五輪汚職で200万円…なぜ森元総理はいつも逮捕されない? 過去のカネがらみの疑惑を検証

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政界を揺るがしたリクルート疑獄、西松建設事件、そして今回の五輪汚職。森喜朗元総理はカネがらみの疑惑で司直の手が自らの身に迫るたび、するりとそれをかわしてきた。「サメの脳」ならぬコンピューターばりの危機察知能力は、どのようにして培われたのか。
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【写真を見る】2千万円超のメルセデス「マイバッハ」と230坪の豪邸 逮捕された高橋容疑者の「上級国民」生活 森喜朗元総理(85)といえば、「サメの脳みそ」。その能力の低さ故に永田町で付けられた蔑称である。よくもこんなひどい呼び名が定着したものだが、我々はそろそろその認識を改めなければならないかもしれない。サメの脳みそ程度の知恵しか持ち合わせていない人物が、なぜ何度も司直の手から逃れられてきたのか。

森喜朗元総理 目下、森元総理の名前が取り沙汰されているのは、東京五輪・パラリンピックを巡る汚職事件である。東京地検特捜部は受託収賄容疑で大会組織委員会元理事の高橋治之容疑者(78)を、贈賄容疑で紳士服大手「AOKIホールディングス」の青木拡憲前会長(83)ら3人を逮捕。その後、広告大手「大広」が家宅捜索され、出版大手「KADOKAWA」関係者が逮捕されるなど、事件は“ヨコ”に広がりつつあると言っていいだろう。その一方、9月1日の産経新聞の1面には、事件の“タテ”への進展を期待させる見出しが躍った。〈「森元会長に200万円」五輪汚職 青木前会長が供述〉スポンサー選定は高橋元理事の思うがまま 高橋容疑者が青木前会長の求めに応じて森元総理を紹介して引き合わせていたことは、その日までに他紙も含めて報じていた。しかし産経の記事によると、二人は単に顔合わせをしただけではなかった。青木前会長は組織委会長だった森元総理に対して、2回に分けて現金200万円を渡していたというのである。果たして捜査の手は「本丸」ともいえる森元総理に伸びるのか――。特捜部が及び腰になる理由 司法記者によると、「現状では、“事件はタテには伸びない”、つまり森元総理に対する本格捜査に着手する可能性は低い、というのが大方の見立てです。産経が書いた200万円は記事にもあった通り、がん治療のお見舞い。その建前を崩し、五輪スポンサー選定と関連付けるのは難しいでしょう」戦後最大の疑獄の主役、江副氏 元東京地検特捜部副部長で弁護士の若狭勝氏も次のように語る。「200万円という金額で森さんのような政治的影響力の大きい人物に対する賄賂と認定されるかというと、これは難しいと言うしかありません。見舞金という名目があったとしても、金額がもっと多額であれば賄賂と評価される可能性も出てくると思います」 特捜部が捜査に及び腰になる理由は他にもあり、「現職の総理や元総理となると、他の一国会議員の贈収賄事件と比べて、法律的な要件の充足が一層厳しく判断されます」 と、若狭氏。「それに先々無罪になるようなことがあれば、検察の横暴、暴走、独善などと批判されることになります。だから政治的に強い立場の人を立件することには一層慎重にならざるを得ないのです」現金1千万円に“ここでは受け取れないから” そうしたことが背景にあるのか、森元総理はこれまで幾度となくカネを巡る疑惑がささやかれてきたにもかかわらず、一度も捜査の網に捉えられたことはない。 その中のいくつかの例を、時系列の新しい順に振り返ってみたい。 昨年3月、森元総理が最高顧問を務める全日本私立幼稚園連合会で4億円を超える巨額使途不明金が見つかった問題をNHKが報道。この件に関して、本誌(「週刊新潮」)はカネについての生々しい証言を紹介している。連合会の系列の全日本私立幼稚園PTA連合会の元役員によると、2000年の森総理誕生時、当時の幼稚園連合会の会長が現金1千万円を渡すため、首相官邸に行ったというのだ。〈会長が“お祝いを持ってきたんだけど”と、森総理に渡そうとした。総理は中身を察したのか、“ここでは受け取れないから”と言い、側近であり、文相経験もある文教族の有力議員のもとへ行くよう指示されました〉 当時の本誌の取材に森元総理の代理人弁護士は金銭の受け取りを否定。この件ではその後、理事長が逮捕されたが、政界ルートを目指し、警察、検察が動いた形跡は全くない。400万円の恩恵を受けていたが… 09年に特捜部が手がけた準大手ゼネコン「西松建設」の違法献金事件では、同社のダミーとされる二つの政治団体から多くの国会議員が寄付を受けたりパーティー券を購入してもらっていたことが発覚。森元総理も総額400万円の恩恵を受けていたが、捜査の手が及ぶことはなかった。「検察は従来、この種のダミーを使った政治献金は見逃してきましたが、小沢一郎議員側については、岩手県のダム工事受注で便宜を図った事実上の謝礼とみて政治団体の会計責任者らを起訴しました。森さんへの献金にはそうした『悪性』の要素がなかったのだと思います」(司法記者) 01年の総理在任中には、朝日新聞の報道により、知人からゴルフ会員権を無償で譲り受けながら贈与税を納めていなかった問題が発覚。与野党から批判の集中砲火を浴びたが、この件で国税当局が触手を伸ばすことはなかった。1億円超の売却益を手にしたが… そんな森元総理の政治家人生における「最大の危機」が、あの「リクルート事件」であったことは一般にはあまり知られていないかもしれない。当時の森氏は官房副長官や文部大臣を歴任し、まさにこれから、という時期。もしあの大疑獄で立件されていたら、その後、首相になることもなかっただろう。 特捜部がリクルート社の創業者である江副浩正元会長を逮捕したのは89年2月。その後、「NTT」「文部省」「労働省」「政界」という4ルートの贈賄罪で起訴された。「政界ルート」で起訴された政治家は、藤波孝生元官房長官と公明党の池田克也元代議士の二人。森元総理は84年12月にリクルートコスモス株(当時は環境開発社名義)の未公開株3千株を譲り受け、後に1億円を超える売却益を出したが、特捜部の捜査の網からはまんまと逃れた。「コスモスの未公開株は何回かに分けてばらまかれており、森さんが譲渡された84年12月の分は、店頭公開直前の86年9月にばらまかれ藤波官房長官らが訴追されたものと比べると、確実に値上がりするとは言いにくかった。また、職務との対価性が明確でないことから検察は食指を動かさなかったのだと思います」(先の司法記者)“策士で油断ならない人” リクルート事件の真っ只中で同社の危機管理を担っていた危機管理コンサルタントの田中辰巳氏は、「当時のリクルートのトップは森さんについて、“策士で油断ならない人”との印象を抱いていました」 と、振り返る。 一連のリクルート関連報道の口火を切ったのは、88年6月18日の朝日新聞の記事。川崎市の助役がリクルートコスモス社の未公開株を譲渡され、1億円の売却益を出したことを報じる記事であった。「リクルートがその朝日新聞記事に悩まされていた時、いきなり産経新聞に森さんのインタビュー記事が掲載されました。そこでは、森さんの他にも複数の自民党代議士が株の譲渡を受けていることが示唆されていました。まだ森さん以外の政治家の名前が全く報じられていない段階で。森さんは産経のご出身ですから、リクルートは疑心暗鬼に陥ってしまいましたね」(同) 森元総理は産経に記事を書かせることによって“ガス抜き”を図ったのではないか。そう疑う声が上がったのは当然だが、実際、報道が過熱していく中、新聞紙面から「森喜朗」の名前は消えていった。未公開株について相談「当時、特捜部がどこまで把握していたかは知りませんが、リクルートは84年に森さんにいち早く未公開株を譲渡しただけではなく、その後の政界への未公開株ばらまきについても森さんに相談していたのです」 と、リクルート社元幹部。「江副さんは教育課程審議会の委員になってから政界に近づいていきました。その際に水先案内人として頼ったのが文教族の森さんです。未公開株についてもその流れで相談することになったわけです」 森元総理と江副氏が知り合ったのは、安倍晋太郎元外相の紹介だったという。「森さんと江副さんはとても親しくしていました」 とは、江副氏の元側近。「『ねあがり会』という森さんの地元の懇親会に江副さんは頻繁に参加していましたし、森さんも江副さんに招かれてゴルフコンペや紅葉ツアーなどによく顔を出していました。しかし、リクルートが新聞で叩かれ始めるととたんに疎遠になったようで、未公開株の件が発覚すると、知らぬ存ぜぬ。逃げ足が速くて薄情な人、という印象です」これまでターゲットにならなかった理由 リクルート事件後、“冷や飯”の時期はあったものの、ほどなくして復権。その後は権力の階段を順調に上がっていった森元総理の「五輪利権問題」を長期にわたって追及してきた山口敏夫元労働相はこう話す。「森は宮澤喜一内閣の時に自民党政調会長を、小渕恵三内閣の時に幹事長をやり、まるで男芸者のようにポストを渡り歩いた。だからこそ検察の捜査の手が伸びにくかった、という事情はあるのだと思います」 先の司法記者が言う。「森さんがこれまで収賄容疑などで立件されなかったのは、単に運が良かっただけではないと思います。検察が政治家を訴追する場合、基本的に、職務に関して請託の立証が必要な受託収賄罪を適用します。森さん、あるいは周辺の知恵者が職務権限や請託について細心の注意を払ってきたからこそ、これまでターゲットにならなかったのかもしれません」「ノミの心臓」からくる慎重さ。それが森元総理の身を救ってきたということか。「週刊新潮」2022年9月15日号 掲載
森喜朗元総理(85)といえば、「サメの脳みそ」。その能力の低さ故に永田町で付けられた蔑称である。よくもこんなひどい呼び名が定着したものだが、我々はそろそろその認識を改めなければならないかもしれない。サメの脳みそ程度の知恵しか持ち合わせていない人物が、なぜ何度も司直の手から逃れられてきたのか。
目下、森元総理の名前が取り沙汰されているのは、東京五輪・パラリンピックを巡る汚職事件である。東京地検特捜部は受託収賄容疑で大会組織委員会元理事の高橋治之容疑者(78)を、贈賄容疑で紳士服大手「AOKIホールディングス」の青木拡憲前会長(83)ら3人を逮捕。その後、広告大手「大広」が家宅捜索され、出版大手「KADOKAWA」関係者が逮捕されるなど、事件は“ヨコ”に広がりつつあると言っていいだろう。その一方、9月1日の産経新聞の1面には、事件の“タテ”への進展を期待させる見出しが躍った。
〈「森元会長に200万円」五輪汚職 青木前会長が供述〉
高橋容疑者が青木前会長の求めに応じて森元総理を紹介して引き合わせていたことは、その日までに他紙も含めて報じていた。しかし産経の記事によると、二人は単に顔合わせをしただけではなかった。青木前会長は組織委会長だった森元総理に対して、2回に分けて現金200万円を渡していたというのである。果たして捜査の手は「本丸」ともいえる森元総理に伸びるのか――。
司法記者によると、
「現状では、“事件はタテには伸びない”、つまり森元総理に対する本格捜査に着手する可能性は低い、というのが大方の見立てです。産経が書いた200万円は記事にもあった通り、がん治療のお見舞い。その建前を崩し、五輪スポンサー選定と関連付けるのは難しいでしょう」
元東京地検特捜部副部長で弁護士の若狭勝氏も次のように語る。
「200万円という金額で森さんのような政治的影響力の大きい人物に対する賄賂と認定されるかというと、これは難しいと言うしかありません。見舞金という名目があったとしても、金額がもっと多額であれば賄賂と評価される可能性も出てくると思います」
特捜部が捜査に及び腰になる理由は他にもあり、
「現職の総理や元総理となると、他の一国会議員の贈収賄事件と比べて、法律的な要件の充足が一層厳しく判断されます」
と、若狭氏。
「それに先々無罪になるようなことがあれば、検察の横暴、暴走、独善などと批判されることになります。だから政治的に強い立場の人を立件することには一層慎重にならざるを得ないのです」
そうしたことが背景にあるのか、森元総理はこれまで幾度となくカネを巡る疑惑がささやかれてきたにもかかわらず、一度も捜査の網に捉えられたことはない。
その中のいくつかの例を、時系列の新しい順に振り返ってみたい。
昨年3月、森元総理が最高顧問を務める全日本私立幼稚園連合会で4億円を超える巨額使途不明金が見つかった問題をNHKが報道。この件に関して、本誌(「週刊新潮」)はカネについての生々しい証言を紹介している。連合会の系列の全日本私立幼稚園PTA連合会の元役員によると、2000年の森総理誕生時、当時の幼稚園連合会の会長が現金1千万円を渡すため、首相官邸に行ったというのだ。
〈会長が“お祝いを持ってきたんだけど”と、森総理に渡そうとした。総理は中身を察したのか、“ここでは受け取れないから”と言い、側近であり、文相経験もある文教族の有力議員のもとへ行くよう指示されました〉
当時の本誌の取材に森元総理の代理人弁護士は金銭の受け取りを否定。この件ではその後、理事長が逮捕されたが、政界ルートを目指し、警察、検察が動いた形跡は全くない。
09年に特捜部が手がけた準大手ゼネコン「西松建設」の違法献金事件では、同社のダミーとされる二つの政治団体から多くの国会議員が寄付を受けたりパーティー券を購入してもらっていたことが発覚。森元総理も総額400万円の恩恵を受けていたが、捜査の手が及ぶことはなかった。
「検察は従来、この種のダミーを使った政治献金は見逃してきましたが、小沢一郎議員側については、岩手県のダム工事受注で便宜を図った事実上の謝礼とみて政治団体の会計責任者らを起訴しました。森さんへの献金にはそうした『悪性』の要素がなかったのだと思います」(司法記者)
01年の総理在任中には、朝日新聞の報道により、知人からゴルフ会員権を無償で譲り受けながら贈与税を納めていなかった問題が発覚。与野党から批判の集中砲火を浴びたが、この件で国税当局が触手を伸ばすことはなかった。
そんな森元総理の政治家人生における「最大の危機」が、あの「リクルート事件」であったことは一般にはあまり知られていないかもしれない。当時の森氏は官房副長官や文部大臣を歴任し、まさにこれから、という時期。もしあの大疑獄で立件されていたら、その後、首相になることもなかっただろう。
特捜部がリクルート社の創業者である江副浩正元会長を逮捕したのは89年2月。その後、「NTT」「文部省」「労働省」「政界」という4ルートの贈賄罪で起訴された。「政界ルート」で起訴された政治家は、藤波孝生元官房長官と公明党の池田克也元代議士の二人。森元総理は84年12月にリクルートコスモス株(当時は環境開発社名義)の未公開株3千株を譲り受け、後に1億円を超える売却益を出したが、特捜部の捜査の網からはまんまと逃れた。
「コスモスの未公開株は何回かに分けてばらまかれており、森さんが譲渡された84年12月の分は、店頭公開直前の86年9月にばらまかれ藤波官房長官らが訴追されたものと比べると、確実に値上がりするとは言いにくかった。また、職務との対価性が明確でないことから検察は食指を動かさなかったのだと思います」(先の司法記者)
リクルート事件の真っ只中で同社の危機管理を担っていた危機管理コンサルタントの田中辰巳氏は、
「当時のリクルートのトップは森さんについて、“策士で油断ならない人”との印象を抱いていました」
と、振り返る。
一連のリクルート関連報道の口火を切ったのは、88年6月18日の朝日新聞の記事。川崎市の助役がリクルートコスモス社の未公開株を譲渡され、1億円の売却益を出したことを報じる記事であった。
「リクルートがその朝日新聞記事に悩まされていた時、いきなり産経新聞に森さんのインタビュー記事が掲載されました。そこでは、森さんの他にも複数の自民党代議士が株の譲渡を受けていることが示唆されていました。まだ森さん以外の政治家の名前が全く報じられていない段階で。森さんは産経のご出身ですから、リクルートは疑心暗鬼に陥ってしまいましたね」(同)
森元総理は産経に記事を書かせることによって“ガス抜き”を図ったのではないか。そう疑う声が上がったのは当然だが、実際、報道が過熱していく中、新聞紙面から「森喜朗」の名前は消えていった。
「当時、特捜部がどこまで把握していたかは知りませんが、リクルートは84年に森さんにいち早く未公開株を譲渡しただけではなく、その後の政界への未公開株ばらまきについても森さんに相談していたのです」
と、リクルート社元幹部。
「江副さんは教育課程審議会の委員になってから政界に近づいていきました。その際に水先案内人として頼ったのが文教族の森さんです。未公開株についてもその流れで相談することになったわけです」
森元総理と江副氏が知り合ったのは、安倍晋太郎元外相の紹介だったという。
「森さんと江副さんはとても親しくしていました」
とは、江副氏の元側近。
「『ねあがり会』という森さんの地元の懇親会に江副さんは頻繁に参加していましたし、森さんも江副さんに招かれてゴルフコンペや紅葉ツアーなどによく顔を出していました。しかし、リクルートが新聞で叩かれ始めるととたんに疎遠になったようで、未公開株の件が発覚すると、知らぬ存ぜぬ。逃げ足が速くて薄情な人、という印象です」
リクルート事件後、“冷や飯”の時期はあったものの、ほどなくして復権。その後は権力の階段を順調に上がっていった森元総理の「五輪利権問題」を長期にわたって追及してきた山口敏夫元労働相はこう話す。
「森は宮澤喜一内閣の時に自民党政調会長を、小渕恵三内閣の時に幹事長をやり、まるで男芸者のようにポストを渡り歩いた。だからこそ検察の捜査の手が伸びにくかった、という事情はあるのだと思います」
先の司法記者が言う。
「森さんがこれまで収賄容疑などで立件されなかったのは、単に運が良かっただけではないと思います。検察が政治家を訴追する場合、基本的に、職務に関して請託の立証が必要な受託収賄罪を適用します。森さん、あるいは周辺の知恵者が職務権限や請託について細心の注意を払ってきたからこそ、これまでターゲットにならなかったのかもしれません」
「ノミの心臓」からくる慎重さ。それが森元総理の身を救ってきたということか。
「週刊新潮」2022年9月15日号 掲載

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