夕食時に「鮭かなんかない?」と言ってしまったばかりに…アラフィフ夫を苦しめる14歳年下妻の“逆DV”と計画的離婚調停

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全国におよそ300カ所ある配偶者暴力相談支援センターへ寄せられる相談件数は年々増加傾向にあり、令和3年度は12万2,478件に上った。相談者の内訳は女性が11万9,331件と圧倒的に多いが、男性からも3,147件の相談があった。
配偶者(事実婚や別居中の夫婦,元配偶者も含む)から「身体的暴行」、「心理的攻撃」、「経済的圧迫」又は「性的強要」のいずれかについて、一度でも受けたことがある女性は25.9パーセント、男性は18.4パーセントというデータもある(男女共同参画白書 令和3年版)。
いわゆるドメスティック・バイオレンス(DV)の被害者には男性もいることがわかる。男女問題を30年近く取材し『不倫の恋で苦しむ男たち』などの著作があるライターの亀山早苗氏が今回話を聞いたのも、妻からの“逆DV”に悩む男性だ。
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【写真を見る】「夫が19歳女子大生と外泊報道」で離婚した女優、離婚の際「僕の財産は全部捧げる」と財産贈与した歌手など【「熟年離婚」した芸能人11人】「最初に妻から暴力を受けたのは、第一子である長男が生まれてすぐのころでした」 橋田恭司さん(48歳・仮名=以下同)は、少し疲れたような表情でそう言った。40歳のとき14歳年下の郁美さんと結婚、長男は8歳、次男は6歳になった。「29歳のころ婚約者にフラれたんです。新居まで用意して、彼女は一足先にそこへ引っ越して……。それなのに僕が越す前に、家財道具を売り払って逃げてしまった。ある日、僕が行ったらもぬけのから。何が起こったのかわかりませんでした。彼女がほしいというから50インチのテレビも買ったし、家電も最先端のものを揃えました。それを全部、売られてしまい、あげく連絡がとれなくなった」 2年つきあって婚約した彼女だった。だがあとから彼女の友人たちに確認してみると、彼女には「ヒモ」のような男がいたという。「彼女が婚約したというから、てっきりヒモ男とは別れたと思っていたけど、やっぱり別れられなかったみたいと話してくれました。彼女のほうがベタ惚れだったからと明かす人もいました。彼女は自分の友人を僕に紹介したがらなかった。僕の友人には会わせろとしつこかったんですけどね。実際、彼女から借金を申し込まれた友人もいます」 彼は大手企業に勤める会社員だ。まじめが取り柄と自分でも言うほどで、入社以来、無駄遣いもせずにコツコツ貯めてきたお金を彼女のために景気よく使った。婚約者は、恋愛に疎かった彼が唯一、心から愛した女性だったのだ。当時を振り返ると、「振り回されただけだった」そうだが。 恭司さんは新居を解約、元いた1LDKのアパートに戻った。その後、彼は二度と恋などしないと誓ったという。「完全に女性不信に陥っていました。女友だちはいたけどグループで飲みに行くだけ。恋愛などしたくなかった」 だが30代半ばになると、周りの友人の大半は結婚していた。子どもの写真を見せられたり、招かれて遊びに行くと友人の妻から温かくもてなされたり。自然と彼も結婚したいと思うようになっていった。その願いがかなったのは、職場に派遣としてきていた郁美さんとの出会いだった。 「郁美は僕のいる部署のアシスタントでしたが、仕事が手早く、よけいなおしゃべりをしないタイプ。一緒に仕事をしていく上では最高のアシスタントでした。彼女の契約が満了して辞めることになったと聞き、あまりに残念だったのでこれまでの慰労会をしようと思い立ち、食事に誘ったんです。部内では慣例的に派遣の人に歓送会などはしていなかったので、僕ひとりの思いつきです」 つまりは歓送会を言い訳に彼女を食事に誘ったというわけだが、彼は「下心などいっさいなかった」と断言する。もともと恋愛などするつもりもなかった。人として、一緒に仕事をしてきた仲間として、彼女の最後の出勤日にお疲れさまと言いたかっただけだ、と。 「会社から費用が出るわけではありませんから、他の社員を誘うのは気が引けた。だから僕ひとりで誘ったんです。彼女は喜んでくれました」「行くところがない」と泣き出した 14歳も年下の女性と食事をすることに躊躇がないわけではなかったが、とにもかくにも彼女のこれまでの尽力を慰労したかった。ところがなぜかそのふたりきりの食事会で意気投合してしまった。 「ハッと気づいたら、彼女の終電が終わっていた。彼女、家が遠いんですよ。僕のほうはまだあったけど置いて帰るわけにもいかない。どうすると聞いたら『橋田さんのところに泊まる』って。その日は彼女がベッドに寝て、僕は床で寝ました」 朝起きると、味噌の香りが鼻をくすぐった。二日酔いの朝にはこれですよ、と出してくれた熱々の味噌汁に彼の心がぐらりと揺れた。その日、会社から帰ると、彼女はまだいた。 「それから居着いてしまったんです、彼女。これはまずいと思う気持ちと、このまま一緒に暮らしてもいいかもという気持ちがないまぜになっていましたね。数日後、とにかく一度自宅に帰って、改めてふたりのことを考えようと言ったら、彼女が泣き出した。『行くところがない』と。彼女の両親は離婚していて、彼女は母親に引き取られたけど、最近、母に新たな男性ができた、その男性が彼女を性的な目で見るから帰りたくないと言うんです。義憤にかられた僕は、だったらここにいてもいいよと言いました。すると彼女、『ごめんなさい。ありがとう』とはらはら涙をこぼした。結婚しようかという言葉が口から飛び出してしまいました」 彼女の顔がパッと明るくなった。女性が自分と一緒にいることで笑顔になるなら、そしてこんな素敵な笑顔を見られるなら、結婚も悪くないと彼は思った。婚約者に裏切られた傷が癒えた瞬間だった。侠気を発揮する男性は、だいたい「女性を見る目」がない… 3ヶ月後、彼女の妊娠がわかったタイミングで婚姻届を提出、会社にもその旨を届け出た。相手の名前から「派遣で来ていた人だよね」とすぐに情報が飛び交ったという。 「なんとなく周りからはあまり祝福されていない気がしました。同期の女性から『あの子、評判悪かったけど大丈夫?』と言われたんです。仕事はできたけど、人間関係でいろいろ揉めていたと。僕はちっとも気づいていなかった。とはいえ、職場の人間関係はいろいろあるだろうし、彼女がもめごとを起こすようにも思えなかった。それが僕の人を見る目のなさを証明していたようなものですが……」 結婚式も特にせず、新婚生活に入った。郁美さんは親には自分から報告しておくと言い、彼に会わせようとはしなかった。彼は遠方の両親と妹夫婦を呼んで食事会という形で、妻を紹介した。 「その後、妹から連絡があって『あの人、大丈夫?』と。何がと言ったら、『なんだか表情に険がある。同性には嫌われるタイプだよ』って。そういえば同期の女性も評判が悪いと言っていたしと気にはなりましたが、一緒に生活するのは僕自身。どこにも居場所のない郁美を救えるのは僕しかいない。年も離れているし、おおらかに彼女を見守ろうと決めました」 こういうときに侠気を発揮する男性は、だいたい「女性を見る目」がないのだ。そもそも、一緒に仕事をしていたとはいえ、彼は郁美さんを「女性として」見ていたわけではない。すべてが初めてふたりきりで食事をした夜に始まったことで、それまで人間性を探ったこともなかった相手なのだ。そんな人と数ヶ月で決まったスピード婚だった。自分なら彼女を受け入れることができる。彼はそう思っていたという。 その後はつわりがひどい、体がだるいと訴える彼女のために彼は尽くした。家事もほとんど恭司さんがこなし、夜は妻の体をマッサージした。安定期に入って妻が元気になっていくのと比例して、恭司さんは痩せていった。母までも「怖いのよ、あの人」 恭司さんの献身的な世話のもと、元気な男の子が誕生、40歳にして自分の手で子どもを抱き、彼は涙をこぼして妻を労った。そのときは妻も幸せそうに微笑んでいた。 「退院して家に戻ったとき、郁美は親に頼れないから、僕の母親が来てくれたんです。ところが母が日増しにやつれていった。何かあったのかと聞いても母は何も言わない。そこである日、こっそり早退してみると、妻は留守だった」 「母に聞くと、産後3週間くらいから急に妻が出かけるようになったというんです。それほど長い時間というわけではない。美容院とかデパートとか、その程度だと思うと。息抜きしたかったんでしょうか。母は新生児の世話や家事でくたくただったけど、郁美には何も言えなかった。『怖いのよ、あの人』と母がため息をつきました。何度も聞いたらやっと、『私が、赤ちゃんにはこうしたほうがいいかもしれないよと遠慮がちに言っても、よけいな口は挟まないでくださいと切り口上で答える。それ以上言おうものなら、じいっと睨むんだよね』と。結婚したとき、妹が『あの人、大丈夫?』と言ったのは正しかった 。それでも母は何とか1ヶ月と少し、うちにいてくれました」 母がいなくなると、郁美さんはとたんに恭司さんに甘えはじめた。育休をとれないのか、とれないならしばらくの間、定時で帰ってほしい。「ひとりでいると不安でたまらないの」という彼女に、またも恭司さんの侠気が発令されてしまう。「会社に話して、残業はあまりせずに帰れるようにしてもらいました。『年がいってからの育児は大変で』と冗談まじりに周りにも説明、代わりに朝、なるべく早く出社してみんなに迷惑をかけないようがんばったんです」 それでも昼間、郁美さんからはたびたびメッセージがやってきた。「ミルクをあまり飲まない」「もう私、この子をかわいいと思えない」など。そのたび彼は電話をして妻をなだめ、励ました。夕飯を作らなくなった妻 産後2ヶ月ほどたったころ、疲れ切った恭司さんが夜中、子どもの泣き声にも起きられなかったときのことだ。いきなり頭に強烈な衝撃があった。目を開けると、郁美さんがおもちゃのバットを持って立っていた。 「深夜のミルクはあんたの担当でしょ! とすごい勢いで怒鳴られたんです。いくらおもちゃのバットだって頭を殴られれば痛い。殴ることはないだろうと大ゲンカになりましたが、とにかく早く子どもを泣き止ませなければと、ミルク作りを急ぎました」 それを機会に、ときどき妻の暴力や罵倒、嫌がらせが起こるようになった。何がきっかけでスイッチが入るかはわからない。圧倒的に多いのは嫌がらせで、子どもが大きくなるにつれて恭司さんの夕飯がなくなった。 「離乳食から普通食へ移行していくうち、子どもの好きなものが多くなった。うっかり『鮭かなんかないかな』と言ったのが妻の逆鱗に触れました。『食べたいなら自分で焼きなさいよ』と言われたんです。それきり妻は僕の夕飯は作らなくなりました。話し合おうと思ったけど、怖くて話せない。それなのに第二子もできてしまった。ここだけの話ですが、出産後、妻は性欲が強くなりました。迫られることが増え、断ると怒るからがんばったんです。それでも僕はこの状態なら子どもはひとりでいいと思っていたから避妊していた。あるとき妻が急に優しい口調で、『今日は大丈夫だから』と言い出して油断してしまったんです」 妻はいつも怖いわけではない。急に依存するように甘えたり、かと思うと彼を無視したりする。恭司さんは常に妻の顔色をうかがうようになっていった。 第二子が生まれたばかりのころも、妻の精神状態は不安定で、彼はたびたび役所に相談に行ったという。地域の保育ママ制度を利用して数時間、子どもたちを預かってもらったり、時にはベビーシッターを頼んだりして、なんとか妻の負担を軽くするよう腐心した。浮気を疑い出した妻 あるとき、郁美さんのことを進言してくれた同期の女性・由佳里さんと帰り道が一緒になり、つい「軽く一杯やらない?」と誘った。そして由佳里さんが言ってくれたことは本当だった、郁美には困惑していると愚痴を言ってしまった。 「やっぱり……と彼女はため息をつきました。彼女は、男の前と女の前で言動が変わる典型的な同性に嫌われるタイプだった、と。『おそらくあなた、狙われたのよ』と言うんですよ。年齢も離れていたからそれなりに収入はあるし、若い女性にはどうしたって甘くなる。だから郁美は、僕なら簡単に結婚に持ち込めると思っていたのではないか、と。まさかと笑ったら、当時同じように派遣で来ていた女性に、郁美が僕のことを『あいつは簡単に落とせる』と言っていた。その派遣女性から聞いたと言うんです。『又聞きだから、あなたに言うのもどうかと思って言わなかったけど』って。郁美は、とにかく専業主婦になりたかったみたいです。仕事はテキパキやっていたのになとつぶやくと、由佳里さんが『あれは社員がフォローしてたから』と。それにも驚きました。社員が手伝ってできた資料を、あたかも自分ひとりで作ったように僕には言っていたから」 それ以来、恭司さんはときどき由佳里さんに相談に乗ってもらったり愚痴を言ったりするようになった。だが、郁美さんはそんな夫の変化に気づいたようだ。 「あるとき帰ると、玄関で待ち構えていた郁美に、いきなりビンタされたんです。何するんだよと言ったら、『由佳里って誰よ!』と。同期だよと言ったら、浮気してるんでしょとまた殴りかかってきた。いいかげんにしろよと彼女の両手をつかんだら『痛い』と大騒ぎ。下の子が泣き出したので、うやむやになりましたが、そういうことが何度も続いた」 そのたびに「浮気などしていない。彼女とは同期として友人関係にあるだけ」と説明したが、郁美さんは納得しない。彼女から慰謝料をぶんどってやると息巻いたこともある。やましいことのない恭司さんは、ふだん通りに妻を刺激しないよう暮らしていくしかなかった。 「それでも妻は近所やママ友とは、ごく普通につきあっていたようです。片鱗が見えることはあるのかもしれないけど、それほど長い時間一緒にいるような関係の人はいなかった。だからメンタル的におかしいというほどではない。ただ、僕に対してだけは甘えたり威圧したりと変化が激しかったですね」 恭司さんは一度、郁美さんの母親に連絡をとったことがある。彼女がどういう生育歴にあるのか知りたかったのだ。だが母親は、「あの子のことはあまり話したくない」と言うばかり。それでもと頼み込むと、「あの子が10歳のころに私は離婚したんです。その3年後に再婚したら、あの子は中学生なのに私の再婚相手を誘惑しようとした。夫が怖がっていたことがありました」と言われた。郁美さんの心には何かが欠けているとわかった恭司さんは、なるべく優しく接するよう心がけた。突然の調停 一方で、恭司さんと由佳里さんは変わらず友だちとしていい関係を築いていた。そして2年前、いきなり家庭裁判所から調停の知らせが職場に届けられた。 「郁美が夫婦関係を調停してほしいと、家裁に訴えたようです。同居しているのに、どういうことなんだろうと思い、帰宅して聞くと、『あなたに浮気をやめてほしいから、第三者に入ってもらいたくて』と。だから浮気なんかしていないと何度も伝えたのに。もう一緒に暮らすのは疲れた。そのとき思わずそう言ってしまいました」 いいわよ、別居しましょう。私と子どもたちがじゅうぶん暮らせるだけのお金をちょうだい、そうしたら別居してやるわよ。郁美さんはそう叫んで恭司さんに殴りかかってきた。気持ちがささくれ立っていたこともあり、恭司さんは郁美さんの手首をつかんでねじり上げた。痛い痛いと泣き叫ぶ郁美さん、そして「いいかげんにしろよ」と脅した恭司さんの声はしっかり録音されていた。 それからは完全に家庭内別居となった。調停に入ると、郁美さんのつけていた日記や録音が提出された。日記には夫に暴力をふるわれた妻の心理が事細かに書かれていたという。 「はめられたとわかりました。離婚して慰謝料をとろうという魂胆だろうと思っていたら、妻は調停が進むにつれ、離婚はしたくない、もっと家族を大事にしてくれればいいんですと言い出した。わけがわからなかった」 そして調停は終了。婚姻状態は継続することになった。恭司さんだけが調停員たちから奥さんの気持ちを考えてと説教された。2年前のことだ。 「それで少しは気持ちがすっきりしたんでしょうか。暴力は激減しました。でも僕を無視したり、ときどき嫌味を言ったりするのは続いています。今も由佳里さんとの関係を疑ってもいる。僕は今でも『疲れてない?』『いつもありがとう』ときちんと妻のことは労っていますよ。でも妻はちゃんと向き合って話そうとはしない。いっそ、由佳里さんでなくても誰かと浮気してしまおうかと思ったこともありますが、それはそれでめんどうなことになりそう。だからときおり風俗に通っています。風俗の女の子のほうが妻よりずっと優しいから」 最後の一言が妙にせつない響きをもっていた。 妻への献身を旨としていた恭司さんだが、結婚生活も8年たち、この間の嵐のような日々にさすがに疲労困憊なのだと打ち明けた。子どもたちのメンタルにも注意を払わないといけない。いっそ父子家庭になったほうがいいと思うが、妻の演技力をもってすれば、裁判をしても彼が親権を得るのはむずかしいだろう。彼もそのあたりはわかっているようだ。 子どもたちがしっかり自分の意志をもてるまで、今の状態を続けるしかないと言う。身体的暴力が減っただけでも「以前よりは少しマシ」だと苦笑し、彼は重い足取りで夕闇に消えていった。 *** こうした夫婦のトラブルは、片方だけの言い分を鵜呑みにしてはいけないことが多い。とはいえ、郁美さんの行動は目に余る。亀山氏に相談する恭司さんの口ぶりからは、完全に郁美さんへの気持ちが冷めてしまっていることが窺える。 いまの膠着状態を脱するにあたってのネックは8歳と6歳の息子たちの「親権」ただ一点にあるようだ。 通常、親権の決定にあたっては、15歳以上であれば裁判所は子供の意見を聞かなければならないという。そうでなくても、10歳前後であれば、やはり子供の意思が尊重される傾向にある。何事も感情的になる郁美さんが、子供たちから「良き母親」と思われているとは想像しにくい。あと3年も耐えれば……という助言は、恭司さんの慰めになるだろうか。 ただでさえ、恭司さんの汚点を「でっちあげ」てくる妻である。足元をすくわれないように振舞わなくてはならないだろう。風俗店に通ってる場合ではないのは、間違いない。亀山早苗(かめやま・さなえ)フリーライター。男女関係、特に不倫について20年以上取材を続け、『不倫の恋で苦しむ男たち』『夫の不倫で苦しむ妻たち』『人はなぜ不倫をするのか』『復讐手帖─愛が狂気に変わるとき─』など著書多数。デイリー新潮編集部
「最初に妻から暴力を受けたのは、第一子である長男が生まれてすぐのころでした」
橋田恭司さん(48歳・仮名=以下同)は、少し疲れたような表情でそう言った。40歳のとき14歳年下の郁美さんと結婚、長男は8歳、次男は6歳になった。
「29歳のころ婚約者にフラれたんです。新居まで用意して、彼女は一足先にそこへ引っ越して……。それなのに僕が越す前に、家財道具を売り払って逃げてしまった。ある日、僕が行ったらもぬけのから。何が起こったのかわかりませんでした。彼女がほしいというから50インチのテレビも買ったし、家電も最先端のものを揃えました。それを全部、売られてしまい、あげく連絡がとれなくなった」
2年つきあって婚約した彼女だった。だがあとから彼女の友人たちに確認してみると、彼女には「ヒモ」のような男がいたという。
「彼女が婚約したというから、てっきりヒモ男とは別れたと思っていたけど、やっぱり別れられなかったみたいと話してくれました。彼女のほうがベタ惚れだったからと明かす人もいました。彼女は自分の友人を僕に紹介したがらなかった。僕の友人には会わせろとしつこかったんですけどね。実際、彼女から借金を申し込まれた友人もいます」
彼は大手企業に勤める会社員だ。まじめが取り柄と自分でも言うほどで、入社以来、無駄遣いもせずにコツコツ貯めてきたお金を彼女のために景気よく使った。婚約者は、恋愛に疎かった彼が唯一、心から愛した女性だったのだ。当時を振り返ると、「振り回されただけだった」そうだが。
恭司さんは新居を解約、元いた1LDKのアパートに戻った。その後、彼は二度と恋などしないと誓ったという。
「完全に女性不信に陥っていました。女友だちはいたけどグループで飲みに行くだけ。恋愛などしたくなかった」
だが30代半ばになると、周りの友人の大半は結婚していた。子どもの写真を見せられたり、招かれて遊びに行くと友人の妻から温かくもてなされたり。自然と彼も結婚したいと思うようになっていった。その願いがかなったのは、職場に派遣としてきていた郁美さんとの出会いだった。
「郁美は僕のいる部署のアシスタントでしたが、仕事が手早く、よけいなおしゃべりをしないタイプ。一緒に仕事をしていく上では最高のアシスタントでした。彼女の契約が満了して辞めることになったと聞き、あまりに残念だったのでこれまでの慰労会をしようと思い立ち、食事に誘ったんです。部内では慣例的に派遣の人に歓送会などはしていなかったので、僕ひとりの思いつきです」
つまりは歓送会を言い訳に彼女を食事に誘ったというわけだが、彼は「下心などいっさいなかった」と断言する。もともと恋愛などするつもりもなかった。人として、一緒に仕事をしてきた仲間として、彼女の最後の出勤日にお疲れさまと言いたかっただけだ、と。
「会社から費用が出るわけではありませんから、他の社員を誘うのは気が引けた。だから僕ひとりで誘ったんです。彼女は喜んでくれました」
14歳も年下の女性と食事をすることに躊躇がないわけではなかったが、とにもかくにも彼女のこれまでの尽力を慰労したかった。ところがなぜかそのふたりきりの食事会で意気投合してしまった。
「ハッと気づいたら、彼女の終電が終わっていた。彼女、家が遠いんですよ。僕のほうはまだあったけど置いて帰るわけにもいかない。どうすると聞いたら『橋田さんのところに泊まる』って。その日は彼女がベッドに寝て、僕は床で寝ました」
朝起きると、味噌の香りが鼻をくすぐった。二日酔いの朝にはこれですよ、と出してくれた熱々の味噌汁に彼の心がぐらりと揺れた。その日、会社から帰ると、彼女はまだいた。
「それから居着いてしまったんです、彼女。これはまずいと思う気持ちと、このまま一緒に暮らしてもいいかもという気持ちがないまぜになっていましたね。数日後、とにかく一度自宅に帰って、改めてふたりのことを考えようと言ったら、彼女が泣き出した。『行くところがない』と。彼女の両親は離婚していて、彼女は母親に引き取られたけど、最近、母に新たな男性ができた、その男性が彼女を性的な目で見るから帰りたくないと言うんです。義憤にかられた僕は、だったらここにいてもいいよと言いました。すると彼女、『ごめんなさい。ありがとう』とはらはら涙をこぼした。結婚しようかという言葉が口から飛び出してしまいました」
彼女の顔がパッと明るくなった。女性が自分と一緒にいることで笑顔になるなら、そしてこんな素敵な笑顔を見られるなら、結婚も悪くないと彼は思った。婚約者に裏切られた傷が癒えた瞬間だった。
3ヶ月後、彼女の妊娠がわかったタイミングで婚姻届を提出、会社にもその旨を届け出た。相手の名前から「派遣で来ていた人だよね」とすぐに情報が飛び交ったという。
「なんとなく周りからはあまり祝福されていない気がしました。同期の女性から『あの子、評判悪かったけど大丈夫?』と言われたんです。仕事はできたけど、人間関係でいろいろ揉めていたと。僕はちっとも気づいていなかった。とはいえ、職場の人間関係はいろいろあるだろうし、彼女がもめごとを起こすようにも思えなかった。それが僕の人を見る目のなさを証明していたようなものですが……」
結婚式も特にせず、新婚生活に入った。郁美さんは親には自分から報告しておくと言い、彼に会わせようとはしなかった。彼は遠方の両親と妹夫婦を呼んで食事会という形で、妻を紹介した。
「その後、妹から連絡があって『あの人、大丈夫?』と。何がと言ったら、『なんだか表情に険がある。同性には嫌われるタイプだよ』って。そういえば同期の女性も評判が悪いと言っていたしと気にはなりましたが、一緒に生活するのは僕自身。どこにも居場所のない郁美を救えるのは僕しかいない。年も離れているし、おおらかに彼女を見守ろうと決めました」
こういうときに侠気を発揮する男性は、だいたい「女性を見る目」がないのだ。そもそも、一緒に仕事をしていたとはいえ、彼は郁美さんを「女性として」見ていたわけではない。すべてが初めてふたりきりで食事をした夜に始まったことで、それまで人間性を探ったこともなかった相手なのだ。そんな人と数ヶ月で決まったスピード婚だった。自分なら彼女を受け入れることができる。彼はそう思っていたという。
その後はつわりがひどい、体がだるいと訴える彼女のために彼は尽くした。家事もほとんど恭司さんがこなし、夜は妻の体をマッサージした。安定期に入って妻が元気になっていくのと比例して、恭司さんは痩せていった。
恭司さんの献身的な世話のもと、元気な男の子が誕生、40歳にして自分の手で子どもを抱き、彼は涙をこぼして妻を労った。そのときは妻も幸せそうに微笑んでいた。
「退院して家に戻ったとき、郁美は親に頼れないから、僕の母親が来てくれたんです。ところが母が日増しにやつれていった。何かあったのかと聞いても母は何も言わない。そこである日、こっそり早退してみると、妻は留守だった」
「母に聞くと、産後3週間くらいから急に妻が出かけるようになったというんです。それほど長い時間というわけではない。美容院とかデパートとか、その程度だと思うと。息抜きしたかったんでしょうか。母は新生児の世話や家事でくたくただったけど、郁美には何も言えなかった。『怖いのよ、あの人』と母がため息をつきました。何度も聞いたらやっと、『私が、赤ちゃんにはこうしたほうがいいかもしれないよと遠慮がちに言っても、よけいな口は挟まないでくださいと切り口上で答える。それ以上言おうものなら、じいっと睨むんだよね』と。結婚したとき、妹が『あの人、大丈夫?』と言ったのは正しかった 。それでも母は何とか1ヶ月と少し、うちにいてくれました」
母がいなくなると、郁美さんはとたんに恭司さんに甘えはじめた。育休をとれないのか、とれないならしばらくの間、定時で帰ってほしい。「ひとりでいると不安でたまらないの」という彼女に、またも恭司さんの侠気が発令されてしまう。
「会社に話して、残業はあまりせずに帰れるようにしてもらいました。『年がいってからの育児は大変で』と冗談まじりに周りにも説明、代わりに朝、なるべく早く出社してみんなに迷惑をかけないようがんばったんです」
それでも昼間、郁美さんからはたびたびメッセージがやってきた。「ミルクをあまり飲まない」「もう私、この子をかわいいと思えない」など。そのたび彼は電話をして妻をなだめ、励ました。
産後2ヶ月ほどたったころ、疲れ切った恭司さんが夜中、子どもの泣き声にも起きられなかったときのことだ。いきなり頭に強烈な衝撃があった。目を開けると、郁美さんがおもちゃのバットを持って立っていた。
「深夜のミルクはあんたの担当でしょ! とすごい勢いで怒鳴られたんです。いくらおもちゃのバットだって頭を殴られれば痛い。殴ることはないだろうと大ゲンカになりましたが、とにかく早く子どもを泣き止ませなければと、ミルク作りを急ぎました」
それを機会に、ときどき妻の暴力や罵倒、嫌がらせが起こるようになった。何がきっかけでスイッチが入るかはわからない。圧倒的に多いのは嫌がらせで、子どもが大きくなるにつれて恭司さんの夕飯がなくなった。
「離乳食から普通食へ移行していくうち、子どもの好きなものが多くなった。うっかり『鮭かなんかないかな』と言ったのが妻の逆鱗に触れました。『食べたいなら自分で焼きなさいよ』と言われたんです。それきり妻は僕の夕飯は作らなくなりました。話し合おうと思ったけど、怖くて話せない。それなのに第二子もできてしまった。ここだけの話ですが、出産後、妻は性欲が強くなりました。迫られることが増え、断ると怒るからがんばったんです。それでも僕はこの状態なら子どもはひとりでいいと思っていたから避妊していた。あるとき妻が急に優しい口調で、『今日は大丈夫だから』と言い出して油断してしまったんです」
妻はいつも怖いわけではない。急に依存するように甘えたり、かと思うと彼を無視したりする。恭司さんは常に妻の顔色をうかがうようになっていった。
第二子が生まれたばかりのころも、妻の精神状態は不安定で、彼はたびたび役所に相談に行ったという。地域の保育ママ制度を利用して数時間、子どもたちを預かってもらったり、時にはベビーシッターを頼んだりして、なんとか妻の負担を軽くするよう腐心した。
あるとき、郁美さんのことを進言してくれた同期の女性・由佳里さんと帰り道が一緒になり、つい「軽く一杯やらない?」と誘った。そして由佳里さんが言ってくれたことは本当だった、郁美には困惑していると愚痴を言ってしまった。
「やっぱり……と彼女はため息をつきました。彼女は、男の前と女の前で言動が変わる典型的な同性に嫌われるタイプだった、と。『おそらくあなた、狙われたのよ』と言うんですよ。年齢も離れていたからそれなりに収入はあるし、若い女性にはどうしたって甘くなる。だから郁美は、僕なら簡単に結婚に持ち込めると思っていたのではないか、と。まさかと笑ったら、当時同じように派遣で来ていた女性に、郁美が僕のことを『あいつは簡単に落とせる』と言っていた。その派遣女性から聞いたと言うんです。『又聞きだから、あなたに言うのもどうかと思って言わなかったけど』って。郁美は、とにかく専業主婦になりたかったみたいです。仕事はテキパキやっていたのになとつぶやくと、由佳里さんが『あれは社員がフォローしてたから』と。それにも驚きました。社員が手伝ってできた資料を、あたかも自分ひとりで作ったように僕には言っていたから」
それ以来、恭司さんはときどき由佳里さんに相談に乗ってもらったり愚痴を言ったりするようになった。だが、郁美さんはそんな夫の変化に気づいたようだ。
「あるとき帰ると、玄関で待ち構えていた郁美に、いきなりビンタされたんです。何するんだよと言ったら、『由佳里って誰よ!』と。同期だよと言ったら、浮気してるんでしょとまた殴りかかってきた。いいかげんにしろよと彼女の両手をつかんだら『痛い』と大騒ぎ。下の子が泣き出したので、うやむやになりましたが、そういうことが何度も続いた」
そのたびに「浮気などしていない。彼女とは同期として友人関係にあるだけ」と説明したが、郁美さんは納得しない。彼女から慰謝料をぶんどってやると息巻いたこともある。やましいことのない恭司さんは、ふだん通りに妻を刺激しないよう暮らしていくしかなかった。
「それでも妻は近所やママ友とは、ごく普通につきあっていたようです。片鱗が見えることはあるのかもしれないけど、それほど長い時間一緒にいるような関係の人はいなかった。だからメンタル的におかしいというほどではない。ただ、僕に対してだけは甘えたり威圧したりと変化が激しかったですね」
恭司さんは一度、郁美さんの母親に連絡をとったことがある。彼女がどういう生育歴にあるのか知りたかったのだ。だが母親は、「あの子のことはあまり話したくない」と言うばかり。それでもと頼み込むと、「あの子が10歳のころに私は離婚したんです。その3年後に再婚したら、あの子は中学生なのに私の再婚相手を誘惑しようとした。夫が怖がっていたことがありました」と言われた。郁美さんの心には何かが欠けているとわかった恭司さんは、なるべく優しく接するよう心がけた。
一方で、恭司さんと由佳里さんは変わらず友だちとしていい関係を築いていた。そして2年前、いきなり家庭裁判所から調停の知らせが職場に届けられた。
「郁美が夫婦関係を調停してほしいと、家裁に訴えたようです。同居しているのに、どういうことなんだろうと思い、帰宅して聞くと、『あなたに浮気をやめてほしいから、第三者に入ってもらいたくて』と。だから浮気なんかしていないと何度も伝えたのに。もう一緒に暮らすのは疲れた。そのとき思わずそう言ってしまいました」
いいわよ、別居しましょう。私と子どもたちがじゅうぶん暮らせるだけのお金をちょうだい、そうしたら別居してやるわよ。郁美さんはそう叫んで恭司さんに殴りかかってきた。気持ちがささくれ立っていたこともあり、恭司さんは郁美さんの手首をつかんでねじり上げた。痛い痛いと泣き叫ぶ郁美さん、そして「いいかげんにしろよ」と脅した恭司さんの声はしっかり録音されていた。
それからは完全に家庭内別居となった。調停に入ると、郁美さんのつけていた日記や録音が提出された。日記には夫に暴力をふるわれた妻の心理が事細かに書かれていたという。
「はめられたとわかりました。離婚して慰謝料をとろうという魂胆だろうと思っていたら、妻は調停が進むにつれ、離婚はしたくない、もっと家族を大事にしてくれればいいんですと言い出した。わけがわからなかった」
そして調停は終了。婚姻状態は継続することになった。恭司さんだけが調停員たちから奥さんの気持ちを考えてと説教された。2年前のことだ。
「それで少しは気持ちがすっきりしたんでしょうか。暴力は激減しました。でも僕を無視したり、ときどき嫌味を言ったりするのは続いています。今も由佳里さんとの関係を疑ってもいる。僕は今でも『疲れてない?』『いつもありがとう』ときちんと妻のことは労っていますよ。でも妻はちゃんと向き合って話そうとはしない。いっそ、由佳里さんでなくても誰かと浮気してしまおうかと思ったこともありますが、それはそれでめんどうなことになりそう。だからときおり風俗に通っています。風俗の女の子のほうが妻よりずっと優しいから」
最後の一言が妙にせつない響きをもっていた。
妻への献身を旨としていた恭司さんだが、結婚生活も8年たち、この間の嵐のような日々にさすがに疲労困憊なのだと打ち明けた。子どもたちのメンタルにも注意を払わないといけない。いっそ父子家庭になったほうがいいと思うが、妻の演技力をもってすれば、裁判をしても彼が親権を得るのはむずかしいだろう。彼もそのあたりはわかっているようだ。
子どもたちがしっかり自分の意志をもてるまで、今の状態を続けるしかないと言う。身体的暴力が減っただけでも「以前よりは少しマシ」だと苦笑し、彼は重い足取りで夕闇に消えていった。
***
こうした夫婦のトラブルは、片方だけの言い分を鵜呑みにしてはいけないことが多い。とはいえ、郁美さんの行動は目に余る。亀山氏に相談する恭司さんの口ぶりからは、完全に郁美さんへの気持ちが冷めてしまっていることが窺える。
いまの膠着状態を脱するにあたってのネックは8歳と6歳の息子たちの「親権」ただ一点にあるようだ。
通常、親権の決定にあたっては、15歳以上であれば裁判所は子供の意見を聞かなければならないという。そうでなくても、10歳前後であれば、やはり子供の意思が尊重される傾向にある。何事も感情的になる郁美さんが、子供たちから「良き母親」と思われているとは想像しにくい。あと3年も耐えれば……という助言は、恭司さんの慰めになるだろうか。
ただでさえ、恭司さんの汚点を「でっちあげ」てくる妻である。足元をすくわれないように振舞わなくてはならないだろう。風俗店に通ってる場合ではないのは、間違いない。
亀山早苗(かめやま・さなえ)フリーライター。男女関係、特に不倫について20年以上取材を続け、『不倫の恋で苦しむ男たち』『夫の不倫で苦しむ妻たち』『人はなぜ不倫をするのか』『復讐手帖─愛が狂気に変わるとき─』など著書多数。
デイリー新潮編集部

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