真っ昼間から稲川会最高幹部とともに…六代目山口組・竹内照明若頭「有名暴力団を訪問」の積極外交ぶり

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

「もうすぐ参られます!」
秋晴れに恵まれた10月中旬の茨城県鹿嶋市。その住宅街の一角が、早朝から緊迫した空気に包まれていた。この地に本部を構える指定暴力団・松葉会の傘下組織「國井一家」事務所では、早朝から黒スーツにネクタイ姿の組員が忙しなく出入りしていた。午前11時過ぎには幹部組員が建物前に整列。その周辺を、地元の茨城県警をはじめ、千葉、埼玉、栃木、群馬の各県警や警視庁の捜査員20人以上が警戒・警備に当たっていたのだ。
冒頭の大声が聞こえてきたのは午前11時半のことだった。高級車数台の車列が建物前に到着。その中の一台から降り立ち、先陣を切って事務所へ入っていったのは六代目山口組・竹内照明若頭(65)だ。同行する幹部が続き、後続車両からは稲川会・貞方留義理事長が降り、幹部とともに後に続いた。
六代目山口組ナンバー2として、その一挙手一投足が注目されている竹内若頭。この日、一体、何が行われていたのか――。
「六代目山口組と関東の親戚団体である稲川会、松葉会との三社親睦会です。組のトップは参加せず、各団体からそれぞれ最高幹部4人が出席して昼食をとりながら親睦を深めようという会合です。
年に3回、各団体持ち回りで行っており、今回は松葉会でした。昨年までは、東京の台東区にある松葉会総本部が入るビルで行われていました。しかし昨年11月、ビル地権者が松葉会側へ明け渡し等を求めた訴訟で、東京地裁は地権者の主張を認める判決を出しており、それを受けて、今年は傘下組織の國井一家が開催場所になったと思われます」(山口組関係者)
親睦会は午前11時40分頃から始まり、出迎えたホスト役の松葉会の幹部を交えて、昼の12時10分過ぎまで30分あまりにわたって行われた。
会合終了後、真っ先に出てきたのは竹内若頭だ。和やかな表情で、最後は松葉会幹部に「失礼いたします」と笑顔で挨拶をして送迎車に乗り込んだ。続いて稲川会・貞方理事長が現れ、やはり松葉会の幹部らとにこやかな表情で話したあと車に乗り込み、建物を後にした。
「会合に先立ち、午前11時半前に『弘道会です。今日はよろしくお願いします』と、先乗り組と思われる弘道会組員が挨拶に訪れています。今年4月、六代目山口組は分裂抗争の終結宣言を行っていますが、一方的なもので、神戸山口組は存続したままです。竹内若頭の移動には、細心の警戒を払っているのでしょう」(現地取材のカメラマン)
竹内若頭が六代目山口組の「絶対的指揮官」と言われた山清司前若頭(78)の後を受けてナンバー2の若頭に就任したのは今年4月18日。それに先立ち、4月7日には六代目山口組が兵庫県警に抗争終結の誓約書を提出している。
就任以降、竹内若頭は執行部の若返り人事を断行するなど、矢継ぎ早に組織の改革人事に着手している。9月8日には、兼務していた出身母体の弘道会会長の座を野内正博若頭補佐に譲り、自らは四代目弘道会の総裁に就任した。六代目山口組は、竹内若頭が舵取りに専念できるよう盤石の体制を築きつつあるのだ。
「現在の執行部は、竹内若頭と森尾卯太男舎弟頭以外は、分裂抗争発生後に昇格したメンバーです。6人いる若頭補佐は、全国6つのブロック長(代理含む)としてそれぞれの地域を担当。全国に勢力を置く六代目山口組のバランスを整えた形です。若頭補佐昇格の登竜門とされる幹部には、6人中3人に、将来を嘱望される若手の直参を登用した。分裂抗争で停滞していた組織の若返り人事が着々と進行しています。
中でも、弘道会会長に野内若頭補佐が昇格した人事が持つ意味は大きい。弘道会は、司忍組長(83)、山前若頭、竹内若頭の出身母体。野内会長就任によって、今後も六代目山口組で弘道会の系譜が続くための布石が敷かれたといえます」(ヤクザ業界に精通しているジャーナリスト)
この三社親睦会には、六代目山口組からは、従来「若頭」が出席することはほとんどなかったといわれているが、竹内若頭は毎回出席しているという。業界では「竹内若頭の積極的な外交戦略」と評されているのだ。
「終結宣言をしたとはいえ、あくまでも一方的なものであり、警察当局は双方の組織に対して警戒を解いていません。竹内若頭自らが友好団体との積極的外交を続けることは、同時に神戸山口組に対する無言の圧力にもなるのでしょう。そういう意味では、まだ分裂抗争は終結したとは言えない状況下にあるとも言えます」(前出ジャーナリスト)
本来、六代目山口組の人事は秋から12月中旬までに決定されることが多いという。改革断行人事が続く中、六代目山口組はさらなる「次の一手」を打ってくるのであろうか――。

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

SNSでもご購読できます。