【斉藤 カオリ】妻には「このタダ飯食らい!」娘には「バーカ!」酒乱モラハラ夫に追い込まれた母娘に、警察がかけた「冷酷すぎる一言」

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コロナ禍以降、DVの相談件数が大きく増えている。2020年4月に内閣府が新しい相談窓口「DV相談プラス」を開設したことも相まって、2020年度の相談件数は約18万2000件と、2019年度から約1.5倍に増加。以降、同水準で推移している。
また司法統計によれば、夫婦の離婚理由では「暴力を振るう」「精神的に虐待する」といったDVが、近年では常に上位に入っている。
今回は、自営業をしている家に嫁ぎ、夫のモラハラや暴力に悩み続けた木下悦子さん(仮名・48歳)を取材して、不和を抱えた家庭のリアルを追っていく。
悦子さんと夫は高校時代からの長年の付き合い。悦子さんは夫が、もともと「人に寄り添うことをしない人」なのは知っていた。人となりもお互いに熟知していた。
しかしあるとき、すべてから解放されたくなり、「夫から逃げ、海に車ごと突っ込んで、子どもとともに心中しよう」としたのだ。この一家に、一体何が起こったのか。
Photo by iStock(写真はイメージです)
悦子さんと夫は先輩後輩の間がらで、高校時代からの付き合いだった。
悦子さん自身も相手と長く付き合ってきたこともあり、「結婚するならこの人」と漠然と考えていた。順調に進むはずの入籍だったが、そこに突然、夫から実家に大きな借金があることを告げられる。
夫から提案されたのは、「俺の給料で生活をし、悦子の給料でうちの実家の借金を返していってくれないか」ということだった。仕方なくその提案を受け入れ、悦子さんは32歳で結婚。自分の給料は、すべて借金返済に回すことになった。
「夫の実家はかなり古いのですが、大きく、1階に5部屋くらいある家でした。私たちはその2階に住むことになり、義父母との同居で結婚生活がスタートしました。本当は嫌でしたが、私はとにかく早く義父母の借金を返済して、できるだけ早く自由になりたかったんです」
当時、悦子さんは飲食店のサブマネージャーという立場だったため、月収は30万円ほどあった。それをほぼ全額、義父母の借金返済のため、夫の実家に入れていた。
しかし実際は、借金は一向に減らなかった。義父が自営業の仕事を頑なに辞めようとしなかったからだ。「市場で加工した魚を販売」する仕事だったが、まったく採算が取れないため、仕事を続けるほどに借金は膨らんだ。
さらに義母は、悦子さんが借金を毎月返済している間も、趣味のお茶教室などに通い、自分の生活を楽しんでいた。悦子さんにはそんなお金も時間もないのに、だ。
「義父母はこちらの意向や考えを伝えても聞く耳を持ちませんでした。私に感謝するそぶりもなく、淡々と自分たち優先の生活をしていました。私のことを『いい金ヅル』とでも思っていたんでしょう。自分にしか興味関心がない人間に見えました」
悦子さんは自分の母親に一度、そのことを相談したことがある。母親はシングルマザーで自分を育ててくれた人だ。しかし昭和の女性らしく「嫁いだなら嫁いだ先に合わせなさい」としか返ってこなかった。
「自分が選んだ道だから仕方ない」、そう思って悦子さんはひたすら耐えた。
2008年、悦子さんは妊娠した。妊娠して働けなくなったころから、夫の暴言がひどくなる。
「妊娠して仕事を辞めたんです。そのころから夫は、私のことを『このタダ飯食らい!』と呼ぶようになりました。妊娠出産で費用もかかってくるため、生活費をきりつめて生活するようにもなりました」
悦子さんが義父母の借金返済のために差し出したお金はトータル3000万円くらいになる。この間、自分のための貯金はほとんどできなかった。
その後、悦子さんは何度か切迫早産になり、しばらく入院生活となった。そのまま第一子を出産し、退院となったとき、気づいたら涙がボロボロ出て止まらなかった。安堵の涙ではない。
「退院のとき、涙が止まらない自分に驚きました。しかも何の涙かよく分からない。落ち着いて自分の感情に向き合ったら『あ、私は家に帰りたくないんだ、夫や義母たちに会いたくなくて泣いているんだ』と気づいたんです」
心の奥底に押さえつけていた、憎悪や嫌悪などの気持ちが、涙となってあふれた。しかし悦子さんには、今までと同じ家に帰るしか手段がなかった。
子どもが生まれてからは、ワンオペ育児が始まった。義父母と同居だが、育児の協力は一切ない。
二人目の娘を出産して以降、夫は暴言やモラハラがさらにひどくなった。特に、夫のストレス発散のはけ口になったのは長女だ。
「長女はスポーツが得意でした。小学校1年生のときには選抜の水泳選手になったんです。習い事のために夕方5時から8時まで泳いで、帰ってくるのに車で30分かかる。私は子どもががんばっていることは応援したかった。しかし、夫はそうではありませんでした」
子どもが習い事から帰り、学校の宿題を急ぎでやらせていると、居間から舌打ちが聞こえる。夫は自分の晩酌の時間に子どもの声がするのが気にいらなかった。
「酔っ払った夫が居間から、長女に向けて『やめろバーカ、やめろ、やめろ、死ね!』って大きな声で叫んでくるんです。ハンガーなど、物を投げてくることも多かった。夫は焼酎の一升瓶を2時間で飲み干すなど、ほとんど酒乱のような感じです。ある日、あまりに『死ね!死ね!』とまくし立てるので、長女が警察に電話をしたんです」
警察は家に来て、暴言を吐く夫をなだめた。
「警察は『何でそうなるの、娘さんがかわいそうでしょ』と言ってくれていた。しかし、夫はそのくらいでは、まったく響かない、動じない。もっと厳しく夫を叱咤してほしかったのですが、それはなかなか叶わなかったです」
何度も同じようなことがあり、子どもは不登校になった。長女が頑張っていた水泳も、こんな状況では辞めるしかなかった。警察からは何度か児童相談所に連絡が入った。
「そんな状況でも子どもは大きくなっていきます。小学校4年生くらいになって、だんだん口答えもするようになって。それである日、夫はカーッとなって娘に殴りかかったんです。それを止めに入った私は突き飛ばされて、腕を切って、大量に出血しました」
その時も警察を呼んだ。事情徴取が行われ、警察はどんな状況だったかを同居の義母らに聞き取りした。そのとき、悦子さんが警察に言われた言葉は「あなた、この家から出た方がいいよ」だった。
「諸々を見かねた警察の方から『あなた、家を出て、逃げた方がいいよ』と言われました。毎度お父さんは酒乱で暴れるし、『ここのおばあちゃん(義母)に話を聞くと、状況を聞いているのに、あなたへの悪口しか出てこないから、ちょっと家を出て、下宿でもしたほうがいいね』とアドバイスされたんです」
しかし、お金もなければ、行くあてもない。出ていきたいけれど、出ていけない。そんな状況のなか、さらに事件が起きる。
「私が下の子を寝かしつけていると、長女の泣き声が聞こえてきました。夫がまた長女に『お前は終わっている』とか『次女は賢くていい子だけど、お前は死ね』と言ってヒートアップしていたんです。止めに入ると、夫はあごをグーで殴ってきて、私は吹き飛ばされてタンスにぶつかりました。
身の危険を感じて警察に連絡すると、駆け付けた警察の方に『告訴しますか』と聞かれて……。でも、そのときはまだ『分かりません』と答えるしかありませんでした」
家庭内の不和に、警察が積極的に介入することは現実問題、そう簡単ではない。夫のDVを止めることも、夫から逃げることもできず、苦悩する悦子さん。
やがて一家の異常な状況は、子どもたちの心まで蝕み始めてしまう。その顛末を後編で引き続きお伝えする。

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