「助けるのは難しいかも」1歳の時に保育所で洗濯機に転落し、脳にダメージ…。話すことも、まぶたを閉じることもできない少年が、夢の「ディズニーランド旅行」を叶えるまで

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

〈「お母さんの娘に生まれて、良かったです」9歳の少女が白血病に。抗がん剤、骨髄移植を受けるも再々発…涙を流す母親に少女が伝えたこととは〉から続く
「メイク・ア・ウィッシュ・ジャパン オブ ジャパン」(MAWJ)の初代事務局長として、約3000人の難病の子どもたちの夢を叶えてきた大野寿子さん。そんな大野さんは、2024年6月、肝内胆管がんにより「余命1カ月」を宣告される。
【画像】新幹線で東京駅に到着した海くんを出迎える大野さん
そんな大野さんの最期の日々に密着した感涙のノンフィクション『かなえびと 大野寿子が余命1カ月に懸けた夢』(文藝春秋)が好評発売中。
今回は本の中から、闘病中の大野さんのもとに、かつて夢を実現してもらった西原海さんと母由美さんが訪れた際のエピソードを一部抜粋して紹介する。
◆◆◆
(2024年)8月5日には、東広島市の西原海(かい)が、母由美らと一緒にリクライニング式車椅子で訪ねてきた。
1989年に生まれた海は1歳7カ月のとき、保育所で水の入った洗濯機に転落し、脳にダメージを受けた。話すこともできず、まぶたも閉じられない。定期的に唾液や痰の吸引が必要である。ふさぎがちだった家族の心を解き放ったのがMAWJである。
由美がこのボランティア団体を知ったのは97年の初夏だった。医学雑誌を読んでいると、「難病の子どもの夢をかなえる団体」と紹介されていた。
家族には夢があった。東京ディズニーランドへの旅行である。かなえてもらえるだろうか。希望を持ちながらも、由美には懸念があった。海は重い障害を持っている。ただ、それは「病気」と言えるだろうか。「ダメでもともと。とりあえず聞いてもらおう」と連絡すると、電話口に出たのが寿子だった。
由美は海のこれまでの経験を話し続けた。事故に遭う前、ミッキーマウスのぬいぐるみを抱いて「イッキー、かわいい」と口にしたのを思いだし、涙がこぼれた。寿子は言った。
「お母さん、泣かないでよ」
海の状況を聴きながら、寿子は思った。
「助けるのは難しいかもしれない」
母由美さん(左)、大野さん(右)と一緒に写る海くん(撮影:豆塚猛)
MAWJはプロジェクトの条件として、本人から直接夢を聞き取ることを課している。家族ではなく、子どもの夢でなければならない。
由美も寿子の反応から、実現は難しそうだと感じた。その予想に反し「やります」との連絡が入ったのは約1カ月後である。医師の意見書が判断材料になった。寿子はそのとき、由美にこう説明している。
「お母さんの熱い思いと、田中(文夫)先生(医師)の意見書がみんなを動かしたの」
海は52番目のウィッシュ・チャイルドになった。由美は家族で広島からディズニーランドに出かけたあの日を忘れない。
「新幹線で東京駅に着くと、大野さんが『よく来たねー、海君』と言って、満面の笑みで迎えてくれたんです」

広島から付きそってきたボランティアの男性はこう言ったという。
「この3日間、海くんは王様なので、何でも遠慮せずに言ってくださいね。ウィッシュ・チャイルドと家族が、心おきなく楽しむための、ぼくたちは召使なんですよ」
海はディズニーランドを満喫する。ナイトパレードでは、頭のてっぺんから足の先まで、全身で音や光に反応し、感動ぶりが言葉を超えて伝わってきた。寿子はこう言った。
「いろんなドラマがあるから、この仕事がやめられないの」
重い障害を持ちながらも海は外での活動を喜んだ。その後、ボランティアの支援を受けながら富士山に登り、海外にも出かける。
その後も家族と寿子との交流は続き、東京を訪ねるときはいつも大野宅に泊まった。そうやって励まし続けてくれた寿子が今、ベッドで横になっている。会うのはこれが最後になるかもしれない。
別れるとき、由美は寿子の体を強く抱きしめた。全身で感謝を伝えたかった。互いの腕に力が入る。泣かないでおこう。そう誓っていたのに涙があふれてくる。
海に勇気をくれた寿子。障害を吹き飛ばすほどの笑顔をくれた寿子。その恩人がいなくなってしまう。それを想像し、涙が止まらない。寿子が言った。
「泣いちゃ嫌よ」
由美はうなずくだけで言葉にならない。
すぐ隣では、リクライニング型の車椅子で海が横になっている。由美が言った。
「海くんの目もうるんでいる気がする」
確かにその瞳は湿っているように見えた。
寿子の意識レベルが下がり始めたのはこのころである。昼は多くの来訪を受けて、気を張っているが、夜になると疲れが出る。日記にもそれが記されている。
〈小倉さんがいた時までは、「痛みはコントロールされている」と言っていたのに、帰られた後ひとねむりしたら初めての強烈な痛みで目が覚める。い・た・い 怒濤のように、えぐるように、金属的痛みがおそってくる。これががんの痛みだったのかと知る。今までよく痛くなかったよ。おかげでみんなに会えた。みんなに会うのも終わりという日が来るのだと思う。神様、願わくばギリギリまで〉(8月5日)
〈日付やら何やらこんがらがっている。朝食を食べた記憶がないまま、ウツラウツラが続いた。明日から、(来客予定がないため)カレンダー白が続く。神様がお休みを言っているのかな〉(7日)

8日になると、もうろうとする時間はさらに長くなる。私が訪ねると、朝男が説明した。
「寿子ちゃんの滑舌が悪くなってきてね。病気のせいかどうかわかんないけど」
本人も自覚しているようで、「そう、悪くなったね。口がべたべたしているからかな」と言った。
ベッド横に設置している酸素吸入器の酸素量を上げると、心臓に負担がかかるため、あまり上げられない。
「この機械は五段階で設定できるの。これまでは一番少ない量を吸っていたんだけど、それでは苦しくなってきてね。風呂やトイレに行くときには、もう少し上げてもいいってお医者さんに言われて。だから少し上げています」
薬で痛みをコントロールしているが、筋力は落ちてくる。
「トイレに立つにもふらふらです。筋力がなくなると、気力まで萎えていくのよ」
朝男からコーヒーを受け取ろうとして、カップを傾けてしまった。腕に力が入らないという。
「シーツがぬれてしまって、あっちゃんに洗ってもらったの。ありがとう、あっちゃん」
〈「今です。まさに急降下しています」立ち上がれず、ひどい下痢で服も汚す…末期がんの女性が医師から「余命1カ月」を宣告された瞬間の心境とは〉へ続く
(小倉 孝保/ノンフィクション出版)

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

SNSでもご購読できます。