三重県志摩市の離島・渡鹿野島。かつて“売春島”と呼ばれたこの場所で何が起きていたのか。元関係者の証言を手がかりに、その実態と歴史を追う。
【衝撃写真】色気ただよう下着姿のコンパニオンも…ナゾの島『三重県・売春島』で働く女性たち【裏にはヤクザ…】
ノンフィクションライター高木瑞穂氏の新刊『ルポ 風俗の誕生』(清談社Publico)より一部抜粋してお届けする。(全2回の1回目/後編を読む)
「売春島」と呼ばれた渡鹿野島(写真:筆者提供)
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「売春島」。三重県志摩市東部の入り組んだ的矢湾に浮かぶ、人口わずか200人ほどの離島――正式名称は渡鹿野島。周囲約7キロメートルの小さなこの離島を、人はそう呼ぶ。
近鉄志摩線鵜方駅から車を走らせること約20分。着いた先の渡船場から、対岸の渡鹿野島へ渡し船に3分ほど乗った先に売春島はある。
強く冷たい潮風が吹く。2017年冬のことだ。かつてこの島で約2年にわたり内装職人をしていた元ヤクザの佐津間充さん(仮名)の案内でなかへと進んだ。
まず船着き場からすぐのメイン通りを歩いた。「あのねぇ、夕方のメイン通りには、ポン引きから娼婦から客からもう、まっすぐ歩けんほどいっぱいおりましたわ。置屋も、いまもやっとることはやっとるけどもう、見る影もありませんわ」と佐津間さん。
住み込みで働いていた1983年当時は置屋十数軒、ホテルや旅館が10軒ほど、他にも商店、飲食店、はたまたゲームセンターに至るまでが元気に営業し「島民すべての生活が売春業を軸に成り立っていた」という。置屋とは、遊廓からの流れを汲む売春宿のことで、この島での表向きの姿はスナックだ。
1時間ほどかけて島の隅々まで探索した。あちこちに廃墟化したホテルやスナック群が鎮座していて、この島の軸が売春業だったとわかる。
「ショート(60分)2万円、ロング(夜11時から翌朝まで)は4万円。置屋ではなく、女の子の部屋でする。これがこの島での売春のシステムですわ」(佐津間さん)
その話の流れから娼婦と、娼婦が暮らすアパートで朝まで過ごした10年前に思いをはせる。
佐津間さんが続ける。
「どういうわけか四国や九州の人間が移り住み置屋商売をはじめたんですわ。島いちばんの有力者、『恋の坂』の大将のKさんなど、みんなそうですわ。そのKさんはじめ、売春で稼いでカネを持った商売人が、島の人らによくカネを貸しよった。そのカネでみんな、各々商売をはじめてね」
四国や九州からの移住者が置屋商売で財を成し、島は発展。さらにわかったのは、娼婦からはじめて置屋「青い鳥」「パラダイス」、大型ホテル「つたや」と一代で築き上げた女帝・岡田雅子さんの存在だ。Kさん同様に四国か九州からの移住者だというが、詳しくは語られなかった。
確かなのは、ヤクザ組織のA組とのパイプがあり、そのルートでどこよりも日本人の娼婦を多く抱え大いに繁盛したということだ。
どんな経緯で四国や九州から移住し、そして売春島は形成されていったのだろう。
佐津間さんと別れ、東京へ飛ぶ。その成り立ちを探る旅は、国立国会図書館で古い住宅地図を広げることからはじまった。
〈「男女の営み」を支えるホテルや宿がどんどん廃業…三重県「売春島」がさびれてしまった理由〉へ続く
(高木 瑞穂/Webオリジナル(外部転載))