世界有数の地震大国である日本。2023年5月にも石川県能登地方で震度6強が観測されるなど、大きめの地震がたびたび起きており、地震速報を目にすることも少なくない。地震速報のニュースを見ているとき、「津波の心配はありません」という独特な言い回しが気になったことはないだろうか? なぜ「津波は起こりません」「津波の可能性はありません」などではなく、わざわざ「心配」という表現にしているのか? そもそも津波の心配をしている“主体”は誰なのか?
素朴な疑問を解決するため、筆者はニュースを放送しているテレビ局、地震・津波のデータを解析し、警報や注意報を発表している気象庁。さらには“言葉のプロ”である『三省堂国語辞典 第八版』の編集委員の飯間浩明さんにインタビュー。果たしてその真実とは――?
◆NHKは「気象庁の発表に基づいています」
まず話を聞いたのは、日本放送協会(NHK)。NHK公式ホームページにあるお問い合わせ欄のメールフォームから地震発生時の地震情報で使われる言い回しの根拠について尋ねたところ、数時間後に以下の回答がきた。
「『津波の心配はありません』の根拠についてですが、気象庁の発表に基づいていますので、気象庁にお尋ねください」
つまり、「津波の心配はありません」という表現は報道機関が独自で決めている文言ではなく、気象庁から発信された内容ということだろう。
◆日本の津波警報「歴史のはじまりは仙台」
そこで、今度は 地震・津波の監視や情報発表を行っている気象庁の地震火山部地震津波監視課の丹下豪さんに津波警報の歴史について取材した。
――地震速報で「津波の心配はありません」というアナウンスをよく見聞きします。津波警報の歴史について詳しく教えてください。
丹下豪(以下、丹下):そもそも日本における津波警報体制は、1941年9月11日に仙台地方気象台(仙台管区気象台の前身)を中心とした気象官署によって、三陸沿岸に対する津波予報を実施するための組織(三陸津波警報組織)が発足したことに始まります。全国的な津波警報体制は1949年に確立されました。
これまでの津波予報の歴史をまとめた「津波予報業務の変遷」(2011年)という資料によると、昭和は「津波なし」と報じられていました。1995年4月に気象庁の地震監視システムが新しくなり、それに合わせて地震や津波に関する情報も改善された結果、「津波による災害のおそれがない旨についての注意喚起は、津波の心配はない旨を地震情報の付加文に含めて発表することとし、可能な限り『津波なし』の津波注意報を発表しないこととする」ようになったと記載があり、ここで初めて「津波の心配はなし」という一文が生まれました。
◆言葉自体は1941年から使われていた
丹下:ただし、1941年の時点で、三陸津波警報組織が用いた予報文には、津波警報を解除するときの文言として「『津浪警報解除』(最早津浪ノ心配ハアリマセン)」 というものがあり、「津波の心配」という言葉自体はすでに使われていました。当時は、今のように即座に津波情報を発表できるような設備はありませんでしたので、あらかじめ予報文を用意しておいて、誤解を与える恐れのない文章を発表するというものでした。
――「津波の可能性はありません」「津波の被害はありません」ではなく、判を押したように「心配はありません」という表現にしている狙いなどはありますか?
◆『三省堂国語辞典』編集委員が成り立ちの背景を考察
つづいては、国語辞典編纂者の飯間浩明さんにインタビュー。『三省堂国語辞典 第八版』の編集委員を務め、数々の著書を出版している言葉の専門家に言語学的な観点から質問してみた。
――言語学的に考えると、「津波の可能性はありません」「津波の被害はありません 」「津波の心配はありません」では、どの表現が最適なのでしょうか?
飯間浩明(以下、飯間):このなかでは「津波の心配はありません」が最も適切だと考えます。まず、「可能性」という言葉について掘り下げてみましょう。『三省堂国語辞典』を例にとります。
〈可能性_燭ができるかもしれない度合い。「―をためす〔=どこまで できるか、やってみる〕・無限の―」◆劼修Δ覆襦燭修Δ任△襦咾もしれない度合い。〔いいことにも、悪いことにも使う〕「値下げの―は うすい・分量をまちがえた―が高い・―が大きい」〉 (『三省堂国語辞典』第8版 2014年)
,了箸なは、「可能=できる」と「性=性質」の意味の単純な足し算で、ポジティブな語感です。以前の版ではこの意味しか書いていなかったんです。ただ、「可能性」は昔から「できない可能性」「失敗する可能性」などネガティブな意味でも使われるため、現在ではこの用法を△箸靴督媛辰靴討い泙
◆よく聞き取れなかった人が「誤解するかも」
飯間:「津波の可能性」と言う場合は、もちろんこの△琉嫐と考えられますが、ポジティブな,陵冕,鯱∩曚気擦詬消呂あります。緊急時の混乱のなかで、「……の可能性はありません」と表現すると、よく聞き取れなかった人は、「何かポジティブでないことが起るのかな」と誤解するかもしれません。言葉の使い方が誤りというわけではありませんが、緊急時に「可能性」を避けるのはひとつの知恵です。
また、「津波の被害はありません」という言い回しは、「被害があったかどうか」を問われた場合にふさわしい表現です。「津波が来るかどうか」を問題にする場合には、適切でない表現と言えるでしょう。そう考えると、冒頭にお挙げになった表現のなかでは「津波の心配はありません」がベストと考えられます。
気象庁の方が「心配の対義語が安心」と指摘されるとおり、安心感を与える効果もあります。
◆「津波の心配はありません」が浸透した理由
――では「津波の心配はありません」は妥当な表現なのですね。ちなみに、津波を心配する主体は誰なのでしょうか?
飯間:誰が心配するのか、ということですね。これも『三省堂国語辞典』で説明しましょう。
〈心配 粍いことが起こりはしないか、どうなるか、ということを〕気にかけること。気がかり。「親に―をかける・―の たね・もう―ない・―事(ごと)・―性(しょう)の人」(⇔安心)△それ。「情報流出の―はない」〉(『三省堂国語辞典』第8版 2022年)
これを見ると、,陵冕,任蓮△燭靴に心配の主体はあります。「誰々が何々を心配する」「誰々が誰々に心配を掛ける」と、特定の主体がいるわけです。
一方、△陵冕,蓮屬それ」とイコールであり、誰か特定の人が心配しているわけではありません。「津波の心配はありません」はまさしくこちらの用法です。すなわち、「誰にとっても心配するような事態にはなりません」ということです。「おそれ」も同様で、「災害のおそれはない」と言う場合、「誰にとってもおそれるような事態にはらない」と言っているのです。
――「心配=おそれ」であれば、「津波のおそれはありません」でも意味合いは問題ないのでしょうか?
飯間:はい、ほとんど同じ意味です。実際、「おそれ」と表現する報道はあります。ただ、同一のメディアの中でいろいろな表現が使われては混乱を招くかもしれません。災害時はむしろ「判で押したよう」な表現が望ましいので、それぞれのメディアで決まっている表現があれば、それをことさら変える必要はないと考えます。
<取材・文/はるうらら>
【飯間浩明】1967年10月21日、香川県高松市生まれ。国語辞典編纂者。『三省堂国語辞典』編集委員。著書に『日本語はこわくない』(PHP)、『日本語をもっとつかまえろ!』(毎日新聞出版)、『知っておくと役立つ 街の変な日本語』(朝日新書)、『ことばハンター』(ポプラ社・児童書)など。『気持ちを表すことばの辞典』(ナツメ社)も監修。Twitter:@IIMA_Hiroaki