高市早苗首相は2月20日の衆参両院本会議での施政方針演説で「外国からの不当な干渉を防止するための制度設計を進める」と語り、スパイ防止法制定に意欲を示した。
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「日本はスパイ天国」であり、同法を待望する声も大きい。だが、日々機微な情報を扱う国家安全保障に関する現職や元職の当局者たちの感想はちょっと違う。
高市早苗氏 文藝春秋
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防衛相直轄部隊である自衛隊の情報保全隊に所属していた、安全保障ジャーナリストの吉永ケンジ氏は「今時、スパイなんて非効率。人が集めた情報は検証が必要なことが多いし、発覚する可能性が高い。スパイ防止法をやるエネルギーがあるなら、サイバーの能動的防御などに力を入れるべきです」と語る。
そして、日本が最大の脅威と考える中国の場合、余計にスパイ防止法では防ぎきれない問題があるのだという。
現職のA氏は「中国が日本でスパイ行為を働く場合、スパイ防止法ができても捕まえられないでしょう」と語る。その理由として「千粒の砂戦略」を挙げた。
工作員ではなく、日本に住む中国人の学生やサラリーマンなどを大勢動員して行う情報収集戦術のことだ。
「例えば、ターゲットの日常行動を割り出すなら、自宅近くに住む中国人に見張らせて外出と帰宅時間を割り出します。ターゲットの勤務先での評価を知りたいなら、同じ会社に勤める別の中国人に頼むというやり方です」(A氏)
どんな情報を集めているのかは、指示役のコントローラーしか知らない。一人一人の行動を見ても何をしているかわからないので、発覚しにくい。A氏は「スパイ防止法ができても、一人一人の行動は構成要件に該当しないでしょう」と指摘する。
第1次トランプ米政権が2020年7月に閉鎖を命じたヒューストンの中国総領事館の場合、テキサス州の大学や企業、医療機関が関与していた新型コロナウイルスのワクチン・治療薬の研究データを盗もうとしていたことが、米連邦捜査局(FBI)の捜査結果から明らかになった。中国側は主に買収を手段に使ったが、間に何人もはさんで、犯行がわからないように工夫していたという。FBIの捜査も数年に及んだ。吉永氏は「最近のスパイ行為では、データの入手はサイバー攻撃が主流です。人を介したやり方はスマートではないとみられています」とも語る。
現代の「スパイ」は、人間ではなく私たちの身近な家電やデバイスに潜んでいる。
自民党の小野田紀美参院議員(現・経済安全保障相)は2025年4月、国会での質疑で、中央省庁や議員会館で使われている中国製のカメラ付きロボット掃除機から「IoT(モノのインターネット)」を通じて情報が漏洩する可能性を指摘したことがある。
だが、現職のB氏は更に身近な脅威を語る。
「掃除機に送受信機能があるかどうかが問題ですが、むしろ掃除機よりも中国製スマホの方が問題かもしれません」
後を受けたC氏は「中国製スマホの場合、中国が独自に展開している全地球測位衛星システムの北斗経由での位置情報を送信できます。ターゲットの位置を相手に知られる可能性があるため、保秘が必要な人間には持たせない方がいいでしょう」という。
そのうえで、吉永氏もA氏、B氏も世間の一部で「スパイ防止法」に強い関心が集まる背景について「日本人のなかに、中国やロシアの協力者がいるという根拠のない発想があるのではないか」と語る。
SNSの発達で、左右の意見対立が激しさを増していることの副産物という意味だ。
A氏は「岩屋毅(前外相)も、スパイ防止法に慎重な意見を述べたことで、中国のスパイだという声が一部に出て気の毒だった」と漏らす。
政府は昨年5月、サイバー対処能力強化法などを公布したが、人材不足や「通信の秘密」との整合性など課題は山積している。
サイバー空間では米国が最強で、中露が追いかける熾烈な展開だ。日本はいったいどのように立ち回るべきなのか。
前出の吉永氏は、最後にこう警鐘を鳴らした。
「スパイ防止法のように国論が割れる法律を無理に通すと、逆に中国などに付け込まれて国内が分裂する可能性が高まります。それよりも、サイバー防御に時間と金をかけるべきです」
(牧野 愛博)