35歳以上の高齢出産が3割を越え(2021年、厚生労働省調べ)、40歳以上での出産も増えている時代。56歳で初めて父になった夕刊フジ編集長の中本裕己さんが、出産と育児に一喜一憂する夫婦の日々を綴り、SNSを中心に話題を集めている(『56歳で初めて父に、45歳で初めて母になりました 生死をさまよった出産とシニア子育て奮闘記』ワニブックス)。コロナ禍での出産から、低出生体重児の育児、50代からの子育てマネー術まで。高齢出産・シニア子育てのリアル、苦労と幸せについて、中本さんに話を伺った。
【写真】早産で体が小さい息子を風呂に入れる中本さん。自分の風呂好きのDNAを受け継いでくれたようだという妊娠は青天の霹靂。夫婦を襲った2つの危機 結婚した時点で奥さん36歳、中本さん48歳。子どもを欲しいという気持ちはあったが、二人で話し合った上で、不妊治療はしないと決めた。「結婚して2年目、僕が50歳のときに同窓会に行ったんです。そこで40を過ぎて出産した同級生に、子どもつくらへんの? と聞かれて。恵まれたらいいなという感じなんやと答えたら、あなたはそれでいいかもしれないけれど、女性は産める時期が決まっているから、奥さんと真剣に話し合ったほうがいいよと言われたんです。 それをきっかけに妻ときちんと話し合って、できたら嬉しいし、できなかったら二人で楽しく過ごしましょうと。だから妊娠は青天の霹靂で、大袈裟に言うと、こんな人生になるとは思わなかった」(中本さん、以下「」同) 結婚9年目、妻・44歳での妊娠。仕事に趣味にと、それぞれに多忙かつ自由な日々を送っていた夫婦の生活は一変したが、幸せを感じていた。だが、二人を危機が襲う。 一つは新型コロナウイルスの感染拡大。もう一つが、妊娠7か月での妻のおたふく風邪への感染だった。妊婦が飲んでもいい薬を処方してもらっても、いつまでたっても病状は良くなるどころか悪化の一途を辿り、緊急入院することに。その後、心筋炎の疑いで転院し、緊急帝王切開で出産するまでの緊迫した日々を、中本さんは克明に記録し、綴った。妻はICU、子はNICU。それでもプラス思考で「妻はもともと我慢強いほうで、我慢しすぎたのかもしれないと言っていましたが、近くにいる僕が早く気づいて病院に連れていくべきでした。ただ、おたふく風邪から心筋炎になるのはレアケースのようで、医師の先生によると、高齢だからそうなったのかどうかは、わからないということでした」 帝王切開手術は成功し、無事に男の子が誕生。しかし妻は重篤な状態が続き、ICU(集中治療室)に。妊娠28週、1203グラムで産まれた子はNICU(新生児集中治療管理室)に。二人とも危険な状態が続いている上、コロナ対策もあり、我が子が誕生した日、中本さんは妻にも子にも会うことができなかった。「妻と子は、家からそれほど遠くない病院に入院していたんです。ベランダから病院が見えるだけに気が気じゃなく、不安でしたね。でも自分ではどうすることもできないので、妻の心筋炎の治療法を調べたりとか、自分ができることをやって、心を落ち着けていました」 ようやく、わが子との初めての対面の日がやってきた。「真っ赤で、体毛が動物みたいに背中までまって、顔も、くちゃっとしているんだけど、かわいくて、愛おしいんです。何より、すごくすごく小さい我が子に、頑張れ、頑張れ、という思いになりました」 心筋炎から回復途上にある妻の体への負担を考え、母乳ではなくミルクで育てることを決断するなど、夫婦で話し合って、一つひとつ、目の前の問題をクリアしていく。コロナの影響で、NICUにいる子どもに思うように会えない辛さはあったものの、そんなときは、持ち前のプラス思考を働かせるよう心掛けた。「高齢出産で何があるかわからないから、妊娠を周囲に伝えづらかったんです。コロナで誰とも会えない状況になったことは、そんな私たちにとっては良かった面もありました。妻と子どもが退院した後も、妻に無理はさせられない状態だったので、僕がリモートワークを活用して育児ができたこともありがたかったですね」育児アプリで勉強、子を膝にのせてリモート会議。56歳の育児のリアル 生後3か月で子どもは退院し、56歳と45歳の育児が始まった。自治体などによる「育児教室」はコロナで軒並み中止になっていたため、育児アプリやYouTubeを活用して猛勉強。1LDKの限りあるスペースでの子育ては、熟慮の上にベビーグッズのレンタルと購入を使い分け、リモート会議は子どもを膝にのせて行った。「育児休暇を取ろうかとも考えたのですが、これからのシニア子育てを考えると、少しでも給料をためておかなければ大変なので、リモートを活用して、なんとかやっています。家事はできるだけ分担しているとはいえ、やっぱり、妻に負担がかかっているとは思いますね」 家族が増え、中本家は生活設計の見直しに迫られた。学資保険に入りたいが、現状は20代、30代の夫婦を想定した保険がほとんどだという現実にもぶちあたる。また、妻が働くための保育園問題……。中本夫婦は子育てのために、好きだった街から足立区へと引っ越しをする。子どもを育てるという観点で、社会を見つめるようになった。「思いがけず子どもができてから、妻はよく私に『変化を楽しもう』と言っていました。その影響もあって、私たちはいい意味で、変化を楽しんでいます。といっても妻は、元来、変化が苦手で、自分を鼓舞するためにそう言っていたようなのですが」子どもが成人するとき、76歳。「今のうちに可愛がり倒そう」 子供は2歳になった。高齢育児は体力勝負で、「体はボロボロです」と語るが、表情は明るい。「先日、遊園地に連れて行ったら、ものすごく喜んで。息子はキラキラした目で、ずっと上を見上げているんです。当たり前だけと、小さい子どもが見ている景色って、大人とは違うんだなあと気づいて感動しました(笑)。やっぱり歳だから、そういうちょっとしたことに心が動かされるんでしょうね」 一方で高齢の親の介護、さらには自分たちの介護問題も頭をよぎる年齢だ。「お前が言うなよという話になりますが、やっぱり子どもがほしい方は、若いときから子作りについて考え、若いときに子育てをしたほうが体力的にはいいと思います。多様な生き方が重んじられることはとてもいいことであると同時に、若いときに結婚して子どもを産んで、おじいちゃんおばあちゃんにもかわいがってもらうという人生も、楽しかっただろうなと、育児の面白さを知った今は思うんですね」 子どもが成人するとき、中本さん76歳──。「あと20年はがんばらないと」と、周囲に励まされるのはありがたいし、できるだけ元気に長生きして、息子の成長を見届けたいと思っている。だが、プレッシャーはあまりないという。「僕の父は、僕が大学生のとき、52歳で急死しました。そこからアルバイトをして、周囲の人に助けられ、なんとか大学を卒業して就職し、今までやってきたんですね。だから僕の子どもも、ある程度の年齢になれば、自分で育っていくと思っています。これだけ年が離れているから、もう少ししたらウザイと思われるかもしれませんしね。今のうちに可愛がり倒そうと思っています」 シニアパパは増えているが、出産・子育てをシニアパパの視点で書いた子育て本が少ないことにも、今回気づいたという。「高齢出産、シニア育児といっても千差万別ですが、私たちの場合はこうでした、という一つの例として、共感するなり、反面教師にしていただくなり、何かを感じてもらえたら嬉しいです」◆中本裕己(なかもと・ひろみ)産経新聞社夕刊フジ編集長。1963年東京生まれ。関西大学社会学部卒。日本レコード大賞審査委員。浅草芸能大賞審査委員。産経新聞社に入社以来、夕刊フジ一筋で、関西総局、芸能デスク、編集局次長などを経て現職。健康・医療を特集した、健康新聞「健活手帖」の編集長も兼ねる。48歳で再婚し、56歳で初めて父親になる。◆取材・文/砂田明子
結婚した時点で奥さん36歳、中本さん48歳。子どもを欲しいという気持ちはあったが、二人で話し合った上で、不妊治療はしないと決めた。
「結婚して2年目、僕が50歳のときに同窓会に行ったんです。そこで40を過ぎて出産した同級生に、子どもつくらへんの? と聞かれて。恵まれたらいいなという感じなんやと答えたら、あなたはそれでいいかもしれないけれど、女性は産める時期が決まっているから、奥さんと真剣に話し合ったほうがいいよと言われたんです。
それをきっかけに妻ときちんと話し合って、できたら嬉しいし、できなかったら二人で楽しく過ごしましょうと。だから妊娠は青天の霹靂で、大袈裟に言うと、こんな人生になるとは思わなかった」(中本さん、以下「」同)
結婚9年目、妻・44歳での妊娠。仕事に趣味にと、それぞれに多忙かつ自由な日々を送っていた夫婦の生活は一変したが、幸せを感じていた。だが、二人を危機が襲う。
一つは新型コロナウイルスの感染拡大。もう一つが、妊娠7か月での妻のおたふく風邪への感染だった。妊婦が飲んでもいい薬を処方してもらっても、いつまでたっても病状は良くなるどころか悪化の一途を辿り、緊急入院することに。その後、心筋炎の疑いで転院し、緊急帝王切開で出産するまでの緊迫した日々を、中本さんは克明に記録し、綴った。
「妻はもともと我慢強いほうで、我慢しすぎたのかもしれないと言っていましたが、近くにいる僕が早く気づいて病院に連れていくべきでした。ただ、おたふく風邪から心筋炎になるのはレアケースのようで、医師の先生によると、高齢だからそうなったのかどうかは、わからないということでした」
帝王切開手術は成功し、無事に男の子が誕生。しかし妻は重篤な状態が続き、ICU(集中治療室)に。妊娠28週、1203グラムで産まれた子はNICU(新生児集中治療管理室)に。二人とも危険な状態が続いている上、コロナ対策もあり、我が子が誕生した日、中本さんは妻にも子にも会うことができなかった。
「妻と子は、家からそれほど遠くない病院に入院していたんです。ベランダから病院が見えるだけに気が気じゃなく、不安でしたね。でも自分ではどうすることもできないので、妻の心筋炎の治療法を調べたりとか、自分ができることをやって、心を落ち着けていました」
ようやく、わが子との初めての対面の日がやってきた。
「真っ赤で、体毛が動物みたいに背中までまって、顔も、くちゃっとしているんだけど、かわいくて、愛おしいんです。何より、すごくすごく小さい我が子に、頑張れ、頑張れ、という思いになりました」
心筋炎から回復途上にある妻の体への負担を考え、母乳ではなくミルクで育てることを決断するなど、夫婦で話し合って、一つひとつ、目の前の問題をクリアしていく。コロナの影響で、NICUにいる子どもに思うように会えない辛さはあったものの、そんなときは、持ち前のプラス思考を働かせるよう心掛けた。
「高齢出産で何があるかわからないから、妊娠を周囲に伝えづらかったんです。コロナで誰とも会えない状況になったことは、そんな私たちにとっては良かった面もありました。妻と子どもが退院した後も、妻に無理はさせられない状態だったので、僕がリモートワークを活用して育児ができたこともありがたかったですね」
生後3か月で子どもは退院し、56歳と45歳の育児が始まった。自治体などによる「育児教室」はコロナで軒並み中止になっていたため、育児アプリやYouTubeを活用して猛勉強。1LDKの限りあるスペースでの子育ては、熟慮の上にベビーグッズのレンタルと購入を使い分け、リモート会議は子どもを膝にのせて行った。
「育児休暇を取ろうかとも考えたのですが、これからのシニア子育てを考えると、少しでも給料をためておかなければ大変なので、リモートを活用して、なんとかやっています。家事はできるだけ分担しているとはいえ、やっぱり、妻に負担がかかっているとは思いますね」
家族が増え、中本家は生活設計の見直しに迫られた。学資保険に入りたいが、現状は20代、30代の夫婦を想定した保険がほとんどだという現実にもぶちあたる。また、妻が働くための保育園問題……。中本夫婦は子育てのために、好きだった街から足立区へと引っ越しをする。子どもを育てるという観点で、社会を見つめるようになった。
「思いがけず子どもができてから、妻はよく私に『変化を楽しもう』と言っていました。その影響もあって、私たちはいい意味で、変化を楽しんでいます。といっても妻は、元来、変化が苦手で、自分を鼓舞するためにそう言っていたようなのですが」
子供は2歳になった。高齢育児は体力勝負で、「体はボロボロです」と語るが、表情は明るい。
「先日、遊園地に連れて行ったら、ものすごく喜んで。息子はキラキラした目で、ずっと上を見上げているんです。当たり前だけと、小さい子どもが見ている景色って、大人とは違うんだなあと気づいて感動しました(笑)。やっぱり歳だから、そういうちょっとしたことに心が動かされるんでしょうね」
一方で高齢の親の介護、さらには自分たちの介護問題も頭をよぎる年齢だ。
「お前が言うなよという話になりますが、やっぱり子どもがほしい方は、若いときから子作りについて考え、若いときに子育てをしたほうが体力的にはいいと思います。多様な生き方が重んじられることはとてもいいことであると同時に、若いときに結婚して子どもを産んで、おじいちゃんおばあちゃんにもかわいがってもらうという人生も、楽しかっただろうなと、育児の面白さを知った今は思うんですね」
子どもが成人するとき、中本さん76歳──。「あと20年はがんばらないと」と、周囲に励まされるのはありがたいし、できるだけ元気に長生きして、息子の成長を見届けたいと思っている。だが、プレッシャーはあまりないという。
「僕の父は、僕が大学生のとき、52歳で急死しました。そこからアルバイトをして、周囲の人に助けられ、なんとか大学を卒業して就職し、今までやってきたんですね。だから僕の子どもも、ある程度の年齢になれば、自分で育っていくと思っています。これだけ年が離れているから、もう少ししたらウザイと思われるかもしれませんしね。今のうちに可愛がり倒そうと思っています」
シニアパパは増えているが、出産・子育てをシニアパパの視点で書いた子育て本が少ないことにも、今回気づいたという。
「高齢出産、シニア育児といっても千差万別ですが、私たちの場合はこうでした、という一つの例として、共感するなり、反面教師にしていただくなり、何かを感じてもらえたら嬉しいです」
◆中本裕己(なかもと・ひろみ)産経新聞社夕刊フジ編集長。1963年東京生まれ。関西大学社会学部卒。日本レコード大賞審査委員。浅草芸能大賞審査委員。産経新聞社に入社以来、夕刊フジ一筋で、関西総局、芸能デスク、編集局次長などを経て現職。健康・医療を特集した、健康新聞「健活手帖」の編集長も兼ねる。48歳で再婚し、56歳で初めて父親になる。
◆取材・文/砂田明子