林眞須美死刑囚、面会直後の長男が語る現在の様子 刑務官とも仲良く「100才ぐらいまでは生きられそう」

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67人が救急搬送され、4人が死亡。平成の無差別殺人事件として知られる「和歌山カレー事件」から25年が経った。林眞須美死刑囚は、拘置所の中でどんな生活を送り、何を考えているのか。面会直後の長男が明かした母の胸中──。
【写真】眞須美死刑囚が収容されている大阪拘置所 正面の椅子に腰かけた三十代半ばの息子に、母親がゆっくりと口を開いた。「ちゃんと食べてる? 交通事故には気をつけなさいよ」 子を気にかける母親の言葉に、息子は「うん」と短く答えた。なんの変哲もない会話だが、この親子にとっては特別な時間だ。最初、2人の間には表現しがたい空気が漂っていた。だが、会話が進むにつれてゆっくりとほぐれていった。

それでも、向かい合って座る親子の距離が縮まることはない。両者の間には分厚いアクリル板が設置され、互いの息づかいや温もりを感じることはできない。2人が顔を合わせたのは、大阪拘置所の面会室だった──。 9月22日、約2か月ぶりに面会にやってきた息子に、林眞須美死刑囚(62才)はどんな思いを抱いたのだろうか。世間を震撼させた1998年の「和歌山カレー事件」から25年。「平成の毒婦」とも呼ばれた眞須美死刑囚の獄中生活は、間もなく四半世紀を超える。眞須美死刑囚の肉声を、長男・浩一さん(仮名・36才)が明かした。 眞須美死刑囚の近況に触れる前に、事件を振り返る。1998年7月25日、和歌山市内で行われた夏祭りで住民らが協力して作ったカレーが振る舞われ、口にした人が次々と激しい腹痛や嘔吐に見舞われた。67人が救急車で病院に搬送され、小学生男児を含む4人が死亡した。「当初は食中毒も疑われましたが、ヒ素中毒であることが判明すると、無差別殺人事件として大々的に捜査が開始。その年の10月4日、眞須美死刑囚はカレー事件とは別件の保険金詐欺の容疑で逮捕され、約2か月後の12月9日に、カレーの鍋にヒ素を混入したとして、殺人と殺人未遂の容疑で再逮捕されました」(捜査関係者) 一貫して事件への関与を否定した眞須美死刑囚だったが、2009年4月、最高裁で死刑が確定。戦後日本で11人目の女性死刑囚となった。 逮捕前の眞須美死刑囚はワイドショーの取材に饒舌に答え、マスコミに向かってホースで水をかけるなど、世間に強烈な印象を残した。事件当時、浩一さんは小学5年生だった。時間の経過は、まず母親の容姿を変えた。現在の彼女の外見について浩一さんが語る。「当時に比べれば、かなりやせました。白髪も増えて、上の歯は抜けてしまって半分くらいしかありません。ほうれい線が深く入り、62才に見えないほど老け込んで見えるような気がします。最近は近眼の眼鏡をかけていて、稲田朋美元防衛大臣(64才)に雰囲気がちょっと似ています」(浩一さん・以下同) 25年の歳月がもたらした社会情勢の変化も敏感に感じ取っている。眞須美死刑囚は、当時から大のジャニーズファンだった。「ラジオや新聞で一連の性加害騒動を知り、所属タレントが今後どうなるのかを心配していました。同時に統一教会の件など、メディアがこれまで触れてこなかった話題を報じ始めたことに驚いています。再審開始が決まった袴田巌さん(87才)の冤罪の可能性に言及した記事にもビックリしていて、自分の今後に希望や可能性を感じているようでした」 眞須美死刑囚は、死刑確定後も事件への関与を否定している。浩一さんは今回の面会で、今後さらに主張を強める雰囲気を感じ取ったという。「以前は刑務官とけんかばかりしていたんですが、最近は仲よくしているみたいです。拘置所内でよい人間関係を築いて、より主張しやすい環境を作ろうとしているのかもしれません。体調もよさそうで、“いまの調子だと100才くらいまでは生きられそう”と話していました。“死ぬまで闘う”とも言っていて、すごくパワフルさを感じました」 以前はチョコレートやケーキ、メロンパンなどのお菓子を求めた差し入れにも変化がある。いまはお菓子などの甘いものは控え、体調に気を配っているという。長女が孫と無理心中 浩一さんは姉2人、妹1人の4人きょうだい。事件をきっかけに、彼らは「死刑囚の子供」という十字架を背負い、壮絶な人生を歩んできた。浩一さんが「事件後も仲よくやれていた」と話すきょうだいに悲劇が起きたのは、2021年6月9日のことだった。「長女の久美さん(仮名)が、関西国際空港に続く連絡橋から4才の娘を抱いて身を投げたんです。そればかりか、久美さんには16才の娘もいたのですが、約2時間前に自宅で亡くなっているのが見つかった。通報したのは久美さんで、腹部を中心に古いアザや新しい傷があった。検視の結果、死因は外傷性ショックで、日常的に虐待を受けていた疑いが持たれました」(別の捜査関係者) 8か月後の2022年2月16日、久美さんの結婚相手が、久美さんとともに暴力を振るうなどしていたとして保護責任者遺棄致死容疑で逮捕され、2023年3月に懲役6年の実刑判決が言い渡された。久美さんも2022年3月に被疑者死亡のまま同容疑で書類送検されたが、不起訴処分になった。 奇しくも彼女が命を絶った日は、眞須美死刑囚の弁護人が和歌山地裁に申し立てていた再審請求が受理(2021年5月31日付)されていたことが報じられた日だった。「久美さんは普通の人にはわからない葛藤やストレスを抱えていて、精神状態が長年、不安定だったのではないでしょうか。“死刑囚の娘”ということで、ずっと後ろ指をさされる人生でしたから……母親の無実を訴える活動にも10年ほど前から姿を見せなくなり、父親(林健治氏)とも近年は疎遠になっていたそうです。 家族の誰にも知らせずに改名していたことが、自殺後にわかりました。自分の生活と新しい家族を守るために、実家とのつながりを断ち切りたかったのかな」(林家の知人) 長女の自死直後、浩一さんが眞須美死刑囚に「(長女に)申し訳ないという気持ちはあるの?」と聞くと、「もちろん申し訳ない気持ちはある。でも私はやっていない。ずっと会いたかった」と悲しそうに答えたという。 浩一さんも子供の頃にいじめに遭い、成人してからは仕事を理由なく解雇されたり、結婚が破談になるなど、「死刑囚の子供」ということでつらい経験をしてきた。だが浩一さんは現実を受け止め、批判を覚悟してSNSを開設。眞須美死刑囚との面会の様子などを綴っている。現在、家族は別々の地で生活しているという。「姉と妹とは電話やメールでやりとりしています。でも2人がどこでどんな暮らしをしているかは知りません。ぼくがメディアに出ているから、ぽろっと話されるのが怖いんだろうなと思います。彼女たちも定期的に母親と会っていて、手紙のやりとりもしています。バラバラになりかけた家族ですが、いまもつながっています」(浩一さん) 死刑囚として生きる彼女と、死刑囚の子供として生きるきょうだいたちには、どんな明日が待っているのだろうか。※女性セブン2023年10月12・19日号
正面の椅子に腰かけた三十代半ばの息子に、母親がゆっくりと口を開いた。
「ちゃんと食べてる? 交通事故には気をつけなさいよ」
子を気にかける母親の言葉に、息子は「うん」と短く答えた。なんの変哲もない会話だが、この親子にとっては特別な時間だ。最初、2人の間には表現しがたい空気が漂っていた。だが、会話が進むにつれてゆっくりとほぐれていった。
それでも、向かい合って座る親子の距離が縮まることはない。両者の間には分厚いアクリル板が設置され、互いの息づかいや温もりを感じることはできない。2人が顔を合わせたのは、大阪拘置所の面会室だった──。
9月22日、約2か月ぶりに面会にやってきた息子に、林眞須美死刑囚(62才)はどんな思いを抱いたのだろうか。世間を震撼させた1998年の「和歌山カレー事件」から25年。「平成の毒婦」とも呼ばれた眞須美死刑囚の獄中生活は、間もなく四半世紀を超える。眞須美死刑囚の肉声を、長男・浩一さん(仮名・36才)が明かした。
眞須美死刑囚の近況に触れる前に、事件を振り返る。1998年7月25日、和歌山市内で行われた夏祭りで住民らが協力して作ったカレーが振る舞われ、口にした人が次々と激しい腹痛や嘔吐に見舞われた。67人が救急車で病院に搬送され、小学生男児を含む4人が死亡した。
「当初は食中毒も疑われましたが、ヒ素中毒であることが判明すると、無差別殺人事件として大々的に捜査が開始。その年の10月4日、眞須美死刑囚はカレー事件とは別件の保険金詐欺の容疑で逮捕され、約2か月後の12月9日に、カレーの鍋にヒ素を混入したとして、殺人と殺人未遂の容疑で再逮捕されました」(捜査関係者)
一貫して事件への関与を否定した眞須美死刑囚だったが、2009年4月、最高裁で死刑が確定。戦後日本で11人目の女性死刑囚となった。
逮捕前の眞須美死刑囚はワイドショーの取材に饒舌に答え、マスコミに向かってホースで水をかけるなど、世間に強烈な印象を残した。事件当時、浩一さんは小学5年生だった。時間の経過は、まず母親の容姿を変えた。現在の彼女の外見について浩一さんが語る。
「当時に比べれば、かなりやせました。白髪も増えて、上の歯は抜けてしまって半分くらいしかありません。ほうれい線が深く入り、62才に見えないほど老け込んで見えるような気がします。最近は近眼の眼鏡をかけていて、稲田朋美元防衛大臣(64才)に雰囲気がちょっと似ています」(浩一さん・以下同)
25年の歳月がもたらした社会情勢の変化も敏感に感じ取っている。眞須美死刑囚は、当時から大のジャニーズファンだった。
「ラジオや新聞で一連の性加害騒動を知り、所属タレントが今後どうなるのかを心配していました。同時に統一教会の件など、メディアがこれまで触れてこなかった話題を報じ始めたことに驚いています。再審開始が決まった袴田巌さん(87才)の冤罪の可能性に言及した記事にもビックリしていて、自分の今後に希望や可能性を感じているようでした」
眞須美死刑囚は、死刑確定後も事件への関与を否定している。浩一さんは今回の面会で、今後さらに主張を強める雰囲気を感じ取ったという。
「以前は刑務官とけんかばかりしていたんですが、最近は仲よくしているみたいです。拘置所内でよい人間関係を築いて、より主張しやすい環境を作ろうとしているのかもしれません。体調もよさそうで、“いまの調子だと100才くらいまでは生きられそう”と話していました。“死ぬまで闘う”とも言っていて、すごくパワフルさを感じました」
以前はチョコレートやケーキ、メロンパンなどのお菓子を求めた差し入れにも変化がある。いまはお菓子などの甘いものは控え、体調に気を配っているという。
浩一さんは姉2人、妹1人の4人きょうだい。事件をきっかけに、彼らは「死刑囚の子供」という十字架を背負い、壮絶な人生を歩んできた。浩一さんが「事件後も仲よくやれていた」と話すきょうだいに悲劇が起きたのは、2021年6月9日のことだった。
「長女の久美さん(仮名)が、関西国際空港に続く連絡橋から4才の娘を抱いて身を投げたんです。そればかりか、久美さんには16才の娘もいたのですが、約2時間前に自宅で亡くなっているのが見つかった。通報したのは久美さんで、腹部を中心に古いアザや新しい傷があった。検視の結果、死因は外傷性ショックで、日常的に虐待を受けていた疑いが持たれました」(別の捜査関係者)
8か月後の2022年2月16日、久美さんの結婚相手が、久美さんとともに暴力を振るうなどしていたとして保護責任者遺棄致死容疑で逮捕され、2023年3月に懲役6年の実刑判決が言い渡された。久美さんも2022年3月に被疑者死亡のまま同容疑で書類送検されたが、不起訴処分になった。
奇しくも彼女が命を絶った日は、眞須美死刑囚の弁護人が和歌山地裁に申し立てていた再審請求が受理(2021年5月31日付)されていたことが報じられた日だった。
「久美さんは普通の人にはわからない葛藤やストレスを抱えていて、精神状態が長年、不安定だったのではないでしょうか。“死刑囚の娘”ということで、ずっと後ろ指をさされる人生でしたから……母親の無実を訴える活動にも10年ほど前から姿を見せなくなり、父親(林健治氏)とも近年は疎遠になっていたそうです。
家族の誰にも知らせずに改名していたことが、自殺後にわかりました。自分の生活と新しい家族を守るために、実家とのつながりを断ち切りたかったのかな」(林家の知人)
長女の自死直後、浩一さんが眞須美死刑囚に「(長女に)申し訳ないという気持ちはあるの?」と聞くと、「もちろん申し訳ない気持ちはある。でも私はやっていない。ずっと会いたかった」と悲しそうに答えたという。
浩一さんも子供の頃にいじめに遭い、成人してからは仕事を理由なく解雇されたり、結婚が破談になるなど、「死刑囚の子供」ということでつらい経験をしてきた。だが浩一さんは現実を受け止め、批判を覚悟してSNSを開設。眞須美死刑囚との面会の様子などを綴っている。現在、家族は別々の地で生活しているという。
「姉と妹とは電話やメールでやりとりしています。でも2人がどこでどんな暮らしをしているかは知りません。ぼくがメディアに出ているから、ぽろっと話されるのが怖いんだろうなと思います。彼女たちも定期的に母親と会っていて、手紙のやりとりもしています。バラバラになりかけた家族ですが、いまもつながっています」(浩一さん)
死刑囚として生きる彼女と、死刑囚の子供として生きるきょうだいたちには、どんな明日が待っているのだろうか。
※女性セブン2023年10月12・19日号

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