「(気持ちの整理は)一生つきません。以上です」「テロリストに対して私から申し上げることは一つもございません」
これは2025年11月11日に行われた定例記者会見での小野田紀美経済安全保障大臣の発言だ。裁判員裁判が続く安倍晋三元首相銃撃事件の山上徹也被告(45歳)について問われた小野田氏は、きっぱりとそう語った。
実は、小野田氏も事件とまったく“無関係”ではない。2022年7月、山上被告は安倍元首相の殺害を、当初は小野田氏の応援演説の場で実行しようとしていたのだ。
2025年10月29日、第2回公判で前日、事件当日の山上被告の足取りが明らかになった。
検察側の証拠調べでは、押収した山上被告のパソコン解析結果が報告された。
銃の自作方法や火薬の燃焼について検索していたほか、2022年7月上旬には「自民党 選挙 応援予定」「決断と実行 暮らしを守る 第26回参院選挙自民党」などのキーワードを調べ、小野田氏のSNSや、演説会会場となった岡山市民会館の場所なども事前に把握していたことが分かった。
さらに検察が公表したのは、小野田氏の講演会襲撃を企てていた2022年7月7日の行動だ。防犯カメラ映像から割り出したものだった。
法廷に現れた山上被告は猫背気味で、どこか気だるそうに座っていた。パラパラと資料をめくる場面もあった。
2022年7月7日、午後2時14分ごろ。山上被告は小野田氏の講演会に向かうため自宅を出発、最寄り駅から電車に乗り、岡山県へと向かった。
午後5時15分ごろ、岡山駅に到着。周辺を歩きまわったあと、市内のコンビニエンスストアでボールペン、94円切手、スティックのりを購入し、前もって用意していた白色封筒に宛名を書いた。
その後、別のコンビニエンスストアに立ち寄り、店内で飲み物を購入して休憩。先ほど宛名を書いていた封筒をポストに投函した。
宛て先はカルト宗教などの問題を取材しているルポライター・米本和広氏だった。事件後、手紙は米本氏から押収され、その一部が証拠として法廷で公開された。
《私は「喉から手が出るほど銃が欲しい」と書きましたが、あの時からこれまで銃の入手に費やしてまいりました。その様はまるで生活のすべてを偽救世主に投げ打つ統一教会員、方向は真逆でも、よく似たものがありました。
私と統一教会の因縁は30年前にさかのぼります。母の入信から億を超える金銭の浪費、家庭崩壊、破産……この経過とともに私の10代は過ぎ去りました。その間の経験は私の一生を歪ませ続けたといっても過言ではありません。
(中略)
私にとってそれは、親が子を、家族をなんとも思わないゆえにつける嘘、止める術のない確信に満ちた悪行、ゆえに終わることのない衝突、その先にある破綻。
(中略)
苦々しくは思っていましたが、安倍は本来の敵ではないのです。あくまでも現実世界で最も影響力のある統一教会シンパの一人に過ぎません。
文一族を皆殺しにしたくとも、私にはそれが不可能なことはわかっています。
(中略)
安倍の死がもたらす政治的意味、結果、もはやそれを考える余裕は私にはありません》
山上被告の足取りは午後6時4分を最後に一旦、防犯カメラからは途切れる。
次に確認できたのは、安倍元首相が演説が行われる予定だった岡山市民会館での足取りだ。
岡山市民会館は事件現場とはならなかった。警備が厳しく、安倍氏に近づけない。会場への入場を断念するほかなかった。この時すでに鞄の中には手製の銃、銃弾は装填されていた。
帰宅途中、山上被告は先ほど投函した手紙を回収しようとしたが、見つからず、そのまま奈良県へと帰ることになった。移動中、自民党のWEBページを確認すると、翌7月8日に自宅からも近い、大和西大寺駅で安倍氏が街頭演説を行うことを知る。
後に山上被告は「偶然を超えたものを感じた」と述べ、犯行を決意した。
2022年7月8日、午前9時30分ごろ被告は自宅を出発、鞄の中には手製銃。
午前10時01分、近鉄大和西大寺駅近くの改札を出て近くのショッピングセンターに入った。1階をうろうろした後、館内にあった期日前投票所で投票した。
午前10時20分ごろ、スターバックスコーヒーで商品を購入。その後、事件現場が見える窓から外を眺めていたという。その後、1階から3階に移動し、同じ位置の窓から外を見下ろし、さらに2階でも同じ位置で外を眺めていたという。
犯行のシミュレーションを行っていた可能性が高い。
午前11時7分、演説が始まると現場付近のバス停付近で待機。
午前11時14分、安倍氏が現場に到着。車から降りる姿が確認された。
午前11時28分、安倍氏が登壇。事件当時の映像には、山上被告が安倍氏を見ている様子が残されていた。
午前11時31分、山上被告が1発目を発砲。安倍氏との距離は約6.9m。
その直後、2発目が発射された。この時の距離は約5.3mだった。
法廷で流された防犯カメラ映像には画面右側に安倍氏、左側から被告が写されていた。普通の速度で歩いて近づき、1発目を発砲。銃口からは真っ白い煙が立ち込めた。さらに一歩、二歩と踏み込んで2発目を発砲した。白い煙が広がる中、警察官がとびかかり山上被告を取り押さえた。
当時、事件現場のガードレール内には安倍氏のほか、警備の警察官、自民党の衆院議員、候補者(当時)だった参院議員の佐藤敬氏、中川元庸奈良市長(当時)ほか関係者14人がいた。
2本目の映像は安倍氏を映していた。銃声のあと安倍氏は一回静止し、後ろを振り向いた。次の瞬間に2発目が響き、そのまま倒れこんだ。
直後、救急搬送され、同日午後5時過ぎに安倍氏は亡くなった。
休廷後、検察側の証人として現れたのは、自民党参議院の佐藤啓氏。事件当日、安倍氏は佐藤氏の応援演説のため、現場を訪れていた。
山上被告は佐藤氏のほうを見たがすぐに目を逸らし、資料の紙を見たり、ひじを付いたりして関心がないように見えた。
安倍氏の応援演説は、前日の午後に急遽決まったという。
「安倍氏は当初、7月8日は長野県での応援演説が決まっていましたが、急遽奈良市などに変更になった。長野県の候補者だった松山三四六氏は直前に女性問題が明らかになり、情勢が失速していた。そのため、自民党本部は長野よりほかを優先と判断し、差し替えたのです」(当時取材をしていた週刊誌事件記者)
7月8日夕方、安倍氏が訪れることは長野県内で告知されていた。奈良県での演説は異例の「急遽決定」。山上被告が見落としていてもおかしくはなかった。
弁護士側は反対尋問で尋ねた。
「応援は前日7月7日、夕方近くに決まったと言ったが、実際には誰がいつ、被害者に応援を要請したのか?」
佐藤氏はこう答えた。
「誰がどの時点で要請したのか、よくわからない。2回目来られたのは選挙の終盤。野党の追い上げがすごく、情勢が厳しいと報じられていた。安倍先生自身もそれを認識していた。おそらく先輩議員が『もう一度来てもらわないと厳しい状況だ』と、お願いしたと思うが、誰が要請して、決まったかは私もよくわからない。
夕方に聞かされて『え、もう一度来るんですか』と言いました。同じ選挙で2度来ることはあり得ないので『本当に来るんですか』とスタッフに聞きました」
安倍氏は事件直前の2022年6月末に佐藤氏の応援に訪れていた。同じ選挙で2回安倍氏が来ることは本来ない。異例中の異例だったのだ。
弁護士「場所は誰が決めた?学園前など候補はあるが?大和西大寺駅になった理由は?」
佐藤「陣営スタッフの話では、大和西大寺駅に来てもらうのがいいのか、ほかがいいのか議論があった。学園前も候補に挙がったが、300~400人が集まるのは厳しい。前回は南口だったので、同じ人数が集まるなら北口で、とスタッフ間で決めた」
(中略)
弁護士「証人が知ったのは夕方の手前?何時ごろ?」
佐藤「午後2~4時ごろ。実際に決まった時間と私が聞いた時間にはラグがある」
弁護士「夕方よりも手前、午後2~4時。4時頃という受け止めでいいのか」
佐藤「正確にはわからない。それを聞いて次の街宣に出る前に安倍先生が来るらしいと聞いて出かけていった。どれくらいの時間だったのか。日は高かったが、何時かは思い出せない」
弁護士「2度の応援をしないのはなぜか」
佐藤「安倍先生に応援に来てほしいという候補者は全国に数多く、取り合いしている状況。2度入るのは状況的に考えられない」
弁護士「安倍氏が2度来たのはこの時だけ?」佐藤「そうだと思います」
まるでドラマのようにいくつもの偶然が重なったことで起きた事件だった。裁判は続く。山上被告はこの日のことをどのように証言するのだろうか。
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