元交際男性から執拗なストーカー行為を受けたのち、別の男に刺殺された猪野詩織さん。「私が殺されたら犯人はA」と、我が身の危険を感じていた詩織さんは生前、親しい友人に「遺言」を託していた。遺言というバトンを受け取った週刊誌『FOCUS』記者・清水潔氏は、ある種の使命感に駆り立てられ、実行犯であるBとその仲間・Cの居場所を突き止める。しかし、この情報を得た警察は、なぜか犯人の逮捕に二の足を踏んでいるように見えた。そんななか、清水氏は警察による重大な隠蔽行為を知る。そして、ある覚悟を決めた──。
【写真12枚】殺害された猪野詩織さん。他、詩織さんが刺殺された事件現場など 単行本の発行から20余年経った今なお、「記者の教科書」とされる『桶川ストーカー殺人事件 -遺言-』(新潮文庫)。ジャーナリスト・清水潔氏の執念が、陰惨な事件の真相と警察の根深い闇を明らかにしていく。その一部を抜粋し、紹介する。【前後編の後編。前編から読む】※プライバシー保護の観点により、一部の個人名をアルファベットに置き換えて表記しています。 * * * 私は猪野家を辞去すると、再び桶川駅前の現場に戻っていた。「犯人は必ず現場に戻る」 嘘だ。用もないのにそんな危険なことをするヤツはいない。それが本当なら事件解決は簡単だ。捜査本部などいらない、現場の上に交番の一つでも建てればいい。 Bは池袋でのうのうと暮らしている。Aは消えたままだ。現場に来るのは被害者の知人と使えない刑事と取材先の分からない記者だけ。 いくつもの花束、友人達のメッセージ、詩織さんが好きだったお菓子やマスコット……。 ぼんやりそれらを眺めながら、私は思った。 なぜここまでこの事件にのめりこんでいるのだろう。いつからこうなってしまったのだろう。 考えるまでもなかった。カラオケボックスで取材したあの夜だった。あの日私は確かに「何か」を託されたのだ。あの日から二ヶ月、私はほとんど休みもなくこの事件を追い続けていた。私を動かし続けてきたのは何だったろうか。頼みの綱を切られ、絶望していた詩織さんがそれでも遺したもの。自分が狙われるかも知れないという恐怖の中で、島田さん達が私に伝えたもの。 島田さんは私に会うなり何と言っただろう?「詩織はAと警察に殺されたんです」 どうしてそのことに気がつかなかったのか。 私はこの日まで、詩織さんに、島田さんに、陽子さんに託されたバトンは一本だと思っていた。とんでもないストーカー男がこの世にいるということだけだと思っていた。だがそうではなかった。バトンは二本あったのだ。 詩織さんが島田さんに、陽子さんに言い遺したのはまさに「遺言」だった。そして島田さん達は、そのすべてを私に託したのだ。「三流」週刊誌記者の私に……。 あのカラオケボックスで涙を浮かべながら言った島田さんの言葉が頭に甦っていた。「あの警察ではダメなんでしょうか」 今ならはっきり答えられた。 ダメだ。 それが私の結論だった。 私は長い間、事件、事故、災害と、いわゆる警察現場を渡り歩いて来た。毎週毎週、日本中をである。複雑な事件も何度見聞きしたか分からない。犯人と言い合いをしたこともあるし、事件の被告がヌレ衣を着せられただけで全くの無実であることを証明したこともあった。捜査と取材、やっていることは違っても、そこいらの所轄のデカさんよりはよっぽど件数も修羅場も踏んできたつもりだ。 だから分かる。上尾署はダメだ。救いようがない。誰かがなんとかしなければ、あそこはこのまま逃げ切るつもりだ。告訴を取り下げさせようとした刑事? そんなのいないよ。あれはニセ者だったってFOCUSにも書いてあるでしょ……。 冗談ではない、そんなこと許せるか。 私がすべきなのは覚悟を決めることだった。事件の犯人達が逮捕されたら、この事実を書くしかないと腹を決めることだった。すべて書こう。黙殺されるのがせいぜいかもしれないが、私が恥をさらすことになるのかもしれないが、はめられたまま嘘を垂れ流しているなんて、記者としてどうしようもなく不愉快だった。 今は待つしかない。殺人事件の犯人を逮捕できるのはやはり捜査本部しかないからだ。 だが、それで事件が終わりだなどと思ってもらっては困る。私のやらなければならないことは、もうひとつあるのだから。 手ぐすねひいて待っているにも拘らず、肝心の「逮捕」の方がまるで進んでいなかった。捜査員を池袋に張りつけてから、Bはマンションに姿を現わさないと言うのである。どうしてだ、ヤツらは安心しているはずだ。なぜ来ない……? ところが私の情報源からは、まったく違う話が入って来ていた。池袋のそのマンションは一階がラーメン店なのだが、同じ日の夕方、その店の前でBとCがのんびりと立ち話をしていたというのだ。 県警は本気で逮捕をする気があるのか。まさか我々に対するポーズで捜査員を派遣しているのではないか。私の警察に対する不信感は募る一方だった。 十二月十二日になっていた。 時間の流れがやたらに早く感じられた。タイムリミットであるFOCUSの締め切り日が目前だった。逮捕原稿はすでに書き上がり、写真も用意してある。原稿が入ったフロッピーディスクを印刷所に送ればすべては終了である。 しかし、池袋は動かなかった。何度現場を訪れても、相変わらず捜査員がブラブラ歩き廻っているだけだ。いったい捜査本部はどうするつもりなのか。何を考えているのか。私にはまったく分からなかった。我々が彼らの姿を撮影してから以後も、Cは何度もマンションの出入りを繰り返していたが、捜査員達のあの張り込み方では姿を確認できるはずもない。 締め切り日を迎えて、私は厳しい選択を迫られることになった。「事件解決」か「スクープ」かを選ばなければならなくなったのだ。何度も編集長と話し合い、結局こう決めた。 この週、FOCUSは桶川の記事を掲載しない。 一週見送ったのだ。私は入稿を諦めた。それが記者にとってどれだけつらく、馬鹿馬鹿しいことか想像がつくだろうか。誌面にならない取材など、無駄以外のなにものでもない。 次の締め切りまでは六日間。締め切り直後にB達が逮捕されるようなことでもあれば、万事休すであった。 六日間もあれば何もかも発表され、報道もひと通り終わって世間の関心も薄れかねない。そんな頃になって、いくら事前にすばらしい写真を撮っていたと言い張っても証文の出し遅れである。 負けは負け。 あんたはお人よし、と言われておしまいだ。その危険は十分にあった。 それでもあと一週だけは待ってみようと我々は決めた。賭けだった。 どう転んでもそれ以上の延長戦はないよ、山本編集長は言った。私もそれは重々承知していた。というのも、この次の号は年内最後の発売になる合併号だったのだ。発売日は十二月二十一日。その後は一月六日まで雑誌は出ない。いくら何でもそれまで逮捕も出来ず、他誌も気が付かない状態が続くとは思えない。 つまり、次の締め切りに入稿できなければ、FOCUSにとってこの事件は写真も記事も年末大掃除のゴミ箱行きとなってしまうのである。 それだけは出来なかった。 好き勝手なことばかりやっているコントロール不能の不良記者だが、これでも雑誌に掲載するために取材をしているのである。私は捜査員ではない、記者なのだ。あの写真だって私一人のものではないのだ……。 私は再度、上尾署に通告しに行くことにした。きちんと説明をしておきたかった。記事が出た後で「あの時FOCUSが書くなんて捜査本部は知らなかった。Bは我々が独自に割って追い込んでいたのに、FOCUSがどこかでそれを聞きつけて勝手に書いた。だから犯人が逃げたのだ」などと言われるのはまっぴらだった。これだけは、記者クラブの壁があろうとあらかじめ通知しておかなければならなかった。 実は、私が猪野さんのお宅に伺って取材経過を説明したのも、警察に知らん顔されぬための保険という意味合いがあった。警察以外の中立的な第三者にあらかじめ伝えておかなければ、どう言い抜けされるか分からない。 月曜日を待って、私はまず埼玉県警本部の広報に出かけた。広報課員と直接会って、「これからFOCUSが取材に行きます」と上尾署に連絡を入れてもらうためである。どこの組織もそうだが本部の言うことに支部は弱い。いきなり私が飛び込んでいくよりはいいだろうと思ったのだ。それでも上尾署の状態は何も変わっていなかった。 上尾署の受付に名刺を出すのはもう三回目だ。普通の所轄であれば、「どうぞお入りください」と、まぁ副署長の隣の応接セットくらいには案内されて、お茶の一杯も出してくれたあとで「発表以外のことは話せないんですよねぇ」なんてことを言いながらも雑談の一つもしてくるものである。 しかしここは違うのだ。半端ではない。 いつもの副署長はいつものように、得意のセリフをカウンター越しにかましてくれたのである。「あー、記者クラブに加盟していないところは本部に行ってね。それに今日は署長は留守だからね、年末で忙しいんだよ。ダメだな。取材はダメ」 まるで高性能テープレコーダーであった。立派なモノである。よく分かった。私だけにそういう態度なのか、すべてのクラブ非加盟社にそうなのかは分からないが、お話にならない。もう面倒だった。こちらも人間が出来ていない。こうなれば私は高性能スピーカーになるしかないと思った。私はカウンターの外で一方的に怒鳴り始めた。聞こうが聞くまいが知ったことか。「取材ではありません。伝えたいことがあったから来ただけです。来週発売のFOCUSで桶川駅前の殺人事件の容疑者について重要な記事を掲載します。すでにその内容は捜査本部が十分にご存知のはずです。締め切りは今週土曜です。このことは必ず署長にお伝えください。以上」 もうちょっと言いたいことはあったのだが、気が弱い私は心の中でこう付け足すだけだった。「あなたに取材することなんか何もない。恐らく私の方がよほどこの事件に詳しいのだ」と。 副署長は私の名刺を見て、面倒くさそうにうなずいていた。頭のおかしいのが来たくらいにしか思っていないのかもしれなかった。それでもいい。私としては出来る限りの誠意は尽くしたつもりだった。少しは刑事達に慌てて欲しかった。 いくらやっても私との距離をまるで詰めようとしない副署長。怒鳴っている私を無視して事務仕事に没頭する他の刑事や職員達。なんなんだここは。 あの日、詩織さん達がここに相談に来て、絶望したのがよく理解できた。ここはまったくダメだ。「人間」がいないのだ。詩織さんは二つの不幸に遭遇した。一つはAに出会ったこと。もう一つは上尾署の管内に住んだことだ。(了。前編から読む)
単行本の発行から20余年経った今なお、「記者の教科書」とされる『桶川ストーカー殺人事件 -遺言-』(新潮文庫)。ジャーナリスト・清水潔氏の執念が、陰惨な事件の真相と警察の根深い闇を明らかにしていく。その一部を抜粋し、紹介する。【前後編の後編。前編から読む】
※プライバシー保護の観点により、一部の個人名をアルファベットに置き換えて表記しています。
* * * 私は猪野家を辞去すると、再び桶川駅前の現場に戻っていた。
「犯人は必ず現場に戻る」
嘘だ。用もないのにそんな危険なことをするヤツはいない。それが本当なら事件解決は簡単だ。捜査本部などいらない、現場の上に交番の一つでも建てればいい。
Bは池袋でのうのうと暮らしている。Aは消えたままだ。現場に来るのは被害者の知人と使えない刑事と取材先の分からない記者だけ。
いくつもの花束、友人達のメッセージ、詩織さんが好きだったお菓子やマスコット……。
ぼんやりそれらを眺めながら、私は思った。
なぜここまでこの事件にのめりこんでいるのだろう。いつからこうなってしまったのだろう。
考えるまでもなかった。カラオケボックスで取材したあの夜だった。あの日私は確かに「何か」を託されたのだ。あの日から二ヶ月、私はほとんど休みもなくこの事件を追い続けていた。私を動かし続けてきたのは何だったろうか。頼みの綱を切られ、絶望していた詩織さんがそれでも遺したもの。自分が狙われるかも知れないという恐怖の中で、島田さん達が私に伝えたもの。
島田さんは私に会うなり何と言っただろう?
「詩織はAと警察に殺されたんです」
どうしてそのことに気がつかなかったのか。
私はこの日まで、詩織さんに、島田さんに、陽子さんに託されたバトンは一本だと思っていた。とんでもないストーカー男がこの世にいるということだけだと思っていた。だがそうではなかった。バトンは二本あったのだ。
詩織さんが島田さんに、陽子さんに言い遺したのはまさに「遺言」だった。そして島田さん達は、そのすべてを私に託したのだ。「三流」週刊誌記者の私に……。
あのカラオケボックスで涙を浮かべながら言った島田さんの言葉が頭に甦っていた。
「あの警察ではダメなんでしょうか」
今ならはっきり答えられた。
ダメだ。
それが私の結論だった。
私は長い間、事件、事故、災害と、いわゆる警察現場を渡り歩いて来た。毎週毎週、日本中をである。複雑な事件も何度見聞きしたか分からない。犯人と言い合いをしたこともあるし、事件の被告がヌレ衣を着せられただけで全くの無実であることを証明したこともあった。捜査と取材、やっていることは違っても、そこいらの所轄のデカさんよりはよっぽど件数も修羅場も踏んできたつもりだ。
だから分かる。上尾署はダメだ。救いようがない。誰かがなんとかしなければ、あそこはこのまま逃げ切るつもりだ。告訴を取り下げさせようとした刑事? そんなのいないよ。あれはニセ者だったってFOCUSにも書いてあるでしょ……。
冗談ではない、そんなこと許せるか。
私がすべきなのは覚悟を決めることだった。事件の犯人達が逮捕されたら、この事実を書くしかないと腹を決めることだった。すべて書こう。黙殺されるのがせいぜいかもしれないが、私が恥をさらすことになるのかもしれないが、はめられたまま嘘を垂れ流しているなんて、記者としてどうしようもなく不愉快だった。
今は待つしかない。殺人事件の犯人を逮捕できるのはやはり捜査本部しかないからだ。
だが、それで事件が終わりだなどと思ってもらっては困る。私のやらなければならないことは、もうひとつあるのだから。
手ぐすねひいて待っているにも拘らず、肝心の「逮捕」の方がまるで進んでいなかった。捜査員を池袋に張りつけてから、Bはマンションに姿を現わさないと言うのである。どうしてだ、ヤツらは安心しているはずだ。なぜ来ない……?
ところが私の情報源からは、まったく違う話が入って来ていた。池袋のそのマンションは一階がラーメン店なのだが、同じ日の夕方、その店の前でBとCがのんびりと立ち話をしていたというのだ。
県警は本気で逮捕をする気があるのか。まさか我々に対するポーズで捜査員を派遣しているのではないか。私の警察に対する不信感は募る一方だった。
十二月十二日になっていた。
時間の流れがやたらに早く感じられた。タイムリミットであるFOCUSの締め切り日が目前だった。逮捕原稿はすでに書き上がり、写真も用意してある。原稿が入ったフロッピーディスクを印刷所に送ればすべては終了である。
しかし、池袋は動かなかった。何度現場を訪れても、相変わらず捜査員がブラブラ歩き廻っているだけだ。いったい捜査本部はどうするつもりなのか。何を考えているのか。私にはまったく分からなかった。我々が彼らの姿を撮影してから以後も、Cは何度もマンションの出入りを繰り返していたが、捜査員達のあの張り込み方では姿を確認できるはずもない。
締め切り日を迎えて、私は厳しい選択を迫られることになった。「事件解決」か「スクープ」かを選ばなければならなくなったのだ。何度も編集長と話し合い、結局こう決めた。
この週、FOCUSは桶川の記事を掲載しない。
一週見送ったのだ。私は入稿を諦めた。それが記者にとってどれだけつらく、馬鹿馬鹿しいことか想像がつくだろうか。誌面にならない取材など、無駄以外のなにものでもない。
次の締め切りまでは六日間。締め切り直後にB達が逮捕されるようなことでもあれば、万事休すであった。
六日間もあれば何もかも発表され、報道もひと通り終わって世間の関心も薄れかねない。そんな頃になって、いくら事前にすばらしい写真を撮っていたと言い張っても証文の出し遅れである。
負けは負け。
あんたはお人よし、と言われておしまいだ。その危険は十分にあった。
それでもあと一週だけは待ってみようと我々は決めた。賭けだった。
どう転んでもそれ以上の延長戦はないよ、山本編集長は言った。私もそれは重々承知していた。というのも、この次の号は年内最後の発売になる合併号だったのだ。発売日は十二月二十一日。その後は一月六日まで雑誌は出ない。いくら何でもそれまで逮捕も出来ず、他誌も気が付かない状態が続くとは思えない。
つまり、次の締め切りに入稿できなければ、FOCUSにとってこの事件は写真も記事も年末大掃除のゴミ箱行きとなってしまうのである。
それだけは出来なかった。
好き勝手なことばかりやっているコントロール不能の不良記者だが、これでも雑誌に掲載するために取材をしているのである。私は捜査員ではない、記者なのだ。あの写真だって私一人のものではないのだ……。
私は再度、上尾署に通告しに行くことにした。きちんと説明をしておきたかった。記事が出た後で「あの時FOCUSが書くなんて捜査本部は知らなかった。Bは我々が独自に割って追い込んでいたのに、FOCUSがどこかでそれを聞きつけて勝手に書いた。だから犯人が逃げたのだ」などと言われるのはまっぴらだった。これだけは、記者クラブの壁があろうとあらかじめ通知しておかなければならなかった。
実は、私が猪野さんのお宅に伺って取材経過を説明したのも、警察に知らん顔されぬための保険という意味合いがあった。警察以外の中立的な第三者にあらかじめ伝えておかなければ、どう言い抜けされるか分からない。
月曜日を待って、私はまず埼玉県警本部の広報に出かけた。広報課員と直接会って、「これからFOCUSが取材に行きます」と上尾署に連絡を入れてもらうためである。どこの組織もそうだが本部の言うことに支部は弱い。いきなり私が飛び込んでいくよりはいいだろうと思ったのだ。それでも上尾署の状態は何も変わっていなかった。
上尾署の受付に名刺を出すのはもう三回目だ。普通の所轄であれば、「どうぞお入りください」と、まぁ副署長の隣の応接セットくらいには案内されて、お茶の一杯も出してくれたあとで「発表以外のことは話せないんですよねぇ」なんてことを言いながらも雑談の一つもしてくるものである。
しかしここは違うのだ。半端ではない。
いつもの副署長はいつものように、得意のセリフをカウンター越しにかましてくれたのである。
「あー、記者クラブに加盟していないところは本部に行ってね。それに今日は署長は留守だからね、年末で忙しいんだよ。ダメだな。取材はダメ」
まるで高性能テープレコーダーであった。立派なモノである。よく分かった。私だけにそういう態度なのか、すべてのクラブ非加盟社にそうなのかは分からないが、お話にならない。もう面倒だった。こちらも人間が出来ていない。こうなれば私は高性能スピーカーになるしかないと思った。私はカウンターの外で一方的に怒鳴り始めた。聞こうが聞くまいが知ったことか。
「取材ではありません。伝えたいことがあったから来ただけです。来週発売のFOCUSで桶川駅前の殺人事件の容疑者について重要な記事を掲載します。すでにその内容は捜査本部が十分にご存知のはずです。締め切りは今週土曜です。このことは必ず署長にお伝えください。以上」
もうちょっと言いたいことはあったのだが、気が弱い私は心の中でこう付け足すだけだった。「あなたに取材することなんか何もない。恐らく私の方がよほどこの事件に詳しいのだ」と。
副署長は私の名刺を見て、面倒くさそうにうなずいていた。頭のおかしいのが来たくらいにしか思っていないのかもしれなかった。それでもいい。私としては出来る限りの誠意は尽くしたつもりだった。少しは刑事達に慌てて欲しかった。
いくらやっても私との距離をまるで詰めようとしない副署長。怒鳴っている私を無視して事務仕事に没頭する他の刑事や職員達。なんなんだここは。
あの日、詩織さん達がここに相談に来て、絶望したのがよく理解できた。ここはまったくダメだ。「人間」がいないのだ。詩織さんは二つの不幸に遭遇した。一つはAに出会ったこと。もう一つは上尾署の管内に住んだことだ。
(了。前編から読む)