IQ130以上なのに「頭悪いんじゃない?」「能力ないね」なぜ日本は“ギフテッド”の才能を伸ばせないのか?

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

文部科学省は、特定分野に特異な才能を持つ、いわゆる“ギフテッド”の子どもへの支援を来年度から始める。世界を見渡すと、“ギフテッド”の才能を活かし、様々な分野を牽引する人たちが多くいる。しかし日本では、時に“ギフテッド”が足かせになり、むしろ「能力がない」と判断されることもあるという。いったい、なぜなのか?【写真を見る】IQ130以上なのに「頭悪いんじゃない?」「能力ないね」なぜ日本は“ギフテッド”の才能を伸ばせないのか?■ピュアな喜びに、学校中がシーン “ギフテッド”が抱える疎外感“ギフテッド”とは、英語で「天から才能を授かった」という意味で、先天的に特異な才能を持つ人たちのことで、IQ130以上であることが一つの指標となっている。

ベンチャー企業に勤める吉沢拓さん(36)もIQ138の“ギフテッド”で、子どものころから非凡な才能に恵まれていた。譜面は読めなくても、聞いただけでどんな難しい曲でもピアノで弾けた。折り紙を手にすれば、立体的で複雑な造形をぱっと作った。算数オリンピックにも出場した。うらやましい限りの能力にも思えるが、実際はその才能ゆえの苦悩が付きまとったという。吉沢拓さん「周りのペースとかみ合わない感覚がずっとありました。例えば、小学生の時、算数オリンピックに出場して、その経験を朝礼で話してみてといわれました。出た問題にこんな美しい解き方ができるんだよっていうことを、ピュアに喜んで、嬉しかった気持ちを話したんですが、学校の朝礼がシーンっなってしまいました。授業では、先生なんで?、これってこういう考え方もあるんじゃないの?、などいろいろ気になってポンポン手をあげていたのですが、ある時、吉沢くん、ちょっと静かにしてよね、みんな勉強してるから、って先生にいわれました。そんな風に自分が面白いって思ったものが、どうも周りは面白くないらしいと、疎外感みたいなものが積み重なって、大きくなって、学校に行けなくなっていきました」疎外感を感じている“ギフテッド”の子どもは吉沢さんだけではない。文科省が行ったアンケート調査でも、「友達に変わっている子扱いされる」「言葉を簡単にしなければ友達に通じない」「先生の間違いを指摘してもわかってもらえない」など、“ギフテッド”の子どもが学校生活で困難を抱える現状が示されている。いわゆる“普通”にあてはまらない才能ゆえの“居場所のなさ”が共通の課題として浮き彫りになっている。■「自分という存在は悪」「得意なことから嫌いに」“みんなで一緒に”の教育の先に吉沢さんにとって、それは社会に出てからも続いた。3度の転職と休職を経験する。そして、自分の才能を忌み嫌い、自分らしさを隠すようになった。吉沢拓さん「会社の上司や先輩からは、人の気持ちがわからない、頭が悪いとか、そういうことをずっと言われました。例えば、自分としてはこういう考えができる、周りよりも良い考えができるときがあるのに、それを出すと、お前は駄目だって言われる。能力がないやつだと言われる。自分の長所を出せば出すほど短所として、逆のことを言われ続けました。そうすると自分の得意なことからまず嫌いになりますよね。そして、そんな自分という存在を殺さなきゃいけないんだ、自分という存在は悪なんだと感じました。自分を隠さなきゃと、一生懸命ギュウギュウに漬物石の蓋で自分の得意なことを押さえ込むっていうことをやってきました」約1年半前、吉沢さんは自分が“ギフテッド”なのだと知った。自分の特性を客観的に理解し、やっとそのままの自分を受け入れられるようになったという。現在は、“ギフテッド”であることを理解してくれる職場と仲間に出会い、自分の得意なことを仕事に活かしている。振り返って“ギフテッド”の生きづらさの背景には、学校教育から続く「みんなで一緒に」という方針があったと感じている。吉沢拓さん「自分らしさを活かせない原因って、周りと違ってはいけないという感覚で、それが自分らしさ全てを潰してしまうようになると思います。学校で同じ勉強をさせる、というより、周りと違ってもいいんだっていう心の支えの部分を育ててあげるのが、教育で一番やってほしいことだと思ってます」■「落ちこぼれを無くす」「平均点を上げる」 日本型学校教育はどうアップグレードされる?文部科学省は2021年6月に有識者会議を立ち上げ、これまで特異な才能のある子どもたちに十分な学習機会を提供してこなかったのではないかとの反省に基づき、今後の支援の在り方が議論されている。しかし、みんなで一緒に、という方針が変わるわけではないようだ。有識者会議で座長を務める放送大学長の岩永雅也さんに今後の展望について聞いた。ーー今後、“ギフテッド”の子どもたちにどのような学習機会が提供されますか?「大雑把に言いますと、世界各国の才能教育は大きく分けて、二通りの考え方があるんですね。一つは、早習型といってですね早めに能力のある子どもを飛び級させて飛び入学させたりしてどんどん効率的に勉強させてしまって。もう一つは拡充型といって、飛び入学とか飛び級はさせないんだけれども、余力があって能力がある子どもには別枠でいろいろ深い勉強を提供する、というものですね。日本的な学校教育の中では、早習型は非常に弊害が多いと考えられます。ですので、拡充型を目指すべきだというのが共通認識です」ーーベースとなる日本的な学校教育とはどのようなものですか?「日本の教育は国際的にも評価されていて、特に初等中等教育というのは優れています。なぜトップクラスにいられるかというと、平均点が上がるような教育をしているということだと思うんです。日本が高度経済成長期からずっと培ってきた一斉授業で、落ちこぼれを無くすというものですね。みんなで一緒に勉強して、何とか下の子も上に上げようという努力をして、結果点数が良くなってきたんですね」ーー『みんな一緒に』を変えず、“ギフテッド”の子どもたちにどう機会を拡充できるのでしょうか?「日本のこれまでの教育に対して才能教育の方から疑義が出されたのは、下の子を上げていくために、上の子は足踏みしている。退屈をして、そのまま放置されるんだっていう話です。そういう子どもたちにも個別最適な教育を提供しなきゃいけない。それをやるということになると、どうしても一斉授業、みんなで一緒に同じことを学習するっていうことに風穴を開けないといけないだろうという話なんですね。そうは言っても、クラスという一つのまとまりは壊すことができない。協働性を壊さずに、なおかつ個別最適にするにはどうしたらいいか。その一つの解が拡充型、インクルーシブ型で、現在あるものを最大限利用して、教師の研修とか、保護者への理解を求めるというようなことをして、才能とその教育に対する考え方をもっと一般化して、合理化していこうという考えです」■「みんなで一緒に」「周りと違ってもいい」子どもの才能を活かす教育とは文科省の有識者会議が7月に公表した素案には、今後取り組む具体的な施策として以下の5つを示している。 特異な才能のある児童生徒の理解のための周知・研修の促進 多様な学習の場の充実等 特性等を把握する際のサポート 学校外の機関にアクセスできるようにするための情報集約・提供 実証研究を通じた実践事例の蓄積個別最適な学びと、協働的な学びの一体化は、“ギフテッド”に限らない子どもたちの多様性を認め合うことにもつながっている。一方で、飛び級などを活用する早習型と比べてより実現が難しいのではとの指摘もある。“ギフテッド”の子どもの困難が解消され、それぞれが才能を発揮できる環境への一歩となっていくのか。(2022年8月25日放送・配信「SHARE」より)
文部科学省は、特定分野に特異な才能を持つ、いわゆる“ギフテッド”の子どもへの支援を来年度から始める。世界を見渡すと、“ギフテッド”の才能を活かし、様々な分野を牽引する人たちが多くいる。しかし日本では、時に“ギフテッド”が足かせになり、むしろ「能力がない」と判断されることもあるという。いったい、なぜなのか?
【写真を見る】IQ130以上なのに「頭悪いんじゃない?」「能力ないね」なぜ日本は“ギフテッド”の才能を伸ばせないのか?■ピュアな喜びに、学校中がシーン “ギフテッド”が抱える疎外感“ギフテッド”とは、英語で「天から才能を授かった」という意味で、先天的に特異な才能を持つ人たちのことで、IQ130以上であることが一つの指標となっている。

ベンチャー企業に勤める吉沢拓さん(36)もIQ138の“ギフテッド”で、子どものころから非凡な才能に恵まれていた。譜面は読めなくても、聞いただけでどんな難しい曲でもピアノで弾けた。折り紙を手にすれば、立体的で複雑な造形をぱっと作った。算数オリンピックにも出場した。うらやましい限りの能力にも思えるが、実際はその才能ゆえの苦悩が付きまとったという。吉沢拓さん「周りのペースとかみ合わない感覚がずっとありました。例えば、小学生の時、算数オリンピックに出場して、その経験を朝礼で話してみてといわれました。出た問題にこんな美しい解き方ができるんだよっていうことを、ピュアに喜んで、嬉しかった気持ちを話したんですが、学校の朝礼がシーンっなってしまいました。授業では、先生なんで?、これってこういう考え方もあるんじゃないの?、などいろいろ気になってポンポン手をあげていたのですが、ある時、吉沢くん、ちょっと静かにしてよね、みんな勉強してるから、って先生にいわれました。そんな風に自分が面白いって思ったものが、どうも周りは面白くないらしいと、疎外感みたいなものが積み重なって、大きくなって、学校に行けなくなっていきました」疎外感を感じている“ギフテッド”の子どもは吉沢さんだけではない。文科省が行ったアンケート調査でも、「友達に変わっている子扱いされる」「言葉を簡単にしなければ友達に通じない」「先生の間違いを指摘してもわかってもらえない」など、“ギフテッド”の子どもが学校生活で困難を抱える現状が示されている。いわゆる“普通”にあてはまらない才能ゆえの“居場所のなさ”が共通の課題として浮き彫りになっている。■「自分という存在は悪」「得意なことから嫌いに」“みんなで一緒に”の教育の先に吉沢さんにとって、それは社会に出てからも続いた。3度の転職と休職を経験する。そして、自分の才能を忌み嫌い、自分らしさを隠すようになった。吉沢拓さん「会社の上司や先輩からは、人の気持ちがわからない、頭が悪いとか、そういうことをずっと言われました。例えば、自分としてはこういう考えができる、周りよりも良い考えができるときがあるのに、それを出すと、お前は駄目だって言われる。能力がないやつだと言われる。自分の長所を出せば出すほど短所として、逆のことを言われ続けました。そうすると自分の得意なことからまず嫌いになりますよね。そして、そんな自分という存在を殺さなきゃいけないんだ、自分という存在は悪なんだと感じました。自分を隠さなきゃと、一生懸命ギュウギュウに漬物石の蓋で自分の得意なことを押さえ込むっていうことをやってきました」約1年半前、吉沢さんは自分が“ギフテッド”なのだと知った。自分の特性を客観的に理解し、やっとそのままの自分を受け入れられるようになったという。現在は、“ギフテッド”であることを理解してくれる職場と仲間に出会い、自分の得意なことを仕事に活かしている。振り返って“ギフテッド”の生きづらさの背景には、学校教育から続く「みんなで一緒に」という方針があったと感じている。吉沢拓さん「自分らしさを活かせない原因って、周りと違ってはいけないという感覚で、それが自分らしさ全てを潰してしまうようになると思います。学校で同じ勉強をさせる、というより、周りと違ってもいいんだっていう心の支えの部分を育ててあげるのが、教育で一番やってほしいことだと思ってます」■「落ちこぼれを無くす」「平均点を上げる」 日本型学校教育はどうアップグレードされる?文部科学省は2021年6月に有識者会議を立ち上げ、これまで特異な才能のある子どもたちに十分な学習機会を提供してこなかったのではないかとの反省に基づき、今後の支援の在り方が議論されている。しかし、みんなで一緒に、という方針が変わるわけではないようだ。有識者会議で座長を務める放送大学長の岩永雅也さんに今後の展望について聞いた。ーー今後、“ギフテッド”の子どもたちにどのような学習機会が提供されますか?「大雑把に言いますと、世界各国の才能教育は大きく分けて、二通りの考え方があるんですね。一つは、早習型といってですね早めに能力のある子どもを飛び級させて飛び入学させたりしてどんどん効率的に勉強させてしまって。もう一つは拡充型といって、飛び入学とか飛び級はさせないんだけれども、余力があって能力がある子どもには別枠でいろいろ深い勉強を提供する、というものですね。日本的な学校教育の中では、早習型は非常に弊害が多いと考えられます。ですので、拡充型を目指すべきだというのが共通認識です」ーーベースとなる日本的な学校教育とはどのようなものですか?「日本の教育は国際的にも評価されていて、特に初等中等教育というのは優れています。なぜトップクラスにいられるかというと、平均点が上がるような教育をしているということだと思うんです。日本が高度経済成長期からずっと培ってきた一斉授業で、落ちこぼれを無くすというものですね。みんなで一緒に勉強して、何とか下の子も上に上げようという努力をして、結果点数が良くなってきたんですね」ーー『みんな一緒に』を変えず、“ギフテッド”の子どもたちにどう機会を拡充できるのでしょうか?「日本のこれまでの教育に対して才能教育の方から疑義が出されたのは、下の子を上げていくために、上の子は足踏みしている。退屈をして、そのまま放置されるんだっていう話です。そういう子どもたちにも個別最適な教育を提供しなきゃいけない。それをやるということになると、どうしても一斉授業、みんなで一緒に同じことを学習するっていうことに風穴を開けないといけないだろうという話なんですね。そうは言っても、クラスという一つのまとまりは壊すことができない。協働性を壊さずに、なおかつ個別最適にするにはどうしたらいいか。その一つの解が拡充型、インクルーシブ型で、現在あるものを最大限利用して、教師の研修とか、保護者への理解を求めるというようなことをして、才能とその教育に対する考え方をもっと一般化して、合理化していこうという考えです」■「みんなで一緒に」「周りと違ってもいい」子どもの才能を活かす教育とは文科省の有識者会議が7月に公表した素案には、今後取り組む具体的な施策として以下の5つを示している。 特異な才能のある児童生徒の理解のための周知・研修の促進 多様な学習の場の充実等 特性等を把握する際のサポート 学校外の機関にアクセスできるようにするための情報集約・提供 実証研究を通じた実践事例の蓄積個別最適な学びと、協働的な学びの一体化は、“ギフテッド”に限らない子どもたちの多様性を認め合うことにもつながっている。一方で、飛び級などを活用する早習型と比べてより実現が難しいのではとの指摘もある。“ギフテッド”の子どもの困難が解消され、それぞれが才能を発揮できる環境への一歩となっていくのか。(2022年8月25日放送・配信「SHARE」より)
“ギフテッド”とは、英語で「天から才能を授かった」という意味で、先天的に特異な才能を持つ人たちのことで、IQ130以上であることが一つの指標となっている。
ベンチャー企業に勤める吉沢拓さん(36)もIQ138の“ギフテッド”で、子どものころから非凡な才能に恵まれていた。譜面は読めなくても、聞いただけでどんな難しい曲でもピアノで弾けた。折り紙を手にすれば、立体的で複雑な造形をぱっと作った。算数オリンピックにも出場した。うらやましい限りの能力にも思えるが、実際はその才能ゆえの苦悩が付きまとったという。
吉沢拓さん「周りのペースとかみ合わない感覚がずっとありました。例えば、小学生の時、算数オリンピックに出場して、その経験を朝礼で話してみてといわれました。出た問題にこんな美しい解き方ができるんだよっていうことを、ピュアに喜んで、嬉しかった気持ちを話したんですが、学校の朝礼がシーンっなってしまいました。
授業では、先生なんで?、これってこういう考え方もあるんじゃないの?、などいろいろ気になってポンポン手をあげていたのですが、ある時、吉沢くん、ちょっと静かにしてよね、みんな勉強してるから、って先生にいわれました。
そんな風に自分が面白いって思ったものが、どうも周りは面白くないらしいと、疎外感みたいなものが積み重なって、大きくなって、学校に行けなくなっていきました」
疎外感を感じている“ギフテッド”の子どもは吉沢さんだけではない。文科省が行ったアンケート調査でも、「友達に変わっている子扱いされる」「言葉を簡単にしなければ友達に通じない」「先生の間違いを指摘してもわかってもらえない」など、“ギフテッド”の子どもが学校生活で困難を抱える現状が示されている。いわゆる“普通”にあてはまらない才能ゆえの“居場所のなさ”が共通の課題として浮き彫りになっている。
吉沢さんにとって、それは社会に出てからも続いた。3度の転職と休職を経験する。そして、自分の才能を忌み嫌い、自分らしさを隠すようになった。
吉沢拓さん「会社の上司や先輩からは、人の気持ちがわからない、頭が悪いとか、そういうことをずっと言われました。例えば、自分としてはこういう考えができる、周りよりも良い考えができるときがあるのに、それを出すと、お前は駄目だって言われる。能力がないやつだと言われる。自分の長所を出せば出すほど短所として、逆のことを言われ続けました。
そうすると自分の得意なことからまず嫌いになりますよね。そして、そんな自分という存在を殺さなきゃいけないんだ、自分という存在は悪なんだと感じました。自分を隠さなきゃと、一生懸命ギュウギュウに漬物石の蓋で自分の得意なことを押さえ込むっていうことをやってきました」
約1年半前、吉沢さんは自分が“ギフテッド”なのだと知った。自分の特性を客観的に理解し、やっとそのままの自分を受け入れられるようになったという。現在は、“ギフテッド”であることを理解してくれる職場と仲間に出会い、自分の得意なことを仕事に活かしている。振り返って“ギフテッド”の生きづらさの背景には、学校教育から続く「みんなで一緒に」という方針があったと感じている。
吉沢拓さん「自分らしさを活かせない原因って、周りと違ってはいけないという感覚で、それが自分らしさ全てを潰してしまうようになると思います。学校で同じ勉強をさせる、というより、周りと違ってもいいんだっていう心の支えの部分を育ててあげるのが、教育で一番やってほしいことだと思ってます」
文部科学省は2021年6月に有識者会議を立ち上げ、これまで特異な才能のある子どもたちに十分な学習機会を提供してこなかったのではないかとの反省に基づき、今後の支援の在り方が議論されている。しかし、みんなで一緒に、という方針が変わるわけではないようだ。有識者会議で座長を務める放送大学長の岩永雅也さんに今後の展望について聞いた。
ーー今後、“ギフテッド”の子どもたちにどのような学習機会が提供されますか?
「大雑把に言いますと、世界各国の才能教育は大きく分けて、二通りの考え方があるんですね。一つは、早習型といってですね早めに能力のある子どもを飛び級させて飛び入学させたりしてどんどん効率的に勉強させてしまって。もう一つは拡充型といって、飛び入学とか飛び級はさせないんだけれども、余力があって能力がある子どもには別枠でいろいろ深い勉強を提供する、というものですね。
日本的な学校教育の中では、早習型は非常に弊害が多いと考えられます。ですので、拡充型を目指すべきだというのが共通認識です」
ーーベースとなる日本的な学校教育とはどのようなものですか?
「日本の教育は国際的にも評価されていて、特に初等中等教育というのは優れています。なぜトップクラスにいられるかというと、平均点が上がるような教育をしているということだと思うんです。
日本が高度経済成長期からずっと培ってきた一斉授業で、落ちこぼれを無くすというものですね。みんなで一緒に勉強して、何とか下の子も上に上げようという努力をして、結果点数が良くなってきたんですね」
ーー『みんな一緒に』を変えず、“ギフテッド”の子どもたちにどう機会を拡充できるのでしょうか?
「日本のこれまでの教育に対して才能教育の方から疑義が出されたのは、下の子を上げていくために、上の子は足踏みしている。退屈をして、そのまま放置されるんだっていう話です。
そういう子どもたちにも個別最適な教育を提供しなきゃいけない。それをやるということになると、どうしても一斉授業、みんなで一緒に同じことを学習するっていうことに風穴を開けないといけないだろうという話なんですね。そうは言っても、クラスという一つのまとまりは壊すことができない。
協働性を壊さずに、なおかつ個別最適にするにはどうしたらいいか。その一つの解が拡充型、インクルーシブ型で、現在あるものを最大限利用して、教師の研修とか、保護者への理解を求めるというようなことをして、才能とその教育に対する考え方をもっと一般化して、合理化していこうという考えです」
文科省の有識者会議が7月に公表した素案には、今後取り組む具体的な施策として以下の5つを示している。
特異な才能のある児童生徒の理解のための周知・研修の促進 多様な学習の場の充実等 特性等を把握する際のサポート 学校外の機関にアクセスできるようにするための情報集約・提供 実証研究を通じた実践事例の蓄積
個別最適な学びと、協働的な学びの一体化は、“ギフテッド”に限らない子どもたちの多様性を認め合うことにもつながっている。一方で、飛び級などを活用する早習型と比べてより実現が難しいのではとの指摘もある。“ギフテッド”の子どもの困難が解消され、それぞれが才能を発揮できる環境への一歩となっていくのか。

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

SNSでもご購読できます。