「あなたはまだ若い。やり直せる」離婚を切り出した18歳年上の妻、夫はその後も浮気を続け土下座させられ…ついに出た本音

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前編【【37歳夫の告白】18歳年上の妻と出会ったのは小学4年生の頃、絵画教室を開いていた彼女が抱えていた”重大な問題”】からのつづき
宮内謙佑さん(37歳・仮名=以下同)は、小学生の頃から通っていた絵画教室の先生・保菜美さんと、20歳のときに結婚した。18歳の年の差婚である。もとは人妻だった保菜美さんだったが、夫の浮気が原因で離婚。その心の隙間を埋めたのが謙佑さんだった。よりを戻そうと彼女に迫る元夫を謙佑さんは殴りつけ、関東地方で新たな人生を歩み始めたのだが……。
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【写真を見る】「夫が19歳女子大生と外泊報道」で離婚した女優、離婚の際「僕の財産は全部捧げる」と財産贈与した歌手など【「熟年離婚」した芸能人11人】 婚姻届を出し、保菜美さんは絵画教室を開きながら、彫刻や版画などの制作も始めた。謙佑さんも絵画教室の講師を務めるようになった。 「その地域では大人の生徒さんが多かったですね。昼夜問わず、ふたりで必死に働きました。家の近くに畑も借りて、自分たちで食べる分くらいは野菜を育てて。あっという間に何年かたちました。あのころがいちばん幸せだったかもしれない。僕は子どもがほしいと思ったけど、彼女は『たぶん無理よ』と言っていました。彼女、婦人科系の病気をしたことがあったみたいで」 それでも近所の人たちともつながりができ、週末の夜、みんなで絵画教室に集まってパーティを開いたりもした。保菜美さんの魅力が、近所の人たちを惹きつけていったと彼は言う。 「明るくて楽しくて、人の心に刺さる言葉を口にする。ほんの数年で、彼女はすっかり地元の人気者になりました。保菜美は占いはやりませんが、近所の人たちの人生相談みたいなこともしていました。勝手に相談を持ち込まれるので対応していた感じです。そのころ知ったんですが、彼女はけっこう敬虔なクリスチャンだった。だから誰かに悩みを打ち明けられると放っておけなかったみたいです」「あなたはまだ30代。いつでも出て行っていい」と妻は謙佑さんに言うのだが…絵画教室の生徒と… 中でも足繁く通ってきたのは、絵画教室の生徒でもあった近所の優香さんだった。彼女は謙佑さんより5歳年上で、当時30歳。東京生まれの東京育ちだが、結婚して夫の生まれ故郷であるその地域にやってきた。ところが義父母との関係がうまくいかず、夫ともぎくしゃくするようになったのだという。よく保菜美さんの前で泣いていた。 「ある日、僕が教室の清掃をしていると優香さんが入ってきた。その日、保菜美は留守だったんですよ。『少し話してもいいかしら』と言われてお茶を出して。なんてことのない世間話をしたような記憶があります。ただ、帰りがけに彼女がちょっとよろめいたんです。すかさず支えたら彼女の顔が目の前にあって……。導かれるように唇を重ねてしまいました。彼女の頬を手で挟んだら熱くなってて。ふたりとも自分を止めることができなかったんだと思う」 教室の入り口に鍵をかけ、彼女を床に押し倒した。彼女は自ら上になり激しく体を動かした。黄昏ときで、カーテンの隙間から差し込む西日に照らされた優香さんがとても美しかったという。喉の奥からせつない悲鳴のような音を絞り出して、彼女は動かなくなった。 「それでも顔は微笑んでいて。コトのあとの女性がこんなにきれいな顔をするなんてと見とれていると、彼女がうっすらと目を開けてニコッと笑った。たまらなく愛おしくなって抱きしめました。彼女はだるそうに立ち上がり、『またね』と帰っていった。あの日のことはものすごくくっきりと絵として心に残っています」 床掃除をし、窓を開けて空気を入れ換えたころ、保菜美さんが帰ってきた。不思議と罪悪感はなかった。 「保菜美は、地元のカルチャーセンターで絵や美術を教える仕事が決まったと喜んでいました。僕たち、収入はあまりなかったんです。野菜を近所の酪農家さんにもっていって牛乳と交換したり、余った野菜を近所の人が肉と交換してくれたりしていましたが、基本的には貧乏生活。だからカルチャーセンターでの仕事を前からしたいと彼女は言ってたんです。それが決まってふたりで大喜び。僕、その日はケーキを焼きましたもん」「謙佑さんに襲われた」 ところが数週間後、優香さんの夫が教室に怒鳴り込んできた。あれからふたりは三日にあげず会う仲となっていた。教室で、あるいは優香さんの車の中で、人目を忍んで関係を続けていたのだ。 「将来がどうとか、そんなことは考えてもいなかった。ただ、優香とひとつになっていたいだけ。獣みたいでした。相性がよかったんでしょうね。女性が乱れてくれると僕は心を許してくれている気がしてうれしいんです。保菜美は性的に乱れたことが一度もない。僕にはそこが不満でした。ただ、こういうことは言ってどうにかなるものでもないし」 優香さんの夫は、様子がおかしい妻を問い詰めた。すると妻は、謙佑さんに襲われたといったのだそう。嫌だと言うのに何度も待ち伏せされた、と。警察沙汰にすると息巻く夫に「同意のもとです。奥さんに、本当のことを正直に言ってほしいと伝えてください」と謙佑さんは淡々と言った。優香さんに裏切られたことがショックだった。 だがそれ以上にショックだったのは保菜美さんだろう。その話はあっという間に噂になり、カルチャーセンターの仕事はなかったことになった。絵画教室も、「謙佑さんがいるなら辞める」という声が上がった。 「離婚したいならするよと言ったら、妻が『あんたを自由にはさせない』と。それ以来、僕は人前には出ずに裏で仕事をしたり畑仕事をしたりしていました。それでも周りの人の見る目は厳しかった」 そんなとき、保菜美さんの父親が倒れたという連絡が入った。弟一家が近くに住んでいるし親戚も多いので、人手が足りないわけではないが、保菜美さんの母親は娘を頼った。 「近くにいてくれないかなと母が言ってる。どうすると保菜美から言われて悩みました。僕が28歳、保菜美が46歳のときですね。そのころ、僕と保菜美の間にはもう男女関係はなくなっていた。『あなたはまだ若い。今からでも人生をやり直せる。若い人と結婚して子どもももてる。もう私から離れていいのよ』と保菜美はしみじみ言いました。でも高校生時代から僕を救い続けてくれた彼女と、ここで別れるなんて考えられなかった。僕にはきみが必要だと言いました。彼女は『わかった』と」妻の実家にすがって生活 保菜美さんの実家近くにアパートを借りての生活が始まった。保菜美さんはほとんど実家で過ごし、入院中の父を見舞い、母のめんどうを見た。謙佑さんは介護ヘルパーの資格をとって勤務したが、人間関係がうまくいかず頓挫。結局、保菜美さんの親に生活費をもらうありさまだった。 「なんというのか、僕には働いて自分で食っていくという気概がないんですよね。もともと食べることにそんなに興味がないし、1日1回、ご飯と味噌汁があればいいやという感じ。人生において興味をもてるものに巡り会えていないのか、僕という人間がとことんダメなヤツなのか……。まあ、後者だということはわかってきましたが」 あたかも「ダメなヤツ」のようにおっとりと話す彼だが、実は政治から社会事件まで知識量はとてつもなく多い。特に日本の歴史や文学については詳しい。古文書も読めるのだという。だが「知識のための知識になっていて役には立たない」と苦笑する。 生きる目的がつかめないまま、保菜美さんの実家近くで暮らしていた彼だが、2年後に義父が亡くなり、夫婦は妻の実家に越した。保菜美さんは今度こそと地元の学校やカルチャーセンターを回って自分の技術を売り込んだ。同時に実家の一部屋をアトリエにして、本格的に創作活動に打ち込むようになった。地元だけあって引きもあり、週に4回は絵画の先生として才能を活かしている。「老いていく妻を見るのがつらい」 謙佑さんは主に家にいて、義母のめんどうを見たり家事をしたりしていたが、「謙佑が家で絵画教室を開けばいい」と妻に言われて始めてみた。ときどき保菜美さんも来てくれるので、美大を目指す高校生などもやってくるようになった。保菜美さんが絵画関係で受賞したこともあって教室は人が集まった。知る人ぞ知る小さな賞ではあったが、彼女にとっても自信になったようだ。 「そこでおとなしくしていればよかったんですが、教室に来ている浪人生と関係を持ってしまったんです。僕、自分が病気なんじゃないかと思いました」 32歳のときだった。慕ってくれる19歳のミナさんから誘惑され、地元の居酒屋で飲んだあげくホテルへ行った。ふたりで手をつないで歩きながらホテルに入って行ったところを誰かに見られたらしい。 「妻と義母の前で正座させられて謝りました。若いミナと一緒にいるのが本当に楽しくてたまらなかった。考えたら僕には青春時代がなかったんです。『だから好きなように人生を送ればいいって言ったじゃない。ここに来たのはあなたの意志でしょ。私に恥をかかせないで』と妻は激怒しました。嫉妬じゃないんですよね、あくまでも世間体が悪いということ。妻の気持ちを確かめたかったのかなあ。義母にいたっては、『あなたはしょせん、居候なんだから』って。ああ、実母にも似たようなことを言われたなと絶望感でいっぱいになりました」 申し訳ないけどと断りつつ、彼は言った。「老いていく妻を見るのがつらい」と。義母と妻、ふたりの老婆に囲まれていると、自分も老人になったような気持ちになる。その雰囲気に取り込まれていくのが怖いとも言った。「ヒモ体質なのかもしれませんね」 その直後、彼に連絡をとってきた女性がいる。かつて別れた優香さんだ。優香さんはあれからすったもんだしたあげく離婚、今はひとりだという。 「優香に会いたくてたまらなかった。旧友に会うと嘘をついて大阪で優香と待ち合わせました。優香の実家が関西方面なのもあって。そのときは3日ほどで帰りましたが、また会いたくなる。保菜美の地元では、若い学生と関係をもったために白い目で見られていましたからね。ミナからは『先生、ごめんね。でも私、先生に会いたい』とメッセージが来ていた。若いミナに会いたかった。だけどもう会えません。それもあって、一気に優香に傾いた」 誰かがいないと生きていけないのに、その誰かのためにがんばろうとは思えない。彼自身、「ヒモ体質なのかもしれませんね」と言うのだが、彼がどこで自分の人生を諦めてしまったのかが見えないだけに隔靴掻痒の感があった。 謙佑さんはいつも感情が安定していて、自分の気持ちを淡々と語る。同時にこちらにも興味を持ってくれるので話していてとても心地いいのだが、別れた瞬間、今日、彼は何を言いたかったのだろうといつも思っていた。物欲はほとんどないのに、女性には執着する面もある。彼の本質がつかめないのがもどかしかった。 優香さんと「駆け落ち」するしかないとまで思いつめていたところへコロナ禍到来。優香さんとも思うように会えなくなった。保菜美さんに「恋人と会えなくて寂しい?」と尋ねられ、謙佑さんは飛び上がるほど驚いた。すべて見抜かれていたのだ。一転、コロナを機に前向きに ところがコロナ禍が彼を変えた。つらいつらいと言っていた彼だが、一昨年からリモートで専門学校の勉強を続け、ある国家資格に合格した。なぜ突然、勉強を始めたのか、そしてこれからどうするつもりなのだろうか。 「勉強を始めたのはやることがなかったから。義母の年金と保菜美の収入に頼っていましたが、コロナ禍で保菜美の収入は激減。さすがに保菜美も疲れ果てたようで……。それを見て、僕はなにげなく地元のコンビニでアルバイトを始めたんです。お金を得ることに重きを置いていなかったけど、みんなが家にこもっているとき体を使って働くのは悪い経験ではなかった。 接客は苦手だったものの、淡々とやっていると、ありがとうと言ってくれるお客さんもいる。人にありがとうと言われるのはいい気持ちだなと思ったので、僕もありがとうございましたと言うようになった。なんだか急に生きる気力が出てきたんですかね、勉強なんてほとんどしたこともないけど、やってみるかと思って」 今後は取得した資格を活かした道へ進もうと考えているという。今も保菜美さんとの関係は、決していいとは言えないが低め安定といったところ。保菜美さんは55歳、義母は83歳になった。 「考えてみたら、あなたはまだ30代。かわいそうだと思う。いつでも出て行っていいからねと、保菜美はときおり思い出したように言うんです。でもその言い方が、捨てたら恨むぞと言っているようで……。僕は、この世で保菜美をいちばん信用しています、人として。僕を救い出してくれたのは彼女だから。でもこのまま義母と妻を見送るだけの人生でいいのかと思うことはありますね」 だからといって、欲望に従ってがむしゃらに生きるような気力もないとも言う。もともと生きるエネルギーが低いんですねと苦笑する彼だが、その低いエネルギーでよくここまで生き延びてきたともいえる。もしかしたら、もともとすべてを受け入れるつもりだった保菜美さんは、何があっても彼と別れる気などないのかもしれない。 前編【【37歳夫の告白】18歳年上の妻と出会ったのは小学4年生の頃、絵画教室を開いていた彼女が抱えていた”重大な問題”】からのつづき亀山早苗(かめやま・さなえ)フリーライター。男女関係、特に不倫について20年以上取材を続け、『不倫の恋で苦しむ男たち』『夫の不倫で苦しむ妻たち』『人はなぜ不倫をするのか』『復讐手帖─愛が狂気に変わるとき─』など著書多数。デイリー新潮編集部
婚姻届を出し、保菜美さんは絵画教室を開きながら、彫刻や版画などの制作も始めた。謙佑さんも絵画教室の講師を務めるようになった。
「その地域では大人の生徒さんが多かったですね。昼夜問わず、ふたりで必死に働きました。家の近くに畑も借りて、自分たちで食べる分くらいは野菜を育てて。あっという間に何年かたちました。あのころがいちばん幸せだったかもしれない。僕は子どもがほしいと思ったけど、彼女は『たぶん無理よ』と言っていました。彼女、婦人科系の病気をしたことがあったみたいで」
それでも近所の人たちともつながりができ、週末の夜、みんなで絵画教室に集まってパーティを開いたりもした。保菜美さんの魅力が、近所の人たちを惹きつけていったと彼は言う。
「明るくて楽しくて、人の心に刺さる言葉を口にする。ほんの数年で、彼女はすっかり地元の人気者になりました。保菜美は占いはやりませんが、近所の人たちの人生相談みたいなこともしていました。勝手に相談を持ち込まれるので対応していた感じです。そのころ知ったんですが、彼女はけっこう敬虔なクリスチャンだった。だから誰かに悩みを打ち明けられると放っておけなかったみたいです」
中でも足繁く通ってきたのは、絵画教室の生徒でもあった近所の優香さんだった。彼女は謙佑さんより5歳年上で、当時30歳。東京生まれの東京育ちだが、結婚して夫の生まれ故郷であるその地域にやってきた。ところが義父母との関係がうまくいかず、夫ともぎくしゃくするようになったのだという。よく保菜美さんの前で泣いていた。
「ある日、僕が教室の清掃をしていると優香さんが入ってきた。その日、保菜美は留守だったんですよ。『少し話してもいいかしら』と言われてお茶を出して。なんてことのない世間話をしたような記憶があります。ただ、帰りがけに彼女がちょっとよろめいたんです。すかさず支えたら彼女の顔が目の前にあって……。導かれるように唇を重ねてしまいました。彼女の頬を手で挟んだら熱くなってて。ふたりとも自分を止めることができなかったんだと思う」
教室の入り口に鍵をかけ、彼女を床に押し倒した。彼女は自ら上になり激しく体を動かした。黄昏ときで、カーテンの隙間から差し込む西日に照らされた優香さんがとても美しかったという。喉の奥からせつない悲鳴のような音を絞り出して、彼女は動かなくなった。
「それでも顔は微笑んでいて。コトのあとの女性がこんなにきれいな顔をするなんてと見とれていると、彼女がうっすらと目を開けてニコッと笑った。たまらなく愛おしくなって抱きしめました。彼女はだるそうに立ち上がり、『またね』と帰っていった。あの日のことはものすごくくっきりと絵として心に残っています」
床掃除をし、窓を開けて空気を入れ換えたころ、保菜美さんが帰ってきた。不思議と罪悪感はなかった。
「保菜美は、地元のカルチャーセンターで絵や美術を教える仕事が決まったと喜んでいました。僕たち、収入はあまりなかったんです。野菜を近所の酪農家さんにもっていって牛乳と交換したり、余った野菜を近所の人が肉と交換してくれたりしていましたが、基本的には貧乏生活。だからカルチャーセンターでの仕事を前からしたいと彼女は言ってたんです。それが決まってふたりで大喜び。僕、その日はケーキを焼きましたもん」
ところが数週間後、優香さんの夫が教室に怒鳴り込んできた。あれからふたりは三日にあげず会う仲となっていた。教室で、あるいは優香さんの車の中で、人目を忍んで関係を続けていたのだ。
「将来がどうとか、そんなことは考えてもいなかった。ただ、優香とひとつになっていたいだけ。獣みたいでした。相性がよかったんでしょうね。女性が乱れてくれると僕は心を許してくれている気がしてうれしいんです。保菜美は性的に乱れたことが一度もない。僕にはそこが不満でした。ただ、こういうことは言ってどうにかなるものでもないし」
優香さんの夫は、様子がおかしい妻を問い詰めた。すると妻は、謙佑さんに襲われたといったのだそう。嫌だと言うのに何度も待ち伏せされた、と。警察沙汰にすると息巻く夫に「同意のもとです。奥さんに、本当のことを正直に言ってほしいと伝えてください」と謙佑さんは淡々と言った。優香さんに裏切られたことがショックだった。
だがそれ以上にショックだったのは保菜美さんだろう。その話はあっという間に噂になり、カルチャーセンターの仕事はなかったことになった。絵画教室も、「謙佑さんがいるなら辞める」という声が上がった。
「離婚したいならするよと言ったら、妻が『あんたを自由にはさせない』と。それ以来、僕は人前には出ずに裏で仕事をしたり畑仕事をしたりしていました。それでも周りの人の見る目は厳しかった」
そんなとき、保菜美さんの父親が倒れたという連絡が入った。弟一家が近くに住んでいるし親戚も多いので、人手が足りないわけではないが、保菜美さんの母親は娘を頼った。
「近くにいてくれないかなと母が言ってる。どうすると保菜美から言われて悩みました。僕が28歳、保菜美が46歳のときですね。そのころ、僕と保菜美の間にはもう男女関係はなくなっていた。『あなたはまだ若い。今からでも人生をやり直せる。若い人と結婚して子どもももてる。もう私から離れていいのよ』と保菜美はしみじみ言いました。でも高校生時代から僕を救い続けてくれた彼女と、ここで別れるなんて考えられなかった。僕にはきみが必要だと言いました。彼女は『わかった』と」
保菜美さんの実家近くにアパートを借りての生活が始まった。保菜美さんはほとんど実家で過ごし、入院中の父を見舞い、母のめんどうを見た。謙佑さんは介護ヘルパーの資格をとって勤務したが、人間関係がうまくいかず頓挫。結局、保菜美さんの親に生活費をもらうありさまだった。
「なんというのか、僕には働いて自分で食っていくという気概がないんですよね。もともと食べることにそんなに興味がないし、1日1回、ご飯と味噌汁があればいいやという感じ。人生において興味をもてるものに巡り会えていないのか、僕という人間がとことんダメなヤツなのか……。まあ、後者だということはわかってきましたが」
あたかも「ダメなヤツ」のようにおっとりと話す彼だが、実は政治から社会事件まで知識量はとてつもなく多い。特に日本の歴史や文学については詳しい。古文書も読めるのだという。だが「知識のための知識になっていて役には立たない」と苦笑する。
生きる目的がつかめないまま、保菜美さんの実家近くで暮らしていた彼だが、2年後に義父が亡くなり、夫婦は妻の実家に越した。保菜美さんは今度こそと地元の学校やカルチャーセンターを回って自分の技術を売り込んだ。同時に実家の一部屋をアトリエにして、本格的に創作活動に打ち込むようになった。地元だけあって引きもあり、週に4回は絵画の先生として才能を活かしている。
謙佑さんは主に家にいて、義母のめんどうを見たり家事をしたりしていたが、「謙佑が家で絵画教室を開けばいい」と妻に言われて始めてみた。ときどき保菜美さんも来てくれるので、美大を目指す高校生などもやってくるようになった。保菜美さんが絵画関係で受賞したこともあって教室は人が集まった。知る人ぞ知る小さな賞ではあったが、彼女にとっても自信になったようだ。
「そこでおとなしくしていればよかったんですが、教室に来ている浪人生と関係を持ってしまったんです。僕、自分が病気なんじゃないかと思いました」
32歳のときだった。慕ってくれる19歳のミナさんから誘惑され、地元の居酒屋で飲んだあげくホテルへ行った。ふたりで手をつないで歩きながらホテルに入って行ったところを誰かに見られたらしい。
「妻と義母の前で正座させられて謝りました。若いミナと一緒にいるのが本当に楽しくてたまらなかった。考えたら僕には青春時代がなかったんです。『だから好きなように人生を送ればいいって言ったじゃない。ここに来たのはあなたの意志でしょ。私に恥をかかせないで』と妻は激怒しました。嫉妬じゃないんですよね、あくまでも世間体が悪いということ。妻の気持ちを確かめたかったのかなあ。義母にいたっては、『あなたはしょせん、居候なんだから』って。ああ、実母にも似たようなことを言われたなと絶望感でいっぱいになりました」
申し訳ないけどと断りつつ、彼は言った。「老いていく妻を見るのがつらい」と。義母と妻、ふたりの老婆に囲まれていると、自分も老人になったような気持ちになる。その雰囲気に取り込まれていくのが怖いとも言った。
その直後、彼に連絡をとってきた女性がいる。かつて別れた優香さんだ。優香さんはあれからすったもんだしたあげく離婚、今はひとりだという。
「優香に会いたくてたまらなかった。旧友に会うと嘘をついて大阪で優香と待ち合わせました。優香の実家が関西方面なのもあって。そのときは3日ほどで帰りましたが、また会いたくなる。保菜美の地元では、若い学生と関係をもったために白い目で見られていましたからね。ミナからは『先生、ごめんね。でも私、先生に会いたい』とメッセージが来ていた。若いミナに会いたかった。だけどもう会えません。それもあって、一気に優香に傾いた」
誰かがいないと生きていけないのに、その誰かのためにがんばろうとは思えない。彼自身、「ヒモ体質なのかもしれませんね」と言うのだが、彼がどこで自分の人生を諦めてしまったのかが見えないだけに隔靴掻痒の感があった。
謙佑さんはいつも感情が安定していて、自分の気持ちを淡々と語る。同時にこちらにも興味を持ってくれるので話していてとても心地いいのだが、別れた瞬間、今日、彼は何を言いたかったのだろうといつも思っていた。物欲はほとんどないのに、女性には執着する面もある。彼の本質がつかめないのがもどかしかった。
優香さんと「駆け落ち」するしかないとまで思いつめていたところへコロナ禍到来。優香さんとも思うように会えなくなった。保菜美さんに「恋人と会えなくて寂しい?」と尋ねられ、謙佑さんは飛び上がるほど驚いた。すべて見抜かれていたのだ。
ところがコロナ禍が彼を変えた。つらいつらいと言っていた彼だが、一昨年からリモートで専門学校の勉強を続け、ある国家資格に合格した。なぜ突然、勉強を始めたのか、そしてこれからどうするつもりなのだろうか。
「勉強を始めたのはやることがなかったから。義母の年金と保菜美の収入に頼っていましたが、コロナ禍で保菜美の収入は激減。さすがに保菜美も疲れ果てたようで……。それを見て、僕はなにげなく地元のコンビニでアルバイトを始めたんです。お金を得ることに重きを置いていなかったけど、みんなが家にこもっているとき体を使って働くのは悪い経験ではなかった。 接客は苦手だったものの、淡々とやっていると、ありがとうと言ってくれるお客さんもいる。人にありがとうと言われるのはいい気持ちだなと思ったので、僕もありがとうございましたと言うようになった。なんだか急に生きる気力が出てきたんですかね、勉強なんてほとんどしたこともないけど、やってみるかと思って」
今後は取得した資格を活かした道へ進もうと考えているという。今も保菜美さんとの関係は、決していいとは言えないが低め安定といったところ。保菜美さんは55歳、義母は83歳になった。
「考えてみたら、あなたはまだ30代。かわいそうだと思う。いつでも出て行っていいからねと、保菜美はときおり思い出したように言うんです。でもその言い方が、捨てたら恨むぞと言っているようで……。僕は、この世で保菜美をいちばん信用しています、人として。僕を救い出してくれたのは彼女だから。でもこのまま義母と妻を見送るだけの人生でいいのかと思うことはありますね」
だからといって、欲望に従ってがむしゃらに生きるような気力もないとも言う。もともと生きるエネルギーが低いんですねと苦笑する彼だが、その低いエネルギーでよくここまで生き延びてきたともいえる。もしかしたら、もともとすべてを受け入れるつもりだった保菜美さんは、何があっても彼と別れる気などないのかもしれない。
前編【【37歳夫の告白】18歳年上の妻と出会ったのは小学4年生の頃、絵画教室を開いていた彼女が抱えていた”重大な問題”】からのつづき
亀山早苗(かめやま・さなえ)フリーライター。男女関係、特に不倫について20年以上取材を続け、『不倫の恋で苦しむ男たち』『夫の不倫で苦しむ妻たち』『人はなぜ不倫をするのか』『復讐手帖─愛が狂気に変わるとき─』など著書多数。
デイリー新潮編集部

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