【平野 国美】【終末医療ルポ】定年前に夫を亡くし、その半年後には息子が…70歳妻は「再婚相手の最期が見たい」と願う…その「本当の理由」に看取り医は涙した

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吉田玲子さん(仮名・70歳)は、病院に行こうとしない肺気腫患者の夫・敏雄さん(仮名・75歳)のために在宅医療を依頼する。2人は結婚してまだ3年目なのだという。
前編記事『「ヤブ医者を家に入れるな!」と検査を拒む75歳夫…それでも70歳”ワケあり”新婚妻が「夫の最後を看取りたい」…その切なすぎるワケ』に続き、6000人以上の患者とその家族に出会い、2700人以上の最期に立ち会った医師が、人生の最期を迎える人たちを取り巻く、令和のリアルをリポートする――。
初診から5日後の深夜。玲子さんから緊急電話が入った。敏雄さんがトイレで倒れているという。現場に向かうと敏雄さんはトイレ脇の廊下で、仰向けになっていた。目は閉じているが呼吸はしっかりとしている。バイタルを測りながら、敏子さんに状況を聞いてみたところ「ここ2日ほど便秘で苦しんでいて、今晩もトイレに入ったと思ったら、倒れる音がしたので慌てて見にいくと、顔面蒼白で倒れていた」と言われた。
バイタルこそ酸素濃度を含めて回復しつつあるが、安心できるレベルではない。ただ、手足は動き出している。
「恐らく、肺気腫の方が便秘で力んでしまうと脳が虚血状態になり、失神してしまう事があります。今後は、これを繰り返すかも知れません」
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そんな説明をしながら、敏雄さんを見守りつつ、意識を失っている今のうちに尋ねる事にした。
「癌も間違いないと思われます。状況は悪化していくと思います。今後、入院も考えますか? それとも自宅で療養をされますか?」
「できれば自宅でお願いできないでしょうか? 肺に問題がある事は覚悟の上で結婚しています。この人とは『どんな事が起きても、どこにも運ばせない。私が生きている限り、この自宅でみてあげる。そのかわり私にあなたを最後までみさせて下さい』と約束しているんです」
<自宅で看取るかわりに、最後までみさせて欲しい>とはどういう事なのだろう。聞いてみると、暫く沈黙したあとで、2人の後悔について教えてくれた。
「私たちが結婚3年目の再婚同士というのは話しましたよね? 敏雄さんは生き別れ、私は死に別れです。彼は職場のストレスを奥さんにぶつけてしまったらしい。『DVまではしてない』と言ってはいたけど、奧さんはとても怒っていて、それで離婚することになったみたい。
で、私はというと…
私の前の夫と死に別れたのは、夫が定年を迎える少し前の事でした。私も会社勤めをしていて、私たちの間には、心を病んだ息子が一人いました。家族3人暮らしね。『定年したら3人で旅行でもしようか』と話をしていて、私も夫も会社の帰りに旅行会社のパンフレットを集めていました。今思うと、とても幸せな時間だったと思う」
敏雄さんの血色がずいぶん戻っていた。意識も回復し、少しずつ身体も動き出している。
「そんな頃、夫の顔が黄色く見えたんです。それで病院に行くように勧めたんだけど、行ってはくれませんでした。今の敏雄さんと同じですね。あの日の朝も、息子が朝から『病院に行って欲しい』と言って夫と口喧嘩になっていました。夫は怒るようにして会社に出かけたんだけど、息子も強く言いすぎた事を後悔していて、夫が帰ってきたら3人でちゃんと話そうねと言いました。でも、夫が生きたまま、この家に帰ってくる事はありませんでした」
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その日、夫の勤める会社から『腹痛を訴えて救急車で運ばれた』という連絡がきたそうだ。玲子さんが病院に向かうと、医者から『夫は膵臓癌の末期。治療法はないから自宅に戻るか、どうするか考えてください』と宣告されたそうだ。
「どうするか考えて下さいなんて言われても、何が起きているのか状況がよく分からなくて、私には考える力はありませんでした。帰りの電車の中で、涙が止まらなくなって、途中の駅で降りて、無人のベンチで泣きました。それから1週間ほどたって、答えが出せないままでいたら、今度は『危篤状態です』って連絡が入り、病院に駆け付けた時にはすでに終わっていました。そしてその半年後には、朝起きたら息子が逝っていました」
玲子さんは泣き出してしまった。
「息子は、もともと精神的に弱くて…。あれは父親の死を悲しんでの自死のようなものでした。それからは家族二人を失って、妻として母として、もう少し、何かしてあげられたんじゃないかという後悔ばかりが募って…。でも、考える時間も覚悟をする時間もないまま家族を失ってしまったせいか、未だに死ぬという事がどういう事なのか、分からないでいるんです。そんな自分が許せない…」
敏雄さんは起き上がり、土壁を背もたれかわりに寄りかかって一緒にじっと話を聞いている。動じていないと言う事は、すでに打ち明けられている話なのだろう。
「それからの私は、生きているのか死んでいるのか分からなくなっていました。まだ会社の定年まで数年残っていましたが、そんな状態では仕事にも身が入らないので退職しました。夫が残してくれた生命保険もあったので、なんとか生活はできました」
そんな中、偶然知り合った、ボランティアで結婚相談している女性から「若い人の結婚は、子供を作って、家を建ててなんていう目標を考えながら成就すると思うけど、あなたに必要なものは、そこじゃないと思う」と言われて、紹介されたのが敏雄さんだったそうだ。お互いに「ぴったりの相手」だと感じ、1か月後には籍を入れたらしい。
じっと話を聞いていた敏雄さんが口を開いた。
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「つまり玲子さんは、俺の最期を見たいというわけか」
少し、涙ぐんでいる。玲子さんはこくりと頷いていた。
「なぁ平野先生、明日でいいから、酸素を持ってきてくれないか。それから、何が必要なんだ。俺が、玲子さんと一緒に、ここで最後を迎えるには?」
「モルヒネを使わせて頂きたい。決して、寿命を縮めるものではないのです。痛みから解放されれば、少し延びる可能性もあります。何より、あなたが痛みに苦しんでいる姿を見て、奥さんが悩まないようにしたいです」
敏雄さんは頷いた。
「ところで今は、何時だ?」
いつの間にか、午前三時を回っている。
「平野先生、お前さんに奥さんはいるのか?」
「恥ずかしながら、50を過ぎて結婚をしました」
「そうか、俺みたいに女房に捨てられないように気をつけろよ。失ってから後悔するんだ。俺がもう一度拾われたのは幸運でしかないからな」
と泣き笑いしていた。
「藪医者め。うちの奥さんが困らないように裏切るんじゃないぞ。明日から、毎日きてもいい。俺のためじゃないぞ、女房のためだ」
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曹洞宗僧侶で歌人の良寛が、死に際で読んだ句を思い出した。
裏を見せ 表を見せて 散るもみじ
敏雄さんは、妻に逃げられた自分にやり直す機会をくれた彼女に感謝をしながら、自分の全てをみせて、逝くつもりだ。
この日を境に、私はやっと、本当の意味でこの家に入れるようになった。
妻に逃げられ後悔する男と、誰かを看取りながら死を探りたい女。2人は、人生の延長戦ともいえるこの時間を使って結婚を選択し、互いの過去の後悔をやり直そうとしている。
人は人生の幕が下りるその瞬間まで、どんな状況にあっても、目の前の事から学べるものだ。過去を変える事はできないが、どんなに人生で失敗しても、みじめな思いをしたとしても、最期の瞬間で人生は逆転できると、私は確信している――。

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