ。それを渋々承諾してくれて、行き帰りも車で送ってくれて。それである日「お前の人生やから、後悔せずに生きろよ」とぼそっと。一緒に乗ってたおばあちゃんと私はそれを聞いて号泣、父親も泣いちゃって。その後もすぐに完全にスッキリというわけではないんですけど、「今日かわいい格好してどこ行くん」とか聞いてくれて、前に進んでる感じはあります。――結婚はお2人にとって大きな転換点になりましたか?未悠 それは間違いないですね。特に父親は結婚を本当に喜んでくれました。結婚式では父親が泣きすぎて、周りが引いちゃったんですけど(笑)。歩夢 なんか本当にかっこいいお父さんなんですよね。敵う気がしないというか。スピードには個人差があっても、家族が受け入れてくれるのは本当に嬉しいですね。▼▼▼歩夢さんインスタグラム instagram.com/ayumu0019未悠さんインスタグラム instagram.com/nakachin0911TikTok https://www.tiktok.com/@nakachin0411(「文春オンライン」編集部)
――芸能人を見るときも女性は「なりたい」、男性は「好き」という?
未悠 そうですね。なりたかったのは後藤真希さんで、好きだったのは小栗旬さんとか、松田翔太さん。「花より男子」のドラマが流行ってたので。あとは伊藤英明さんとか。
――初めてお付き合いした相手も男性でしたか?
未悠 最初から男性でしたね。私は性別で迷った時期がほとんどない方で、自分は女性で、性的に男性に惹かれるという部分は最初から一貫してました。中学2年の時に最初の彼氏ができて、高校生のときも何人か。「見た目ゴリゴリに男だけどいいのかな」と私は思ってましたけど、それでもいいよ、可愛いよって言ってくれる人が何人かいたんですよね。
――彼氏は女の子として扱ってくれるけど、家では「男らしく」というギャップは苦しそうです。未悠 高校に入ったくらいから隠すのもどんどんキツくなってきて、部屋もピンクにしてセーラームーンと西野カナのポスターを貼って、ってバレバレ状態でした。耐えきれず高2で母親にカミングアウトした時も「メイクをした跡も洗面台に残ってたし、そうかなと思ってた。やっぱりそうだよね」って言われました。――母親は割とスムーズに受け入れてくれた?未悠 カミングアウトした瞬間は「受け入れてもらえた」と思ったんですけど、そこからちょっと病む時期もあって「私の育て方がおかしかったのかな」とか「妊娠中に何かしたせいかな」とか悩んでいたようです。それでも父親よりはずいぶんスムーズでしたけどね。――父親は大変でしたか。未悠 父はボクシング大好きなめちゃくちゃ昭和の男で、「男はこう生きろ」というのも強く感じていました……。高校を卒業するまで言えなくて、最終的にカミングアウトしたも偶然というか、ほとんど事故みたいな感じでした。事故のようなカミングアウト、反応は「俺にはわからへん」――どういうことでしょう?未悠 父親はずっとLINEをやってなかったので、私はLINEのアイコンを女の子姿の写真にしてたんですけど、急に「友達追加されました」って父親の名前が出てきて。――焦りますね。未悠 それで帰った時に「これどういうことやねん」って聞かれて、私もしょうがないから「写真の通りで、私は女の子として生きていくから」って伝えたら、「俺にはわからへん」ってずばっと言われてそれっきり。私は開き直って次の日から家でも女の子の格好をするようになったんだけど、父親は目も合わせない口もきかない状態。それが2カ月くらい続きました。――息苦しいです。状況が変わるきっかけはあったんですか。未悠 20歳になったら適合手術も受けられるのでその準備でクリニックに通うようになったんですけど、親の承認がいるんですよ。それを渋々承諾してくれて、行き帰りも車で送ってくれて。それである日「お前の人生やから、後悔せずに生きろよ」とぼそっと。一緒に乗ってたおばあちゃんと私はそれを聞いて号泣、父親も泣いちゃって。その後もすぐに完全にスッキリというわけではないんですけど、「今日かわいい格好してどこ行くん」とか聞いてくれて、前に進んでる感じはあります。――結婚はお2人にとって大きな転換点になりましたか?未悠 それは間違いないですね。特に父親は結婚を本当に喜んでくれました。結婚式では父親が泣きすぎて、周りが引いちゃったんですけど(笑)。歩夢 なんか本当にかっこいいお父さんなんですよね。敵う気がしないというか。スピードには個人差があっても、家族が受け入れてくれるのは本当に嬉しいですね。▼▼▼歩夢さんインスタグラム instagram.com/ayumu0019未悠さんインスタグラム instagram.com/nakachin0911TikTok https://www.tiktok.com/@nakachin0411(「文春オンライン」編集部)
――彼氏は女の子として扱ってくれるけど、家では「男らしく」というギャップは苦しそうです。
未悠 高校に入ったくらいから隠すのもどんどんキツくなってきて、部屋もピンクにしてセーラームーンと西野カナのポスターを貼って、ってバレバレ状態でした。耐えきれず高2で母親にカミングアウトした時も「メイクをした跡も洗面台に残ってたし、そうかなと思ってた。やっぱりそうだよね」って言われました。
――母親は割とスムーズに受け入れてくれた?
未悠 カミングアウトした瞬間は「受け入れてもらえた」と思ったんですけど、そこからちょっと病む時期もあって「私の育て方がおかしかったのかな」とか「妊娠中に何かしたせいかな」とか悩んでいたようです。それでも父親よりはずいぶんスムーズでしたけどね。
――父親は大変でしたか。
未悠 父はボクシング大好きなめちゃくちゃ昭和の男で、「男はこう生きろ」というのも強く感じていました……。高校を卒業するまで言えなくて、最終的にカミングアウトしたも偶然というか、ほとんど事故みたいな感じでした。
――どういうことでしょう?
未悠 父親はずっとLINEをやってなかったので、私はLINEのアイコンを女の子姿の写真にしてたんですけど、急に「友達追加されました」って父親の名前が出てきて。
――焦りますね。未悠 それで帰った時に「これどういうことやねん」って聞かれて、私もしょうがないから「写真の通りで、私は女の子として生きていくから」って伝えたら、「俺にはわからへん」ってずばっと言われてそれっきり。私は開き直って次の日から家でも女の子の格好をするようになったんだけど、父親は目も合わせない口もきかない状態。それが2カ月くらい続きました。――息苦しいです。状況が変わるきっかけはあったんですか。未悠 20歳になったら適合手術も受けられるのでその準備でクリニックに通うようになったんですけど、親の承認がいるんですよ。それを渋々承諾してくれて、行き帰りも車で送ってくれて。それである日「お前の人生やから、後悔せずに生きろよ」とぼそっと。一緒に乗ってたおばあちゃんと私はそれを聞いて号泣、父親も泣いちゃって。その後もすぐに完全にスッキリというわけではないんですけど、「今日かわいい格好してどこ行くん」とか聞いてくれて、前に進んでる感じはあります。――結婚はお2人にとって大きな転換点になりましたか?未悠 それは間違いないですね。特に父親は結婚を本当に喜んでくれました。結婚式では父親が泣きすぎて、周りが引いちゃったんですけど(笑)。歩夢 なんか本当にかっこいいお父さんなんですよね。敵う気がしないというか。スピードには個人差があっても、家族が受け入れてくれるのは本当に嬉しいですね。▼▼▼歩夢さんインスタグラム instagram.com/ayumu0019未悠さんインスタグラム instagram.com/nakachin0911TikTok https://www.tiktok.com/@nakachin0411(「文春オンライン」編集部)
――焦りますね。
未悠 それで帰った時に「これどういうことやねん」って聞かれて、私もしょうがないから「写真の通りで、私は女の子として生きていくから」って伝えたら、「俺にはわからへん」ってずばっと言われてそれっきり。私は開き直って次の日から家でも女の子の格好をするようになったんだけど、父親は目も合わせない口もきかない状態。それが2カ月くらい続きました。
――息苦しいです。状況が変わるきっかけはあったんですか。
未悠 20歳になったら適合手術も受けられるのでその準備でクリニックに通うようになったんですけど、親の承認がいるんですよ。それを渋々承諾してくれて、行き帰りも車で送ってくれて。それである日「お前の人生やから、後悔せずに生きろよ」とぼそっと。一緒に乗ってたおばあちゃんと私はそれを聞いて号泣、父親も泣いちゃって。その後もすぐに完全にスッキリというわけではないんですけど、「今日かわいい格好してどこ行くん」とか聞いてくれて、前に進んでる感じはあります。
――結婚はお2人にとって大きな転換点になりましたか?未悠 それは間違いないですね。特に父親は結婚を本当に喜んでくれました。結婚式では父親が泣きすぎて、周りが引いちゃったんですけど(笑)。歩夢 なんか本当にかっこいいお父さんなんですよね。敵う気がしないというか。スピードには個人差があっても、家族が受け入れてくれるのは本当に嬉しいですね。▼▼▼歩夢さんインスタグラム instagram.com/ayumu0019未悠さんインスタグラム instagram.com/nakachin0911TikTok https://www.tiktok.com/@nakachin0411(「文春オンライン」編集部)
――結婚はお2人にとって大きな転換点になりましたか?
未悠 それは間違いないですね。特に父親は結婚を本当に喜んでくれました。結婚式では父親が泣きすぎて、周りが引いちゃったんですけど(笑)。
歩夢 なんか本当にかっこいいお父さんなんですよね。敵う気がしないというか。スピードには個人差があっても、家族が受け入れてくれるのは本当に嬉しいですね。
▼▼▼歩夢さんインスタグラム instagram.com/ayumu0019未悠さんインスタグラム instagram.com/nakachin0911TikTok https://www.tiktok.com/@nakachin0411
(「文春オンライン」編集部)

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