「桐貴さんの告発を見て、自分が舞妓時代に受けた理不尽な仕打ちがフラッシュバックしました。多くの花街関係者は、桐貴さんの話を『妄想で言ってはる』と片付け、決して認めようとしませんが、私は実際に未成年の飲酒やお客さんからのセクハラを目の当たりにしてきました。
【画像】「みどりの髪飾りにきいろの着物」可憐に微笑む舞妓だった頃の桐貴さん 彼女の告発を受けて、未成年の飲酒や、深夜のお座敷への同席を禁じる動きがあるようですが、それもほんの一部。中には『酒が飲めなくなって舞妓はんがかわいそうや』なんて口にする人もいるようです。花街の“本質”は今も変わっていないように感じます」
そう語るのは、数年前まで京都の花街に舞妓として在籍したAさんだ。舞妓の告発に「そのような行為は一切なかった」《当時16歳で浴びるほどのお酒を飲ませられ、お客さんとお風呂入りという名の混浴を強いられた(全力で逃げたけど)。これが本当に伝統文化なのか今一度かんがえていただきたい》《旦那さん制度、まだあります。(中略)私は5000万円で処女を売られそうになった》《身八つ口から手を入れられて胸を触られることも、個室で裾を広げられてお股を触られたこともあります》舞妓時代の桐貴さん(桐貴さん提供) 2022年6月、先斗町の元舞妓、桐貴清羽さんが男性客と飲酒する写真とともに投稿したツイートは大きな波紋を呼んだ。桐貴さんは翌7月、文春オンラインの取材に答え、未成年飲酒やお座敷セクハラの実態、「お風呂入り」「旦那さん制度」といった、自身が体験したという花街の悪しき慣習について詳細に語っている。(#1、#2)◆ ◆ ◆ 当初、舞妓の募集や派遣を行う「おおきに財団(公益財団法人京都伝統伎芸振興財団)」は、この件に関し「情報不足につき回答を控える」と沈黙を貫いていたが、半年が経過した12月、こう表明した。《元舞妓を名乗る『Kiyoha@物書き』さんが所属していたとされる花街からは、ツイートされた内容について、現在及び在籍していたとされる時期においても、そのような行為は一切なかったこと、掲載されている写真については事実確認が取れていないこと、の報告がありました》 桐貴さんが告発した内容をなかったものと断じたのだ。 これに異を唱えるのが、前出のAさんだ。「お風呂入り言うたかて、80、90歳のおじいちゃんやし」「私が在籍したのは桐貴さんとは違う街ですが、私自身も16歳の頃にはお座敷で飲酒していました。お母さんや姉さんからは『飲んでも酔うな』と言われていましたが、それは無理な話です。酔っているのが見たいお客さんもいますから、そうなると結局は酔うまで飲まされます。 私のいた街ではお風呂入りは行われていませんでしたが、騒動後に知り合った京都のある街の芸妓さんが『お風呂入り言うたかて、80、90歳のおじいちゃんやし』と笑って話すところも見ています」 現在、京都には祇園甲部、宮川町、先斗町、上七軒、祇園東の5つの花街があり、これを総称して五花街と呼ぶ。最も格式が高いとされる祇園から親しみやすい先斗町まで、それぞれに特色があることが知られているが、街によって “常識”も異なるようだ。酔客にキスされても「大人は守ってくれない」「未成年の子が飲酒する場合、ある程度は守ってくれる街もありますが、桐貴さんがいた先斗町さんでは舞妓はんになるとまずお酒をたくさん飲ませて自分の限界をわからせるのだと聞いたことがあります。先斗町さんの舞妓はんが大量のお酒を飲む姿を見て、『私たちはまだマシ』と言い合っていました。 とはいえ、私たちも16歳で飲酒していたことに変わりはありません。デビューしたての頃はお姉さんがかばって代わりに飲んでくれることもありましたが、先輩の立場になれば後輩に代わって無理して飲むこともありました」 Aさんの街では「お風呂入り」と呼ばれる客との混浴は「私がデビューする10年くらい前まではあったらしいが、それも薄っすら聞いたことがある程度だったので、すでに廃れた風習だった」というが、「お座敷でのセクハラは横行していた」という。Aさんが初めて被害に遭ったのは、デビューして間もない頃だった。「隣に座っている酔っぱらった男性客に、いきなりほっぺにキスされたんです。当時の私はキスどころか、彼氏がいたことすらなく、突然の出来事に唖然としてしまいました。しかしお母さんや他のお客さんたちは男性を諫めるどころか、そんな私を見てケラケラと笑っていました。 その時、ここでは大人は守ってくれへんのや。自分の身は自分で守らなければあかんねや、と悟りました。あの時の感触は今でもトラウマです」 花街の大人たちは未成年へのセクハラを目の当たりにしても見て見ぬふりで、舞妓を守ってはくれない。Aさんはお座敷に出る中で、自分を守る術を身に着けていった。お座敷に出て狂っていく舞妓の“貞操観念”「その後もキスをされそうになったり、身体に触れられたりしたことは何度もあります。唇にキスすることを強制された場合はほっぺたなら……と、お客さんのほっぺにキスするとか、本当に嫌なことだけは回避する方法を学んでいきました。私は最初の体験がトラウマになって、男性に対し嫌悪感を抱いていました。でも、10代の半ばで下ネタが飛び交い、セクハラが横行するお酒の席に居続けると、感覚がマヒしてしまうこともあるようで……。 舞妓はんの中には貞操観念が緩くなってしまい、男遊びをしてしまうような子や、お客さんに体を許してしまう子もいました。本来なら許されることではないのですが、うまいこと隠していたり、本人たちの同意の下だからと、置屋もお茶屋さんも見て見ぬふりをしたりすることも多かったです。華やかな世界を夢見て入ってきた10代の舞妓はんが性的に乱れていく様は、とても直視できるものではありませんでした」チップやお小遣いだけでは足りない厳しい生活 Aさんが言うには、未成年の舞妓が客と肉体関係を結んでしまう背景の一つに、切実な金銭事情があるのだという。「私のいた街は、他に比べて舞妓に対する金銭的な搾取が強い傾向にあったと思います。舞妓はんになってからのお小遣いは月5000円ほどで、その中から自分がほしいものを買っていました。デビューからしばらく経つと、お客さんからいただくご祝儀(チップ)を管理できたのですが、そこからおしろい代や日々の生活に必要なものを買わなくてはなりませんでした。いくら節約しても、チップだけでは足りないので、結局は貯金していたお年玉を取り崩したりして生活していましたね」 そんな厳しい生活をしている舞妓も多いなか、さらに追い打ちをかけるようなこともある。「街によるのですが、毎年行われる踊りの舞台のチケットを100~200枚ほど持たされて、お客さんに売り切れなければ借金になるような花街もあるそうです。 また、夏には舞妓の名前が入ったうちわをお客さんに配るのですが、それを置屋に勝手に発注され、8万円近く請求されたこともあります。普通に舞妓として働いているだけでは、こうした経費を払うことは到底できません。そうやって金銭的に追い詰められた舞妓が、『この人ならば』とお客さんに見初めてもらうために体を許してしまう……そういうケースも目にしました」 花街には、古くから客が舞妓や芸妓のパトロンとなる「旦那さん制度」が存在した。桐貴さんは舞妓だった時に3人の旦那さん候補がおり、奉公期間より前に辞めるのであれば男性に3000万~5000万で「身受け」してもらうようにと置屋から迫られたと語っている。 Aさんのいた街では表立っては「旦那さん制度」は行われていなかったが、「強制されることはなくても、舞妓が体を許し、その対価をお客さんが支払うという実態はあった」と話す。お舞台に出演するために「お客様と体の関係」に「町の踊りのお舞台以外に、お流派の舞台があるのですが、そちらに出るには一人当たり何百万、何千万円というお金がかかります。芸妓のお姉さんたちはそのお金を出してもらうために、お客様と体の関係になることが多かった。舞妓もうちわや、踊りやお三味線の会に出るためのお金、仕事で使うバッグなどもろもろの出費をまかなうために、お客様と体の関係になっていました。大きすぎる金銭的プレッシャーの問題 逆にお金は関係なく、お客様のことを好きになってしまったり、愛されたかったりして体の関係になる子もいましたね。置屋には黙って……というケースもあれば、置屋が関係を知っていて黙認するケースもありました。もちろん、それは一部の舞妓はんの話で、そうはならない子の方が多いんです。でも金銭的なプレッシャーから10代の女の子にこのような選択をさせてしまう、その環境自体に問題があるように私は感じていました」 そうした経験を経て、Aさんは花街を出る決断をするに至った。 そしていざ舞妓を辞める時にAさんが置屋から渡されたのは、自分の“収入”が書かれた見覚えのない確定申告書だった――。(#2に続く)「舞妓を辞めるとき“身に覚えのない確定申告書”を渡された。役所の人も『あー…』って」花街に蔓延する“グレーすぎる労働実態”《弁護士も「言い逃れはもう難しい」》 へ続く(「文春オンライン」特集班/Webオリジナル(特集班))
彼女の告発を受けて、未成年の飲酒や、深夜のお座敷への同席を禁じる動きがあるようですが、それもほんの一部。中には『酒が飲めなくなって舞妓はんがかわいそうや』なんて口にする人もいるようです。花街の“本質”は今も変わっていないように感じます」
そう語るのは、数年前まで京都の花街に舞妓として在籍したAさんだ。
《当時16歳で浴びるほどのお酒を飲ませられ、お客さんとお風呂入りという名の混浴を強いられた(全力で逃げたけど)。これが本当に伝統文化なのか今一度かんがえていただきたい》
《旦那さん制度、まだあります。(中略)私は5000万円で処女を売られそうになった》
《身八つ口から手を入れられて胸を触られることも、個室で裾を広げられてお股を触られたこともあります》
舞妓時代の桐貴さん(桐貴さん提供)
2022年6月、先斗町の元舞妓、桐貴清羽さんが男性客と飲酒する写真とともに投稿したツイートは大きな波紋を呼んだ。桐貴さんは翌7月、文春オンラインの取材に答え、未成年飲酒やお座敷セクハラの実態、「お風呂入り」「旦那さん制度」といった、自身が体験したという花街の悪しき慣習について詳細に語っている。(#1、#2)
◆ ◆ ◆
当初、舞妓の募集や派遣を行う「おおきに財団(公益財団法人京都伝統伎芸振興財団)」は、この件に関し「情報不足につき回答を控える」と沈黙を貫いていたが、半年が経過した12月、こう表明した。
《元舞妓を名乗る『Kiyoha@物書き』さんが所属していたとされる花街からは、ツイートされた内容について、現在及び在籍していたとされる時期においても、そのような行為は一切なかったこと、掲載されている写真については事実確認が取れていないこと、の報告がありました》
桐貴さんが告発した内容をなかったものと断じたのだ。
これに異を唱えるのが、前出のAさんだ。
「私が在籍したのは桐貴さんとは違う街ですが、私自身も16歳の頃にはお座敷で飲酒していました。お母さんや姉さんからは『飲んでも酔うな』と言われていましたが、それは無理な話です。酔っているのが見たいお客さんもいますから、そうなると結局は酔うまで飲まされます。
私のいた街ではお風呂入りは行われていませんでしたが、騒動後に知り合った京都のある街の芸妓さんが『お風呂入り言うたかて、80、90歳のおじいちゃんやし』と笑って話すところも見ています」
現在、京都には祇園甲部、宮川町、先斗町、上七軒、祇園東の5つの花街があり、これを総称して五花街と呼ぶ。最も格式が高いとされる祇園から親しみやすい先斗町まで、それぞれに特色があることが知られているが、街によって “常識”も異なるようだ。
酔客にキスされても「大人は守ってくれない」「未成年の子が飲酒する場合、ある程度は守ってくれる街もありますが、桐貴さんがいた先斗町さんでは舞妓はんになるとまずお酒をたくさん飲ませて自分の限界をわからせるのだと聞いたことがあります。先斗町さんの舞妓はんが大量のお酒を飲む姿を見て、『私たちはまだマシ』と言い合っていました。 とはいえ、私たちも16歳で飲酒していたことに変わりはありません。デビューしたての頃はお姉さんがかばって代わりに飲んでくれることもありましたが、先輩の立場になれば後輩に代わって無理して飲むこともありました」 Aさんの街では「お風呂入り」と呼ばれる客との混浴は「私がデビューする10年くらい前まではあったらしいが、それも薄っすら聞いたことがある程度だったので、すでに廃れた風習だった」というが、「お座敷でのセクハラは横行していた」という。Aさんが初めて被害に遭ったのは、デビューして間もない頃だった。「隣に座っている酔っぱらった男性客に、いきなりほっぺにキスされたんです。当時の私はキスどころか、彼氏がいたことすらなく、突然の出来事に唖然としてしまいました。しかしお母さんや他のお客さんたちは男性を諫めるどころか、そんな私を見てケラケラと笑っていました。 その時、ここでは大人は守ってくれへんのや。自分の身は自分で守らなければあかんねや、と悟りました。あの時の感触は今でもトラウマです」 花街の大人たちは未成年へのセクハラを目の当たりにしても見て見ぬふりで、舞妓を守ってはくれない。Aさんはお座敷に出る中で、自分を守る術を身に着けていった。お座敷に出て狂っていく舞妓の“貞操観念”「その後もキスをされそうになったり、身体に触れられたりしたことは何度もあります。唇にキスすることを強制された場合はほっぺたなら……と、お客さんのほっぺにキスするとか、本当に嫌なことだけは回避する方法を学んでいきました。私は最初の体験がトラウマになって、男性に対し嫌悪感を抱いていました。でも、10代の半ばで下ネタが飛び交い、セクハラが横行するお酒の席に居続けると、感覚がマヒしてしまうこともあるようで……。 舞妓はんの中には貞操観念が緩くなってしまい、男遊びをしてしまうような子や、お客さんに体を許してしまう子もいました。本来なら許されることではないのですが、うまいこと隠していたり、本人たちの同意の下だからと、置屋もお茶屋さんも見て見ぬふりをしたりすることも多かったです。華やかな世界を夢見て入ってきた10代の舞妓はんが性的に乱れていく様は、とても直視できるものではありませんでした」チップやお小遣いだけでは足りない厳しい生活 Aさんが言うには、未成年の舞妓が客と肉体関係を結んでしまう背景の一つに、切実な金銭事情があるのだという。「私のいた街は、他に比べて舞妓に対する金銭的な搾取が強い傾向にあったと思います。舞妓はんになってからのお小遣いは月5000円ほどで、その中から自分がほしいものを買っていました。デビューからしばらく経つと、お客さんからいただくご祝儀(チップ)を管理できたのですが、そこからおしろい代や日々の生活に必要なものを買わなくてはなりませんでした。いくら節約しても、チップだけでは足りないので、結局は貯金していたお年玉を取り崩したりして生活していましたね」 そんな厳しい生活をしている舞妓も多いなか、さらに追い打ちをかけるようなこともある。「街によるのですが、毎年行われる踊りの舞台のチケットを100~200枚ほど持たされて、お客さんに売り切れなければ借金になるような花街もあるそうです。 また、夏には舞妓の名前が入ったうちわをお客さんに配るのですが、それを置屋に勝手に発注され、8万円近く請求されたこともあります。普通に舞妓として働いているだけでは、こうした経費を払うことは到底できません。そうやって金銭的に追い詰められた舞妓が、『この人ならば』とお客さんに見初めてもらうために体を許してしまう……そういうケースも目にしました」 花街には、古くから客が舞妓や芸妓のパトロンとなる「旦那さん制度」が存在した。桐貴さんは舞妓だった時に3人の旦那さん候補がおり、奉公期間より前に辞めるのであれば男性に3000万~5000万で「身受け」してもらうようにと置屋から迫られたと語っている。 Aさんのいた街では表立っては「旦那さん制度」は行われていなかったが、「強制されることはなくても、舞妓が体を許し、その対価をお客さんが支払うという実態はあった」と話す。お舞台に出演するために「お客様と体の関係」に「町の踊りのお舞台以外に、お流派の舞台があるのですが、そちらに出るには一人当たり何百万、何千万円というお金がかかります。芸妓のお姉さんたちはそのお金を出してもらうために、お客様と体の関係になることが多かった。舞妓もうちわや、踊りやお三味線の会に出るためのお金、仕事で使うバッグなどもろもろの出費をまかなうために、お客様と体の関係になっていました。大きすぎる金銭的プレッシャーの問題 逆にお金は関係なく、お客様のことを好きになってしまったり、愛されたかったりして体の関係になる子もいましたね。置屋には黙って……というケースもあれば、置屋が関係を知っていて黙認するケースもありました。もちろん、それは一部の舞妓はんの話で、そうはならない子の方が多いんです。でも金銭的なプレッシャーから10代の女の子にこのような選択をさせてしまう、その環境自体に問題があるように私は感じていました」 そうした経験を経て、Aさんは花街を出る決断をするに至った。 そしていざ舞妓を辞める時にAさんが置屋から渡されたのは、自分の“収入”が書かれた見覚えのない確定申告書だった――。(#2に続く)「舞妓を辞めるとき“身に覚えのない確定申告書”を渡された。役所の人も『あー…』って」花街に蔓延する“グレーすぎる労働実態”《弁護士も「言い逃れはもう難しい」》 へ続く(「文春オンライン」特集班/Webオリジナル(特集班))
「未成年の子が飲酒する場合、ある程度は守ってくれる街もありますが、桐貴さんがいた先斗町さんでは舞妓はんになるとまずお酒をたくさん飲ませて自分の限界をわからせるのだと聞いたことがあります。先斗町さんの舞妓はんが大量のお酒を飲む姿を見て、『私たちはまだマシ』と言い合っていました。
とはいえ、私たちも16歳で飲酒していたことに変わりはありません。デビューしたての頃はお姉さんがかばって代わりに飲んでくれることもありましたが、先輩の立場になれば後輩に代わって無理して飲むこともありました」
Aさんの街では「お風呂入り」と呼ばれる客との混浴は「私がデビューする10年くらい前まではあったらしいが、それも薄っすら聞いたことがある程度だったので、すでに廃れた風習だった」というが、「お座敷でのセクハラは横行していた」という。Aさんが初めて被害に遭ったのは、デビューして間もない頃だった。「隣に座っている酔っぱらった男性客に、いきなりほっぺにキスされたんです。当時の私はキスどころか、彼氏がいたことすらなく、突然の出来事に唖然としてしまいました。しかしお母さんや他のお客さんたちは男性を諫めるどころか、そんな私を見てケラケラと笑っていました。 その時、ここでは大人は守ってくれへんのや。自分の身は自分で守らなければあかんねや、と悟りました。あの時の感触は今でもトラウマです」 花街の大人たちは未成年へのセクハラを目の当たりにしても見て見ぬふりで、舞妓を守ってはくれない。Aさんはお座敷に出る中で、自分を守る術を身に着けていった。お座敷に出て狂っていく舞妓の“貞操観念”「その後もキスをされそうになったり、身体に触れられたりしたことは何度もあります。唇にキスすることを強制された場合はほっぺたなら……と、お客さんのほっぺにキスするとか、本当に嫌なことだけは回避する方法を学んでいきました。私は最初の体験がトラウマになって、男性に対し嫌悪感を抱いていました。でも、10代の半ばで下ネタが飛び交い、セクハラが横行するお酒の席に居続けると、感覚がマヒしてしまうこともあるようで……。 舞妓はんの中には貞操観念が緩くなってしまい、男遊びをしてしまうような子や、お客さんに体を許してしまう子もいました。本来なら許されることではないのですが、うまいこと隠していたり、本人たちの同意の下だからと、置屋もお茶屋さんも見て見ぬふりをしたりすることも多かったです。華やかな世界を夢見て入ってきた10代の舞妓はんが性的に乱れていく様は、とても直視できるものではありませんでした」チップやお小遣いだけでは足りない厳しい生活 Aさんが言うには、未成年の舞妓が客と肉体関係を結んでしまう背景の一つに、切実な金銭事情があるのだという。「私のいた街は、他に比べて舞妓に対する金銭的な搾取が強い傾向にあったと思います。舞妓はんになってからのお小遣いは月5000円ほどで、その中から自分がほしいものを買っていました。デビューからしばらく経つと、お客さんからいただくご祝儀(チップ)を管理できたのですが、そこからおしろい代や日々の生活に必要なものを買わなくてはなりませんでした。いくら節約しても、チップだけでは足りないので、結局は貯金していたお年玉を取り崩したりして生活していましたね」 そんな厳しい生活をしている舞妓も多いなか、さらに追い打ちをかけるようなこともある。「街によるのですが、毎年行われる踊りの舞台のチケットを100~200枚ほど持たされて、お客さんに売り切れなければ借金になるような花街もあるそうです。 また、夏には舞妓の名前が入ったうちわをお客さんに配るのですが、それを置屋に勝手に発注され、8万円近く請求されたこともあります。普通に舞妓として働いているだけでは、こうした経費を払うことは到底できません。そうやって金銭的に追い詰められた舞妓が、『この人ならば』とお客さんに見初めてもらうために体を許してしまう……そういうケースも目にしました」 花街には、古くから客が舞妓や芸妓のパトロンとなる「旦那さん制度」が存在した。桐貴さんは舞妓だった時に3人の旦那さん候補がおり、奉公期間より前に辞めるのであれば男性に3000万~5000万で「身受け」してもらうようにと置屋から迫られたと語っている。 Aさんのいた街では表立っては「旦那さん制度」は行われていなかったが、「強制されることはなくても、舞妓が体を許し、その対価をお客さんが支払うという実態はあった」と話す。お舞台に出演するために「お客様と体の関係」に「町の踊りのお舞台以外に、お流派の舞台があるのですが、そちらに出るには一人当たり何百万、何千万円というお金がかかります。芸妓のお姉さんたちはそのお金を出してもらうために、お客様と体の関係になることが多かった。舞妓もうちわや、踊りやお三味線の会に出るためのお金、仕事で使うバッグなどもろもろの出費をまかなうために、お客様と体の関係になっていました。大きすぎる金銭的プレッシャーの問題 逆にお金は関係なく、お客様のことを好きになってしまったり、愛されたかったりして体の関係になる子もいましたね。置屋には黙って……というケースもあれば、置屋が関係を知っていて黙認するケースもありました。もちろん、それは一部の舞妓はんの話で、そうはならない子の方が多いんです。でも金銭的なプレッシャーから10代の女の子にこのような選択をさせてしまう、その環境自体に問題があるように私は感じていました」 そうした経験を経て、Aさんは花街を出る決断をするに至った。 そしていざ舞妓を辞める時にAさんが置屋から渡されたのは、自分の“収入”が書かれた見覚えのない確定申告書だった――。(#2に続く)「舞妓を辞めるとき“身に覚えのない確定申告書”を渡された。役所の人も『あー…』って」花街に蔓延する“グレーすぎる労働実態”《弁護士も「言い逃れはもう難しい」》 へ続く(「文春オンライン」特集班/Webオリジナル(特集班))
Aさんの街では「お風呂入り」と呼ばれる客との混浴は「私がデビューする10年くらい前まではあったらしいが、それも薄っすら聞いたことがある程度だったので、すでに廃れた風習だった」というが、「お座敷でのセクハラは横行していた」という。Aさんが初めて被害に遭ったのは、デビューして間もない頃だった。
「隣に座っている酔っぱらった男性客に、いきなりほっぺにキスされたんです。当時の私はキスどころか、彼氏がいたことすらなく、突然の出来事に唖然としてしまいました。しかしお母さんや他のお客さんたちは男性を諫めるどころか、そんな私を見てケラケラと笑っていました。
その時、ここでは大人は守ってくれへんのや。自分の身は自分で守らなければあかんねや、と悟りました。あの時の感触は今でもトラウマです」
花街の大人たちは未成年へのセクハラを目の当たりにしても見て見ぬふりで、舞妓を守ってはくれない。Aさんはお座敷に出る中で、自分を守る術を身に着けていった。
「その後もキスをされそうになったり、身体に触れられたりしたことは何度もあります。唇にキスすることを強制された場合はほっぺたなら……と、お客さんのほっぺにキスするとか、本当に嫌なことだけは回避する方法を学んでいきました。私は最初の体験がトラウマになって、男性に対し嫌悪感を抱いていました。でも、10代の半ばで下ネタが飛び交い、セクハラが横行するお酒の席に居続けると、感覚がマヒしてしまうこともあるようで……。
舞妓はんの中には貞操観念が緩くなってしまい、男遊びをしてしまうような子や、お客さんに体を許してしまう子もいました。本来なら許されることではないのですが、うまいこと隠していたり、本人たちの同意の下だからと、置屋もお茶屋さんも見て見ぬふりをしたりすることも多かったです。華やかな世界を夢見て入ってきた10代の舞妓はんが性的に乱れていく様は、とても直視できるものではありませんでした」
チップやお小遣いだけでは足りない厳しい生活 Aさんが言うには、未成年の舞妓が客と肉体関係を結んでしまう背景の一つに、切実な金銭事情があるのだという。「私のいた街は、他に比べて舞妓に対する金銭的な搾取が強い傾向にあったと思います。舞妓はんになってからのお小遣いは月5000円ほどで、その中から自分がほしいものを買っていました。デビューからしばらく経つと、お客さんからいただくご祝儀(チップ)を管理できたのですが、そこからおしろい代や日々の生活に必要なものを買わなくてはなりませんでした。いくら節約しても、チップだけでは足りないので、結局は貯金していたお年玉を取り崩したりして生活していましたね」 そんな厳しい生活をしている舞妓も多いなか、さらに追い打ちをかけるようなこともある。「街によるのですが、毎年行われる踊りの舞台のチケットを100~200枚ほど持たされて、お客さんに売り切れなければ借金になるような花街もあるそうです。 また、夏には舞妓の名前が入ったうちわをお客さんに配るのですが、それを置屋に勝手に発注され、8万円近く請求されたこともあります。普通に舞妓として働いているだけでは、こうした経費を払うことは到底できません。そうやって金銭的に追い詰められた舞妓が、『この人ならば』とお客さんに見初めてもらうために体を許してしまう……そういうケースも目にしました」 花街には、古くから客が舞妓や芸妓のパトロンとなる「旦那さん制度」が存在した。桐貴さんは舞妓だった時に3人の旦那さん候補がおり、奉公期間より前に辞めるのであれば男性に3000万~5000万で「身受け」してもらうようにと置屋から迫られたと語っている。 Aさんのいた街では表立っては「旦那さん制度」は行われていなかったが、「強制されることはなくても、舞妓が体を許し、その対価をお客さんが支払うという実態はあった」と話す。お舞台に出演するために「お客様と体の関係」に「町の踊りのお舞台以外に、お流派の舞台があるのですが、そちらに出るには一人当たり何百万、何千万円というお金がかかります。芸妓のお姉さんたちはそのお金を出してもらうために、お客様と体の関係になることが多かった。舞妓もうちわや、踊りやお三味線の会に出るためのお金、仕事で使うバッグなどもろもろの出費をまかなうために、お客様と体の関係になっていました。大きすぎる金銭的プレッシャーの問題 逆にお金は関係なく、お客様のことを好きになってしまったり、愛されたかったりして体の関係になる子もいましたね。置屋には黙って……というケースもあれば、置屋が関係を知っていて黙認するケースもありました。もちろん、それは一部の舞妓はんの話で、そうはならない子の方が多いんです。でも金銭的なプレッシャーから10代の女の子にこのような選択をさせてしまう、その環境自体に問題があるように私は感じていました」 そうした経験を経て、Aさんは花街を出る決断をするに至った。 そしていざ舞妓を辞める時にAさんが置屋から渡されたのは、自分の“収入”が書かれた見覚えのない確定申告書だった――。(#2に続く)「舞妓を辞めるとき“身に覚えのない確定申告書”を渡された。役所の人も『あー…』って」花街に蔓延する“グレーすぎる労働実態”《弁護士も「言い逃れはもう難しい」》 へ続く(「文春オンライン」特集班/Webオリジナル(特集班))
Aさんが言うには、未成年の舞妓が客と肉体関係を結んでしまう背景の一つに、切実な金銭事情があるのだという。
「私のいた街は、他に比べて舞妓に対する金銭的な搾取が強い傾向にあったと思います。舞妓はんになってからのお小遣いは月5000円ほどで、その中から自分がほしいものを買っていました。デビューからしばらく経つと、お客さんからいただくご祝儀(チップ)を管理できたのですが、そこからおしろい代や日々の生活に必要なものを買わなくてはなりませんでした。いくら節約しても、チップだけでは足りないので、結局は貯金していたお年玉を取り崩したりして生活していましたね」
そんな厳しい生活をしている舞妓も多いなか、さらに追い打ちをかけるようなこともある。
「街によるのですが、毎年行われる踊りの舞台のチケットを100~200枚ほど持たされて、お客さんに売り切れなければ借金になるような花街もあるそうです。
また、夏には舞妓の名前が入ったうちわをお客さんに配るのですが、それを置屋に勝手に発注され、8万円近く請求されたこともあります。普通に舞妓として働いているだけでは、こうした経費を払うことは到底できません。そうやって金銭的に追い詰められた舞妓が、『この人ならば』とお客さんに見初めてもらうために体を許してしまう……そういうケースも目にしました」
花街には、古くから客が舞妓や芸妓のパトロンとなる「旦那さん制度」が存在した。桐貴さんは舞妓だった時に3人の旦那さん候補がおり、奉公期間より前に辞めるのであれば男性に3000万~5000万で「身受け」してもらうようにと置屋から迫られたと語っている。
Aさんのいた街では表立っては「旦那さん制度」は行われていなかったが、「強制されることはなくても、舞妓が体を許し、その対価をお客さんが支払うという実態はあった」と話す。お舞台に出演するために「お客様と体の関係」に「町の踊りのお舞台以外に、お流派の舞台があるのですが、そちらに出るには一人当たり何百万、何千万円というお金がかかります。芸妓のお姉さんたちはそのお金を出してもらうために、お客様と体の関係になることが多かった。舞妓もうちわや、踊りやお三味線の会に出るためのお金、仕事で使うバッグなどもろもろの出費をまかなうために、お客様と体の関係になっていました。大きすぎる金銭的プレッシャーの問題 逆にお金は関係なく、お客様のことを好きになってしまったり、愛されたかったりして体の関係になる子もいましたね。置屋には黙って……というケースもあれば、置屋が関係を知っていて黙認するケースもありました。もちろん、それは一部の舞妓はんの話で、そうはならない子の方が多いんです。でも金銭的なプレッシャーから10代の女の子にこのような選択をさせてしまう、その環境自体に問題があるように私は感じていました」 そうした経験を経て、Aさんは花街を出る決断をするに至った。 そしていざ舞妓を辞める時にAさんが置屋から渡されたのは、自分の“収入”が書かれた見覚えのない確定申告書だった――。(#2に続く)「舞妓を辞めるとき“身に覚えのない確定申告書”を渡された。役所の人も『あー…』って」花街に蔓延する“グレーすぎる労働実態”《弁護士も「言い逃れはもう難しい」》 へ続く(「文春オンライン」特集班/Webオリジナル(特集班))
Aさんのいた街では表立っては「旦那さん制度」は行われていなかったが、「強制されることはなくても、舞妓が体を許し、その対価をお客さんが支払うという実態はあった」と話す。
「町の踊りのお舞台以外に、お流派の舞台があるのですが、そちらに出るには一人当たり何百万、何千万円というお金がかかります。芸妓のお姉さんたちはそのお金を出してもらうために、お客様と体の関係になることが多かった。舞妓もうちわや、踊りやお三味線の会に出るためのお金、仕事で使うバッグなどもろもろの出費をまかなうために、お客様と体の関係になっていました。
大きすぎる金銭的プレッシャーの問題 逆にお金は関係なく、お客様のことを好きになってしまったり、愛されたかったりして体の関係になる子もいましたね。置屋には黙って……というケースもあれば、置屋が関係を知っていて黙認するケースもありました。もちろん、それは一部の舞妓はんの話で、そうはならない子の方が多いんです。でも金銭的なプレッシャーから10代の女の子にこのような選択をさせてしまう、その環境自体に問題があるように私は感じていました」 そうした経験を経て、Aさんは花街を出る決断をするに至った。 そしていざ舞妓を辞める時にAさんが置屋から渡されたのは、自分の“収入”が書かれた見覚えのない確定申告書だった――。(#2に続く)「舞妓を辞めるとき“身に覚えのない確定申告書”を渡された。役所の人も『あー…』って」花街に蔓延する“グレーすぎる労働実態”《弁護士も「言い逃れはもう難しい」》 へ続く(「文春オンライン」特集班/Webオリジナル(特集班))
逆にお金は関係なく、お客様のことを好きになってしまったり、愛されたかったりして体の関係になる子もいましたね。置屋には黙って……というケースもあれば、置屋が関係を知っていて黙認するケースもありました。もちろん、それは一部の舞妓はんの話で、そうはならない子の方が多いんです。でも金銭的なプレッシャーから10代の女の子にこのような選択をさせてしまう、その環境自体に問題があるように私は感じていました」
そうした経験を経て、Aさんは花街を出る決断をするに至った。
そしていざ舞妓を辞める時にAさんが置屋から渡されたのは、自分の“収入”が書かれた見覚えのない確定申告書だった――。
(#2に続く)
「舞妓を辞めるとき“身に覚えのない確定申告書”を渡された。役所の人も『あー…』って」花街に蔓延する“グレーすぎる労働実態”《弁護士も「言い逃れはもう難しい」》 へ続く
(「文春オンライン」特集班/Webオリジナル(特集班))