【小林 一哉】静岡・川勝知事が「富士山保全」で発した呑気な回答…問題が山積みなのに「口先だけ」のヤバすぎる態度

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日本の景観美の象徴である富士山では、夜通しで一気に標高3776mという日本最高峰に登り、ご来光を仰いだ後、その日のうちに下山する無謀な「弾丸登山」が大流行となり、サンダル、Tシャツなどの軽装で頂上を目指し、体調不良や極度の疲労で緊急搬送されるケース、高山病や心臓発作で死亡するトラブルなどが相次いだ。
富士山のご来光を目的に「弾丸登山」が流行している(塩津治久撮影)
押し寄せる観光客らが独立峰の頂上だけを目指すオーバーツーリズム(観光公害)によるごみ、し尿のマナー違反や自然環境への影響などもあらためて顕著となり、ようやく入山規制や入山料の義務化などの議論がされ始めているが、いまのところ全く期待できない。
富士山はことし6月、世界文化遺産登録から10周年を迎えた。
一方、静岡県の最北端にある南アルプスは、アクセスが非常に悪く、観光客が容易に訪れることのできない秘境“と言える場所にある。
大井川源流部の地図を広げればわかるが、南アルプス地域には3千m級の山々が20座以上も連なる。3千メートル級以下を加えれば、百座をゆうに超えるが、観光気分で簡単に登ることはできない。
3千メートル級の山々が連なる南アルプス(川根本町提供)
大井川源流部にある南アルプスはユネスコエコパーク(生物圏保存地域)に指定されている。リニアトンネル工事による自然環境への影響が大きいなどと唱え、ユネスコエコパークの南アルプスを守るのは国際公約“だとする川勝平太知事はいまだに、JR東海のリニア静岡工区着工を認めようとしない。
今年1月4日の年頭会見で、川勝知事は
「富士山と赤石山脈、つまり南アルプスのことですが、本県にとっては両親みたいなもので、県民はそこの子供みたいなものだ。富士山に川はないが、柿田川の湧水、源兵衛川の湧水は命の水になっている。南アルプスに源流を持つ富士川、大井川、天竜川によって人々の命や生活、産業が支えられている。その意味で(富士山と南アルプスは)本県の両親であり、両親に対して、傷をつけるということは、本当にやむを得ない場合を除いて、厳に慎まなければなく、親孝行をしなくてはならない」
などと述べている。
実際のところは、リニア問題の最大の課題である、川勝知事の求める「湧水の全量戻し」に対する解決策・田代ダム取水抑制案の議論にけちをつけることが目的であり、川勝知事は富士山ではなく、「南アルプスに傷をつけることを厳に慎め」と言いたいのであり、暗にリニア工事の中止をJR東海に求めているのだ。
川勝知事が静岡県の両親“にたとえる富士山と南アルプスの対照的な違いを比較していくと、富士山の自然環境保全に対する姿勢に疑問があることがはっきりと見えてくる。
何よりも富士山は、世界のすべての人にとってかけがえのない宝として普遍的な価値を持つと認められた世界遺産である。世界遺産を保全するのは日本人の使命とも言える。
ただ現状を見れば、一体、何のために富士山を世界遺産にしたのか、疑問点があまりにも多い。
単に世界遺産という「称号」を得ることだけが目的で、富士山を世界遺産にしたのではないはずだが、登録から10年もたったのに、世界遺産条約が求める保全対応は何もできていないのだ。
富士山の環境問題への取り組みを振り返る。
戦後、富士山地域の観光開発は、標高約2千メートルの5合目付近まで眉間の傷のように続く山梨県の富士スバルライン、静岡県の富士山スカイラインなどにマイカーや大型バスなどで押し寄せる大混雑を生み、新5合目に建設された土産物、食堂施設、大型立体駐車場に代表される観光開発が急激に進んだ。
その他、観光客によるごみやし尿問題、車の排気ガスによる自然環境へのダメージ、酸性雨、酸性霧による森林の立ち枯れ、放置森林にできた人工沢、山麓の不法投棄など数多くの環境問題が顕在化した。
国際的な観光地である富士山の過剰利用が最大の問題だった。約400万人が富士山5合目、さらに約30万人が頂上を目指し、ごみやし尿などの対応が追いつかない状態が続いた。
静岡県富士宮口からも登山者が押し寄せている(塩津治久撮影)
1989年、オーストラリア・パースで開かれたIUCN(国際自然保護連合)総会で、富士山を世界の中で過剰利用による最も危機にある国立公園に指定した。
環境庁(現・環境省)は1992年、静岡、山梨両県などの地元自治体と対策検討会を設置して、富士山全体の利用計画、山小屋の予約制、トイレ維持協力金などの徴収などの対応策を示したが、実際には何らの改善も図られなかった。
このため、富士山の深刻な環境問題の解決に向けて、静岡、山梨両県の環境保護団体などが一斉に1994年2月から約3カ月間、世界遺産として保全するための署名運動を行った。
その結果、目標の100万人を大きく上回り、たった3カ月間で最終的に約246万人もの署名が集まった。
環境庁は「富士山については解決すべき課題が多いことから、ある程度の期間を掛けて慎重に検討する」として、「世界遺産条約の自然遺産及び文化遺産(文化的景観)の対象と考えるべきだ」という意見をまとめた。
環境庁の意見を基に、世界遺産として保全することを求める環境保護団体などは約246万人の署名を添えて、「富士山の世界遺産リスト登録に向けての請願」を国会に提出した。
1994年12月の衆参両院の本会議で、この請願が採択された。
当時、「ごみの山だから、富士山は世界遺産になれない」などの報道等が続き、自然遺産として世界遺産への登録を目指したなどと一部で誤って伝えられた。
実際には、「文化的景観」として世界文化遺産へ登録するための取り組みが進められた。「文化的景観」を認めてもらうとしても、過剰利用が最大の課題であり、その解決のために富士山の世界遺産化を求めたのだ。その後、いったんは頓挫してしまう。
2005年4月、大手広告代理店の電通が中心となり、NPO法人「富士山を世界遺産にする国民会議」が発足、会長を中曽根康弘元首相、静岡、山梨両県知事らが特別顧問に就き、あらためて富士山を世界遺産にする取り組みがスタートした。
電通による広報活動等が功を奏して、2013年6月、カンボジアで開かれた世界遺産委員会で富士山は世界文化遺産に登録された。
富士山を巡る「信仰の対象」の25の構成資産に、併せて3カ所の「芸術の源泉」の性質が加えられた。当然、富士山全体ではなく、また当初、検討された「文化的景観」として世界文化遺産に認められたわけではない。
と言うのも、もし「文化的景観」であれば、富士山の過剰利用による環境の危機を問題にしたIUCNも審査に当たり、厳しい規制を求めたはずだった。
ところが、厳しい規制を避けたい静岡県などの地元は「信仰の対象」「芸術の源泉」と言うことで、民間のICOMOS(国際記念物遺跡会議)の審査のみが行われた。ICOMOSからは過剰利用の指摘などはなかった。
ことし7月1日から3日まで、世界文化遺産登録10周年を記念した国際シンポジウム「世界の聖なる山と富士山」が開催された。開催目的は、富士山の顕著な普遍的な価値と今後の富士山の保全管理の重要性を周知することだった。
富士山のオーバーツーリズムによる過剰利用の問題について一切、議論されなかった。つまり、世界遺産登録10周年にして、初めて、富士山の保全について全く何も手をつけてこなかったことが明らかになったのだ。
ニュージーランドの自然と文化の複合遺産であるトンガリロ国立公園関係者2人をシンポジウムに招請した。トンガリロ国立公園は、マオリ族の聖地として「文化的景観」が認められた。広大な範囲で厳しい規制が掛けられている。
ニュージーランド・トンガリロ国立公園のナウルホエ山。富士山によく似ている(筆者撮影)
富士山とは状況が全く違うのだ。
8月22日の知事会見で、静岡新聞記者が「富士山ではマナー違反やトラブルが続出し、ICOMOSが指摘した神聖さを損なう状況ではないか」などとして保全協力金や登山規制の方策をただした。
川勝知事は「弾丸登山、軽装登山に関する対策は喫緊の課題である。富士登山のルールの啓発活動にさまざまに取り組んできた」など呑気な回答をした。
実際には、2021年度から入山料を法定外目的税として徴収する方向で検討してきたが、観光業者等の反対意見が多く、見送っている。
川勝知事は「法定外目的税にしますと、登山者全員を捕捉しなければならない。義務化した場合、義務から逃れる人がいないようにするにはどうしたらいいかという論点が残っている」などと逃げ、世界遺産登録前から議論していた問題を蒸し返しただけだった。
富士山の入山規制などに消極的な発言をした川勝知事(静岡県庁、筆者撮影)
川勝知事の回答を聞いていると、やはり、富士山の世界遺産は単に「称号」を得るためだけであり、本来の目的を理解していないことがはっきりとわかる。
1995年9月、早稲田大学政経学部教授時代に発刊した川勝知事の『富国有徳論』(紀伊国屋書店)に、提言「富国有徳の国づくり」とある。
『男性、女性を問わず、世俗にあって廉直な心を持続する者のことを「士」、豊かな物の集積を「富」と名づければ、新日本の建設のために、両者を兼ね備えた「富士のごとき日本人」こそ、めざすべき新しい日本人、いや、とり戻すべき本来の日本人の姿でしょう』と、「富士のごとき日本人」論を唱えている。
ここにある、「富士のごとき日本人」こそが、世界遺産の「文化的景観」の考え方を表わしている。崇高であり、偉大であるなど人格上のことばに自然の富士山が置き替えられるからだ。
とすれば、富士山の過剰利用がいかに「崇高な存在」を侵しているのかはっきりとわかる。
1月4日の会見で、「両親(富士山と南アルプス)に対して、傷をつけるということは、本当にやむを得ない場合を除いて、厳に慎まなければなく、親孝行をしなくてはならない」と述べていた。
川勝知事の南アルプスのリニア工事への言い掛かりは、富士山問題ではブーメランのように自分に返る。
富士山を世界遺産として保全する覚悟に欠けているのだ。JR東海には、「ユネスコエコパークの南アルプス保全は国際公約だ」などと脅すのに、世界遺産・富士山を保全する最高責任者の役割を放棄している。
つまり、川勝知事は決して「富士のごとき日本人」ではないのだ。

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