片山さつき財務相は「ザイム真理教」の破壊神になれるのか? “帳尻合わせ省”の意識改革に意欲、「夢や期待が残る国にならなくては」

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高市内閣の片山さつき財務大臣は、先月行なわれた大臣就任後初の記者会見で、いわゆる「ザイム真理教」に言及したうえで、財務省のミッションは「財政の帳尻を合わせることだけが究極目的なんじゃなく」、「成長する日本を将来に残すこと」、そして「夢や期待が残る国にならなくてはいけない」と話した。
【画像】「東大の山口百恵」とも言われた短パン生足の学生時代の片山大臣

片山大臣は、かつて市民から敵視されて解体デモにまで発展した財務省に内側からメスを入れ、変革をもたらすことができるのか。
経済アナリストの森永卓郎さんは著書『ザイム真理教 それは信者8000万人の巨大カルト』において、財務省が財政均衡主義を絶対視するあまり、国民の生活が苦しくなっていると批判。国民が貧しくなっても増税の姿勢を崩さない財務省は、カルト教団化していると主張した。さらに政治家やマスメディア、評論家も洗脳されていると説いた。国民の生活を楽にするためには、この洗脳を解いて財政出動に動くべきだというのだ。片山大臣の発言からは、財政出動に動く期待感が滲み出ている。
片山大臣は大臣就任前の2025年3月23日公開のYouTube番組「ReHacQ」に出演し、財務省が強い権限を持っていることを認めたうえで、「それは我々政治がだらしないから」と語った。インフレが定着して税収が増え、政治家は景気をふかす方向に舵を切りたいが、「財源は?」「未来にツケを回している」と言われれば議論が萎んでしまうといった主旨の発言をしている。これを象徴していたかのような人物が、前自民党税調会長の宮澤洋一氏だ。ガソリン暫定税率廃止に向けて協議していた際、「代替財源が必要だ」と突っぱね、野党からも財源確保のために汗をかいてもらわなければならないとの姿勢を崩さなかった。宮澤氏は旧大蔵省出身の典型的な元財務官僚で、財政規律派の「ラスボス」とまで呼ばれた人物。減税ではなく、税を付け替えて帳尻を合わせようとする気質が強い。ガソリン減税については、暫定税率の“暫定”という言葉を消滅させるチャンスだと考えていたのではないか、とすら思えるほどだった。暫定措置として導入された税を、付け替えで恒久化できるからだ。税調会長という役職はこれまで財務省OBが引き受けるのが既定路線であり、税調会長と財務省は一心同体と言える関係だった。しかし、OBではなく、税調インナー経験もない小野寺五典氏が税調会長に就任すると、たちどころにガソリン暫定税率は年内廃止に向けて動き出した。現状はこのスピード感が国民の支持につながっている。
ただし、財政規律は多くの財務官僚たちに根づく、基本的な考え方といえる。財務省の職員は法学部出身者が比較的多い傾向にあるが、これは法律の知識がなければ、省庁や自治体との円滑なコミュニケーションが取れず、業務推進に支障が出てしまうためだ。そのいっぽうで、経済学の分野には疎い人が多いとも言われている。
そのため、短期的に赤字を出しても成長に向けた投資を継続的にし、数年かけてその果実を収穫するという考え方と合わないとも。これが財政均衡絶対主義の背景にある。
片山大臣は、記者会見で「国民に理解・感謝されるような方向にマインドセットを変えて、うまくいっていただきたいと強く望みながら戻ってきました」と話し、財務官僚の意識改革に乗り出す姿勢を見せたのだ。
高市政権は「責任ある積極財政」を掲げている。これについては、まだ具体的な方向性が示されていないこともあって、不安視する声も多い。立憲民主党幹事長の安住淳氏は、10月29日に放送されたラジオ番組「岩瀬惠子のスマートNEWS」の中で、「責任ある積極財政というのは、コントロールしながら国債を発行するということだけれども、コントロールしながらやっていくということは積極財政とは言わない。言葉遊びだ」と批判した。これは実務を見たところ「緊縮財政」なのか「積極財政」なのかよくわからないという主旨の発言だろう。高市政権に批判的な立場を置く人のモヤモヤを見事に言語化している。しかし、これについては片山大臣の記者会見の中にヒントがある。「ドーマーの定理」(政府債務の持続可能性を判断する経済学上の理論)だ。片山氏は、今はプライマリーバランス論よりも「ドーマーの定理じゃないですけれども、純債務の対GDP比がどのぐらいで推移するかというところを見て」と発言した。これは注目に値する。いかに注目される発言かをわかりやすく解説したい。「プライマリーバランス」とは、社会保障や公共事業などの政策的経費を税収等で賄えているかどうかを示すもので、企業のキャッシュフローに近い考え方だ。プライマリーバランスが黒字であれば、財政の健全化が進んでいると見ることができる。日本は恒常的な赤字が続いており、2025年度も赤字が見込まれている。長年、借金に頼っているというわけだ。これが「未来にツケを回す」という議論の根底にあり、財務官僚をはじめ多くの政治家が黒字化を目指している。
しかし、片山大臣は「今やそこというよりは、ドーマーの定理」と述べた。ドーマーの定理は、一般的に「ドーマー条件」と呼ばれるもので、利子率と経済成長率を比較し、利子率が経済成長率よりも低ければ、財政破綻は起こらないという考え方だ。つまり、ドーマー条件が成立するということは、経済成長が金利負担を上回る状態であるため、新たな国債の発行(借金)をしてもその負担がカバーできることを示している。2008年にノーベル経済学賞を受賞したポール・クルーグマン氏は自身の論文の中で、日本経済について言及している。日本銀行の金融政策によって、利子率を経済成長率よりも低く保つことができているため、財政破綻には陥らないと主張した。片山大臣は、足元の名目GDPが4%程度であり、国債金利が1.65%であると語っている。結局のところ、高市政権の「責任ある積極財政」とは経済学の立場で投資と回収のバランスを見極めるということではないのか。安住氏は「言葉遊び」と指摘したが、従来の帳尻合わせの国債発行ではなく、経済成長に向けた投資であるとすれば、その意味合いは変わってくる。ドーマー条件は、インフレ局面においては成立する可能性が高い。インフレは基本的に名目GDPを拡大させるからだ。そして、日銀は10月の金融政策決定会合で政策金利を据え置いたが、利上げにはまだ慎重姿勢を残してもいる。ただし、2009年に財政危機に陥ったギリシャのように債務残高が高くなりすぎると金利が上昇しやすくなるため、どこかの段階でプライマリーバランスの黒字化が必要になる。片山大臣はこのかじ取りを任されているわけだ。そして、この考え方を財務省に根づかせるためには、財務官僚の「マインドセットを変えて」取り組む必要があるわけだ。
片山大臣が「旧大蔵省出身」だということも外せない注目ポイントだ。財務省や金融庁の幹部職は、顔や名前、大まかな年次がわかるという。あと5年遅かったら景色が違い、このタイミングで戻れたことがよかったと話した。顔なじみが多く、コミュニケーションがとりやすい環境だったことがうかがえる。一般企業においても、「社員の意識改革を行なう」などと言って外部から招聘された経営者やコンサルタントが組織内に潜り込み、現場と折り合いがつかずに総スカンを食らうケースは少なくない。大胆な改革を行なうには、現場目線でコミュニケーションがとれ、信頼を獲得できるかどうかが重要なのだ。評論家や批評家は実務家と衝突するのが世の常だが、片山大臣の今後の実務には期待ができる。片山大臣は財務省の仕事の究極の目的を「夢や期待が残る国にならなくてはいけない」と話した。この思いは、財務省の解体デモを起こしている人たちと同じはずだ。10月25日にもデモが行なわれていたが、今後の大臣の動向を注視するべき転機だと感じる。
取材・文/不破聡

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