地下納骨堂に練炭28個を並べて燃やし、住職を一酸化中毒死させた東京・足立区の源証寺練炭殺人事件――。
源証寺は「あだち観光ネット」で、次のように紹介されている。
<天文元年(1532)、十蓮社念譽一向源證上人によって創建されたと伝えられます。本尊は阿弥陀如来と脇侍の観音菩薩・勢至菩薩からなる阿弥陀三尊です。聖徳太子を祀った太子堂は足立区内で唯一のもので、正徳年間(1711~16)に建立されたと伝えられています(足立区登録有形文化財)>
まさに古刹。日暮里を始発とする舎人ライナーの舎人駅から徒歩9分。住宅街に畑も混じる閑静な地に広い境内を持つが、霊園と合わせ現在は警察が黄黒のバーで囲み、立入禁止の立札が立てられ、中に入ることができない。監視のパトカーも常駐している。
境内の写真亡くなった住職の大谷忍昌氏(70)は、大柄な体で境内の樹木に水をやり、掃除をして環境整備に余念がなく、時に重機を自分で操って土を掘り返し、ならしていたという。父の後を継いだ働きものの第41代住職だった。殺害容疑で逮捕された霊園開発・石材店の鵠祥堂代表の斎藤隆太容疑者(50)と同社取締役の青木淳子容疑者(63)は、大谷氏と霊園の販売方針を巡って対立していたという。死を巡る状況や大谷氏の人柄、ステンドグラスを利用した斬新な墓石開発で知られた斎藤容疑者と元生保レディで美魔女の青木容疑者の不倫関係などについては、これまでに様々な形で報じられている。過去の類似事件との共通点と相違点謎は殺害動機だ。霊園開発業者が首を傾げる。「霊園開発の石材店などからお寺さんには、多種多様な開発プランが持ち込まれます。葬儀もお墓も簡素化されて行くなかで、ご住職と霊園業者が揉めることはよくあること。大谷住職が在来仏教に限定し、宗派は不問でも法事は寺で取り扱うようにしたいと思うのは当然のこと。鵠祥堂が宗派宗教をもっと幅広くして売りたいと思うのもわかる。だからといって、それが殺人事件につながるとは思えない」その謎は、捜査や公判を通じて司法が解明するしかないのだが、寺と霊園業者・石材店の争いが殺人事件に発展した例としては、約30年前の浄真寺(東京・世田谷区)の警備員射殺事件が想起される。事件構図は同じながら、その背景はかなり異なっており、「時代の変化」を感じさせられる。「九品仏」の名で知られる浄真寺は、300年以上の歴史がある古刹。約12万平方メートルの寺有地を持ち、葬儀場や墓地の運営で年間10億円近い収入があった。トラブルのきっかけは、その霊園管理を任せていた会社とトラブルになり、92年12月、管理業務の委託契約を解除したことだった。1億円を超える収入があった石材店と浄真寺の話し合いはもつれ、原因不明の火災が浄真寺住職宅や檀家総代宅で発生。あげく石材店側に立つ暴力団系右翼団体が街宣活動の末、立ち退き料などで17億円を要求する。これを拒否した浄真寺が警備会社を雇った。右翼団体と警備員の衝突が繰り返され、エスカレートのあげく警備員が射殺された。警視庁は00年2月、石材店の経営者と右翼団体の暴力団幹部らを恐喝未遂容疑で逮捕し、やがて殺人事件へと発展した。戦後の高度成長のなか、農村部から都会への人口移動が起こり、「昭和」の末から「平成」にかけて家を持ち子供を成人させた分家の世代が、豊かさのなか次に用意するのが自らの墓だった。都心の墓は高騰し、郊外の風光明媚な墓を求めてツアーが組まれるほどだった。浄真寺事件は暴力団の登場や17億円という法外な金額も合わせて、葬儀と墓がピークだった頃に起きた事件といえよう。無縁・無葬・無墓社会が背景に以降の日本経済冬の時代の「失われた30年」は、そのまま葬儀とお墓の簡略化に重なる。国家と個人の経済力低下と同時に始まったのが、新自由主義経済下での二極化と無縁化である。「無縁社会」という言葉が認知されたのは、2010年1月にNHKスペシャルとして放映された<無縁社会~無縁死3万2000人の衝撃>だったが、それは1990年代の後半から始まったグローバル化や「縁」の崩壊のなかで起こっていた。檀家制度、神社の氏子制度、祭を軸とした町内会などのコミュニティ(地縁)が崩れ、成長を家族ぐるみで支えた共存共栄の企業社会の絆(社縁)が薄れ、核家族化は個人の自由の徹底的な尊重となって親兄弟のつながり(血縁)が希薄化した。無縁社会の進行は、会社や地域や家族が通夜と葬儀で故人を見送るという風習を廃れさせた。加えて2000年代のIT化の進展は葬儀の「見える化」を進め、葬儀費用が圧倒的に安くなった。Photo by iStockその結果、通夜と葬儀を行う一般葬が減少し、1日葬やすべてを省略して遺体を火葬場に送り込む直葬が急増した。その変化は「無葬社会」という言葉で表現されており、墓にも及んでいる。墓石を持つ一般墓の需要は減って、粉骨して樹木の下に埋める樹木葬や、海や山への散骨が伸びている。「無墓時代」の到来だ。コロナ禍はその傾向をさらに強め、コロナウイルスは去っても「無葬」と「無墓」はトレンドとして定着した。寺と葬儀会社と霊園業者は、運命共同体としてこの事態を受け入れており、年間死者数が150万人を超える多死社会が苦況を救ってはいるが、市場の減少は避けられない。寺宝が多く、檀家にも恵まれ、丁寧な対応でも知られた大谷住職は、毎年、岐阜の仏師に仏像の制作を依頼し、21年には高さ1・1メートルの閻魔大王に従者2体を配置した神像3体を、新築した「閻魔堂」に納めさせている。浄土宗系単立寺院として、布教にも寺格の維持にも熱心だった大谷住職が、寺収をさらに増やすために取り組んだのが霊園開発であり、「英国風庭園墓地」というアイデアを持ち込み、管理業務を請け負ったのが鵠祥堂だった。今は閉じられた「足立セメタリーパーク」という霊園案内のホームページには、ガーデニング対応のステンドグラスがはめ込まれた墓石が紹介されていた。敷地約2000平方メートルに400区画が販売されており、手頃価格のプレート半分型のステラ(星)が78万円で、最も高いモニュメント型のシエロ(空)が148万円である。足立セメタリ―パークの入り口「墓が売れる時代じゃないし、在来仏教にこだわっていたらますます売れないのに、住職はわかってくれない」と、斎藤容疑者は業者仲間にグチをこぼしていたという。だが、500年の歴史を持つ古刹のプライド高き大谷住職は鵠祥堂の申し入れを聞かず、逆に「出入り禁止」を申し渡し、鵠祥堂の苦況は深まった。練炭でダメなら焼却炉で爆死させようと、ペットボトル10数本にガソリンを入れて用意していたという斎藤、青木の両容疑者。「無縁」「無葬」「無墓」時代への移行が争いの背景にあるのはわかるとしても、尋常ではない殺しの執着はそれだけでは理解できず、謎は深まるばかりだ。
境内の写真
亡くなった住職の大谷忍昌氏(70)は、大柄な体で境内の樹木に水をやり、掃除をして環境整備に余念がなく、時に重機を自分で操って土を掘り返し、ならしていたという。父の後を継いだ働きものの第41代住職だった。
殺害容疑で逮捕された霊園開発・石材店の鵠祥堂代表の斎藤隆太容疑者(50)と同社取締役の青木淳子容疑者(63)は、大谷氏と霊園の販売方針を巡って対立していたという。死を巡る状況や大谷氏の人柄、ステンドグラスを利用した斬新な墓石開発で知られた斎藤容疑者と元生保レディで美魔女の青木容疑者の不倫関係などについては、これまでに様々な形で報じられている。
謎は殺害動機だ。霊園開発業者が首を傾げる。
「霊園開発の石材店などからお寺さんには、多種多様な開発プランが持ち込まれます。葬儀もお墓も簡素化されて行くなかで、ご住職と霊園業者が揉めることはよくあること。大谷住職が在来仏教に限定し、宗派は不問でも法事は寺で取り扱うようにしたいと思うのは当然のこと。鵠祥堂が宗派宗教をもっと幅広くして売りたいと思うのもわかる。だからといって、それが殺人事件につながるとは思えない」
その謎は、捜査や公判を通じて司法が解明するしかないのだが、寺と霊園業者・石材店の争いが殺人事件に発展した例としては、約30年前の浄真寺(東京・世田谷区)の警備員射殺事件が想起される。事件構図は同じながら、その背景はかなり異なっており、「時代の変化」を感じさせられる。
「九品仏」の名で知られる浄真寺は、300年以上の歴史がある古刹。約12万平方メートルの寺有地を持ち、葬儀場や墓地の運営で年間10億円近い収入があった。トラブルのきっかけは、その霊園管理を任せていた会社とトラブルになり、92年12月、管理業務の委託契約を解除したことだった。
1億円を超える収入があった石材店と浄真寺の話し合いはもつれ、原因不明の火災が浄真寺住職宅や檀家総代宅で発生。あげく石材店側に立つ暴力団系右翼団体が街宣活動の末、立ち退き料などで17億円を要求する。これを拒否した浄真寺が警備会社を雇った。右翼団体と警備員の衝突が繰り返され、エスカレートのあげく警備員が射殺された。警視庁は00年2月、石材店の経営者と右翼団体の暴力団幹部らを恐喝未遂容疑で逮捕し、やがて殺人事件へと発展した。
戦後の高度成長のなか、農村部から都会への人口移動が起こり、「昭和」の末から「平成」にかけて家を持ち子供を成人させた分家の世代が、豊かさのなか次に用意するのが自らの墓だった。都心の墓は高騰し、郊外の風光明媚な墓を求めてツアーが組まれるほどだった。浄真寺事件は暴力団の登場や17億円という法外な金額も合わせて、葬儀と墓がピークだった頃に起きた事件といえよう。
以降の日本経済冬の時代の「失われた30年」は、そのまま葬儀とお墓の簡略化に重なる。国家と個人の経済力低下と同時に始まったのが、新自由主義経済下での二極化と無縁化である。「無縁社会」という言葉が認知されたのは、2010年1月にNHKスペシャルとして放映された<無縁社会~無縁死3万2000人の衝撃>だったが、それは1990年代の後半から始まったグローバル化や「縁」の崩壊のなかで起こっていた。
檀家制度、神社の氏子制度、祭を軸とした町内会などのコミュニティ(地縁)が崩れ、成長を家族ぐるみで支えた共存共栄の企業社会の絆(社縁)が薄れ、核家族化は個人の自由の徹底的な尊重となって親兄弟のつながり(血縁)が希薄化した。無縁社会の進行は、会社や地域や家族が通夜と葬儀で故人を見送るという風習を廃れさせた。加えて2000年代のIT化の進展は葬儀の「見える化」を進め、葬儀費用が圧倒的に安くなった。
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その結果、通夜と葬儀を行う一般葬が減少し、1日葬やすべてを省略して遺体を火葬場に送り込む直葬が急増した。その変化は「無葬社会」という言葉で表現されており、墓にも及んでいる。墓石を持つ一般墓の需要は減って、粉骨して樹木の下に埋める樹木葬や、海や山への散骨が伸びている。「無墓時代」の到来だ。コロナ禍はその傾向をさらに強め、コロナウイルスは去っても「無葬」と「無墓」はトレンドとして定着した。
寺と葬儀会社と霊園業者は、運命共同体としてこの事態を受け入れており、年間死者数が150万人を超える多死社会が苦況を救ってはいるが、市場の減少は避けられない。
寺宝が多く、檀家にも恵まれ、丁寧な対応でも知られた大谷住職は、毎年、岐阜の仏師に仏像の制作を依頼し、21年には高さ1・1メートルの閻魔大王に従者2体を配置した神像3体を、新築した「閻魔堂」に納めさせている。
浄土宗系単立寺院として、布教にも寺格の維持にも熱心だった大谷住職が、寺収をさらに増やすために取り組んだのが霊園開発であり、「英国風庭園墓地」というアイデアを持ち込み、管理業務を請け負ったのが鵠祥堂だった。今は閉じられた「足立セメタリーパーク」という霊園案内のホームページには、ガーデニング対応のステンドグラスがはめ込まれた墓石が紹介されていた。敷地約2000平方メートルに400区画が販売されており、手頃価格のプレート半分型のステラ(星)が78万円で、最も高いモニュメント型のシエロ(空)が148万円である。
足立セメタリ―パークの入り口
「墓が売れる時代じゃないし、在来仏教にこだわっていたらますます売れないのに、住職はわかってくれない」と、斎藤容疑者は業者仲間にグチをこぼしていたという。だが、500年の歴史を持つ古刹のプライド高き大谷住職は鵠祥堂の申し入れを聞かず、逆に「出入り禁止」を申し渡し、鵠祥堂の苦況は深まった。
練炭でダメなら焼却炉で爆死させようと、ペットボトル10数本にガソリンを入れて用意していたという斎藤、青木の両容疑者。「無縁」「無葬」「無墓」時代への移行が争いの背景にあるのはわかるとしても、尋常ではない殺しの執着はそれだけでは理解できず、謎は深まるばかりだ。