「認知症疑いの父が病院に3億円寄付」東証プライム上場企業・前社長をめぐる生前トラブルが泥沼裁判に

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「認知症の疑いがあった父親に、病院が3億円を寄付させた」──遺族が悲痛な会見を開いたのは4月末。地元・金沢の名士だった有名企業社長の父親に何があったのか。取材を進めると、高額寄付の裏事情が見えてきた。
【図解】3億円寄付トラブル相関図 【写真4枚】東証プライム上場企業「澁谷工業」の前社長、澁谷弘利さん「判断能力が欠けていた」「病院長が家族に内密で3億円もの寄付をさせたという、極めて不当で異常なものです」 原告となった故人の娘は、4月27日の会見でそう語った。 故人とは、金沢市の機械メーカーで東証プライム上場企業「澁谷工業」の前社長、澁谷弘利さん(享年90)のこと。同社は石川県を代表する有名企業であり、弘利さんは馳浩・石川県知事(62)の連合後援会会長を務めるなど、地元の名士として知られた人物だった。

認知症の疑いがあったにもかかわらず弘利さんに3億円もの寄付をさせたのは無効だとして、弘利さんの妻と娘2人が原告となり、金沢医科大学と主治医のA医師(同大病院前院長)に2億4750万円の損害賠償を求め金沢地裁に提訴したのだ。なお、澁谷工業の現会長・社長である弘利さんの長男・次男は訴訟に関与していない。 訴状に書かれた訴訟に至るまでの経緯は、以下の通りである。 2021年1月、弘利さんはサウナで脱水状態になって倒れ、金沢医大病院に入院。以前から認知機能の低下が周囲から指摘されており、脳の萎縮を調べる検査を実施したところ、大脳の全体的な萎縮と軽度の脳室拡大傾向が確認されたという。 2日後に退院した後も通院で治療を受けていたが、通院期間中の5月20日、弘利さんは金沢医科大学創立50周年事業募金に3億円を寄付した。この時、遺族は寄付の事実を知らなかった。 寄付時点での弘利さんの判断能力について原告代理人の谷口央弁護士は、「脳神経内科専門医の意見書において『2021年5月の時点では、自分の財産を管理・処分できない程度に判断能力が欠けていたか、少なくとも常に援助が必要なレベルであった』と判断された」と話す。 その後弘利さんは2度再入院した後、10月12日に心不全により他界した。 遺族が遺産整理を進めるなかで、3億円の寄付が発覚。寄付時、弘利さんは4億5000万円を借り入れていたので、遺族が債務を相続することになったという。 原告側は「極めて異常」とし、弘利さんが寄付をした理由について訴状でこう主張した。「弘利に対して寄付の勧誘をしたのは、金沢医科大学病院の病院長(2023年3月31日に退任)であり、弘利の主治医であったA医師(訴状では実名)だ。A医師は私たち弘利の家族に確認を取ることもせず、弘利の認知機能低下に乗じて秘密裏に寄付を行なった」 さらに原告は、A医師が「不自然に病状を隠そうとした」とも指摘する。訴状によれば、A医師は寄付があった3か月後、「笑顔で100歳まで社長を続けていただきたい。認知(症)はありません」と発言したという。谷口弁護士によれば、病院側は入院直後の1月に受けたMRI検査の結果の開示を要求しても、一向に開示しないというのだ。寄付の場に同席した女性 この裁判については新聞やテレビ等でも報じられたが、マスコミでは触れられていない事実が訴状には書かれている。 弘利さんが2021年5月19日に同病院を訪れ、被告のA医師に対して寄付を申し出た場には、弘利さんの知人女性・Bさんが同席していたというのだ。 債務を負担させる家族には寄付を秘密にしていたのに、家族でもないBさんを同席させるのは「不自然極まりない」とし、訴状では「弘利の晩年の愛人」と断定。そのうえで、「A医師とも旧知の間柄にあるなど親密な関係であり、単なる付添者という立場ではなく、弘利の認知機能の低下に乗じて、A医師らに対して巨額の利益を得させる強い動機を有する人物である」と主張している。 このBさんは地元の高級クラブの名物ママで、金沢駅近くの飲み屋街の客は、「弘利さんはBさんの店の常連で、5~6年程前からのつきあい」だという。 Bさんの自宅の近隣住民は、次のように証言する。「5~6年前からいかにも“社長の車”という感じの黒塗りの車が駐車場に止まって、足取りのおぼつかないおじいさんが家に入っていくのを何度か見ました。後から新聞やネットで見た澁谷工業の社長さんだと気づいた」 Bさんは過去に金沢医大病院の地下の食堂を経営していた。さらにA医師はBさんの在籍していたクラブに通っていたという証言もあり、遺族はA医師とも懇意な関係にあったと主張している。 訴状の記述を確認するため、Bさんに直接、話を聞いた。──弘利さんが寄付を申し出た現場にいたことは事実か?「立ち会ったことは間違いないです。遺族の方も、そこは不思議に思っているだろうと思います。でも、私がいなければ、足元がふらついて転ぶし、眼鏡もかけられないんですよ。私も立ち会いたくてそんな場に行ったんやないんです」──訴状には「弘利の愛人」と書かれているが、それは認めるか?「何を元にしてそうおっしゃっているのかわかりませんが、社長は何年も前からうちのお店をずっとかわいがってくれていたお客様です。私はその店のママというだけです」──A医師とはどのような関係?「お店にたまにくるお客さんで、私も体を患っているので先生に診てもらっています。患者とお医者様という関係です」──寄付をした当時の弘利さんに、認知症の症状はなかった?「うーん、あれくらい高齢になると、どこからどこまでが認知症で、どこからどこまでがそうでないか、見分けつかないですよ。私もこの頃、認知症が入ってきて、よう覚えとらんのやわ」 寄付の現場にいたことは認めたが、弘利さんやA医師との特別な関係については否定した。 弘利さんが寄付をした経緯について、A医師にも取材を申し込んだが、秘書を通じて「個人としてのコメントは申しあげられません。問い合わせる件があれば大学側が対応しますので、そちらによろしくお願いします」との回答だった。 金沢医大に対しても広報部企画課に質問状を送付したが、個別の質問には答えず、文書で「本学は、正当な手続きを経て寄付金を受け入れています。現時点では訴状が届いておらず、今後、訴状内容を確認してから対応したいと思います」と回答したのみだった。地元では最大級の病院 金沢医大病院は昭和49年の開院で、病床817床と職員約1900人を擁し、北陸地方では最初に特定機能病院の指定を受けた、地元では最大級の病院だ。 最先端の遺伝子医療で実績をあげており、がん医療の分野でも注目されてきた。なぜこのような騒動が起きてしまったのか。 今回の弘利さんの高額寄付について医療経済ジャーナリストの室井一辰氏は、「金沢医科大学の経営規模から考えても、個人の寄付として3億円の額は通常では考えにくい」と指摘する。「争点はやはり弘利さんに判断能力があったかどうかですが、大学側はそれを確かめる機会があったはずです。今回の寄付は大学の創立50周年記念募金に寄付する形で行なわれている。寄付はあくまで個人の意思に基づくものですが、大学の理事会も個人の寄付額として妥当かを話し合う場はあったはず」 高齢の親族を持つ人にとっては他人事ではない訴訟。裁判の行方を注視したい。※週刊ポスト2023年5月26日号
「判断能力が欠けていた」「病院長が家族に内密で3億円もの寄付をさせたという、極めて不当で異常なものです」
原告となった故人の娘は、4月27日の会見でそう語った。
故人とは、金沢市の機械メーカーで東証プライム上場企業「澁谷工業」の前社長、澁谷弘利さん(享年90)のこと。同社は石川県を代表する有名企業であり、弘利さんは馳浩・石川県知事(62)の連合後援会会長を務めるなど、地元の名士として知られた人物だった。
認知症の疑いがあったにもかかわらず弘利さんに3億円もの寄付をさせたのは無効だとして、弘利さんの妻と娘2人が原告となり、金沢医科大学と主治医のA医師(同大病院前院長)に2億4750万円の損害賠償を求め金沢地裁に提訴したのだ。なお、澁谷工業の現会長・社長である弘利さんの長男・次男は訴訟に関与していない。
訴状に書かれた訴訟に至るまでの経緯は、以下の通りである。
2021年1月、弘利さんはサウナで脱水状態になって倒れ、金沢医大病院に入院。以前から認知機能の低下が周囲から指摘されており、脳の萎縮を調べる検査を実施したところ、大脳の全体的な萎縮と軽度の脳室拡大傾向が確認されたという。
2日後に退院した後も通院で治療を受けていたが、通院期間中の5月20日、弘利さんは金沢医科大学創立50周年事業募金に3億円を寄付した。この時、遺族は寄付の事実を知らなかった。
寄付時点での弘利さんの判断能力について原告代理人の谷口央弁護士は、「脳神経内科専門医の意見書において『2021年5月の時点では、自分の財産を管理・処分できない程度に判断能力が欠けていたか、少なくとも常に援助が必要なレベルであった』と判断された」と話す。
その後弘利さんは2度再入院した後、10月12日に心不全により他界した。
遺族が遺産整理を進めるなかで、3億円の寄付が発覚。寄付時、弘利さんは4億5000万円を借り入れていたので、遺族が債務を相続することになったという。
原告側は「極めて異常」とし、弘利さんが寄付をした理由について訴状でこう主張した。
「弘利に対して寄付の勧誘をしたのは、金沢医科大学病院の病院長(2023年3月31日に退任)であり、弘利の主治医であったA医師(訴状では実名)だ。A医師は私たち弘利の家族に確認を取ることもせず、弘利の認知機能低下に乗じて秘密裏に寄付を行なった」
さらに原告は、A医師が「不自然に病状を隠そうとした」とも指摘する。訴状によれば、A医師は寄付があった3か月後、「笑顔で100歳まで社長を続けていただきたい。認知(症)はありません」と発言したという。谷口弁護士によれば、病院側は入院直後の1月に受けたMRI検査の結果の開示を要求しても、一向に開示しないというのだ。
この裁判については新聞やテレビ等でも報じられたが、マスコミでは触れられていない事実が訴状には書かれている。
弘利さんが2021年5月19日に同病院を訪れ、被告のA医師に対して寄付を申し出た場には、弘利さんの知人女性・Bさんが同席していたというのだ。
債務を負担させる家族には寄付を秘密にしていたのに、家族でもないBさんを同席させるのは「不自然極まりない」とし、訴状では「弘利の晩年の愛人」と断定。そのうえで、「A医師とも旧知の間柄にあるなど親密な関係であり、単なる付添者という立場ではなく、弘利の認知機能の低下に乗じて、A医師らに対して巨額の利益を得させる強い動機を有する人物である」と主張している。
このBさんは地元の高級クラブの名物ママで、金沢駅近くの飲み屋街の客は、「弘利さんはBさんの店の常連で、5~6年程前からのつきあい」だという。
Bさんの自宅の近隣住民は、次のように証言する。
「5~6年前からいかにも“社長の車”という感じの黒塗りの車が駐車場に止まって、足取りのおぼつかないおじいさんが家に入っていくのを何度か見ました。後から新聞やネットで見た澁谷工業の社長さんだと気づいた」
Bさんは過去に金沢医大病院の地下の食堂を経営していた。さらにA医師はBさんの在籍していたクラブに通っていたという証言もあり、遺族はA医師とも懇意な関係にあったと主張している。
訴状の記述を確認するため、Bさんに直接、話を聞いた。
──弘利さんが寄付を申し出た現場にいたことは事実か?
「立ち会ったことは間違いないです。遺族の方も、そこは不思議に思っているだろうと思います。でも、私がいなければ、足元がふらついて転ぶし、眼鏡もかけられないんですよ。私も立ち会いたくてそんな場に行ったんやないんです」
──訴状には「弘利の愛人」と書かれているが、それは認めるか?
「何を元にしてそうおっしゃっているのかわかりませんが、社長は何年も前からうちのお店をずっとかわいがってくれていたお客様です。私はその店のママというだけです」
──A医師とはどのような関係?
「お店にたまにくるお客さんで、私も体を患っているので先生に診てもらっています。患者とお医者様という関係です」
──寄付をした当時の弘利さんに、認知症の症状はなかった?
「うーん、あれくらい高齢になると、どこからどこまでが認知症で、どこからどこまでがそうでないか、見分けつかないですよ。私もこの頃、認知症が入ってきて、よう覚えとらんのやわ」
寄付の現場にいたことは認めたが、弘利さんやA医師との特別な関係については否定した。
弘利さんが寄付をした経緯について、A医師にも取材を申し込んだが、秘書を通じて「個人としてのコメントは申しあげられません。問い合わせる件があれば大学側が対応しますので、そちらによろしくお願いします」との回答だった。
金沢医大に対しても広報部企画課に質問状を送付したが、個別の質問には答えず、文書で「本学は、正当な手続きを経て寄付金を受け入れています。現時点では訴状が届いておらず、今後、訴状内容を確認してから対応したいと思います」と回答したのみだった。
金沢医大病院は昭和49年の開院で、病床817床と職員約1900人を擁し、北陸地方では最初に特定機能病院の指定を受けた、地元では最大級の病院だ。
最先端の遺伝子医療で実績をあげており、がん医療の分野でも注目されてきた。なぜこのような騒動が起きてしまったのか。
今回の弘利さんの高額寄付について医療経済ジャーナリストの室井一辰氏は、「金沢医科大学の経営規模から考えても、個人の寄付として3億円の額は通常では考えにくい」と指摘する。
「争点はやはり弘利さんに判断能力があったかどうかですが、大学側はそれを確かめる機会があったはずです。今回の寄付は大学の創立50周年記念募金に寄付する形で行なわれている。寄付はあくまで個人の意思に基づくものですが、大学の理事会も個人の寄付額として妥当かを話し合う場はあったはず」
高齢の親族を持つ人にとっては他人事ではない訴訟。裁判の行方を注視したい。
※週刊ポスト2023年5月26日号

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