「口は開かず、体をねじまげ、のたうちまわり」…かつて日本人がインドネシア人に行った「残虐な行為」

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半ば強制的に連行されたうえ、人体実験の「実験台」にされ、破傷風で苦しみながら死んでいく―かつて日本軍に惨たらしく殺された人々がいた。多くの日本人が知らない歴史の闇を明らかにする。
「インドネシアでの日本軍の人体実験を示唆する資料を初めて目にした瞬間、驚きと興奮で震えが止まらなかった。でも、本にまとめるまで20年近くかかってしまいました。長年隠されてきた日本軍の罪を暴く研究なので、誰もが納得するような証拠を積み上げるのに時間が必要だったからです。
私は日本占領下のインドネシアを研究テーマにしていますが、戦時中の日本軍の悪事について書くと、しばしば抗議に遭いました。保守系の政治家から『お前が騒ぐから問題が大きくなるんだ』と言われたり、現地調査に必要なビザが取りにくくなったり。様々な妨害を受けましたが、ようやく確信を持って日本軍の戦争犯罪を明るみに出せると考えています」
こう明かすのは、インドネシア史を専門とする慶應義塾大学名誉教授の倉沢愛子氏だ。
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大半の日本人は知らないが、かつて日本軍は、占領したインドネシアの人々を半ば強制的に連行し、奴隷のごとく過酷な労働に従事させていた。しかし蛮行はそれだけにとどまらず、彼らを「実験台」にしていたことが明らかになったのだ。
これまで日本政府はこうした歴史を無視し、米国なども不問に付してきた。しかし今回、新たに解読された日本軍の内部文書を元に、歴史の暗部を暴く書籍が世に出た。それが倉沢氏と、同じく慶應義塾大学名誉教授の松村高夫氏による共著『ワクチン開発と戦争犯罪』(岩波書店)だ。
身勝手な人体実験の犠牲になったインドネシア人たちの死の真相は、戦後78年にわたって隠されてきた。彼らはなぜ無念の死を遂げることになったのか。闇に葬られた真実に光を当てていこう。
’44年8月6日、ジャカルタのクレンデル収容所に駆け付けたインドネシア人医師たちが目にしたのは、想像を絶する光景だった。
「あちこちでペカロンガン出身のロームシャ三一人が瀕死の状態にあった。彼らは金縛りにあったように体を硬直させ、口は開かず、体をねじまげ、のたうちまわり、激しい痛みに苦しんでいた」(前掲書より)
身悶えていたのは、「ロームシャ」と呼ばれる現地の人々。日本語で肉体労働者を差別的に指す「労務者」に由来する呼び名だ。日本軍によって徴発され、映画『戦場にかける橋』で有名な泰緬鉄道の建設など、東南アジア各地で過酷な労働に従事させられた。
「最初は日本軍も『いい仕事がある』などと甘い言葉で誘うのですが、労働環境が悲惨すぎて人が集まらなくなります。そのうちトラックで乗りつけて、道を歩いている若者や農作業中の人をいきなり連れて行くということすらするようになりました。本人の意思を無視した点では、朝鮮での強制連行と実質的に同じでしょう。そのうえ機密保持のため、最後は無残に殺されることもあったと聞いていますし、生き残っても衛生状態が悪すぎて感染症が蔓延するなどして、死亡率は非常に高かった」(前出の倉沢氏)
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医師たちは劣悪な環境のクレンデル収容所で苦しむロームシャを懸命に治療するものの、大半は亡くなってしまう。検査の結果、彼らの死因は破傷風だった。日本軍の報告書によると、この時クレンデル収容所では119人のロームシャが破傷風を発病、98人が死亡している。同時期に他の収容所でも破傷風が発生しており、インドネシア全体で478人が発症、死者は368人に上った。
破傷風は破傷風菌が傷口から入り込み、体内で毒素を発して痙攣や呼吸困難を引き起こす感染症だ。しかし人から人へ感染することはないため、通常ここまで蔓延することはありえない。
ロームシャが搬送されたジャカルタ医科大学病院の報告を受け、現地の疾病予防を担う日本軍の南方軍防疫給水部が感染源を探る中、候補として挙がってきたのが、発症の1週間ほど前に接種されたチフス・コレラ・赤痢の三種混合ワクチンだった。これはバンドンにある陸軍防疫研究所で製造されたもので、南方軍防疫給水部が管理し、軍から委託された医療従事者が接種していた。
さらにその後の病理検査によって、接種されたワクチンに破傷風菌が含まれていたと判明すると、事態は急展開する。日本軍の憲兵隊が捜査に乗り出し、突如として「インドネシア人による謀略」と断定。現地の医学関係者を次々に捕らえて、取り調べを始めたのだ。中でも主犯とされたのが、ジャカルタ医科大学教授で細菌学の権威のアフマッド・モホタル医師だった。モホタルら関係者への取り調べは熾烈を極め、壮絶な拷問で死亡する医師もいた。拘置所の中で痛めつけられる人々を目の当たりにし、モホタルは心を痛めたのだろうか。当初は潔白を主張していたものの、やがて供述を覆して、「破傷風菌入りワクチンを注射するよう指示した」と”自白”。’45年7月3日に斬首された。遺体はローラーで押しつぶされ、海岸に葬られたという。「週刊現代」2023年8月26日・9月2日号より後編記事『インドネシア人を破傷風のワクチンの実験台に…ほとんどの日本人が知らない「日本の暗い過去」』に続く。
さらにその後の病理検査によって、接種されたワクチンに破傷風菌が含まれていたと判明すると、事態は急展開する。日本軍の憲兵隊が捜査に乗り出し、突如として「インドネシア人による謀略」と断定。現地の医学関係者を次々に捕らえて、取り調べを始めたのだ。中でも主犯とされたのが、ジャカルタ医科大学教授で細菌学の権威のアフマッド・モホタル医師だった。
モホタルら関係者への取り調べは熾烈を極め、壮絶な拷問で死亡する医師もいた。拘置所の中で痛めつけられる人々を目の当たりにし、モホタルは心を痛めたのだろうか。当初は潔白を主張していたものの、やがて供述を覆して、「破傷風菌入りワクチンを注射するよう指示した」と”自白”。’45年7月3日に斬首された。遺体はローラーで押しつぶされ、海岸に葬られたという。
「週刊現代」2023年8月26日・9月2日号より
後編記事『インドネシア人を破傷風のワクチンの実験台に…ほとんどの日本人が知らない「日本の暗い過去」』に続く。

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