「辞めろ」「辞めない」の応酬で泥沼に…高市早苗の「放送法文書」騒動で、見落とされている“問題の本質”

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その「議題」自体はとても重要なのに登場人物のおかげで吹き飛んでしまうことがある。
【画像】あざやかなパープルのジャケットで国会へ…高市早苗氏の「議員ファッション」を見る 放送法の「政治的公平」の解釈変更をめぐる総務省の行政文書の件がそれだ。当時、総務相だった高市早苗氏の参院予算委員会での答弁ぶりには自民党からでさえ冷たい視線が注がれたという。参院自民党幹事長・世耕弘成氏は「彼女には愛想が尽きた。私はかばってきたんですが…」と述べた(四国新聞4月2日、田崎史郎氏のコラム)。

高市早苗 JMPA 田崎史郎氏は高市氏の主張がもし正しいとしても《高市がここまで頑迷になると、首相になった時どうなるか、不安に駆られる》と書いている。あの田崎氏に「不安」と言われているのだ。立憲・小西議員のツイートにも問題が 一方で文書を公開して追及していた立憲民主党の小西洋之参院議員は、憲法審査会を巡る自身の発言を報じたNHKとフジテレビについて、「(総務省)元放送政策課課長補佐に喧嘩を売るとはいい度胸だ」とツイッターに投稿した。小西氏は今まで「政治家と放送法」の何を問うてきたのだろう。 高市氏も小西氏も今回は自分に仕掛けられた情報戦と思っているのかもしれないが、政治家で大事なのはその後の振る舞いでもある。両者はどちらも酷い対応で(それが情報戦だとしても)まんまと事態を大きくし、大事な議題が吹き飛んでしまった。本当に議論すべきポイントは 今回本当に議論されるべき部分はどこか。高市氏の「過去の答弁」だけでも検証のし甲斐があるはずだ。高市総務相は2015年と2016年に次のことを公の場(国会)で言っていた。〈「政治的公平について一つの番組だけを見て判断する場合があると答弁」(2015年5月12日)「政治的公平を欠く放送を繰り返せば電波停止を命じる可能性に言及」(2016年2月8日)〉 すると「電波停止」発言から4日後の2月12日、政府は「政治的公平の解釈について」という政府統一見解を公表した。これは大きな出来事だ。では当時はどう報じられていたのか。各紙の「新聞縮刷版2016年2月分」で調べてみた。〈『「政治的公平」政府が見解 電波停止発言「番組全体を見て判断」』(読売新聞2016年2月13日)『「番組見て全体を判断」電波停止発言 公平性統一見解』(朝日新聞2016年2月13日)〉高市氏の国会答弁からの「強烈な流れ」 それまでは政治的公平に関して「一つの番組ではなく、放送局の番組全体を見て判断する」としていたが、新しい政府見解では「一つの番組を見て全体を判断することは当然」と高市答弁を踏襲している。この流れは強烈だ。 つまり今回の行政文書の大事な論点は、高市氏について「辞めろ辞めない」の応酬ではなく、《本質は、放送法を巡る政府解釈が、16年の高市総務相の国会答弁によって実質的に変更されたことの経緯が明らかになったことだ。》(信濃毎日新聞3月23日、ジャーナリスト金平茂紀氏のコラム) 言ってみれば官邸で暴れていたモグラの正体が見えたわけで、それが礒崎陽輔首相補佐官(当時)だった。礒崎氏は、第2次安倍内閣で首相補佐官を務め、放送法が定める政治的公平性の解釈について総務省に働きかけていた。その際、官僚に厳しい口調で詰め寄ったことも今回の行政文書によって明らかになった。 そして、《この変更が礒崎氏らの執拗な働きかけによって、しかも密室でなされた経緯が暴露された。このプロセス自体が異常だ。》(金平茂紀氏・同上) 注目すべきはそこであり、権力とメディアについて再論議・検証されるべきだったのだ。「けしからん番組は取り締まっていい」という共通認識 ところで、高市氏が礒崎氏の影響を受けずに自分の考えだけで答弁したなら問題はなかったのだろうか。それは逆だ。当時の安倍政権のメンバーはテレビ局に対して“けしからん番組は取り締まっていい”という考えが自然に共通していたことになるからだ。ますますヤバかったことになる。放送法の「不偏不党」は「どっちつかず」ではなく「権力からの自由」のこと。かつて政府の検閲の結果、メディアが軍と一体化して戦争に突き進んだから反省がある。だから今回は政府による干渉やけん制について再検証されるべきだった。 元テレビ朝日プロデューサーの鎮目博道氏は、《当時の高市総務相の「停波」答弁以降、特定のテレビ局だけでなく全テレビ局が何をするにも警戒し、かつてより踏み込まなくなっており、悪平等のようなことが出てきてしまっています》 と証言している(朝日新聞3月17日)。当時の新聞報道をふりかえると… あらためて高市氏の答弁は、当時はどう報じられていたのだろう。まず「政治的公平について一つの番組だけを見て判断する場合があると答弁」(2015年5月12日)について。翌日の紙面を調べてみると朝日も毎日も読売もこの答弁を報じていなかった。あれ? 実はこの当時は3日後にこんな大きなニュースがあったのだ。〈『政権、安保政策を大転換 法案閣議決定 国会審議へ』(朝日新聞2015年5月15日)『安保政策歴史的転換 関連法案を閣議決定 集団的自衛権容認』(毎日新聞・同)『日米同盟の抑止力強化 安保法案閣議決定 集団的自衛権を限定容認』(読売新聞・同)〉 新聞各紙は安保政策の歴史的転換という事案に目が釘付けになっていたのだろうか? しかし今から考えると高市氏が3日前に「政治的公平」についての解釈答弁をしたこの時期はまさに第2次安倍政権が安保関連法という、国論を二分する政策を進めていた時期と重なる。《政権が政策のスムーズな遂行のために放送局に「横やり」を入れようとした印象が拭えず、さらには「放送の自由」の脆弱さも露呈した形だ。》(毎日新聞2023年3月25日)「目障りなキャスターはいなくなる」 高市氏の答弁の意味が見事ににじみ出ている。さらに翌年、今度は高市総務相は「電波停止」発言を放つ。翌日の新聞を調べてみたら、『総務相、電波停止に言及 公平欠く放送と判断なら』(朝日新聞2016年2月9日) 朝日は一面で報じていた。さらに同日の夕刊の「素粒子」という短文コラムに目が留まった。『憲法の言論、表現の自由を知らない。目障りなキャスターはいなくなる。次はと、総務相が電波停止を口にする』(2016年2月9日) ここでいう「目障りなキャスター」とは、約1カ月後の3月末に降板が決まっていた「NEWS23」岸井成格、「報道ステーション」古舘伊知郎、NHKの「クローズアップ現代」国谷裕子ら各氏のことだろう。 一体この時期に何があったのだ? こうして過去記事を時系列に並べただけでもすごい。どんな関連があったのか、なかったのか、もっと知りたくなる。政治家が議論できないならやはり各メディアが検証したほうがいい。(プチ鹿島)
放送法の「政治的公平」の解釈変更をめぐる総務省の行政文書の件がそれだ。当時、総務相だった高市早苗氏の参院予算委員会での答弁ぶりには自民党からでさえ冷たい視線が注がれたという。参院自民党幹事長・世耕弘成氏は「彼女には愛想が尽きた。私はかばってきたんですが…」と述べた(四国新聞4月2日、田崎史郎氏のコラム)。
高市早苗 JMPA
田崎史郎氏は高市氏の主張がもし正しいとしても《高市がここまで頑迷になると、首相になった時どうなるか、不安に駆られる》と書いている。あの田崎氏に「不安」と言われているのだ。
一方で文書を公開して追及していた立憲民主党の小西洋之参院議員は、憲法審査会を巡る自身の発言を報じたNHKとフジテレビについて、「(総務省)元放送政策課課長補佐に喧嘩を売るとはいい度胸だ」とツイッターに投稿した。小西氏は今まで「政治家と放送法」の何を問うてきたのだろう。
高市氏も小西氏も今回は自分に仕掛けられた情報戦と思っているのかもしれないが、政治家で大事なのはその後の振る舞いでもある。両者はどちらも酷い対応で(それが情報戦だとしても)まんまと事態を大きくし、大事な議題が吹き飛んでしまった。
今回本当に議論されるべき部分はどこか。高市氏の「過去の答弁」だけでも検証のし甲斐があるはずだ。高市総務相は2015年と2016年に次のことを公の場(国会)で言っていた。
〈「政治的公平について一つの番組だけを見て判断する場合があると答弁」(2015年5月12日)「政治的公平を欠く放送を繰り返せば電波停止を命じる可能性に言及」(2016年2月8日)〉
すると「電波停止」発言から4日後の2月12日、政府は「政治的公平の解釈について」という政府統一見解を公表した。これは大きな出来事だ。では当時はどう報じられていたのか。各紙の「新聞縮刷版2016年2月分」で調べてみた。
〈『「政治的公平」政府が見解 電波停止発言「番組全体を見て判断」』(読売新聞2016年2月13日)『「番組見て全体を判断」電波停止発言 公平性統一見解』(朝日新聞2016年2月13日)〉
それまでは政治的公平に関して「一つの番組ではなく、放送局の番組全体を見て判断する」としていたが、新しい政府見解では「一つの番組を見て全体を判断することは当然」と高市答弁を踏襲している。この流れは強烈だ。
つまり今回の行政文書の大事な論点は、高市氏について「辞めろ辞めない」の応酬ではなく、
《本質は、放送法を巡る政府解釈が、16年の高市総務相の国会答弁によって実質的に変更されたことの経緯が明らかになったことだ。》(信濃毎日新聞3月23日、ジャーナリスト金平茂紀氏のコラム)
言ってみれば官邸で暴れていたモグラの正体が見えたわけで、それが礒崎陽輔首相補佐官(当時)だった。礒崎氏は、第2次安倍内閣で首相補佐官を務め、放送法が定める政治的公平性の解釈について総務省に働きかけていた。その際、官僚に厳しい口調で詰め寄ったことも今回の行政文書によって明らかになった。
そして、
《この変更が礒崎氏らの執拗な働きかけによって、しかも密室でなされた経緯が暴露された。このプロセス自体が異常だ。》(金平茂紀氏・同上)
注目すべきはそこであり、権力とメディアについて再論議・検証されるべきだったのだ。
ところで、高市氏が礒崎氏の影響を受けずに自分の考えだけで答弁したなら問題はなかったのだろうか。それは逆だ。当時の安倍政権のメンバーはテレビ局に対して“けしからん番組は取り締まっていい”という考えが自然に共通していたことになるからだ。ますますヤバかったことになる。放送法の「不偏不党」は「どっちつかず」ではなく「権力からの自由」のこと。かつて政府の検閲の結果、メディアが軍と一体化して戦争に突き進んだから反省がある。だから今回は政府による干渉やけん制について再検証されるべきだった。
元テレビ朝日プロデューサーの鎮目博道氏は、《当時の高市総務相の「停波」答弁以降、特定のテレビ局だけでなく全テレビ局が何をするにも警戒し、かつてより踏み込まなくなっており、悪平等のようなことが出てきてしまっています》 と証言している(朝日新聞3月17日)。当時の新聞報道をふりかえると… あらためて高市氏の答弁は、当時はどう報じられていたのだろう。まず「政治的公平について一つの番組だけを見て判断する場合があると答弁」(2015年5月12日)について。翌日の紙面を調べてみると朝日も毎日も読売もこの答弁を報じていなかった。あれ? 実はこの当時は3日後にこんな大きなニュースがあったのだ。〈『政権、安保政策を大転換 法案閣議決定 国会審議へ』(朝日新聞2015年5月15日)『安保政策歴史的転換 関連法案を閣議決定 集団的自衛権容認』(毎日新聞・同)『日米同盟の抑止力強化 安保法案閣議決定 集団的自衛権を限定容認』(読売新聞・同)〉 新聞各紙は安保政策の歴史的転換という事案に目が釘付けになっていたのだろうか? しかし今から考えると高市氏が3日前に「政治的公平」についての解釈答弁をしたこの時期はまさに第2次安倍政権が安保関連法という、国論を二分する政策を進めていた時期と重なる。《政権が政策のスムーズな遂行のために放送局に「横やり」を入れようとした印象が拭えず、さらには「放送の自由」の脆弱さも露呈した形だ。》(毎日新聞2023年3月25日)「目障りなキャスターはいなくなる」 高市氏の答弁の意味が見事ににじみ出ている。さらに翌年、今度は高市総務相は「電波停止」発言を放つ。翌日の新聞を調べてみたら、『総務相、電波停止に言及 公平欠く放送と判断なら』(朝日新聞2016年2月9日) 朝日は一面で報じていた。さらに同日の夕刊の「素粒子」という短文コラムに目が留まった。『憲法の言論、表現の自由を知らない。目障りなキャスターはいなくなる。次はと、総務相が電波停止を口にする』(2016年2月9日) ここでいう「目障りなキャスター」とは、約1カ月後の3月末に降板が決まっていた「NEWS23」岸井成格、「報道ステーション」古舘伊知郎、NHKの「クローズアップ現代」国谷裕子ら各氏のことだろう。 一体この時期に何があったのだ? こうして過去記事を時系列に並べただけでもすごい。どんな関連があったのか、なかったのか、もっと知りたくなる。政治家が議論できないならやはり各メディアが検証したほうがいい。(プチ鹿島)
元テレビ朝日プロデューサーの鎮目博道氏は、
《当時の高市総務相の「停波」答弁以降、特定のテレビ局だけでなく全テレビ局が何をするにも警戒し、かつてより踏み込まなくなっており、悪平等のようなことが出てきてしまっています》
と証言している(朝日新聞3月17日)。
あらためて高市氏の答弁は、当時はどう報じられていたのだろう。まず「政治的公平について一つの番組だけを見て判断する場合があると答弁」(2015年5月12日)について。翌日の紙面を調べてみると朝日も毎日も読売もこの答弁を報じていなかった。あれ?
実はこの当時は3日後にこんな大きなニュースがあったのだ。
〈『政権、安保政策を大転換 法案閣議決定 国会審議へ』(朝日新聞2015年5月15日)『安保政策歴史的転換 関連法案を閣議決定 集団的自衛権容認』(毎日新聞・同)『日米同盟の抑止力強化 安保法案閣議決定 集団的自衛権を限定容認』(読売新聞・同)〉
新聞各紙は安保政策の歴史的転換という事案に目が釘付けになっていたのだろうか? しかし今から考えると高市氏が3日前に「政治的公平」についての解釈答弁をしたこの時期はまさに第2次安倍政権が安保関連法という、国論を二分する政策を進めていた時期と重なる。
《政権が政策のスムーズな遂行のために放送局に「横やり」を入れようとした印象が拭えず、さらには「放送の自由」の脆弱さも露呈した形だ。》(毎日新聞2023年3月25日)
高市氏の答弁の意味が見事ににじみ出ている。さらに翌年、今度は高市総務相は「電波停止」発言を放つ。翌日の新聞を調べてみたら、
『総務相、電波停止に言及 公平欠く放送と判断なら』(朝日新聞2016年2月9日)
朝日は一面で報じていた。さらに同日の夕刊の「素粒子」という短文コラムに目が留まった。
『憲法の言論、表現の自由を知らない。目障りなキャスターはいなくなる。次はと、総務相が電波停止を口にする』(2016年2月9日)
ここでいう「目障りなキャスター」とは、約1カ月後の3月末に降板が決まっていた「NEWS23」岸井成格、「報道ステーション」古舘伊知郎、NHKの「クローズアップ現代」国谷裕子ら各氏のことだろう。
一体この時期に何があったのだ? こうして過去記事を時系列に並べただけでもすごい。どんな関連があったのか、なかったのか、もっと知りたくなる。政治家が議論できないならやはり各メディアが検証したほうがいい。
(プチ鹿島)

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