「恋愛脳のせいで浪人」女子大生がハマった暗闇

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同志社大学の卒業式のまみさん(写真:まみさん提供)
浪人という選択を取る人が20年前と比べて2分の1になっている現在。「浪人してでも、志望する大学に行きたい」という人が減っている一方で、浪人生活を経験したことで、人生が変わった人もいます。自身も9年の浪人生活を経て早稲田大学に合格した濱井正吾さんが、さまざまな浪人経験者にインタビューをし、その道を選んでよかったこと・頑張れた理由などを追求していきます。今回は関西大学に進学後、仮面浪人をして同志社大学に合格し、現在女性を中心に人気を誇るYouTuber「まみやで」ことまみさんにお話を伺いました。
大事な受験期の恋愛について、みなさんはどう思われますか。
きっと「勉強時間を取られる」とか、「勉強に集中できなくなる」とか、あまりいい意見を持たないのではないでしょうか。今回インタビューしたまみさんも、高校3年生のときに気になる人ができたせいで受験に失敗し、浪人をする決断をした方です。
しかし、その恋愛の失敗と浪人経験で、現在登録者24万人のYouTuberとして、同世代の女性に大きく支持される要素を身につけられたのです。
受験期の恋愛の失敗がどのように現在の活動に活きているのか、まみさんのこれまでの人生を追ってみましょう。
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まみさんは、小さいときから人と壁を作らない、活発で社交的な子どもでした。勉強もそこそこできたようですが、勉強を自ら主体的にするタイプではなかったようです。
「友達と遊ぶことしか考えていない子どもだったのですが、親がうまくレールを敷いてくれました」
こう当時を振り返るまみさんは、親に言われるがまま塾に通って、運よく関西の有名進学校である大阪女学院に進むことができたと語ります。
中学・高校と月日が流れても性格は変わらず明るいままで、勉強も上の下の位置をずっとキープし続けていました。
一見、人間関係も良好で、多くの人がうらやむような楽しい学生生活を送っていたように思えます。
しかし、一方で、部活に関しては「何度も挫折を味わった」とまみさんは語ります。
「中学・高校とバスケットボールを続けていましたが、怪我続きでした。中学2年生の秋に右膝の靭帯を切ってしまいました。1年間リハビリをしてようやく元に戻せたのですが、今度は高校3年生の4月に反対の左脚の靭帯を切ってしまったのです」
よりにもよって、部活の集大成である最終学年で起きてしまった悲劇。「不完全燃焼でした」と自身の部活人生を歯がゆく振り返ります。
それでも「受験勉強の参考書を持って入院し、勉強しながらリハビリしていました」と語るように、この怪我が大きく受験勉強への意識を変えたきっかけであったと言います。
「高校2年生の時、推薦で希望する関関同立(※関西の難関私立大学群 関西大学・関西学院大学・同志社大学・立命館大学)に進学できるくらいの評定はあったのですが、ずっと親に人生のレールを敷いてもらって生きてきて、『このままでいいんかな』と思ったんです。だから受験だけは1回、自分の力で頑張りたいと思うようになったんです。その思いは靭帯を切ってから、もっと強くなりました」
こうして関西の難関大学4校である関関同立に目標を設定し、河合塾に通い、受験に向け勉強に力を入れたまみさん。最初は関西大学社会学部を目標にしていましたが、3年生の秋ごろに同志社大学を第1志望に設定し直します。
「同級生が推薦で同志社大学に行くことを知り、劣等感を抱きそうだった」という理由もあるそうですが、年頃の女の子らしい悩みも大きかったそうです。
「塾の同じクラスにかっこいい男の子がいて、その子がチラチラ目に入るようになったんです。ずっと女子校に行っていたから、異性に対する免疫がなくて見ているだけだったんですけど(笑)。その子が同志社を受験すると聞いて、自分も行こう!と志望を変えました」
急な志望校の変更ではあったものの、当時の模試の成績では関西大学がC~B判定で、同志社大学がD~C判定。少し頑張れば狙えないこともなかったため、まみさんは気合を入れて頑張りました。
平日は7時に学校に行って8時半に授業が始まるまで自習室で勉強し、授業をこなした後、学校が終わってから10時までずっと予備校で勉強を続けました。休日には1日中予備校にいて12~13時間の勉強をこなしたそうです。
「トイレも風呂もリビングも、英語の文法の紙を貼っていました」と生活を勉強一色にしたまみさん。着実に成績は向上し、同志社大学に合格する手応えを確かに感じていました。
しかし、12月に突入し、大きなアクシデントが生じました。朝から晩まで予備校にいたのに、勉強ではなくて、恋愛のことばかり考える”恋愛脳”に陥ってしまったのです。
「今まで見ているだけだった好きな子と喋るようになりました。それで、気持ちが高まってしまって、その子のことばかり考えるようになってしまったんです。大学の過去問を解いていても雑念が入ってしまい、勉強に全然集中できなくなりました」
結局、いちばん大事なこの時期に追い込めなかったことが響いて、受験した同志社大学の法学部政治学科にわずか5点差で落ちてしまいました。
「不合格通知を見て、やっとそこで目が覚めました。『人生かかっているのにいったい何してんねん!』って思って……。とても自分が情けなかったです。もともと目指していた関西大学には合格でき、進学することにしたんですが、入試が終わってからはずっと塞ぎ込んでいて、ネットの掲示板でずっと受験前にタイムリープして戻る方法を本気で調べていました」
まみさんが仮面浪人を決断したのも、そんな状態から脱却したいという気持ちが大きかったのだと言います。
「私は学歴にもそんなに興味がないし、大学に関心があるわけでもありませんでした。ただ、このままでは後悔の念で、心から大学4年間を楽しめないと思ったんです。だから、4年間胸を張って過ごすためには、初めて自分で目標を設定した同志社大学に入ることで、『自分なりに頑張った』と思えるようにならなければいけないと思っていました。だから、関西大学に入学する前の3月の時点で、もう受験費用も全部自分で稼いで浪人をするんだと決めました」
こうして浪人を決め、ゴールデンウィークの前には、母親に浪人の意志を伝える手紙を渡し、再受験を認めてもらいました。それがまみさんにとって初めて、母親に自分の意見を主張して説得し、背中を押してもらった経験だったのです。
そんな彼女は、自分が現役で落ちてしまった失敗をこう分析します。
「恋愛の失敗ももちろんですが、最低ラインばかり見て勉強していたんです。ギリギリ滑り込めたらいいと思って、大学ごとの傾向の違いや試験後の得点調整などを考慮していないアバウトな勉強をしていました。『英単語帳をとりあえず覚えればいいんや!』って感じで楽観的に考えていたんです」
だからこそ、自分の意志で浪人を決断してからは、同志社大学の過去問対策・研究を徹底し、予備校にある20年分ほどあった赤本をすべて3周し、やり尽くしたそうです。
また、前年に恋愛で失敗した精神面に対してもしっかりと対策を打ちました。
「この1年は男子を一切見ない、しゃべらないと決め、ご飯を食べるのはいつも1人という禁欲生活を自分に課しました」
こうして不退転の決意を持ってはじめた浪人生活。前期は予備校の授業料を稼ぐために6時から12時までアルバイトをして、大学の授業に出てから夕方から図書館で5~6時間勉強しました。後期は休学して1日中勉強に打ち込み、同志社の模試の判定をBからAまで上げます。
そんな一生懸命な彼女に受験勉強を頑張れた理由について尋ねると、「自分へのコンプレックスが大きなエネルギーになった」と語ってくれました。
「私は今までの人生で、自分で決めたことを何も達成できていませんでした。だから、周囲の人への劣等感が半端じゃなかったんです。今頑張らないと、これから先も『どうせ自分なんて……』が口癖の人間になってしまうと思いました。成功体験を得てそんな自分を変えたい。それがいちばん大きかったです」
そして、受験本番では同志社大学を2月5日から11日まで連続で受験し、6学部すべてに合格して法学部政治学科に進学しました。
「1年決意を決めてやったんですけど、ずっと『関関同立から関関同立に行くなんて、意味のないバカなことしとるなぁ』とか、『入ったところで何か変わるんかなぁ』と自問自答して悩んでいました。でも、行きたい大学に入れて本当によかったなと今は思います」
人生で初めて、自分の力で勝ち取った成功体験は彼女の人生を明るく、豊かなものにしてくれました。
彼女は浪人して良かったことをこう話します。
「レールの上を歩まなくてもいいと思えるようになりました。もともと自分は周囲に恵まれて、世間の王道ルートを歩ませてもらっていました。だからレールを外れて浪人をしている時もずっと『浪人したらこれくらいの大学に行け』っていうネットの声を見て、『自分はおかしなことをしている』と思っていたんです。でも、大学に入ったらすごく楽しくて、高校生のときに周りに対して持っていた劣等感が消えるくらいポジティブになれました。浪人という失敗があったからこそ、挑戦できる性格になれたんです」
「周囲を気にせず、自信を持って、自己満足のために浪人していいと当時の自分に言いたいです」と彼女は語ります。
また、「人に対して寛容になった」とも話してくれました。
「浪人をして、人のことをおおらかな目で見られるようになったと思うんです。変なプライドがなくなって、個性的な生き方をしている人に批判的な目を向けるどころか、人生に興味を持って『おもろい!』と思えるようになりました」
まみさんが大学在学中にYouTubeチャンネル「まみやで」の投稿を始められたのも、浪人によって周囲の人の目線が気にならなくなって、やりたいことをポジティブに挑戦しようと思えたおかげだと言います。
現在のまみさん(写真:まみさん提供)
現在、登録者24万人のチャンネルとして大勢の女性の支持を集める当チャンネルで、恋愛や食事・生活に関する悩みを小気味良い関西弁で語っている彼女はまさに「等身大の女友達」のような親しみを覚えます。
「私のチャンネルは女性視聴者が95%なんですが、『実家みたい』といった温かいコメントをたくさんいただいてうれしい毎日を送らせていただいています。私は今まで人と一切喧嘩しないような自己主張しない性格だったのですが、浪人の挫折で少し性格にトゲ(毒)ができてしまったんです。でも、今の自分がYouTube一本で生活させていただけているのは、浪人でできたそのトゲが、自分の人間としての味につながっているおかげだと思います。浪人の経験があったからこそ、人間として成長できて、YouTubeを伸ばすことができたのだと思います」
「浪人の1年って、人生が終わってしまいそうなくらい不安が大きい暗闇の世界にずっといると思うんです。でも、今ではいい思い出話になっていますし、浪人したことに後悔はありません。『悩まなくても大丈夫、いけるよ』と過去の自分や今の受験生の方に伝えたいですね」
若い女性を中心に人気を誇る彼女の表現者としての唯一無二の魅力は、浪人の挫折と成功によってもたらされたものだと確かに実感することができました。
(濱井 正吾 : 教育系ライター)

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