世界初の“特攻服”カタログ「全国各地でぜんぜん違う」今明かす6万部大ヒットの裏側

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こんにちは。伝説のレディース暴走族雑誌『ティーンズロード』3代目編集長をやっていた倉科典仁と申します。ティーンズロードは1989年に創刊され、90年代には社会現象に。現在は休刊となっておりますが、そんな本誌に10年以上携わっていました。 暴走行為(共同危険行為等)は決して許されるものではありませんが、時を経て、編集者として今振り返る「暴走族」の姿とは……。
◆「特攻服」はヤンキーたちの正装だった
皆さん、「特攻服」ってご存知でしょうか?
昭和から平成のはじめ頃に生まれた方は目にしたことがあると思いますが、暴走族が集会などで着る、暴走する時の「正装」と言えばいいでしょうか。 特攻服のルーツは諸説あるので割愛しますが、当時の特攻服は1着仕上げるのに30万円を超えるような刺繍を施したものまでありました。彼らにとっては“命の次に大切”と言っても過言ではなかったのです。 自分のチーム名をはじめ、背中(背文字)には各自それぞれが考えた「詩」や、好きなアーティストの歌詞、または「喧嘩上等」などのイカつい刺繍を入れ、暴走時はもちろん、先輩の引退式や祭りなどにはそれを着て参上するという、まさに「ヤンキー界のフォーマルウェア」であるわけです。
◆全国各地でデザインや着こなしが異なる 約30年前、私は全国の暴走族を取材しているうちに、特攻服と一口に言っても様々なデザインが存在することに気がつきました。
各地方によって刺繍の傾向やトレンドがあったり、着こなしにも個性があったり、男女で入れる文字が違っていたり……そこには、一人ひとりのセンスも垣間見られます。
そこで「特攻服のファッションや着こなしをまとめたら面白いのでは!」と思い、すぐに当時の編集長に「特攻服カタログ」の企画を出したところOKが出ました(のちに当時の編集長から聞いた話では“そんなに売れないだろう”と思っていたそうです……)。
私は、すぐさま制作に取り掛かりました。
◆『ティーンズロード』で人気の暴走族を撮影
そんな特攻服ファッションカタログのタイトルは『BAMBO(バンボー)』です。余談ですが、当時、横浜方面の暴走族たちは単車の排気音を口で真似する時に“バンボー”と言っており、いつしか暴走族のことを「バンボー」と呼んでいたという話を聞き(これも諸説あるとは思います)その呼び方をタイトルにそのまま使ったわけです。 そしてティーンズロードで人気のある男女チームに連絡して、北は北海道、南は九州まで足を運び、ほぼ撮り下ろしました。今の出版界では予算がかかりすぎて到底できないような企画を決行したのです。
◆現役暴走族をファッション誌さながらに撮影
撮影したチームは全国で20チームくらいでしたが、すべてカメラマンがファッション誌さながらにきっちりライティングを組んだうえで時間をかけて撮影しました。
唯一違うのは、通常のファッション誌ではプロのモデルを使うのですが、特攻服カタログでは正真正銘の「現役暴走族」がモデルなわけです。
睨みを利かす表情はプロなんですが、ポージングにおいては当然素人なので、かなり時間がかかったことを覚えています。
とはいえ、本物の暴走族による特攻服の着こなしは、本人にしか出せない“風格”みたいなものが漂っていました。後日、写真があがってくる(※)のが楽しみだったのを覚えています。
(※)当時のカメラはデジタルではなくフィルムだったので、その場では撮影した写真が見れなかった。
◆最強にお金と手間をかけた世界初「特攻服カタログ」

定価は700円。約30年前の当時、10代の子たちが買うにはあまりに高額でしたが、なにせ予算がかかりすぎていたので、やむを得ずその価格にしました。
しかし、高額にもかかわらず、約6万部も売れたのです!
作った人間がこう言ってはなんですが、正直、“誰が買ったのだろう?”とも思いましたが、とにかく大成功に終わりました。私の編集者人生の中でも最強にお金と手間をかけた一冊です。
そんな『BAMBO』は現在、ネットオークションで3万円くらいの値段が付いてるそうで、まさに「幻の特攻服ファッションカタログ」と呼ばれているとかいないとか……。
<文/倉科典仁(大洋図書)>
―[ヤンキーの流儀 ~知られざる「女性暴走族」の世界~]―

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