伊東市の田久保真紀市長が10月31日の臨時議会で「市長の椅子」から引きずり降ろされることが確定した。これまでのように何らかの理由をつけて「市長の椅子」にしがみつくことはもはや不可能である。
田久保氏が24日、「臨時議会の招集の拒否」という“伝家の宝刀”を抜かず、そのまま招集を告示したからである。今後、議会開催に異を唱えることはできない。
たとえ田久保氏が31日の臨時議会を欠席して市長不在となったとしても、告示通りに臨時議会は開かれ、市長の不信任決議はそのまま採択され、田久保氏は失職する。
失職と同時に田久保氏は非正規の職員を含めて約1000人の伊東市職員を指揮するトップの立場、つまり、強大な権限を有する「公職者」としての地位を失う。単なる一般市民の1人となるから、捜査当局は早い時期に田久保氏の任意出頭を求めるなどさまざまな嫌疑の解明に乗り出すだろう。
これでことし6月、伊東市長の学歴詐称疑惑から始まった「田久保劇場」の幕はいったん下ろされる。ただすぐに、「田久保劇場」第二幕が上がることになる。
11月からは出直し市長選の行方とともに、学歴詐称を巡る田久保氏の「卒業証書」が何だったのかなどが明らかにされ、そこに犯罪事実があるのかどうかの認定が下されていくのである。
いくら田久保氏が望まなくても、自らの行いの報いをすべて受けることになるだろう。
田久保氏はことし5月25日、自民党系の現職を破って初当選したが、直後の6月上旬に東洋大学の最終学歴を詐称した疑惑が浮上した。
7月7日に伊東市議会は田久保氏の辞職勧告決議案と地方自治法に基づく調査権限を有する百条委員会の設置を可決した。その7日夜の会見で、田久保氏は「東洋大学除籍」を認めた上で、疑惑解明に向けた捜査を静岡地検に近く上申し、7月中に辞職する意向を明らかにした。
ただその席で、「卒業の事実はなかったが、『卒業証書』は本物であると信じている」と不思議な主張をした。これでは、実際は卒業しているのに、大学側の手違いで「除籍」されたことになってしまう。
このため、「卒業証書」が本物であるかどうかの疑惑解明は百条委員会に移された。議長らに「チラ見せ」した「卒業証書」の提出を市議会は求めたが、田久保氏は拒否した。
当初の主張通りにそのまま辞職して出直し市長選が行われていれば、田久保氏の珍妙な主張が信じられるのかどうかを市民が判断できた。とにかく田久保氏が「市長の椅子」から降りていれば、それで「田久保劇場」は終わっていたかもしれない。
ところが、7月31日になって田久保氏は「故意に学歴を詐称したわけではない」と主張して、辞職することを撤回してしまったのだ。この辺りから田久保氏の迷走が始まった。
百条委員会で「卒業証書」と称する書類の提出を再び求められるが、刑事訴追の恐れなどを理由に拒否した。
百条委員会に出席した田久保氏は「チラ見せ」ではなく、「19.2秒ほど見せた」と反論するなど、伊東市政の混乱は泥沼にはまり込んだ。
このため、市議会は9月定例会の初日となった9月1日に田久保氏の市長不信任決議案を全会一致で採択した。
偽造された「卒業証書」を議長らに提示したことは偽造有印私文書行使罪に当たるとして、市議19人全員が9月9日、静岡県警に告発した。
この他、百条委員会での「卒業証書」提出拒否、証人喚問時の証言拒否などについて地方自治法違反、報道機関の調査票に虚偽の経歴を記載したとする公職選挙法違反、伊東市広報紙の経歴掲載のために職員に「卒業証書」を提示した偽造有印私文書行使罪で刑事告発され、すべて受理されている。
県警による周辺の捜査は始まっているのだろうが、公職にある田久保氏の立場を配慮して、「卒業証書」とされる書類の提出を求めることはいまのところ行っていない。
一方、市長の不信任決議に対して、田久保氏は10日、辞職・失職を拒否して、議会を解散した。
自らの不祥事にもかかわらず、議会解散を選択したことで何らの大義名分はなく、「市長の椅子に居座ることだけが目的だ」と市民らの強い反発を受けた。
その議会解散から約1カ月後の10月12日、全国から注目を集める出直し市議選がスタートし、前職18人、新人12人の30人が立候補した。
市民らの怒りの声を反映して、全会一致で不信任決議した前職18人全員、田久保氏の不信任決議に賛成を表明している新人1人の当選が19日に決まった。
これで、臨時議会が開催されれば、再度の市長不信任決議は可決され、田久保氏の失職が確定する。
田久保氏が「市長の椅子」にしがみつくために残された道は、臨時会開催を先延ばしして、不信任決議を可決させないことだった。
地方自治法101条では、議員定数の4分の1以上の者が、首長に対して会議に付議すべき事案を示して臨時会の招集を請求することができるとしている。臨時会開催の請求に首長は応じる義務はあるが、たとえ拒否したとしても罰則規定などはない。
となると、議員はじめ多くの市民から臨時会の強い要請があったとしても、首長が拒否してしまうことができるのだ。
臨時会の開催を田久保氏が拒否してしまえば、12月定例会まで「市長の椅子」に居座ることが可能だった。そうすれば、冬の期末手当なども支給されていた。
ところが、ここまで苦しい弁明を続けていた田久保氏はあっさりと31日の臨時議会開催を告示した。
「市長の椅子」から降りる、つまり、「公職」の地位を失うことの重さを田久保氏が承知していないのか、あるいはこれまでの姿勢を反省して、いずれ捜査当局の厳しい取り調べに従順に応じる意思表示をしたのかのどちらかである。
今後、県警の捜査は本格化するはずである。
5カ月間も「市長の椅子」に居座ったことで、田久保氏は大きなツケを支払うことになるだろう。
最も重い刑罰が科せられるのは、偽造有印私文書行使罪である。有罪となれば3カ月以上5年以下の拘禁刑が科せられる。
議長らに「チラ見せ」した「卒業証書」と称する書類の正体を関係者は誰もが知りたいと考えている。伊東市広報紙の経歴掲載の際に職員にも「卒業証書」を提示したとされ、偽造有印私文書行使罪で告発されている。
当初、弁護士事務所の金庫の中にあるとされたが、現在はどうなっているのか、田久保氏の「卒業証書」を確認しないことには取り調べは進まない。
7月末で辞職していれば、報道機関の調査票に虚偽の経歴を記載したとする公職選挙法違反の選挙妨害罪だけで済んでいたのかもしれない。こちらは4年以下の拘禁刑または100万円以下の罰金が科せられる。
さらに百条委員会への出頭拒否、証言拒否などの地方自治法100条違反は明らかであり、6カ月以下の拘禁刑または10万円以下の罰金刑が科せられる。
31日に田久保氏が失職すれば、出直し市長選挙が行われる。伊東市選挙管理委員会によると、12月14日の投開票が有力視されている。
市長選にはすでに田久保氏以外に5人もの候補が名乗りを上げている。
5月25日の市長選で田久保氏と一騎打ちとなり、田久保氏に約1800票差で敗れた前市長の小野達也氏、市長選を見越して今回の市議選を見送った前市議の杉本憲也氏ほか3人が立候補する予定である。
田久保氏も自身の正当性を訴えて、再選を目指すことをほのめかしている。
全国的に地方議員のなり手がいないと言うが、伊東市には当てはまらない。
定員20人に対して、30人もの候補が乱立した市議選に出馬した新人候補のうち、9人は東京などから伊東市へ移住してきた人たちである。候補の多くが新たな伊東市民として、伊東の街の魅力を語っていた。
新人候補の1人は「伊東駅前に新たなカフェを開くので、そのあいさつ代わりに選挙に立候補した」と話すなど、大騒ぎの伊東市でとにかく名前を売り込みたかったようだ。
だから、市長選でも今後さらに候補者は増える可能性が高い。混戦となり、票が分散すれば、知名度で圧倒的なアドバンテージを誇る田久保氏が再選される可能性もゼロとは言えない。
伊東市政の動向は全国的な注目を集めている。
市議選期間中に、今回の高市早苗政権で女性初の財務大臣に就いたことで注目される片山さつき氏が自民党系候補の応援に駆けつけていた。
片山氏は候補者たちから現在の伊東市の混乱について耳を傾け、支援を惜しまないことを約束していた。
また静岡市の難波喬司市長は記者会見で、田久保氏の大義名分なき議会解散を批判、議会解散は費用、労力ともムダであり、制度改正の必要性を説いていた。
田久保氏という社会の秩序をかきみだすような市長が出現したことで、伊東市の存在が大きくクローズアップされ、全国的な関心を集めている。
伊東市長の座から降りることで「田久保劇場」の一幕目は終わるが、その後始末と言える第二幕が始まり、この騒ぎは収束していくのかもしれない。
———-小林 一哉(こばやし・かずや)ジャーナリストウェブ静岡経済新聞、雑誌静岡人編集長。リニアなど主に静岡県の問題を追っている。著書に『食考 浜名湖の恵み』『静岡県で大往生しよう』『ふじの国の修行僧』(いずれも静岡新聞社)、『世界でいちばん良い医者で出会う「患者学」』(河出書房新社)、『家康、真骨頂 狸おやじのすすめ』(平凡社)、『知事失格 リニアを遅らせた川勝平太「命の水」の嘘』(飛鳥新社)などがある。———-
(ジャーナリスト 小林 一哉)