ジュース、お菓子だけ置いて3歳の娘を8日間放置…裁判で見えた母親のあまりに幼すぎる素顔

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

※本稿は、樋田敦子『コロナと女性の貧困2020-2022 サバイブする彼女たちの声を聞いた』(大和書房)の一部を再編集したものです。
長女(3歳)を自宅に置き去りにし衰弱死させたとして、警視庁は2020年7月7日、東京都大田区蒲田の飲食店店員の母親(24歳)を保護責任者遺棄致死の疑いで逮捕した。8日間にわたり鹿児島県に住む知人男性と一緒にいたといい、長女の死因は飢餓と高度の脱水症状だったという。
母親は、6月上旬、2人暮らしの長女のんちゃん(彼女はこう呼んだ)をマンションの自宅に放置して衰弱させ、容態が悪化しても医師の診断を受けさせず、十分な食事も与えないまま死亡させた疑いがある。調べに「間違いありません」と供述しているという。司法解剖の結果、胃の中はほぼ空っぽだった。極端にやせた状態ではなく、目立った外傷もなかったが、下半身がただれていたという。汚れたオムツを着けっぱなしにしていたためとみられる。
事件が各紙で報道された日、2人が住んだ大田区蒲田のアパートを訪ねてみた。テレビ局のカメラクルーが周辺で聞き込みを続けており、近所にあったコンビニで、彼女たちのことを尋ねてみた。
「よく2人で来ていた。いつも楽しそうにお菓子を買っていましたよ。何も変わったところはなかった」という答えが返ってきた。
実際に彼女のインスタグラムを見てみると2人の楽しそうな画像が見られた。どこにでもいる普通のママと子どもの写真。なぜ彼女はかわいがっていたのんちゃんを放置したのか。
虐待事件があると、容疑者の生育歴が調べられる。つまり生い立ちだ。彼女は小学生のとき、実母と養父から身体的虐待を受けており、その虐待事件が当時の地元紙で記事になっていた。虐待はかなりひどく、彼女は保護されて児童養護施設に収容されたという。高校までそこで育ち、社会に出ている。
虐待の連鎖はよく語られることだが、その過去から脱して子どもを育て、幸せな家庭生活を送っている人も数多く見てきた。
だからこそ、なぜ、彼女は子どもを放置したのか。自分もそうだったから、抵抗感がなかったのか。そんなはずはない、と思った。
虐待の裏には、貧困の問題が潜んでいる。一目で「この人は貧困」だとわかる人は今はいない。虐待とわかるようなそぶりをする親もいない。どうしたら救えたのか、とばかり考える。時間を巻き戻したい、いちばんそう思っているのは、拘置所の中の彼女自身だと思った。
2022年1月27日、被告は、東京地裁の813号法廷に姿を見せた。逮捕時の茶髪とは違い、茶色の部分は毛先のみ。腰まで伸びた黒い髪が1年半にもわたる勾留の長さを感じさせた。細身の体にフィットするような黒のパンツスーツ。飲食店のアルバイトの面接にでも向かうような、就活を思わせる服装で、うつむいて少し斜め下を見つめる。
「のんちゃん、ごめんね。ただただ後悔しかない。こんな弱い自分がつらい――」
3歳の長女を置き去りにし、衰弱死させたとして保護責任者遺棄致死罪に問われた母親(26歳)の裁判員裁判を傍聴してきた。裁判長は「悪質かつ身勝手な犯行で、かけがえのない命が奪われた」と懲役8年を言い渡した。
お菓子とジュースを置いて長女を寝室に閉じ込めた
新型コロナウイルス感染症の第1波が襲った2020年6月、母親は交際中の男性と9日間の鹿児島旅行に出かけ、帰宅すると長女は亡くなっていた。
家を出るとき「のんちゃんが好きなお茶とかジュースとかを7本以上とお菓子」を置いていったという。寝ていた6畳の寝室の電気を消し、カギを閉めてテープで固定、さらにソファーを置いて「台所の包丁を取りに行くと危ないから出ないように」した。のんちゃんのオムツを2枚重ねにしたという。
それより以前、5月に外泊した際も同じようにして出かけたというが、そのとき長女は置いていったものを飲食して、無事だった。6月は、帰ってみると、いつも寝ていたマットレスの上で長女は息絶えていた。発見されたとき、ペットボトルが1本、お菓子も1袋残されていた。必死で心臓マッサージをしたものの脱水と飢えで死亡。ネグレクトの末の出来事。母親は自殺を試みたが、助けられている。
いくつかの虐待裁判を見てきたが、どの被告も「幼い」という印象だ。何が彼女たちを幼く見せるのか。それまでの経験なのか。社会的経験のなさなのか。自分の感情を表に出せない、あるいは言葉遣いの稚拙さ、語彙(ごい)の乏しさがそういった印象を与えるのかもしれない。
「いっぱい食べてほしいので、いっぱい置いていった」「はっきり覚えていない」「わかりません」
それを言うのが精いっぱいなのだ。
新型コロナの感染拡大で保育園が休園になり事態が悪化
この裁判は、母親が壮絶な虐待体験者であることでも注目を浴びた。彼女の実母は高校生のときに妊娠し、被告を出産。児童養護施設に彼女を預けた。小学校に入学するタイミングで実母は再婚した夫とともに彼女を引き取ったが、そこで虐待にあった。
ののしられ、バットで叩かれ、ごみ袋に入れられて風呂場に放置される。包丁で切りつけられるといった行為が繰り返された。近所の人が通報し、実母とその夫は保護責任者遺棄などの容疑で逮捕された。そのとき彼女は2週間の大けがを負った、と新聞が報じている。その後、施設で暮らし、高校卒業を機に上京した。
彼女は空港のレストラン、携帯ショップ、キャバクラ、居酒屋で働いた。のんちゃんができたとき、元夫は産むことに同意していなかったが、周囲のすすめもあり、結婚した。被告はいつも受け身だったという。のんちゃんを出産後、入籍したが夫婦仲は悪化し、シングルマザーになった。元夫の母親は、孫のためにお金を用立て、消毒液、オムツ、お菓子などを送って協力した。
「のんちゃんの写真を送って」と孫をかわいがり、元嫁のために何とかしたいという様子もうかがえた。しかし、精神的な支柱にはなっていなかったようだ。
2019年8月に、のんちゃんは保育園に入園。しかし新型コロナが流行し、休園になった。保育料が払えなかったこともあり、退園してしまう。区役所では、「預けることはできるし、保育園に戻ることを前提にしたらいい」とアドバイスを受けた。「預けられるお金ができたら預けます」と被告とのやり取りがあったという。
検察官からの尋問が続く中、なぜここで生活保護の提案につながらないのか疑問に思った。彼女の収入ならば公営住宅に住み、児童手当も児童扶養手当ももらえるはずだが、申請していない。こういう手当があるとは説明を受けたようだ。
「ああそうなんだって思った」
収入に応じて保育料は軽減されるが、その申請もしていなかった。生活保護なら実質、無料になったはずだ。のんちゃんは、3歳児健診も未受診で、コロナウイルスのまん延で保健師の訪問は延期している。いくつも社会的な支援があったはずなのに、そこからすべり落ちて、最悪の結末へと向かっている。さらにコロナによって収入も激減し、家賃も払えなくなった。元夫の母は「生活費は足りてますか」と連絡。振り込んでもらったお金は家賃で消えた。
「息抜きしに出かけたかった。遊びに行きたかった」
という理由で、被告は旅行に出かけた。
「本当は行きたくなかったけれど、行くと約束してしまったし、行くしかなかった」
「なぜ同じことを繰り返したのか」という質問には次のように答えている。
「帰宅した後、自分何やっているんだろうと後悔しました。のんちゃんを一緒に連れて行っていい? とは聞けなかった。いつもごめん。こんな自分が、弱い自分がつらい。一人にしてごめん。ずっと一緒にいたいのに、こんなうちでごめん」
涙声だった。
「どこかのタイミングで子どもがいることを言おうとは思わなかったのか」「いざそうなると言えないんです。相手に否定的なことを、なぜか言えないんです」
収入がないから、やり方を教えてもらってスロットに出かけるが、稼ぐところまではいかない。友達の紹介でアルバイトのロも入ったが、時間帯が合わなくて働いてはいない。旅行の前日、元夫の母からLINEが入る。
「何か足りないものあったら言ってね」「申し訳ないんですが、子どものものをください、ってお願いしました。これは勇気を出して言ったことのひとつです」
変わり果てた我が子の姿を見て、彼女が電話をしたのは元夫だった。必死に心臓マッサージをしたが、のんちゃんは戻ってこなかった。
「マッサージをしたとは思いますが、覚えていない――」
母親と28回面会した社会福祉士が証言に立ち、語った。
「未成年のうちの大半を施設で育ち、愛されて育つ経験ができず、実母から虐待を受けたことで深い傷を負った」「生活スキルを身につけないまま社会に出てしまった」「虐待体験のある人は、人が信じられないんです」「彼女は、これまで選択肢を与えられてこなかった。人生を選んでこられなかったのです」
2月9日、被告に判決が言い渡された。前述のとおり、裁判長は「悪質かつ身勝手な犯行でかけがえのない幼い命が奪われた」と述べ、懲役8年(求刑・懲役11年)の実刑判決を言い渡した。
事件の背景として判決が指摘したのは、被告自身の「成育歴」と、置き去りを繰り返したことによる「慣れ」の2点だった。被告は公判で、自身の虐待体験を明かし、こうした虐待を受けた被告が適切なケアを受けずに育ったことから【1】人を信頼できない【2】相手に本心を伝えられない【3】相手の要求に過剰に応えようとする――などの性格傾向になったと指摘。のんちゃんを自宅に放置するなどの判断に「複雑に影響を及ぼしている」と認定した。
脱水症と飢餓により亡くなったのんちゃんについては「もっともそばにいてほしかったであろう母親に助けを求められず、一人衰弱していったつらさと苦しみは言葉にしがたい」と述べた。
判決後に会見した裁判員の20代女性は「自分から支援を求められない人にこそ、支援が必要だと感じた。私たちにできることを考えなければならない」と話した。一般社団法人ゆめさぽ・代表理事の田中れいかは、虐待してしまうと思ったとき、またはしてしまったことがあるとき、あるいは育てられないと思ったときは、周囲に相談するべきだと言う。
「制度を知っている側からすれば、ショートステイに出すのがいいでしょうね。一時保護だと子どもが制限されて苦しい思いをするんです。養護施設が実施しているショートステイに直接行くのがいいかもしれません。それを利用して、お母さんが一時的にレスパイト(小休止)して、職員とお母さんが話しながら道を探っていけばいいと思います。子どもが制限を受けないように、育てる環境を作っていけるんです。とにかく、制度を知ってほしいです」
———-樋田 敦子(ひだ・あつこ)ジャーナリスト明治大学法学部卒業後、新聞記者に。10年の記者生活を経てフリーランスに。女性や子どもたちの問題を中心に取材活動を行う。著書に『女性と子どもの貧困』『東大を出たあの子は幸せになったのか』(ともに大和書房)がある。NPO法人「CAPセンターJAPAN」理事。———-
(ジャーナリスト 樋田 敦子)

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

SNSでもご購読できます。