出産直後に「え、手はどうなってるの?」と…生まれつき右手がない“先天性四肢欠損症”の子を持つ美馬アンナ(38)が今でも忘れない、出産時の記憶

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子役からキャリアを歩み始め、パーカッションバンド・BON-BON BLANCOのボーカルなどでも活躍してきた俳優の美馬アンナさん。2014年にプロ野球選手(現・千葉ロッテマリーンズコーチ)と結婚し、2019年に生まれつき右手がない「先天性四肢欠損症」の長男リタさんを出産。子育てを機に、現在は障害についても積極的に発信する。
【画像】出産した瞬間に「え、手はどうなってるの?」と…“先天性四肢欠損症”として生まれたばかりのリタさんや、アンナさんと夫・学さんの写真を見る
産後すぐは「泣いてばかりいた」というアンナさんは、夫・学さんと共に、子どもの障害をどのように受け止めていったのか。妊娠から出産までのエピソードを聞いた。(全4回の1回目/つづきを読む)
2019年に出産した長男・リタさんは「先天性四肢欠損症」で、生まれつき右手がない(写真=本人提供、以下同)
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――2014年、当時東北楽天ゴールデンイーグルスに所属していた美馬学さんと結婚され、2019年に第1子のリタさんが誕生しました。もともとお子さんは欲しかった?
美馬アンナさん(以降、アンナ) きっといい父親になるだろうから、美馬っち(学さんの愛称)をパパにしてあげたい、という思いはずっとありましたね。
結婚して2、3年は妊活というより、自然にできたらいいな、ぐらいに思ってたんですけど、周りはどんどん子どもができていくし、夫の仕事柄、遠征も多くてのんびり妊活をできるような環境でもないということで、一段ステップアップして不妊治療に踏み切りました。
――不妊治療は女性の負担が重いかと思いますが、大変だったことはありますか。
アンナ 卵胞の成長を促進する注射を打ってたんですけど、朝、暗闇の中でお腹に注射器の針を突き立ててる時にふと我に返って、「私、病気でもないのに何やってるんだろう」みたいな気持ちになることはありました。服薬もしていましたし、なんとなく自分を痛めつけているような感覚があったんですよね。

――心身だけでなく、経済的にも負担がありますよね。
アンナ そこまでしても絶対に妊娠できるわけじゃないので、メンタルがやられることもありました。
今は不妊治療に助成金が出るようになったので、それは良かったなと。私も間に合えば一番良かったんですけど(笑)。
――その後無事に妊娠されて、妊娠7ヶ月の時に精密検査を受けたそうですね。
アンナ もともと通っていた病院は小さな婦人科クリニックで、毎回5分で終わるような簡単な妊婦健診だけだったので、常にもやもやが残っていて。
そんな時にたまたま友人から「胎児ドック」という詳細な検査があることを聞いて、ちょうどいいなと思って受けてみたんです。
――胎児ドックで何か指摘されたことはあった?
アンナ その時すでに妊娠7ヶ月で、もう時期的に染色体異常などの検査はできなくて、受けたのはいつもより鮮明なエコー検査くらいでした。先生からは「手足の長い子だね」と言われたくらいでしたね。

――“理想のお産”みたいなものはありましたか?
アンナ 特になかったんですけど、初産だったので自然分娩を経験したいというのはあって。よく聞く「鼻の穴からスイカが出るくらい痛い」というのは本当なのか、みたいな興味がありました。
痛みに強いタイプなので耐えられるんじゃないかと思ってたんですけど……ぶっちゃけ、もう二度と自然分娩はしたくないですね(笑)。
――かなり難産だった?
アンナ 夫は練習で仙台に帰らないといけない日だったんですけど、朝に“おしるし”が来たのでそのまま付き添ってくれて。
姉が安産でポーンと産んでいたこともあり、自分も2、3時間くらいでポーンといけるだろうと気楽に考えていましたが、結局、出産まで30時間もかかりました。
――リタさんは右手がない「先天性四肢欠損症」ということですが、アンナさんが気付いたのはどのタイミングで?
アンナ 産婦人科の先生が「産まれたよ」とリタを胸に乗せてくれた瞬間、すぐに「え?」となりました。「手はどうなってるの?」と。
――その他の健康状態は問題なかったのでしょうか。
アンナ 出産に30時間もかかったこともあり、顔も紫色で泣き声も出せずに窒息状態になっていました。それに加えて手のこともあったので、救急箱のようなものすごく小さい持ち運びできるベッドに入れられ、あっという間にどこかに連れていかれてしまったんです。その瞬間は私もリタの手のことでパニック状態で、よく分かっていなかったのですが、大きな病院に移送してくださっていました。
――出産直後に撮影された3人の記念写真がありますが、これはその直前に撮影されたものだったんですね。
アンナ あれは本当に一瞬の合間に撮った写真ですね。「手はどうなってるんですか?」と先生にたずねる暇もなく、「赤ちゃん元気だからね。はい、写真撮っておこう。はい、チーズ」で、次の瞬間にはもういない、みたいな(笑)。
今だから笑って話せますけど、あの時はすべてがスローモーションで過ぎていくような感覚でした。

――胎児ドックも受けていたわけですけど、リタさんの右手のことは出産までわからなかったと。
アンナ だからやっぱり最初は自分のせいにもしたし、先生とか、病院のせいにもしました。
あの時飲んだ薬がいけなかったんじゃないかとか、あの日ちょっと走ったのが悪かったのかなとか、思い当たることを探しては自分のせいにして。
で、自分のせいにしきった後は、「なんでもっと早く気づいてくれなかったんだろう」とか、「もっと詳しく妊婦健診で見てくれればよかったのに」と、先生や病院のせいにしていたんです。
――「先天性四肢欠損症」の原因についてはどんな説明がありましたか。
アンナ 医学的にも解明されていない部分が多い障害で、はっきりとした原因はわからないそうです。
知識をつけたりいろんな人の話を聞いたりする中で、「誰のせいでもなかったんだ」と受け止められるようになりましたが、出産直後は、今思えば、自分や誰かのせいにすることが心のよりどころになってしまっていたと思います。
――出産直後、学さんと2人で話す時間はありましたか。
アンナ 本当は赤ちゃんを見たらすぐ仙台に帰る予定だったんですけど、私が1人ではいられない状況だったので、ずっと同じ部屋で寝泊まりしてくれていました。
その病院、本当は夫婦の同室宿泊がNGだったんですけど、院長先生が「絶対に彼女を1人にしないでほしい」と強く言ってくださって。
――その時、学さんとどんな話をしたか覚えていますか。
アンナ 私がろくに話もできないくらいずっと泣いていたので、彼はただただ背中をさすってくれていて。そんなときにポロッと、「産む前に分かってたらよかったのに」と言ったら、「産む前から分かってたら、リタを産まなかったの?」と聞き返されました。
私、それで言葉に詰まってしまったんです。
――そうだったんですね。
アンナ 黙っていたら、「俺は右手のことが分かっていたとしても、アンちゃんに生んでほしいと頼んでいたよ。俺にとっては、覚悟できていたか、覚悟できていなかったか、それくらいの差でしかない。それに、俺はこの子が俺とアンちゃんの間に生まれてきて良かったと、幸せにしてあげられる自信がある」と話してくれて。
産後にちゃんと彼と話したのって本当にそれぐらいなんですけど、その言葉を聞いて気持ちが軽くなったんですよね。
それまでは「この子はあれもこれもできないんだ」って悲観してたけど、この人とだったら大丈夫かもと、ちょっと前向きになれたんです。

――逆に、学さんが動揺するようなことはなく?
アンナ 私自身に余裕がなかったというのもあるんですけど、彼はずっと前向きだったし、とにかく子どもがかわいい一心で、幸せそうな印象しかなくて。
だけど、しばらく経って落ち着いた後に、「あの時どんな気持ちだった?」って聞いたら、「今だから言えるけど、生まれた瞬間は本当に驚いて、まずアンちゃん(アンナさんの愛称)にリタの手を見せない方がいいんじゃないかと、瞬時に思った」と言っていました。
――学さんもすぐに受け止められたわけではなかったと。
アンナ 産まれてすぐ、私の両親に彼から電話してくれたらしいんですけど、泣きそうな声で何度も「こういう状況です。本当にすいません、すいません」と、ずっと謝っていたと、後から両親に聞きました。
リタの病院に付き添って行ったのは彼だったから、検査結果を待つ間もどんなに苦しかっただろうと思います。
――意識して、アンナさんの前では不安なそぶりを見せなかったんですね。
アンナ きっと彼も泣いただろうし、不安で心配でしかたなかっただろうけど、私のことを考えて、耐えてくれていたんでしょうね。
産後すぐに話してくれたことも、彼の中にある優しさを最大限、絞り出してくれた言葉だったんだと思います。
〈毎日、息子に「ごめんね」と泣いて謝る日々…生まれつき右手がない“先天性四肢欠損症”の子を育てる美馬アンナ(38)が、それでも前を向けた理由〉へ続く
(小泉 なつみ)

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