牛65頭殺傷の最凶ヒグマ「OSO18」 動物愛護団体らからの抗議でハンターが動けない不条理

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コードネーム「OSO(オソ)18」、別の名を「忍者グマ」と呼ばれる最凶ヒグマをご存じか。3年前に北海道で発見されて以降、65頭もの乳牛を殺傷しているシリアルキラーだ。神出鬼没で酪農などへの被害も深刻。なんとか退治しようと闘う地元民の前に立ちはだかるのは、意外にも同じ“人間”たちだった。北の大地で今、何が起きているのか。その実態に迫る現地ルポである。
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【写真を見る】「OSO18」とされるヒグマ 巨体を思わせる足跡に注目「この目でOSOを一番最初に見ました。クマは自分より高いところにいる動物を強いと認識するらしく、自分とクマの位置が逆だったら、ほぼ間違いなく死んでいたと思います」

奇しくもクマを見下ろす格好だったゆえ、九死に一生を得たと振り返るのは、北海道標茶(しべちゃ)町の酪農家・高橋雄大さん(35)。2019年7月に、彼が最凶ヒグマと遭遇して以降、確実にOSOと断定できる個体を目撃した住民はおらず、貴重な第一発見者の証言なのである。カメラに映った巨大ヒグマ「あんなにグチャグチャにされたのを見るのは…」「あの日は午後3時半頃、放牧していた牛が1頭少ないことに気付き、薄暗い山の中を探していたんです。その途中、うっかり足を滑らせてしまい“ワーッ”と大きな声を出したところ、下の沢の方でガサガサーって音がして……。なんだと振り向いたら、探していた牛が横たわっており、OSOが食べきれない分を埋めようと穴を掘っていた。私の姿を見て逃げていきましたが、こちらは意外にも冷静で、牛は生きているかと確認しようとしたんです」 ところが、クマが去ってから、高橋さんの背筋は恐怖で凍りつくことになる。「牛の内臓から何からお腹まわりまで全部、食いちぎられて息絶えていました。クマが動物を襲う時は首を狙ってかみ殺しますが、最終的には乳房とかお腹まわりの柔らかいところを食べていた。仕事柄、死んだ牛は何百頭と見てきたので怖いと思ったことはありませんが、あんなにグチャグチャにされたのを見るのは初めてで……」(同)「白骨化した牛が何頭も」 高橋さんの住む標茶町は、北海道東部にある釧路湿原を抱え、人口7千人を数える住民よりも乳牛の方が多い酪農業が盛んな土地。「OSO18」は、高橋さんが最初に目撃した町内「オソツベツ」という地名と、前足の幅が「18センチ」だったことから名づけられた。この雄のヒグマが特異なのは、これまで滅多に狙われなかった乳牛を獲物にしていることだという。「体長は大人が両手を広げたくらいのサイズで、3メートルほどはあったと思います。実は自分が目撃するより何週間か前、OSOはここから車で10分ほど離れた久著呂(くちょろ)という町の共同牧場で最初に牛を襲って味をしめ、移動してきたようです。そちらでも白骨化した牛が何頭も見つかっていますので」(同) この共同牧場で放牧し、最初に被害に遭ったという酪農家の男性(71)にも話を聞いた。「一気に6頭やられてしまったんですが、ウチの場合は鹿が入らないように牧草地の周りをぐるっとフェンスで囲っていた。だけどクマは下から潜ったりよじ登ったりと自由自在。工事現場などで夜間に発光するLEDライトをつけて、クマが出るところに等間隔でズラーッと並べても効果なし。そこをよじ登って出入りしてくるし、檻を仕掛けても入らない。何をやっても打つ手がありません」動物愛護、自然保護の団体から抗議が 地元のハンターたちの集まりである北海道猟友会標茶支部の本多耕平・副支部長(76)に聞くと、「恐ろしくOSOは頭が良くて、日中はまず姿を見せません。なるべく痕跡を残さないよう河原ではなく川の中を歩いたり、舗装道路に足跡をつけないように橋の下を迂回(うかい)したりして、ハンターの我々にとっても難敵。それらしきクマが無人カメラに映るのも夜中の22時から午前2時くらいまでの真夜中なんですが、法律で日没から日の出までハンターは銃を撃てない決まりになっています。銃器で倒すのは本当に厳しい」 追い打ちをかけるように熊撃ちのプロたちを悩ますのが、主に北海道外の人たちによる“抗議の嵐”だ。 猟友会同支部の後藤勲・支部長(78)が明かすには、「地元の人たちは“襲われる前に鉄砲で撃って下さい”と言うけど、本州の動物愛護や自然保護の団体が“かわいそう”“殺すな”“動物虐待だ”と抗議してきて、ハンターたちは板挟みです。国や道など行政も、檻を設置してOSOを獲ってくださいとは言うけど、それ以外のクマを捕獲したら、できるだけ山に放してくれと。保護団体に配慮し、バカげた話がまかり通っているんです」 猟友会厚岸支部事務局の根布谷昌男さん(69)が言う。「OSOは罠の横を通ってもエサに見向きもしない。ふた昔くらい前は希少動物だからと罠にかかっても悪さしなけりゃ山の中に放したりしたので、学習してしまったのかもしれない」「ここに住んでみるかい」 先の本多副支部長も、「愛護団体の抗議は本当に多くて、標茶の役場の電話が鳴りやまないそうなんです。我々ハンターだって、むやみやたらにクマを見つけたら撃つ、なんでも殺せばいいと考えているわけではなく、人命にかかわることなので、しっかり頭数を管理しないといけないと思っているのです。クマの頭数が増えて、今のようにそこら中にいる状況になったのは、かつて道内でも保護の動きがあって、三十数年前に『春クマ駆除』が禁止されて以降のことですから」 再び後藤支部長に聞くと、「これだけの被害があって大騒ぎしているのに、まだ捕ったらダメだというなら、苦しんでいる農家のことを考えてもらわないといけない。このまま放置したらどうなる。じゃあ、抗議する人らはここに住んでみるかいと。農家の被害を補償してくれるのかと言いたいです」数千万円の損害が いったい地元の被害はいかほどなのか。そこで標茶町役場農林課に尋ねると、「21年までの農家さんの被害ですが、牛の死亡や治療などにかかる費用から算出した額は約1900万円。牛を放牧中、被害があったため中止した場合に発生した牛の飼料購入費については約2千万円(想定額)となります。その他にも損害が発生しているかもしれませんが、町で算出しているのは以上です」 最後に、冒頭で話した第一発見者の高橋さんは、「本当は自然の中で育てるのが一番なのに、襲われた当日から仕方なく放牧はやめています。ずっと牛舎に閉じ込めっぱなしなんですが、そうなると足腰が弱くなって、乳牛として長く使えない。収入が何百万円も違ってくるので、本当に大変です……」 それでもクマの命の方が大事だと声高に叫ぶ人々は、是非とも標茶の町へ足を運ぶことをお勧めしたい。「週刊新潮」2022年9月8日号 掲載
「この目でOSOを一番最初に見ました。クマは自分より高いところにいる動物を強いと認識するらしく、自分とクマの位置が逆だったら、ほぼ間違いなく死んでいたと思います」
奇しくもクマを見下ろす格好だったゆえ、九死に一生を得たと振り返るのは、北海道標茶(しべちゃ)町の酪農家・高橋雄大さん(35)。2019年7月に、彼が最凶ヒグマと遭遇して以降、確実にOSOと断定できる個体を目撃した住民はおらず、貴重な第一発見者の証言なのである。
「あの日は午後3時半頃、放牧していた牛が1頭少ないことに気付き、薄暗い山の中を探していたんです。その途中、うっかり足を滑らせてしまい“ワーッ”と大きな声を出したところ、下の沢の方でガサガサーって音がして……。なんだと振り向いたら、探していた牛が横たわっており、OSOが食べきれない分を埋めようと穴を掘っていた。私の姿を見て逃げていきましたが、こちらは意外にも冷静で、牛は生きているかと確認しようとしたんです」
ところが、クマが去ってから、高橋さんの背筋は恐怖で凍りつくことになる。
「牛の内臓から何からお腹まわりまで全部、食いちぎられて息絶えていました。クマが動物を襲う時は首を狙ってかみ殺しますが、最終的には乳房とかお腹まわりの柔らかいところを食べていた。仕事柄、死んだ牛は何百頭と見てきたので怖いと思ったことはありませんが、あんなにグチャグチャにされたのを見るのは初めてで……」(同)
高橋さんの住む標茶町は、北海道東部にある釧路湿原を抱え、人口7千人を数える住民よりも乳牛の方が多い酪農業が盛んな土地。「OSO18」は、高橋さんが最初に目撃した町内「オソツベツ」という地名と、前足の幅が「18センチ」だったことから名づけられた。この雄のヒグマが特異なのは、これまで滅多に狙われなかった乳牛を獲物にしていることだという。
「体長は大人が両手を広げたくらいのサイズで、3メートルほどはあったと思います。実は自分が目撃するより何週間か前、OSOはここから車で10分ほど離れた久著呂(くちょろ)という町の共同牧場で最初に牛を襲って味をしめ、移動してきたようです。そちらでも白骨化した牛が何頭も見つかっていますので」(同)
この共同牧場で放牧し、最初に被害に遭ったという酪農家の男性(71)にも話を聞いた。
「一気に6頭やられてしまったんですが、ウチの場合は鹿が入らないように牧草地の周りをぐるっとフェンスで囲っていた。だけどクマは下から潜ったりよじ登ったりと自由自在。工事現場などで夜間に発光するLEDライトをつけて、クマが出るところに等間隔でズラーッと並べても効果なし。そこをよじ登って出入りしてくるし、檻を仕掛けても入らない。何をやっても打つ手がありません」
地元のハンターたちの集まりである北海道猟友会標茶支部の本多耕平・副支部長(76)に聞くと、
「恐ろしくOSOは頭が良くて、日中はまず姿を見せません。なるべく痕跡を残さないよう河原ではなく川の中を歩いたり、舗装道路に足跡をつけないように橋の下を迂回(うかい)したりして、ハンターの我々にとっても難敵。それらしきクマが無人カメラに映るのも夜中の22時から午前2時くらいまでの真夜中なんですが、法律で日没から日の出までハンターは銃を撃てない決まりになっています。銃器で倒すのは本当に厳しい」
追い打ちをかけるように熊撃ちのプロたちを悩ますのが、主に北海道外の人たちによる“抗議の嵐”だ。
猟友会同支部の後藤勲・支部長(78)が明かすには、
「地元の人たちは“襲われる前に鉄砲で撃って下さい”と言うけど、本州の動物愛護や自然保護の団体が“かわいそう”“殺すな”“動物虐待だ”と抗議してきて、ハンターたちは板挟みです。国や道など行政も、檻を設置してOSOを獲ってくださいとは言うけど、それ以外のクマを捕獲したら、できるだけ山に放してくれと。保護団体に配慮し、バカげた話がまかり通っているんです」
猟友会厚岸支部事務局の根布谷昌男さん(69)が言う。
「OSOは罠の横を通ってもエサに見向きもしない。ふた昔くらい前は希少動物だからと罠にかかっても悪さしなけりゃ山の中に放したりしたので、学習してしまったのかもしれない」
先の本多副支部長も、
「愛護団体の抗議は本当に多くて、標茶の役場の電話が鳴りやまないそうなんです。我々ハンターだって、むやみやたらにクマを見つけたら撃つ、なんでも殺せばいいと考えているわけではなく、人命にかかわることなので、しっかり頭数を管理しないといけないと思っているのです。クマの頭数が増えて、今のようにそこら中にいる状況になったのは、かつて道内でも保護の動きがあって、三十数年前に『春クマ駆除』が禁止されて以降のことですから」
再び後藤支部長に聞くと、
「これだけの被害があって大騒ぎしているのに、まだ捕ったらダメだというなら、苦しんでいる農家のことを考えてもらわないといけない。このまま放置したらどうなる。じゃあ、抗議する人らはここに住んでみるかいと。農家の被害を補償してくれるのかと言いたいです」
いったい地元の被害はいかほどなのか。そこで標茶町役場農林課に尋ねると、
「21年までの農家さんの被害ですが、牛の死亡や治療などにかかる費用から算出した額は約1900万円。牛を放牧中、被害があったため中止した場合に発生した牛の飼料購入費については約2千万円(想定額)となります。その他にも損害が発生しているかもしれませんが、町で算出しているのは以上です」
最後に、冒頭で話した第一発見者の高橋さんは、
「本当は自然の中で育てるのが一番なのに、襲われた当日から仕方なく放牧はやめています。ずっと牛舎に閉じ込めっぱなしなんですが、そうなると足腰が弱くなって、乳牛として長く使えない。収入が何百万円も違ってくるので、本当に大変です……」
それでもクマの命の方が大事だと声高に叫ぶ人々は、是非とも標茶の町へ足を運ぶことをお勧めしたい。
「週刊新潮」2022年9月8日号 掲載

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