運転する機会が増える年末年始。注意していても事故を起こすリスクが高まる。そこ話題になっているのが「運転免許証の定年化」。だが、なかなかできない現状もあるのだ。当事者の本音を尋ねてみると――。前編記事『「運転免許の定年化」は本当に必要なのか…高齢ドライバー事故の「悲惨な末路」が物語ること』から続けて紹介する。
2025年、総人口に占める65歳以上の割合が30%を超える。そのため、高齢ドライバーの数はおよそ350万人にまで増加するとみられている。
身体能力の衰えなどから「もう運転は厳しい」と悟った高齢者のうち、何割が運転免許証を自主返納できるのだろうか。
写真はイメージ(Photo by iStock)
「返納しなければいけないことはわかってはいる……」でも、できない事情がある。人生100年時代といわれる今、下手をしたら百寿を超えても運転しなければいけないかもしれないのだ。事例を交え、その理由について自動車ジャーナリストの高根英幸さんが解説する。車のカギを隠したらパニックに……東京都西東京市に住む斉藤義男さん(仮名・77歳)は運転歴40年以上のベテランドライバー。昨年の免許更新時には認知機能検査もクリアできたのだが、その後、心臓の疾患で入院した際にがくんと体力が落ちてしまった。そのため、現在では身体の衰えが目立つ。移動するときの歩幅は狭く、速度もゆっくり。手すりを使わないと階段も登れない。築40年の木造2階建ての自宅は段差も多いため、そろそろバリアフリーにリフォームしようかと同居する息子夫婦は考え始めたという。歩くのもやっとな斉藤さんだが、いまだに現役で運転をしているというのだ。当然、息子も妻も、周囲の人々は運転には猛反対。幾度となく免許証の返納を勧めているのだが斉藤さんは聞く耳を持たない。当然、高齢ドライバーによる悲惨な事故のことも知っているのだが、「自分は大丈夫!」の一点張りなのだ。そこで斉藤さんに運転させないよう、息子が車のカギを隠したことがあった。すると斉藤さんは大騒ぎをして、家中をひっくり返し、探しだしてしまった。怒ったり、泣いたり、落ち込んだり……あまりの豹変ぶりに家族も驚いた。最終的に新しい車を買うとまで言い出したもんだから、家族はほとほと困り果てているというのが現状だ。 「足腰は弱っていますが、頭はまだしっかりしているし、いつも注意して運転しているから大丈夫! これまでも事故を起こしたことはないですからね」(斉藤さん)そう自信満々に答えた斉藤さん。だが、愛車のバンパーはへこんでおり、ボディは擦り傷だらけだった。「いつ大きな事故を起こしてもおかしくはない」と家族は危惧しているのだが、斉藤さんにその危機感は見られない。「運転免許証や車に依存している人は少なくありません。足腰が衰えてきて、歩くのも大変で、散歩も辛い。でも車があればどこにでも行ける。身体能力は衰えても、車は自分の能力を高めてくれるもの、車があれば自分は現役でいられると、免許証や車に依存してしまう。息子や娘らと同居している場合、元気で健康な若い世代と自分の衰えを比べて、羨ましさを募らせることもあるそうです。家族に置いて行かれる気持ちがあっても、車があればどうにかなるといった意識がある。そのため、運転免許証だけは返納したくないと思うようです」(高根氏)駐車場・庭付き一戸建てがお荷物に次は横浜市磯子区に住む小島修一さん(仮名・80歳)。横浜市と言えば東京23区に次ぐ、大都市。地方と比べても過疎化が進んでいるとは言えず、公共交通機関も整備されている。しかし、首都圏であっても郊外に行けば移動手段が大きな課題になっているのだ。小島さんは高齢の夫婦2人暮らし。自宅は高度経済成長期に建てた、いわゆる庭付き2階建てのマイホーム。広い庭と駐車場を確保するため、駅からは遠い場所しか購入できなかった。最寄り駅は坂を上って下った先、歩けば30分以上かかる。バス停は坂の上にあり徒歩10分ほど。谷底にある小島さん宅の周辺にはスーパーマーケットはおろか、コンビニすらない。「昔はもう少し近くにお魚屋さんとか八百屋さんもあったんですけど、どこも閉店してしまった。歩いて買い物に行くには坂を上って下らないといけないので大変なんです……」小島さんの妻・みのりさんがそう嘆くように、買い物や通院は小島さんの運転に頼るほかないのだ。「横浜、といえば都会というイメージはあるかもしれませんが、坂が多く、私たちの住んでいる地域では車がなければなにも生活できません。若いころは駐車場と庭がついた一戸建てを買うためにこの場所を選んだのですが、将来こんなことになるとは考えていませんでした……」(前出のみのりさん) 子どもたちも家を出て、今は遠方に住んでおり年数回しか帰ってこない。自宅は夫婦2人で住むには広すぎるし、自慢の庭もいまや荒れ放題だ。買い物は少し大きなスーパーや広い駐車場のあるショッピングセンターに行くが交通量も多いため、運転に不安を覚えることもあるという。「駅前のマンションか老人ホームに移ろうかとも考えているんですが、自宅を手放す踏ん切りもつかなくて……近くには小学校もあるので事故を起こしたら大変ということは分かっています。ここに住んでいたら100歳まで運転しなければいけないかもしれない……」(小島さん)わかってはいても、小島さんもなかなか車を手放すことはできないようだ。返納できない理由もある「高齢の1人暮らし、老夫婦の世帯で近くにスーパーも病院もない場合など、生活環境が理由で返せない人もいます。免許を返納できない高齢者は斉藤さんのように免許に依存しているものと、この小島さんのような高齢者だけの世帯、この2つの事情どちらかに当てはまるケースがほとんどです。もしかしたら両方の人もいるかもしれません」(高根氏、以下同)特に郊外や地方となればなおさらだ。だが、そうした免許返納ができない背景には、これまで車を使うことを奨励してきた国の姿勢もあると高根さんは指摘する。「公共交通機関はどんどん廃止・縮小されており、町の商店街もなくなり、近場で買い物できる場所は昔より減っています。特に地方では駐車場を完備した大型スーパーや郊外のショッピングモールばかりができていき、車があることが生活のベースになってきています」そのため80、90歳を超えても運転せざるを得ない。「社会がそうした環境を作ってしまった。ですから正直なところ、いくら『免許を返納しろ』と言われても、現実的にはなかなかできない。高齢者はネットで買い物をすることもできないし、通院するのも車がなければ難しい。オンラインでの買い物、通院のサポートなどそれを手伝うのも、なかなかハードルが高いのです」だが、ひとたび交通事故が起きれば、悲惨な事態に陥るのは火を見るよりも明らか。 「被害者はもちろん、その家族。そして加害者とその家族も悲しい思いをすることになり、人生の最晩年が狂ってしまう。多額の賠償金を払って終わりにはなりません。事故の規模によっては交通刑務所に収監されることもあります。家族との関係もギクシャクし、出所してから関係を修復するのはなかなか困難です」そのためにも若いころから自分の運転を見直し、同時に将来の生活について考えていく必要があるのだ。「高齢ドライバーは危険!」「なんで免許が返納できないんだ!」と憤っている若いドライバーもいずれは同じ道をたどることになる。だが、いったいどれくらいの人々が自分事としてとらえているのだろうか。運転は教習所で習って以来そのまま、「もう20年、30年運転しているから問題ない」と思っている人ほど自己流の運転操作になり、運転が崩れていることに気付かない、と高根さんは指摘する。そんな慢心、油断が危険を生み、加齢による運転能力の低下といくつかの偶然が重なった結果、交通事故が起こってしまう。交通事故は毎日どこかで起きていて、誰かが傷ついている。悲惨な交通事故を無くすためにも、年齢関係なくドライバーは今一度、運転について振り返るとともに、社会全体でインフラや免許制度を含む抜本的な見直しをする必要があるだろう。
「返納しなければいけないことはわかってはいる……」でも、できない事情がある。人生100年時代といわれる今、下手をしたら百寿を超えても運転しなければいけないかもしれないのだ。
事例を交え、その理由について自動車ジャーナリストの高根英幸さんが解説する。
東京都西東京市に住む斉藤義男さん(仮名・77歳)は運転歴40年以上のベテランドライバー。昨年の免許更新時には認知機能検査もクリアできたのだが、その後、心臓の疾患で入院した際にがくんと体力が落ちてしまった。そのため、現在では身体の衰えが目立つ。
移動するときの歩幅は狭く、速度もゆっくり。手すりを使わないと階段も登れない。築40年の木造2階建ての自宅は段差も多いため、そろそろバリアフリーにリフォームしようかと同居する息子夫婦は考え始めたという。
歩くのもやっとな斉藤さんだが、いまだに現役で運転をしているというのだ。
当然、息子も妻も、周囲の人々は運転には猛反対。幾度となく免許証の返納を勧めているのだが斉藤さんは聞く耳を持たない。
当然、高齢ドライバーによる悲惨な事故のことも知っているのだが、「自分は大丈夫!」の一点張りなのだ。
そこで斉藤さんに運転させないよう、息子が車のカギを隠したことがあった。すると斉藤さんは大騒ぎをして、家中をひっくり返し、探しだしてしまった。怒ったり、泣いたり、落ち込んだり……あまりの豹変ぶりに家族も驚いた。最終的に新しい車を買うとまで言い出したもんだから、家族はほとほと困り果てているというのが現状だ。
「足腰は弱っていますが、頭はまだしっかりしているし、いつも注意して運転しているから大丈夫! これまでも事故を起こしたことはないですからね」(斉藤さん)そう自信満々に答えた斉藤さん。だが、愛車のバンパーはへこんでおり、ボディは擦り傷だらけだった。「いつ大きな事故を起こしてもおかしくはない」と家族は危惧しているのだが、斉藤さんにその危機感は見られない。「運転免許証や車に依存している人は少なくありません。足腰が衰えてきて、歩くのも大変で、散歩も辛い。でも車があればどこにでも行ける。身体能力は衰えても、車は自分の能力を高めてくれるもの、車があれば自分は現役でいられると、免許証や車に依存してしまう。息子や娘らと同居している場合、元気で健康な若い世代と自分の衰えを比べて、羨ましさを募らせることもあるそうです。家族に置いて行かれる気持ちがあっても、車があればどうにかなるといった意識がある。そのため、運転免許証だけは返納したくないと思うようです」(高根氏)駐車場・庭付き一戸建てがお荷物に次は横浜市磯子区に住む小島修一さん(仮名・80歳)。横浜市と言えば東京23区に次ぐ、大都市。地方と比べても過疎化が進んでいるとは言えず、公共交通機関も整備されている。しかし、首都圏であっても郊外に行けば移動手段が大きな課題になっているのだ。小島さんは高齢の夫婦2人暮らし。自宅は高度経済成長期に建てた、いわゆる庭付き2階建てのマイホーム。広い庭と駐車場を確保するため、駅からは遠い場所しか購入できなかった。最寄り駅は坂を上って下った先、歩けば30分以上かかる。バス停は坂の上にあり徒歩10分ほど。谷底にある小島さん宅の周辺にはスーパーマーケットはおろか、コンビニすらない。「昔はもう少し近くにお魚屋さんとか八百屋さんもあったんですけど、どこも閉店してしまった。歩いて買い物に行くには坂を上って下らないといけないので大変なんです……」小島さんの妻・みのりさんがそう嘆くように、買い物や通院は小島さんの運転に頼るほかないのだ。「横浜、といえば都会というイメージはあるかもしれませんが、坂が多く、私たちの住んでいる地域では車がなければなにも生活できません。若いころは駐車場と庭がついた一戸建てを買うためにこの場所を選んだのですが、将来こんなことになるとは考えていませんでした……」(前出のみのりさん) 子どもたちも家を出て、今は遠方に住んでおり年数回しか帰ってこない。自宅は夫婦2人で住むには広すぎるし、自慢の庭もいまや荒れ放題だ。買い物は少し大きなスーパーや広い駐車場のあるショッピングセンターに行くが交通量も多いため、運転に不安を覚えることもあるという。「駅前のマンションか老人ホームに移ろうかとも考えているんですが、自宅を手放す踏ん切りもつかなくて……近くには小学校もあるので事故を起こしたら大変ということは分かっています。ここに住んでいたら100歳まで運転しなければいけないかもしれない……」(小島さん)わかってはいても、小島さんもなかなか車を手放すことはできないようだ。返納できない理由もある「高齢の1人暮らし、老夫婦の世帯で近くにスーパーも病院もない場合など、生活環境が理由で返せない人もいます。免許を返納できない高齢者は斉藤さんのように免許に依存しているものと、この小島さんのような高齢者だけの世帯、この2つの事情どちらかに当てはまるケースがほとんどです。もしかしたら両方の人もいるかもしれません」(高根氏、以下同)特に郊外や地方となればなおさらだ。だが、そうした免許返納ができない背景には、これまで車を使うことを奨励してきた国の姿勢もあると高根さんは指摘する。「公共交通機関はどんどん廃止・縮小されており、町の商店街もなくなり、近場で買い物できる場所は昔より減っています。特に地方では駐車場を完備した大型スーパーや郊外のショッピングモールばかりができていき、車があることが生活のベースになってきています」そのため80、90歳を超えても運転せざるを得ない。「社会がそうした環境を作ってしまった。ですから正直なところ、いくら『免許を返納しろ』と言われても、現実的にはなかなかできない。高齢者はネットで買い物をすることもできないし、通院するのも車がなければ難しい。オンラインでの買い物、通院のサポートなどそれを手伝うのも、なかなかハードルが高いのです」だが、ひとたび交通事故が起きれば、悲惨な事態に陥るのは火を見るよりも明らか。 「被害者はもちろん、その家族。そして加害者とその家族も悲しい思いをすることになり、人生の最晩年が狂ってしまう。多額の賠償金を払って終わりにはなりません。事故の規模によっては交通刑務所に収監されることもあります。家族との関係もギクシャクし、出所してから関係を修復するのはなかなか困難です」そのためにも若いころから自分の運転を見直し、同時に将来の生活について考えていく必要があるのだ。「高齢ドライバーは危険!」「なんで免許が返納できないんだ!」と憤っている若いドライバーもいずれは同じ道をたどることになる。だが、いったいどれくらいの人々が自分事としてとらえているのだろうか。運転は教習所で習って以来そのまま、「もう20年、30年運転しているから問題ない」と思っている人ほど自己流の運転操作になり、運転が崩れていることに気付かない、と高根さんは指摘する。そんな慢心、油断が危険を生み、加齢による運転能力の低下といくつかの偶然が重なった結果、交通事故が起こってしまう。交通事故は毎日どこかで起きていて、誰かが傷ついている。悲惨な交通事故を無くすためにも、年齢関係なくドライバーは今一度、運転について振り返るとともに、社会全体でインフラや免許制度を含む抜本的な見直しをする必要があるだろう。
「足腰は弱っていますが、頭はまだしっかりしているし、いつも注意して運転しているから大丈夫! これまでも事故を起こしたことはないですからね」(斉藤さん)
そう自信満々に答えた斉藤さん。だが、愛車のバンパーはへこんでおり、ボディは擦り傷だらけだった。
「いつ大きな事故を起こしてもおかしくはない」と家族は危惧しているのだが、斉藤さんにその危機感は見られない。
「運転免許証や車に依存している人は少なくありません。足腰が衰えてきて、歩くのも大変で、散歩も辛い。でも車があればどこにでも行ける。身体能力は衰えても、車は自分の能力を高めてくれるもの、車があれば自分は現役でいられると、免許証や車に依存してしまう。
息子や娘らと同居している場合、元気で健康な若い世代と自分の衰えを比べて、羨ましさを募らせることもあるそうです。家族に置いて行かれる気持ちがあっても、車があればどうにかなるといった意識がある。そのため、運転免許証だけは返納したくないと思うようです」(高根氏)
次は横浜市磯子区に住む小島修一さん(仮名・80歳)。
横浜市と言えば東京23区に次ぐ、大都市。地方と比べても過疎化が進んでいるとは言えず、公共交通機関も整備されている。しかし、首都圏であっても郊外に行けば移動手段が大きな課題になっているのだ。
小島さんは高齢の夫婦2人暮らし。自宅は高度経済成長期に建てた、いわゆる庭付き2階建てのマイホーム。広い庭と駐車場を確保するため、駅からは遠い場所しか購入できなかった。
最寄り駅は坂を上って下った先、歩けば30分以上かかる。バス停は坂の上にあり徒歩10分ほど。谷底にある小島さん宅の周辺にはスーパーマーケットはおろか、コンビニすらない。
「昔はもう少し近くにお魚屋さんとか八百屋さんもあったんですけど、どこも閉店してしまった。歩いて買い物に行くには坂を上って下らないといけないので大変なんです……」
小島さんの妻・みのりさんがそう嘆くように、買い物や通院は小島さんの運転に頼るほかないのだ。
「横浜、といえば都会というイメージはあるかもしれませんが、坂が多く、私たちの住んでいる地域では車がなければなにも生活できません。若いころは駐車場と庭がついた一戸建てを買うためにこの場所を選んだのですが、将来こんなことになるとは考えていませんでした……」(前出のみのりさん)
子どもたちも家を出て、今は遠方に住んでおり年数回しか帰ってこない。自宅は夫婦2人で住むには広すぎるし、自慢の庭もいまや荒れ放題だ。買い物は少し大きなスーパーや広い駐車場のあるショッピングセンターに行くが交通量も多いため、運転に不安を覚えることもあるという。「駅前のマンションか老人ホームに移ろうかとも考えているんですが、自宅を手放す踏ん切りもつかなくて……近くには小学校もあるので事故を起こしたら大変ということは分かっています。ここに住んでいたら100歳まで運転しなければいけないかもしれない……」(小島さん)わかってはいても、小島さんもなかなか車を手放すことはできないようだ。返納できない理由もある「高齢の1人暮らし、老夫婦の世帯で近くにスーパーも病院もない場合など、生活環境が理由で返せない人もいます。免許を返納できない高齢者は斉藤さんのように免許に依存しているものと、この小島さんのような高齢者だけの世帯、この2つの事情どちらかに当てはまるケースがほとんどです。もしかしたら両方の人もいるかもしれません」(高根氏、以下同)特に郊外や地方となればなおさらだ。だが、そうした免許返納ができない背景には、これまで車を使うことを奨励してきた国の姿勢もあると高根さんは指摘する。「公共交通機関はどんどん廃止・縮小されており、町の商店街もなくなり、近場で買い物できる場所は昔より減っています。特に地方では駐車場を完備した大型スーパーや郊外のショッピングモールばかりができていき、車があることが生活のベースになってきています」そのため80、90歳を超えても運転せざるを得ない。「社会がそうした環境を作ってしまった。ですから正直なところ、いくら『免許を返納しろ』と言われても、現実的にはなかなかできない。高齢者はネットで買い物をすることもできないし、通院するのも車がなければ難しい。オンラインでの買い物、通院のサポートなどそれを手伝うのも、なかなかハードルが高いのです」だが、ひとたび交通事故が起きれば、悲惨な事態に陥るのは火を見るよりも明らか。 「被害者はもちろん、その家族。そして加害者とその家族も悲しい思いをすることになり、人生の最晩年が狂ってしまう。多額の賠償金を払って終わりにはなりません。事故の規模によっては交通刑務所に収監されることもあります。家族との関係もギクシャクし、出所してから関係を修復するのはなかなか困難です」そのためにも若いころから自分の運転を見直し、同時に将来の生活について考えていく必要があるのだ。「高齢ドライバーは危険!」「なんで免許が返納できないんだ!」と憤っている若いドライバーもいずれは同じ道をたどることになる。だが、いったいどれくらいの人々が自分事としてとらえているのだろうか。運転は教習所で習って以来そのまま、「もう20年、30年運転しているから問題ない」と思っている人ほど自己流の運転操作になり、運転が崩れていることに気付かない、と高根さんは指摘する。そんな慢心、油断が危険を生み、加齢による運転能力の低下といくつかの偶然が重なった結果、交通事故が起こってしまう。交通事故は毎日どこかで起きていて、誰かが傷ついている。悲惨な交通事故を無くすためにも、年齢関係なくドライバーは今一度、運転について振り返るとともに、社会全体でインフラや免許制度を含む抜本的な見直しをする必要があるだろう。
子どもたちも家を出て、今は遠方に住んでおり年数回しか帰ってこない。自宅は夫婦2人で住むには広すぎるし、自慢の庭もいまや荒れ放題だ。
買い物は少し大きなスーパーや広い駐車場のあるショッピングセンターに行くが交通量も多いため、運転に不安を覚えることもあるという。
「駅前のマンションか老人ホームに移ろうかとも考えているんですが、自宅を手放す踏ん切りもつかなくて……近くには小学校もあるので事故を起こしたら大変ということは分かっています。ここに住んでいたら100歳まで運転しなければいけないかもしれない……」(小島さん)
わかってはいても、小島さんもなかなか車を手放すことはできないようだ。
「高齢の1人暮らし、老夫婦の世帯で近くにスーパーも病院もない場合など、生活環境が理由で返せない人もいます。免許を返納できない高齢者は斉藤さんのように免許に依存しているものと、この小島さんのような高齢者だけの世帯、この2つの事情どちらかに当てはまるケースがほとんどです。もしかしたら両方の人もいるかもしれません」(高根氏、以下同)
特に郊外や地方となればなおさらだ。だが、そうした免許返納ができない背景には、これまで車を使うことを奨励してきた国の姿勢もあると高根さんは指摘する。
「公共交通機関はどんどん廃止・縮小されており、町の商店街もなくなり、近場で買い物できる場所は昔より減っています。特に地方では駐車場を完備した大型スーパーや郊外のショッピングモールばかりができていき、車があることが生活のベースになってきています」
そのため80、90歳を超えても運転せざるを得ない。
「社会がそうした環境を作ってしまった。ですから正直なところ、いくら『免許を返納しろ』と言われても、現実的にはなかなかできない。高齢者はネットで買い物をすることもできないし、通院するのも車がなければ難しい。オンラインでの買い物、通院のサポートなどそれを手伝うのも、なかなかハードルが高いのです」
だが、ひとたび交通事故が起きれば、悲惨な事態に陥るのは火を見るよりも明らか。
「被害者はもちろん、その家族。そして加害者とその家族も悲しい思いをすることになり、人生の最晩年が狂ってしまう。多額の賠償金を払って終わりにはなりません。事故の規模によっては交通刑務所に収監されることもあります。家族との関係もギクシャクし、出所してから関係を修復するのはなかなか困難です」そのためにも若いころから自分の運転を見直し、同時に将来の生活について考えていく必要があるのだ。「高齢ドライバーは危険!」「なんで免許が返納できないんだ!」と憤っている若いドライバーもいずれは同じ道をたどることになる。だが、いったいどれくらいの人々が自分事としてとらえているのだろうか。運転は教習所で習って以来そのまま、「もう20年、30年運転しているから問題ない」と思っている人ほど自己流の運転操作になり、運転が崩れていることに気付かない、と高根さんは指摘する。そんな慢心、油断が危険を生み、加齢による運転能力の低下といくつかの偶然が重なった結果、交通事故が起こってしまう。交通事故は毎日どこかで起きていて、誰かが傷ついている。悲惨な交通事故を無くすためにも、年齢関係なくドライバーは今一度、運転について振り返るとともに、社会全体でインフラや免許制度を含む抜本的な見直しをする必要があるだろう。
「被害者はもちろん、その家族。そして加害者とその家族も悲しい思いをすることになり、人生の最晩年が狂ってしまう。多額の賠償金を払って終わりにはなりません。事故の規模によっては交通刑務所に収監されることもあります。家族との関係もギクシャクし、出所してから関係を修復するのはなかなか困難です」
そのためにも若いころから自分の運転を見直し、同時に将来の生活について考えていく必要があるのだ。
「高齢ドライバーは危険!」「なんで免許が返納できないんだ!」と憤っている若いドライバーもいずれは同じ道をたどることになる。だが、いったいどれくらいの人々が自分事としてとらえているのだろうか。
運転は教習所で習って以来そのまま、「もう20年、30年運転しているから問題ない」と思っている人ほど自己流の運転操作になり、運転が崩れていることに気付かない、と高根さんは指摘する。そんな慢心、油断が危険を生み、加齢による運転能力の低下といくつかの偶然が重なった結果、交通事故が起こってしまう。
交通事故は毎日どこかで起きていて、誰かが傷ついている。悲惨な交通事故を無くすためにも、年齢関係なくドライバーは今一度、運転について振り返るとともに、社会全体でインフラや免許制度を含む抜本的な見直しをする必要があるだろう。