行方不明の船頭を遺体で発見 船頭の父も「保津川下り」で死亡 運航組合「なぜ親子で保津川で…言葉が出ない」【news23】

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28日に起きた京都の「保津川下り」の事故で、行方不明になっていた船頭の男性が遺体で発見されました。男性の父親も船頭で、8年前、保津川下りの最中に川に転落し、死亡していました。【写真を見る】行方不明の船頭を遺体で発見 船頭の父も「保津川下り」で死亡 運航組合「なぜ親子で保津川で…言葉が出ない」【news23】8年前に父も保津川で…不明の船頭が遺体で見つかる事故発生から丸2日。記者「30日、午前11時過ぎです。行方不明者とみられる方がブルーシートにくるまれて船に引き上げられています」消防などによりますと、午前11時ごろ、京都の「保津川下り」で船が転覆した事故現場から400メートルほど下流の川の中から、1人の遺体が見つかりました。

警察は、夕方、遺体は行方不明となっていた船頭の関雅有さん(40)と確認されたと発表。この事故で亡くなった人は2人になりました。関さんは水深3メートルのところで沈んだ状態で見つかり、目立った外傷はありませんでした。30日夜、会見を開いた運航組合。保津川遊船企業組合 豊田知八代表理事「とても元気のある船頭さんで働き者。本当に運動神経が良くて、瞬発力のある。若いがキャリアは長い、信頼されていた船頭だった」救命胴衣について、関さんはヒモを引いて膨らます手動式を着けていましたが、膨らんだ形跡はなかったということです。運航組合では、順次、手動式から自動式に切り替えている最中の事故でした。保津川遊船企業組合 豊田代表理事「(事故当時)一生懸命に舵を直そうとする作業をしていたと聞いている。最後まで一生懸命それをやり続けて何とか(船を)立て直そうと思っていたのかなと。ただあくまでも、そこで(救命胴衣を)開く動作が何かできなかったことがあったのか」ーー仮に自動式(救命胴衣)を着けていたら助かっていた可能性は?「可能性として考えるなら、あったと思う」また、関さんの父親も保津川下りの船頭でした。ーー2015年にも船頭が亡くなった事故があったが、この方と関さんとの関係は?「父親なんです。その時も本当に彼は父親想いの子どもだったので、本当につらい思いをしていたこともあった。なぜこのように親子で、保津川でということになったのか、本当に何とも言葉が出てこない」
28日に起きた京都の「保津川下り」の事故で、行方不明になっていた船頭の男性が遺体で発見されました。男性の父親も船頭で、8年前、保津川下りの最中に川に転落し、死亡していました。
【写真を見る】行方不明の船頭を遺体で発見 船頭の父も「保津川下り」で死亡 運航組合「なぜ親子で保津川で…言葉が出ない」【news23】8年前に父も保津川で…不明の船頭が遺体で見つかる事故発生から丸2日。記者「30日、午前11時過ぎです。行方不明者とみられる方がブルーシートにくるまれて船に引き上げられています」消防などによりますと、午前11時ごろ、京都の「保津川下り」で船が転覆した事故現場から400メートルほど下流の川の中から、1人の遺体が見つかりました。

警察は、夕方、遺体は行方不明となっていた船頭の関雅有さん(40)と確認されたと発表。この事故で亡くなった人は2人になりました。関さんは水深3メートルのところで沈んだ状態で見つかり、目立った外傷はありませんでした。30日夜、会見を開いた運航組合。保津川遊船企業組合 豊田知八代表理事「とても元気のある船頭さんで働き者。本当に運動神経が良くて、瞬発力のある。若いがキャリアは長い、信頼されていた船頭だった」救命胴衣について、関さんはヒモを引いて膨らます手動式を着けていましたが、膨らんだ形跡はなかったということです。運航組合では、順次、手動式から自動式に切り替えている最中の事故でした。保津川遊船企業組合 豊田代表理事「(事故当時)一生懸命に舵を直そうとする作業をしていたと聞いている。最後まで一生懸命それをやり続けて何とか(船を)立て直そうと思っていたのかなと。ただあくまでも、そこで(救命胴衣を)開く動作が何かできなかったことがあったのか」ーー仮に自動式(救命胴衣)を着けていたら助かっていた可能性は?「可能性として考えるなら、あったと思う」また、関さんの父親も保津川下りの船頭でした。ーー2015年にも船頭が亡くなった事故があったが、この方と関さんとの関係は?「父親なんです。その時も本当に彼は父親想いの子どもだったので、本当につらい思いをしていたこともあった。なぜこのように親子で、保津川でということになったのか、本当に何とも言葉が出てこない」
事故発生から丸2日。
記者「30日、午前11時過ぎです。行方不明者とみられる方がブルーシートにくるまれて船に引き上げられています」
消防などによりますと、午前11時ごろ、京都の「保津川下り」で船が転覆した事故現場から400メートルほど下流の川の中から、1人の遺体が見つかりました。
警察は、夕方、遺体は行方不明となっていた船頭の関雅有さん(40)と確認されたと発表。この事故で亡くなった人は2人になりました。
関さんは水深3メートルのところで沈んだ状態で見つかり、目立った外傷はありませんでした。
30日夜、会見を開いた運航組合。
保津川遊船企業組合 豊田知八代表理事「とても元気のある船頭さんで働き者。本当に運動神経が良くて、瞬発力のある。若いがキャリアは長い、信頼されていた船頭だった」
救命胴衣について、関さんはヒモを引いて膨らます手動式を着けていましたが、膨らんだ形跡はなかったということです。
運航組合では、順次、手動式から自動式に切り替えている最中の事故でした。
保津川遊船企業組合 豊田代表理事「(事故当時)一生懸命に舵を直そうとする作業をしていたと聞いている。最後まで一生懸命それをやり続けて何とか(船を)立て直そうと思っていたのかなと。ただあくまでも、そこで(救命胴衣を)開く動作が何かできなかったことがあったのか」
ーー仮に自動式(救命胴衣)を着けていたら助かっていた可能性は?
「可能性として考えるなら、あったと思う」
また、関さんの父親も保津川下りの船頭でした。
「父親なんです。その時も本当に彼は父親想いの子どもだったので、本当につらい思いをしていたこともあった。なぜこのように親子で、保津川でということになったのか、本当に何とも言葉が出てこない」

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