なぜ「温泉マーク」は禁止になったのか?連れ込み旅館やラブホテルを意味する隠語「さかさクラゲ」、昭和30年代に旅館に使用NGに

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

消化器外科医・温泉療法専門医であり、海外も含め200カ所以上の温泉を巡ってきた著者が勧める、温泉の世界。安心して、どっぷりと浸かってみてください。※本記事は『秘湯マニアの温泉療法専門医が教える 心と体に効く温泉』(佐々木政一、中央新書ラクレ)の解説を再構成しています。
【写真】「日本最古の温泉記号」の碑と写真を撮る著者* * * * * * *前回はこちら意外と知らない温泉マークのヒミツこの連載の看板にもついている湯気のマークって何?と聞かれたら、おそらく日本人なら100%近くが「温泉」と答えるだろう。しかし、マークの意味するところや変遷については意外と知られていない。

温泉マーク(記号)とは、地図(地形図)において温泉の位置を示す記号で、またそれが拡大されて公衆浴場を示す記号にも用いられるようになった。日本で地図の記号として最初に現れるのは、陸軍参謀本部陸地測量部(現在の国土地理院)が仮製図式に採用した明治17年のことである(図下)。日本で最初に地図に採用された温泉マーク(明治17年)それ以後、温泉の他、公衆浴場や旅館、赤線などの施設を示す記号として幅広く使用された。またクラゲを上下逆さにしたような形であることから、隠語として「さかさクラゲ」とも呼ばれ、連れ込み旅館やラブホテルを意味するようにもなった。今でも辞典で調べると、その記載がある。しかし、昭和30年代に入り旅館に温泉マークを使用することが禁止され、昭和51年に日本温泉協会が天然温泉を使用している旅館を明示したいという理由で、温泉マークを改めてデザインし直し、現在も使われている天然温泉表示マークになった(図下)。地図では従来の温泉マークの使用は変わっていない。昭和51年に日本温泉協会が作った天然温泉表示マーク温泉マークの由来(1)磯部温泉発祥説 万治4年(1661)に江戸幕府から出された、上野国(こうずけのくに)(現群馬県) 碓氷(うすい)郡の農民の土地争いに決着を付けるための評決文「上野国碓氷郡上磯部村と中野谷村就野論裁断之覚(やろんについてさいだんのおばえ)」の添付図に磯部温泉を表す2個の温泉マークらしき記号が記されている。専門家による鑑定の結果、これが日本最古の温泉マークであることがわかり、磯部温泉のある群馬県安中市が磯部公園にそのマークとともに「日本最古の温泉記号」の碑を建立した。(2)油屋熊八発明説 愛媛県出身の実業家・油屋熊八(あぶらやくまはち)が、別府温泉であまりきれいに写っていなかった人の手形が温泉から湯気が立ち上がっている姿に見えたので、これをヒントに温泉マークを考え付いたという説がある。熊八が別府に定住したのは明治44年のことで、地図に温泉マークが正式に採用されたのは明治24年であり、この説は成り立たない。(3)ドイツ起源説 考案者は不明だが19世紀にドイツでできた地図に描かれたのが始まりで、測量を学んだ日本人技師がドイツから持ち帰り、これを参考に作ったという説。日本で陸軍参謀本部が地図に採用したのは明治17年のことである。『秘湯マニアの温泉療法専門医が教える-心と体に効く温泉』(著:佐々木政一/中央公論新社)※本稿は、『秘湯マニアの温泉療法専門医が教える 心と体に効く温泉』(中央新書ラクレ)の一部を再編集したものです。
* * * * * * *
前回はこちら
この連載の看板にもついている湯気のマークって何?と聞かれたら、おそらく日本人なら100%近くが「温泉」と答えるだろう。しかし、マークの意味するところや変遷については意外と知られていない。
温泉マーク(記号)とは、地図(地形図)において温泉の位置を示す記号で、またそれが拡大されて公衆浴場を示す記号にも用いられるようになった。
日本で地図の記号として最初に現れるのは、陸軍参謀本部陸地測量部(現在の国土地理院)が仮製図式に採用した明治17年のことである(図下)。
日本で最初に地図に採用された温泉マーク(明治17年)
それ以後、温泉の他、公衆浴場や旅館、赤線などの施設を示す記号として幅広く使用された。またクラゲを上下逆さにしたような形であることから、隠語として「さかさクラゲ」とも呼ばれ、連れ込み旅館やラブホテルを意味するようにもなった。今でも辞典で調べると、その記載がある。しかし、昭和30年代に入り旅館に温泉マークを使用することが禁止され、昭和51年に日本温泉協会が天然温泉を使用している旅館を明示したいという理由で、温泉マークを改めてデザインし直し、現在も使われている天然温泉表示マークになった(図下)。地図では従来の温泉マークの使用は変わっていない。
昭和51年に日本温泉協会が作った天然温泉表示マーク
(1)磯部温泉発祥説 万治4年(1661)に江戸幕府から出された、上野国(こうずけのくに)(現群馬県) 碓氷(うすい)郡の農民の土地争いに決着を付けるための評決文「上野国碓氷郡上磯部村と中野谷村就野論裁断之覚(やろんについてさいだんのおばえ)」の添付図に磯部温泉を表す2個の温泉マークらしき記号が記されている。専門家による鑑定の結果、これが日本最古の温泉マークであることがわかり、磯部温泉のある群馬県安中市が磯部公園にそのマークとともに「日本最古の温泉記号」の碑を建立した。
(2)油屋熊八発明説 愛媛県出身の実業家・油屋熊八(あぶらやくまはち)が、別府温泉であまりきれいに写っていなかった人の手形が温泉から湯気が立ち上がっている姿に見えたので、これをヒントに温泉マークを考え付いたという説がある。熊八が別府に定住したのは明治44年のことで、地図に温泉マークが正式に採用されたのは明治24年であり、この説は成り立たない。
(3)ドイツ起源説 考案者は不明だが19世紀にドイツでできた地図に描かれたのが始まりで、測量を学んだ日本人技師がドイツから持ち帰り、これを参考に作ったという説。日本で陸軍参謀本部が地図に採用したのは明治17年のことである。
『秘湯マニアの温泉療法専門医が教える-心と体に効く温泉』(著:佐々木政一/中央公論新社)
※本稿は、『秘湯マニアの温泉療法専門医が教える 心と体に効く温泉』(中央新書ラクレ)の一部を再編集したものです。

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

SNSでもご購読できます。