「頑張ってください」はNG…「四国遍路」への誤解、そのせいで起きているトラブルの数々を反骨の言語学者“F爺”が解説

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2021年7月、サッカー・フランス代表の選手2人が日本人を差別、侮蔑する動画が拡散された。“ひろゆき”こと西村博之氏は、彼らの発言は「差別ではない」と主張したが、それを“論破”したことで大きな注目を集めたのが言語学者の小島剛一氏だ。
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【写真9枚】お遍路を行う「意外すぎる有名人たち」有名政治家・芸能人も? 小島氏は「F爺・小島剛一のブログ」の筆者としても人気が高い。「F爺」とは「フランスに住む日本人の爺さん」という意味だ。専門はトルコ語の方言研究と、トルコ共和国の少数諸民族ザザ人やラズ人の言語研究。半世紀以上にわたってフランスで生活し、フランス語はネイティブと同じレベル。ひろゆき氏が論争を挑めるような相手ではなかったのだ。

お遍路さん ところが、このF爺、意外なことにお遍路の経験も豊富で、ブログでも多数の「遍路論」を掲載している。なぜ遍路に魅せられたのか、F爺が「暗闇」と表現する問題点やトラブルの数々……。F爺のコラム「四国遍路の想定外だった面」をお届けする。四国遍路の想定外だった面 1968年以来、フランスの地方都市ストラスブールに住み着いているF爺には、日常的に「日本の地理と歴史だけでなく、宗教、文芸、音楽、美術、工芸、料理、政治情勢などに関しても幅広い知識があることを要求される」という特殊な立場がある。 ある日、フランス人に四国遍路のことを訊かれて、通り一遍の大まかな説明しかできないことを自覚した。次の夏の長期休暇を利用して四国の遍路道のかなりの部分を歩いてみたのが十年以上前のこと。 それ以来、コロナ禍で一時帰国の叶わなかった時期を除いて、毎年、四国に舞い戻っては、遍路道を歩くようになっている。その間に、渡し舟以外の交通機関を一切利用せず、徒歩に徹して八十八箇所の札所を一回の遍路行で巡って結願(けちがん)に至る「歩き遍路の通し打ち」も三回達成した。歩き遍路とは? 現今、四国八十八箇所巡りをする人の大多数は、鉄道やバス、タクシー、ロープウェイなどを利用したり、自家用車またはレンタカーを自分で運転したり、観光バスによるツアーに参加したりする。自転車で札所巡りをする人もいる。 交通機関を利用せず、自転車やバイクにも乗らずに札所から札所への道を自分の足で歩き通す昔ながらの「お遍路さん」は、ごく少数なのが現状だ。 但し、「歩き通す」と言っても、1950年頃までのお遍路さんたちが渡し舟には乗っていたという歴史を踏まえて、浦戸(うらど)湾の入り口で無料の高知県営フェリーに乗せてもらうのは構わないことになっている。 本来「遍路は歩くもの」なのだが、「歩かない八十八箇所巡拝者」を「自家用車遍路」「電車バス遍路」「自転車遍路」「タクシー遍路」などと呼ぶ人が多いため、冗語ではあるが「歩き通すお遍路さん」を指す「歩き遍路」という言葉が成立している。さまざまな面 そうして少しずつ見えて来たのが、四国遍路にはさまざまな面があり、疑問に思うことや拒否せざるを得ないこと、さらには「暗闇」と形容したくなることさえもあるという事実である。「お接待」の慣習 四国の遍路道には、「お遍路さんへのお接待」という風習が根付いている。沿道の人が飲み物や果物、お菓子などを振舞ってくれることもあり、遍路宿が無償で弁当やペットボトル入りのお茶を持たせてくれることもある。また、民宿や旅館の洗濯機の使用料が無料だったり、車での送迎を申し出てくれることもある。現金のお接待もある。 多くの人が「お接待は、断わってはいけない」と言う。各種の「遍路案内書」にもそう書いてある。その「教え」を忠実に守って実行するお遍路さんも多い。 ところが、お接待の中には、首を傾げてしまうものもある。断って当然の場合が少なくないのだ。迷惑お接待「車お接待」 歩きお遍路さんを見掛けて自家用車に同乗を奨める人が時々いる。これは率直に言って、遍路というものを理解していない行為だ。お遍路は、観光旅行とは違う。札所から札所へと歩くことそのものが行(ぎょう)なのだ。 交通機関を利用することを当たり前と考えている「札所巡りさん」たちは、同乗を奨めてもらって大喜びするかもしれない。しかし、札所から札所へと歩き通すためにわざわざ四国にまでやって来た「誤魔化しをしない覚悟の歩き遍路」にとっては、行の邪魔をされることだ。迷惑以外の何物でもない。 F爺は、通し打ちを目指している時は車お接待を必ず断わる。「歩くことを行としておりますので、お気持ちだけ戴きます」と言えば、普通は理解してもらえる。 そんなF爺も、一度だけ車お接待を受けたことがある。通し打ちをするだけの日数は無いと初めから判っていた年のことだ。お接待をしてくださった方も、「『歩きのお遍路さんに便乗を奨めても普通は断られる』って聞きました。却(かえ)ってご迷惑らしいんですね」と言っていた。 尋常ではない豪雨の日だった。傘を差しても無駄で、濡れて歩いていたのを見るに見かねてのお接待だったのだ。飲食物のお接待 遍路道で飴玉やお菓子などをお接待する人がいる。F爺は、自分で食べようとは思わないが、少量であれば、後で他のお遍路さんに「お接待送り」をするという手があるから、道端でのお接待は、断わりはしない。 しかし、休憩所などで、その場で消費するべく渡されそうになると、「甘い物を食べると体に良くないんです」と言うことにしている。 真夏の遍路道では、缶入りや瓶入りの冷たい甘い飲料のお接待をする人もいる。これもF爺は、「甘い飲み物は、戴くわけに行かないんです」と言って固くお断わりする。 折角のお接待を断られた人は、《この人、糖尿病なのかな》と思うようだ。 無理に飲ませよう、食べさせようと、強要されたことは無い。誤解だが、いつもそのままにしておく。成分の分からない物を口に入れたくない本当の理由をその度(たび)に説明するのは面倒だから、「これは方便のうち」と割り切ることにしている。F爺が缶コーヒーお接待などを断る理由 F爺には、コーヒーはご法度。謂わゆる「ドクター・ストップ」なのだ。カフェイン過敏症のせいで、一滴の十分の一でも呑み込んでしまうと、その夜は一睡も出来なくなってしまう。カフェイン入りの「栄養ドリンク」なるものも固く断わる。これまでのところ、そのせいで逆恨みされたことは無い……と思いたい。食べ物以外の物品のお接待 お守りや小型のお地蔵さんの類(たぐい)は、その種の信心の無い者にとっては、持ち運んだら嵩張(かさば)って重いだけ。早朝から夕刻まで歩き続けるため「荷物を紙一枚でも減らしたい」歩き遍路にとって、迷惑でしかない。 それに、どこの神社ともお寺とも無関係に個人が作った自称「お守り」に何の価値があり得るのか、F爺には理解できない。 しかし、それを喜ぶお遍路さんもいる。お遍路経験者一人一人に、それなりの価値観があるのだろう。重過ぎる物のお接待 F爺は、大きな西瓜(すいか)を丸ごとお接待されて重くて重くて泣きそうになったことがある。やっとの思いで辿り着いた宿で、宿泊客と宿の人全員で分けて食べてもらった。 重い物のお接待は、親切などではない。苛めだ。二度と受け付けないことにしている。迷惑お接待を事前に避ける方法 迷惑お接待を事前に避ける一番楽で有効な方法は、F爺のように、白衣を着ず、菅笠を被らず、杖を突かないこと。必要な場合は、臆面も無く、「遍路じゃないんです」と「方便」を活用することが出来る。まだ実行したことは無いが。 それに、沿道の年配の人が異口同音に「私たちが子供の頃のお遍路さんは、白装束ではなかった」と証言する。 江戸時代、明治時代、大正時代、昭和初期の遍路絵や写真を見ても、白装束の人はいない。「遍路用の白装束」は、1953年に伊予鉄道が「観光バスによる札所巡りツアー」を始める少し前の創作衣装なのだ。善意のつもりの「頑張ってください」は禁句にしてもらいたい お遍路さんと遇うと「頑張ってください」と言う人がいる。そんな標語もあちこちで見かける。それがしばしば、お遍路さんに譬(たと)えようも無く辛い思いをさせることに気付かない人が多いようだ。 歩きお遍路さんの中には、驚くほどの高率で、人には言えない悩み苦しみを抱えている人がいる。抱え続け背負い続けた重荷に耐えきれず、何かに縋(すが)りたくなって、最後の頼みの綱として四国にやって来て遍路道に降り立つのだ。そんな人は、歩き始めたその日に既に心身ともに限界で「これ以上は頑張れない」状態であることが多い。問わず語りの身の上話 F爺には、そんなお遍路さんの問わず語りの身の上話を聞かせてもらったことが何度かある。「両親の口論を別室で聞いているうちに、自分が父親に望まれずに生まれて来たことを知ってしまった」「2011年3月11日に孫を三人とも津波に呑まれた」「交通事故を起こして見も知らぬ人を死なせてしまった。このままでは成仏できない」・・・・・決して嘘ではない表向きの理由 遍路に出て来た訳を訊かれたくないお遍路さんの用意する「決して嘘ではない表向きの理由」というものがある。「近親の供養のため」である。近親に故人のいない人なんて存在しないから、表向きの事情として重宝なのだ。不治の病の人 お遍路さんの中には、昔は癩病(=ハンセン病)に侵されて故郷を追われた人も多かったと聞いている。遍路道は、行きどころのない人たちの受け皿にもなって来たのだ。ハンセン病は近年まで「不治の病」だったから、患者の絶望も深かったのだろう。行倒れたお遍路さんを埋葬した跡は、遍路道のあちこちに見つかる。 F爺は、ダウン症の若者に白装束を着せてその腕を引きながら歩いている中年の女を遍路道で見掛けたことがある。息子の難病平癒がその母親の見果てぬ夢だったのだろうか。叶わぬと決まっている願いを籠めて歩みを進める姿は、とても直視できなかった。遍路道の不文律 遍路道には、「決してお遍路さんに『遍路に出て来た訳』を訊いてはならない」という不文律がある。本当の事情を話すわけに行かない人が多いと皆が知っているからだ。 ところが、近年、この不文律を無視する人の出現率が高くなっている。新聞記者とか遍路研究者とか名乗って、「なぜお遍路をするのか」という質問を仕掛けるのだ。 F爺も、何度かその被害に遭っている。「遍路道トレッキング」をする外国人の中にも、開口一番、「ナゼ、アナタハ、ヘンロヲスルノカ」と質問を浴びせるのがいる。F爺は、言下に返答を拒否し、その理由も説明する。「遍路道を廻りっ放しの人」 四国には、遍路道を歩きながら食べ物や飲み物のお接待に頼って命を繋ぐ人がいる。呼び方は、多くは蔑称で、「似非(えせ)遍路」「偽(にせ)遍路」「門付け遍路」「ヘンド」「職業遍路」「ホームレス遍路」など。 F爺がこれまでに見聞きした「侮蔑の度合いの一番弱い」表現は、「廻りっ放しの人」と「生活遍路」である。「廻りっ放しだった人」の中には、殺人未遂の指名手配犯もいたことがある。「幸月さん」か「幸月事件」をキーワードとしてウェブ検索すると、多数の記事が見つかる。画像入りのものもある。 白装束を着て詐欺を働いて新聞種になった女もいる。 四国遍路は、誰でもいつでも始めることができ、どこに届け出る必要も無く、どの札所を起点としても構わない。何回か何十回かに分けて繋ぎ歩きをしても良い。間口が広大であるため、逃亡者も入り込めるのだ。四国遍路は世界でも稀な「正しい意味での巡礼」「巡礼」という言葉は、回教徒(=イスラーム教徒)のメッカ詣でやカトリック教徒のサンティアゴ・デ・コンポステラ歩き詣でに関して用いた場合は、誤訳であり、当然、誤用でもある。一箇所だけの聖地に詣でるだけで、「巡る」ことをしないのだから。 これに対して、四国八十八箇所を歩いて巡って詣でる「お遍路さん」たちは、正しい意味で「巡礼」だ。日本の風土で自然発生的に成立し、何百年も続いている世界的にも珍しい風習である。(この項に関しては、記事の末尾の「注釈」をご覧いただきたい)遍路道を歩く外国人 近年、四国の遍路道に外国人観光客が多数やって来るようになったと聞いている。F爺に一時帰国の出来る唯一の期間である真夏には少ないが、台湾人、フランス人、ドイツ人、イタリア人、カナダ人、オーストラリア人などには遭遇したことがある。 F爺が言葉を交わした人達に限って言うと、外国人に「お遍路さん」は一人もいなかった。大多数は、弘法大師の名前も知らず、単に歩き旅を楽しんでいる「トレッカー」。ごく一部が「日本文化研究者」。白装束や菅笠を身に着けていてもコスプレに過ぎず、朱印集めはスタンプ・ラリー……というのが実情だった。 そして、大多数は、日本語が片言さえも話せない。習う気も無い。なかには、英語さえも覚束ないのもいる。 近頃の遍路道には、「ゲストハウス」というカタカナ名前でそんな外国人を宿泊させる格安の施設があちこちにある。既存の民宿や旅館の中には、競合に破れて廃業に追い込まれた所もあると聞く。 そんな外国人を「お遍路さん」と見做して「お接待」をする人がいる。頼まれれば宿の予約も引き受ける人がいる。 F爺は、見も知らぬ人の宿の代理予約は絶対に受け付けない。無断キャンセルの場合に責任を取らされる破目になるから。 言葉の通じない国で、観光コースを外れて、無舗装の山道を含むルートで歩き旅を企てるのは、無謀そのもの。そんな人が遍路道に迷い込んで来るのが間違っている。【イスラームのメッカ詣でとカトリック教の多数ある聖地の一つへの歩き詣でについての注釈】イスラームの聖地詣で イスラームでは、資力(と体力)のある者に限って、メッカ詣でをすることが宗教上の義務の一つである。 昔々は、「駱駝に乗る大金持ちとその傍を歩くお供の一群」が、盗賊に襲われた場合に自衛できるような武器を携えて、行なうものだった。 現代では、歩く人はいない。飛行機や観光バスに乗って行き、ガイドの案内に従って所作を行なうお祭り行事になっている。完全に観光化しているのだ。「重要なのは、然るべき期日に現地に赴いて然るべき所作をすること」なのだから、四国遍路のような「何十日も掛けて遠路を歩く行」とは完全に別物だ。 メッカ詣でのついでにメディナにも立ち寄るツアーもあるが、そちらは宗教上の義務ではない。 なお、回教徒でない人のメッカ入域は厳禁である。カトリック教のコンポステラ歩き詣で カトリック教の多数ある聖地の一つ、スペイン北西端のガリシア州のサンティアゴ・デ・コンポステラに至る行は、何世紀もの間、「自宅の戸口から大聖堂まで、何千キロあろうとも歩くもの」だった。 誤魔化しをする人が多かったようで、現代では、「少なくとも最後の100キロメートルは歩かなくてはならない」と決まっている。 しかし、今でも、律儀に自宅の戸口から歩く人もいる。神佛習合は世界的に稀有な現象 近年、何をどう誤解したのか、カトリック教徒でない日本人でコンポステラ詣でが目的でスペインに渡航する人がいる。当人にとって無意味な行動であり、カトリック教会にとっては冒である。 日本を一歩離れたら「宗教同士、宗派同士は、とことんいがみ合うもの」であり「諸宗教混淆は非常識」だということが一日も早く日本に住む日本人にとっても常識になって欲しいものだ。「宗教間の対話」は、標語としては成立しているが、未だに幻想の域を出ないのが現実である。小島剛一(こじま・ごういち)1946年、秋田県生まれ。1968年以来フランス在住。1973年以来、フランス人向けの日本語教育にも携わっている。1978年、ストラスブール大学人文学部で博士号取得。専攻は言語学と民族学。1980年代初頭以来、フランス人などに日本語の歌を歌わせる合唱団を指揮しており、作曲も編曲も手掛ける。1986年9月、トルコ共和国で少数民族言語臨地調査のための「研究調査ビザ」を所持していたにも拘わらず国外退去勧告を受ける。2003年7月、イスタンブールで合法的に『ラズ語文法』を上梓した数日後に国外追放処分を受ける。著書に『トルコのもう一つの顔』(中公新書)、『漂流するトルコ――続「トルコのもう一つの顔」』(旅行人)、『トルコのもう一つの顔・補遺編』(ひつじ書房)、『再構築した日本語文法』(同)など。デイリー新潮編集部
小島氏は「F爺・小島剛一のブログ」の筆者としても人気が高い。「F爺」とは「フランスに住む日本人の爺さん」という意味だ。専門はトルコ語の方言研究と、トルコ共和国の少数諸民族ザザ人やラズ人の言語研究。半世紀以上にわたってフランスで生活し、フランス語はネイティブと同じレベル。ひろゆき氏が論争を挑めるような相手ではなかったのだ。
ところが、このF爺、意外なことにお遍路の経験も豊富で、ブログでも多数の「遍路論」を掲載している。なぜ遍路に魅せられたのか、F爺が「暗闇」と表現する問題点やトラブルの数々……。F爺のコラム「四国遍路の想定外だった面」をお届けする。
1968年以来、フランスの地方都市ストラスブールに住み着いているF爺には、日常的に「日本の地理と歴史だけでなく、宗教、文芸、音楽、美術、工芸、料理、政治情勢などに関しても幅広い知識があることを要求される」という特殊な立場がある。
ある日、フランス人に四国遍路のことを訊かれて、通り一遍の大まかな説明しかできないことを自覚した。次の夏の長期休暇を利用して四国の遍路道のかなりの部分を歩いてみたのが十年以上前のこと。
それ以来、コロナ禍で一時帰国の叶わなかった時期を除いて、毎年、四国に舞い戻っては、遍路道を歩くようになっている。その間に、渡し舟以外の交通機関を一切利用せず、徒歩に徹して八十八箇所の札所を一回の遍路行で巡って結願(けちがん)に至る「歩き遍路の通し打ち」も三回達成した。
現今、四国八十八箇所巡りをする人の大多数は、鉄道やバス、タクシー、ロープウェイなどを利用したり、自家用車またはレンタカーを自分で運転したり、観光バスによるツアーに参加したりする。自転車で札所巡りをする人もいる。
交通機関を利用せず、自転車やバイクにも乗らずに札所から札所への道を自分の足で歩き通す昔ながらの「お遍路さん」は、ごく少数なのが現状だ。
但し、「歩き通す」と言っても、1950年頃までのお遍路さんたちが渡し舟には乗っていたという歴史を踏まえて、浦戸(うらど)湾の入り口で無料の高知県営フェリーに乗せてもらうのは構わないことになっている。
本来「遍路は歩くもの」なのだが、「歩かない八十八箇所巡拝者」を「自家用車遍路」「電車バス遍路」「自転車遍路」「タクシー遍路」などと呼ぶ人が多いため、冗語ではあるが「歩き通すお遍路さん」を指す「歩き遍路」という言葉が成立している。
そうして少しずつ見えて来たのが、四国遍路にはさまざまな面があり、疑問に思うことや拒否せざるを得ないこと、さらには「暗闇」と形容したくなることさえもあるという事実である。
四国の遍路道には、「お遍路さんへのお接待」という風習が根付いている。沿道の人が飲み物や果物、お菓子などを振舞ってくれることもあり、遍路宿が無償で弁当やペットボトル入りのお茶を持たせてくれることもある。また、民宿や旅館の洗濯機の使用料が無料だったり、車での送迎を申し出てくれることもある。現金のお接待もある。
多くの人が「お接待は、断わってはいけない」と言う。各種の「遍路案内書」にもそう書いてある。その「教え」を忠実に守って実行するお遍路さんも多い。
ところが、お接待の中には、首を傾げてしまうものもある。断って当然の場合が少なくないのだ。
歩きお遍路さんを見掛けて自家用車に同乗を奨める人が時々いる。これは率直に言って、遍路というものを理解していない行為だ。お遍路は、観光旅行とは違う。札所から札所へと歩くことそのものが行(ぎょう)なのだ。
交通機関を利用することを当たり前と考えている「札所巡りさん」たちは、同乗を奨めてもらって大喜びするかもしれない。しかし、札所から札所へと歩き通すためにわざわざ四国にまでやって来た「誤魔化しをしない覚悟の歩き遍路」にとっては、行の邪魔をされることだ。迷惑以外の何物でもない。
F爺は、通し打ちを目指している時は車お接待を必ず断わる。「歩くことを行としておりますので、お気持ちだけ戴きます」と言えば、普通は理解してもらえる。
そんなF爺も、一度だけ車お接待を受けたことがある。通し打ちをするだけの日数は無いと初めから判っていた年のことだ。お接待をしてくださった方も、「『歩きのお遍路さんに便乗を奨めても普通は断られる』って聞きました。却(かえ)ってご迷惑らしいんですね」と言っていた。
尋常ではない豪雨の日だった。傘を差しても無駄で、濡れて歩いていたのを見るに見かねてのお接待だったのだ。
遍路道で飴玉やお菓子などをお接待する人がいる。F爺は、自分で食べようとは思わないが、少量であれば、後で他のお遍路さんに「お接待送り」をするという手があるから、道端でのお接待は、断わりはしない。
しかし、休憩所などで、その場で消費するべく渡されそうになると、「甘い物を食べると体に良くないんです」と言うことにしている。
真夏の遍路道では、缶入りや瓶入りの冷たい甘い飲料のお接待をする人もいる。これもF爺は、「甘い飲み物は、戴くわけに行かないんです」と言って固くお断わりする。
折角のお接待を断られた人は、《この人、糖尿病なのかな》と思うようだ。
無理に飲ませよう、食べさせようと、強要されたことは無い。誤解だが、いつもそのままにしておく。成分の分からない物を口に入れたくない本当の理由をその度(たび)に説明するのは面倒だから、「これは方便のうち」と割り切ることにしている。
F爺には、コーヒーはご法度。謂わゆる「ドクター・ストップ」なのだ。カフェイン過敏症のせいで、一滴の十分の一でも呑み込んでしまうと、その夜は一睡も出来なくなってしまう。カフェイン入りの「栄養ドリンク」なるものも固く断わる。これまでのところ、そのせいで逆恨みされたことは無い……と思いたい。
お守りや小型のお地蔵さんの類(たぐい)は、その種の信心の無い者にとっては、持ち運んだら嵩張(かさば)って重いだけ。早朝から夕刻まで歩き続けるため「荷物を紙一枚でも減らしたい」歩き遍路にとって、迷惑でしかない。
それに、どこの神社ともお寺とも無関係に個人が作った自称「お守り」に何の価値があり得るのか、F爺には理解できない。
しかし、それを喜ぶお遍路さんもいる。お遍路経験者一人一人に、それなりの価値観があるのだろう。
F爺は、大きな西瓜(すいか)を丸ごとお接待されて重くて重くて泣きそうになったことがある。やっとの思いで辿り着いた宿で、宿泊客と宿の人全員で分けて食べてもらった。
重い物のお接待は、親切などではない。苛めだ。二度と受け付けないことにしている。
迷惑お接待を事前に避ける一番楽で有効な方法は、F爺のように、白衣を着ず、菅笠を被らず、杖を突かないこと。必要な場合は、臆面も無く、「遍路じゃないんです」と「方便」を活用することが出来る。まだ実行したことは無いが。
それに、沿道の年配の人が異口同音に「私たちが子供の頃のお遍路さんは、白装束ではなかった」と証言する。
江戸時代、明治時代、大正時代、昭和初期の遍路絵や写真を見ても、白装束の人はいない。
「遍路用の白装束」は、1953年に伊予鉄道が「観光バスによる札所巡りツアー」を始める少し前の創作衣装なのだ。
お遍路さんと遇うと「頑張ってください」と言う人がいる。そんな標語もあちこちで見かける。それがしばしば、お遍路さんに譬(たと)えようも無く辛い思いをさせることに気付かない人が多いようだ。
歩きお遍路さんの中には、驚くほどの高率で、人には言えない悩み苦しみを抱えている人がいる。抱え続け背負い続けた重荷に耐えきれず、何かに縋(すが)りたくなって、最後の頼みの綱として四国にやって来て遍路道に降り立つのだ。そんな人は、歩き始めたその日に既に心身ともに限界で「これ以上は頑張れない」状態であることが多い。
F爺には、そんなお遍路さんの問わず語りの身の上話を聞かせてもらったことが何度かある。
「両親の口論を別室で聞いているうちに、自分が父親に望まれずに生まれて来たことを知ってしまった」
「2011年3月11日に孫を三人とも津波に呑まれた」
「交通事故を起こして見も知らぬ人を死なせてしまった。このままでは成仏できない」
・・・・・
遍路に出て来た訳を訊かれたくないお遍路さんの用意する「決して嘘ではない表向きの理由」というものがある。「近親の供養のため」である。近親に故人のいない人なんて存在しないから、表向きの事情として重宝なのだ。
お遍路さんの中には、昔は癩病(=ハンセン病)に侵されて故郷を追われた人も多かったと聞いている。遍路道は、行きどころのない人たちの受け皿にもなって来たのだ。ハンセン病は近年まで「不治の病」だったから、患者の絶望も深かったのだろう。行倒れたお遍路さんを埋葬した跡は、遍路道のあちこちに見つかる。
F爺は、ダウン症の若者に白装束を着せてその腕を引きながら歩いている中年の女を遍路道で見掛けたことがある。息子の難病平癒がその母親の見果てぬ夢だったのだろうか。叶わぬと決まっている願いを籠めて歩みを進める姿は、とても直視できなかった。
遍路道には、「決してお遍路さんに『遍路に出て来た訳』を訊いてはならない」という不文律がある。本当の事情を話すわけに行かない人が多いと皆が知っているからだ。
ところが、近年、この不文律を無視する人の出現率が高くなっている。新聞記者とか遍路研究者とか名乗って、「なぜお遍路をするのか」という質問を仕掛けるのだ。
F爺も、何度かその被害に遭っている。「遍路道トレッキング」をする外国人の中にも、開口一番、「ナゼ、アナタハ、ヘンロヲスルノカ」と質問を浴びせるのがいる。F爺は、言下に返答を拒否し、その理由も説明する。
四国には、遍路道を歩きながら食べ物や飲み物のお接待に頼って命を繋ぐ人がいる。呼び方は、多くは蔑称で、「似非(えせ)遍路」「偽(にせ)遍路」「門付け遍路」「ヘンド」「職業遍路」「ホームレス遍路」など。
F爺がこれまでに見聞きした「侮蔑の度合いの一番弱い」表現は、「廻りっ放しの人」と「生活遍路」である。
「廻りっ放しだった人」の中には、殺人未遂の指名手配犯もいたことがある。「幸月さん」か「幸月事件」をキーワードとしてウェブ検索すると、多数の記事が見つかる。画像入りのものもある。
白装束を着て詐欺を働いて新聞種になった女もいる。
四国遍路は、誰でもいつでも始めることができ、どこに届け出る必要も無く、どの札所を起点としても構わない。何回か何十回かに分けて繋ぎ歩きをしても良い。間口が広大であるため、逃亡者も入り込めるのだ。
「巡礼」という言葉は、回教徒(=イスラーム教徒)のメッカ詣でやカトリック教徒のサンティアゴ・デ・コンポステラ歩き詣でに関して用いた場合は、誤訳であり、当然、誤用でもある。一箇所だけの聖地に詣でるだけで、「巡る」ことをしないのだから。
これに対して、四国八十八箇所を歩いて巡って詣でる「お遍路さん」たちは、正しい意味で「巡礼」だ。日本の風土で自然発生的に成立し、何百年も続いている世界的にも珍しい風習である。
(この項に関しては、記事の末尾の「注釈」をご覧いただきたい)
近年、四国の遍路道に外国人観光客が多数やって来るようになったと聞いている。F爺に一時帰国の出来る唯一の期間である真夏には少ないが、台湾人、フランス人、ドイツ人、イタリア人、カナダ人、オーストラリア人などには遭遇したことがある。
F爺が言葉を交わした人達に限って言うと、外国人に「お遍路さん」は一人もいなかった。大多数は、弘法大師の名前も知らず、単に歩き旅を楽しんでいる「トレッカー」。ごく一部が「日本文化研究者」。白装束や菅笠を身に着けていてもコスプレに過ぎず、朱印集めはスタンプ・ラリー……というのが実情だった。
そして、大多数は、日本語が片言さえも話せない。習う気も無い。なかには、英語さえも覚束ないのもいる。
近頃の遍路道には、「ゲストハウス」というカタカナ名前でそんな外国人を宿泊させる格安の施設があちこちにある。既存の民宿や旅館の中には、競合に破れて廃業に追い込まれた所もあると聞く。
そんな外国人を「お遍路さん」と見做して「お接待」をする人がいる。頼まれれば宿の予約も引き受ける人がいる。
F爺は、見も知らぬ人の宿の代理予約は絶対に受け付けない。無断キャンセルの場合に責任を取らされる破目になるから。
言葉の通じない国で、観光コースを外れて、無舗装の山道を含むルートで歩き旅を企てるのは、無謀そのもの。そんな人が遍路道に迷い込んで来るのが間違っている。
【イスラームのメッカ詣でとカトリック教の多数ある聖地の一つへの歩き詣でについての注釈】
イスラームでは、資力(と体力)のある者に限って、メッカ詣でをすることが宗教上の義務の一つである。
昔々は、「駱駝に乗る大金持ちとその傍を歩くお供の一群」が、盗賊に襲われた場合に自衛できるような武器を携えて、行なうものだった。
現代では、歩く人はいない。飛行機や観光バスに乗って行き、ガイドの案内に従って所作を行なうお祭り行事になっている。完全に観光化しているのだ。
「重要なのは、然るべき期日に現地に赴いて然るべき所作をすること」なのだから、四国遍路のような「何十日も掛けて遠路を歩く行」とは完全に別物だ。
メッカ詣でのついでにメディナにも立ち寄るツアーもあるが、そちらは宗教上の義務ではない。
なお、回教徒でない人のメッカ入域は厳禁である。
カトリック教の多数ある聖地の一つ、スペイン北西端のガリシア州のサンティアゴ・デ・コンポステラに至る行は、何世紀もの間、「自宅の戸口から大聖堂まで、何千キロあろうとも歩くもの」だった。
誤魔化しをする人が多かったようで、現代では、「少なくとも最後の100キロメートルは歩かなくてはならない」と決まっている。
しかし、今でも、律儀に自宅の戸口から歩く人もいる。
近年、何をどう誤解したのか、カトリック教徒でない日本人でコンポステラ詣でが目的でスペインに渡航する人がいる。当人にとって無意味な行動であり、カトリック教会にとっては冒である。
日本を一歩離れたら「宗教同士、宗派同士は、とことんいがみ合うもの」であり
「諸宗教混淆は非常識」だということが一日も早く日本に住む日本人にとっても常識になって欲しいものだ。
「宗教間の対話」は、標語としては成立しているが、未だに幻想の域を出ないのが現実である。
小島剛一(こじま・ごういち)1946年、秋田県生まれ。1968年以来フランス在住。1973年以来、フランス人向けの日本語教育にも携わっている。1978年、ストラスブール大学人文学部で博士号取得。専攻は言語学と民族学。1980年代初頭以来、フランス人などに日本語の歌を歌わせる合唱団を指揮しており、作曲も編曲も手掛ける。1986年9月、トルコ共和国で少数民族言語臨地調査のための「研究調査ビザ」を所持していたにも拘わらず国外退去勧告を受ける。2003年7月、イスタンブールで合法的に『ラズ語文法』を上梓した数日後に国外追放処分を受ける。著書に『トルコのもう一つの顔』(中公新書)、『漂流するトルコ――続「トルコのもう一つの顔」』(旅行人)、『トルコのもう一つの顔・補遺編』(ひつじ書房)、『再構築した日本語文法』(同)など。
デイリー新潮編集部

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