ブラック企業勤めで貯金9600万、氷河期世代45歳独身「絶対仕事辞めるマン」が考える、貯金が「できる人」と「できない人」の「決定的な違い」

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絶対仕事辞めるマンと申します。
この度ご縁があって現代ビジネスでコラムを持たせていただくこととなりました。本職はライターでも何でもないので身が引き締まる思いですが、世のため人のためになる事を書いていければと思っています。
さっそく自己紹介をしますと、私はブラック企業で働くこと21年目の就職氷河期世代45歳です。この21年間、とにかく節約して貯金をし、一生分のお金を貯めてこの会社から逃げ出そうと考えてきました。
2003年に貯金を始め、昨今のFIRE(早期退職)ブームの先駆者のような存在として、ひたすらFIRE修行に取り組んできた最古参の一人なんですね。
ごく一般的な収入の独身サラリーマンですが、仙人のような節約生活を20年以上も続けたおかげで、現在の貯金は9600万円を超えております。20代30代は棒に振りました。目標額の1億円が貯まったらFIREして、自由な人生を歩みたいと考えています。
まあずいぶん貯まったものですが、今でもほとんど贅沢をすることはありません。というよりはずっと生活保護水準を遥かに下回る貧困生活を貫いています。「健康で文化的な最低限度の生活」が憲法で定められている以上、私は20年以上違憲状態と言えるのかもしれません? 拙ツイッター(現X)にてご覧いただけますが、ボロアパートで食べている日々のお夕食は戦時中の食事と変わらないか、それ以下の粗末なときも少なくありません。
Twitter(現X)で2100万PV、海外メディアでも大バズりした「違憲定食」(絶対仕事辞めるマン命名)
周囲には貯金のことひた隠しにしている、いわゆる「隣の億万長者」です(まだ1億円はありませんが…)。服もボロボロでどこからどう見てもお金はなさそう。常に物憂げな金欠の顔をして暮らし、ひたすら激安商品やポイントを求めて町を走り回る日々…。
こんなにストイックな蓄財活動は必要だったのか?と自問自答することもありますが、とにかくそのようにして9600万円も貯めてしまいました。
こんな経歴なものですから、メディアに紹介いただくたびに「どうやったらそんなに節約や貯金が続けられるの?」と聞かれることが多いです。さらには、おそらく1000回以上は「その仙人みたいな生活、何が楽しいの?」というご心配の声もいただいております。普通に考えて楽しいはずがないだろう…と言いたくもなるのですが、そんな声はものともせずFIRE資金1億円を目指して20年間全力で走り続け、ほぼ完走してしまったのですね。
一か八かの投資や相続で突然大金を手に入れたわけでもない、世にも珍しい長期蓄積型なので、普通の人よりは貯金やお金について考えた時間が長かったかもしれません。半生のほぼライフワークと言えるものでした。
こんな私が何か世のため人の為になる記事を書くとするならば…。初回は「節約マインド」について参考になりそうなことを書いてみたいと思います。
私はちょっと極端すぎる貯金体質なわけですが、世の中には逆に貯金ができなくて悩んでいる方も大勢いると思います。給料は上がらないのにインフレだけが進み、老後には2000万円が必要だと脅され…。養育費も必要だ。家も建てなきゃ。なのに税金も社会保険料も上がる一方だ。株価がバブル後最高値を更新したって? 結局儲けているのは一部の投資家や勝ち組だけじゃないか! ああ。僕の人生ヤバいのですが。何とか貯金しなければ…。そう思っても、ついついお金を使ってしまう人もいるわけですね。
では、私と貯金ができない人は、一体何が違うのでしょうか? 節約が続けられるマインドとは、一体どういうものなのでしょうか?
一つ例示をしながらお伝えしていきたいと思います。節約マインドの有無とは、次のAさんとBさんの違いにあります。
Aさん「この車買ったよ。いくらだと思う?500万円だぜ。凄いだろ」Bさん「この車買ったよ。いくらだと思う?5万円だぜ。凄いだろ」
Aさんの車もBさんの車も、エンジンが付いていてタイヤは4個あり、まあ「走る」という基本的な性能にはほとんど差がないわけです。ですが、自慢するポイントは正反対です。
ではAさんが自慢しているものは何なのでしょう? 車のデザインや輝きでしょうか?それもあるとは思いますが、彼が本質的に誇示しているものは「500万円の車を購入できる自身の『財力』」なのだと思います。そう、彼は本心では財力や年収を自慢したいのです。
photo by gettyimages
でも…。「俺は500万円の車を買えるほどの財力があるぞ。凄くいい仕事にも就いてるんだ。本当だよ。ほら」と、通帳を見せるのはあまりにも露骨ですよね。だから意識的にせよ無意識的にせよ、財産をわざわざ割高な車に変換させて、せっせと周囲の人にシグナルを送っているわけです。
これは別に車でなくても構いません。例えば、インスタなどのSNSに日々アップされている高級ホテルの写真や、高級レストランの料理でも同じことです。車そのもの、ホテルそのもの、料理そのものというよりはむしろ、それらにアクセスできる「自己」が誇らしい。
この気持ちを別の言葉で表現すると「見栄」と言います。
では、Bさんが自慢しているものは何なのでしょうか。「俺は5万円の車しか買えないほど貧乏だぞ。凄いだろ!」…という意味ではもちろんありません。
彼が自慢している本質的なものは「ちゃんと走る5万円の安い車を探し出せる『能力』」です。こちらも別に車でなくても構いません。「無料クーポンでこんなにたくさんのお菓子をもらったよ!」「格安携帯、月290円で運用しています!」といったSNSの書き込みもたくさんありますね。それと一緒です。
そして、Bさんが誇示したかった能力のうちおそらく最も重要なものは、「合理的」という性質です。無駄を排除し高効率で消費活動を行うスタイルそのものが、彼らの誇りです。一見貧しくて恥ずかしい生活にも見えるのですが、Bさん自身は意外とそれを気に入っているのです。
Aさんの「見栄」とBさんの「合理性」はおそらく対極にあるものであり、2人は分かり合えないと思います。Aさんが5万円の車に乗ったら「こんなみすぼらしい車は恥ずかしい…」と思うでしょう。逆にBさんが500万円の車を買わされたら、乗るたびに心を削られるでしょう。「ああ、不合理な支出をしてしまった…」と。
photo by gettyimages
貯金のお話に戻ります。大きく貯金できるのはどちらでしょうか?当然Bさんですよね。私もBさんタイプです。すなわち、お金を貯める極意は、「見栄を捨て合理性を取る」という姿勢なのかもしれません。さらに言えば、合理性を心地よいと感じられる感性を磨く事なのかもしれません。
ことわざで言うと「花より団子」ですね。合理的な方がカッコいい、不合理な見栄など見た目だけだ、無駄だ!ゴミだ!と思えるようになればお金はおのずとたまっていくのではないでしょうか。
もう一つ節約マインドで重要な視点は、「価値」と「価格」の認識です。言葉は似ているけど全然違うものなんですね。
Aさんは、最初に500万円という「価格」に注目して自慢しています。価格が500万円もする車だから、きっと価値もあるに違いない。みんなもきっとそう思ってくれるぞ。よし、買おう。こんな順番で考えているわけです。しかしこれは、自身の価値判断を、値付けした売り手に丸投げしているとも言えるのかもしれません。一方のBさんは最初に車の「価値」に着目します。この車はちゃんと走りそうだ。ボロいけど安全性もまあ大丈夫だろう。壊れているところも見当たらないね。これが10万円か!すごく得だな。よし、買おう。「これ、なんとか5万円になりませんか?」そして購入に至ります。
両者の姿勢の違いは大きいです。
高い食べ物が美味いのではなくて、美味い食べ物が美味いのです。勘違いしてはいけません。それが安ければなお良しです。間違っても値札を食べるような行為は慎みましょう。もちろん人間は誰しも価格を見るとバイアスがかかり、Aさん側の思考に流れるのはしかたない事なのですが…。常に「価値」を意識して暮らせば無駄金の支出も減ると思います。
ただし!
Bさんや私はAさんよりお金が貯まるものの、Aさんより幸せだとは限りません。Aさんは確かに見栄っ張りです。無駄遣いも多いです。ですが、高価な物を買って人に賞賛を受け、投じたお金に応じて幸福感を得るという行為は、一つの合理的なレクリエーションとも言えなくはありません。
500万円の車を買おうが、1泊10万円のホテルに泊まろうが、割高なフランス旅行でエッフェル塔のポーズ写真を撮ろうが、これらの行動は全て承認欲求の充足というリターンを合理的に見積もった結果なのかもしれません。Aさんを否定する根拠もまた、どこにもないのです。
私が述べたのはあくまで貯金の多寡の話であり、幸せの多寡の話ではないことにご留意ください
筆者は典型的なBさんとして最大限合理的に貯蓄を目指し、9600万円を貯めました。家族もおらず相変わらずの節約体質ですから、もうお金に大きく困ることはないのでしょう。しかしこれが幸福の最大化に結びついていたかは疑問です。お金は健康に継ぐ人生の大問題であります。そしてお金が貯まり切った今…逆に「自分の人生、とんでもない間違いを犯してしまったのでは?」と思う事すらありますよ。まあ、人生何が正しいのかなんて最後までよくわかりませんね。
おわり

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