【恭暉さん肉声動画】行方不明から3年 梶谷恭暉さん(当時中3)の帰りを待ち続ける母「もしこの記事を見ていたら、連絡だけでもしてほしい」

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当時中学3年生だった岡山県倉敷市の梶谷恭暉(かじたに・みつき)さん【画像①】が行方不明になって、今月13日に3年を迎えました。
【画像①~⑫】行方不明になっている梶谷恭暉さん 母親のスマホに残された恭暉さんからのメッセージ
我が子の帰りを待ち続ける母親が、心境を語ってくれました。
(※11月12日に配信した記事に、梶谷恭暉さんの肉声付き動画を加えて再掲しています)。
(梶谷恭暉さんの母親)【画像②】「今振り返ると、この3年間はあっという間でした。行けるところには行って、できることはしたので」

「あとはもう、私たちは『普段の生活をしながら恭暉の帰りを待つ』ということを、受け入れてきているような」
当時中学3年生だった梶谷恭暉さんが行方不明になって、今月13日で3年を迎えました。恭暉さんは2022年11月13日の午後2時半頃、「塾に行く」と言って倉敷市の自宅を出たのを最後に行方が分からなくなりました。防犯カメラの映像などから、恭暉さんはその日、最寄りのJR倉敷駅付近から電車で広島県の三原駅に移動。その後、フェリー乗り場に向かい尾道市の生口島に渡ったとみられています。しかし、その後の足取りは分からず、母親が送ったメッセージも未読のままになっています【画像③】。
(梶谷恭暉さんの母親)「突然だったので。まさか恭暉が行方不明になるとは全然思っていなくて」「唐揚げを作っていたんですね、当日の夜に。大好物を作っていて、そしたら帰って来なかった」(*【画像④】は行方不明になった翌日、母親が恭暉さんに宛てたメッセージ)「行きの通勤とか、帰りの歩いているときとか、寒くなったり暑くなったりすると、どう過ごしているかなとはいつも思っています」「きれいな月が出ていたりすると…どうしているかなと」
この3年間、母親は目撃情報があった場所でチラシを配り、情報提供を呼びかけてきました。捜査を行う倉敷警察署に全国から寄せられた目撃情報は、これまでに195件(12日現在)。しかし有力な情報はなく、寄せられる情報の数も年々少なくなっています。こうした状況に、母親は葛藤を抱えていました。(梶谷恭暉さんの母親)「自分の息子を3年見ていなくて、自分の息子だって気付くのにもちょっと時間がかかるかもしれないのに。もう目撃情報が少なくなってきて、いつまでこの活動をするかというのも」来年の3月で18歳の成人を迎える、恭暉さん【画像⑥】。「本人の意志で帰ってきてほしい」という思いと、「我が子に一刻も早く再会したい」という思いが交錯しているといいます。
(梶谷恭暉さんの母親)「息子をさがしています。情報提供をお願いします」【画像⑦】恭暉さんの行方が分からなくなって3年となった今月13日も、JR岡山駅では、母親が行き交う人に協力を呼びかけていました。(梶谷恭暉さんの母親)「成人の年齢になる前に、何か手がかりがあればなと。『あれ』っていうような気付きがあったら、ちょっとでもなんでもいいので、連絡をいただけたらなと」
(梶谷恭暉さん)【画像⑧】「おばあちゃん、元気にしていますか。梶谷恭暉です。僕は元気です。宿題とか結構やらないといけないことが多いけど、日々、がんばっています。そちらもがんばってください」梶谷恭暉さんは、当時、身長が約170センチ、中肉で色白の少年だったということで、警察も情報提供を呼びかけています。(梶谷恭暉さんの母親)【画像⑨】「とにかく、どこかで元気でいてくれるんだろうなと思って生活しているので。『帰りたいな』と思ったときに帰ってきてくれたらいいですけどね。『いつでも帰るところはある』と思ってくれたら」
【情報提供】倉敷警察署生活安全課「086-426-0110」までお願いします。母親は「恭暉さんは本が好きでよく図書館に行っていた。近所の子どもや高齢の人とも仲がよく、親しみやすく純粋な子」「もしこの記事を見ていたら、連絡だけでもしてほしい」と話していました。

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