令和5年度の司法統計によると、家庭裁判所に申し立てられた相続に関する争い件数は13,872件でした。毎日のようにどこかで起きている相続トラブル、またその原因や内容はさまざまであり、「自分には関係ない」「自分は大丈夫」などということは決してありません。では、具体的にどのような相続トラブルが起きているのか、またその状況ではどのように立ち回ればいいのか、とあるきょうだいの事例をもとに弁護士が解説します。
「お父さんが、こんな一方的な内容を書くはずがない」
都内で契約社員として働く独身のサオリさん(仮名/55歳)。年収は約400万円、23区内の1DK(賃貸)で一人暮らしをしています。
そんな彼女は、実父の遺産を巡る兄との確執に頭を悩ませていました。
きっかけは、父の葬儀を終えた夜、実家で同居していた兄のタカシさん(仮名/58歳)から手渡された「一枚の紙」でした。
サオリさんの父は生前、実家で兄夫婦と暮らしていましたが、晩年は病院で過ごしていました。サオリさんが父のお見舞いに病院へ行った際、「家はタカシに渡すが、現金はサオリの物だからな」と優しく声をかけてくれていたそうです。
「父の言葉を信じていました。兄も『介護は任せろ』と言ってくれていたので、安心していたんです。でも、父が亡くなった途端、兄の態度が豹変しました」
葬儀の夜、兄が仰々しく差し出してきたのは、パソコンで作成したとみられる「遺言書」でした。そこには信じられない一文が並んでいました。
「遺産はすべて長男・タカシに相続させる」
サオリさんの頭の中が真っ白になりました。しかし、悲しみ以上に、ある″強烈な違和感”が彼女を襲います。
「父は生涯、アナログ人間で、無理やり持たせたスマホもほとんど使っていませんでした。そんな父が、わざわざパソコンで遺言書を作成するなんて、到底考えられません」
さらに、記載された日付を見て確信に変わります。その時期、父は認知機能が著しく低下し、施設に入居していたはずなのです。
「こんな時期に、父がパソコンを使って遺言書を作るわけがない。絶対に、兄が勝手に作ったんだと思いました」
サオリさんが「これ、本当にお父さんが作ったの?」と問い詰めると、兄は視線を泳がせ、歯切れの悪い返答を繰り返します。
あげく「文句があるならもう帰れ! 俺がどれだけ苦労したと思っているんだ!」と声を荒らげ、部屋を出て行ったというのです。
「介護を盾にして、父の意思を捏造したのではないか」
疑惑は怒りへと変わり、サオリさんは現在、弁護士のもとを訪れ「遺言書の無効」を訴える準備を進めています。
本件の遺言書は公証役場で作成された公正証書遺言ではなく、単にパソコンで作成されたものである場合、自筆証書遺言の要件を満たさず、法的には明確に無効です。
したがって、父の意思であったか、長男による作成かといった点にかかわらず、遺言としての効力は認められません。
しかし実務上は、明らかに無効な遺言書であっても、相手方がそれを前提に遺産分割に応じない場合、遺言無効確認訴訟を提起し、判決で無効を確定させる必要が生じることがあります。
筆者の経験でも、後見人が就任しており認知症の状態で作成された、明らかに要件を欠く遺言書について、相手方がまったく譲らず、実際に訴訟を提起して勝訴判決を取得したケースがありました。
また別件では、全体がワープロによる穴埋め形式の遺言書を見たこともありますが、これも「自筆」ではないため明らかに無効です。現在、ワープロで作成が認められているのは財産目録など一部の添付資料に限られます。
本件においては遺言の有効性以前に、当事者間の信頼関係が崩れている点が大きな問題です。このような状況では遺産分割は難航しやすく、長期化も想定されます。法的に無効であることを前提にしつつ、粘り強く対応していく必要がある事案といえるでしょう。
山村暢彦弁護士法人山村法律事務所代表弁護士