ホテル密会・小川市長は「典型的な相談女」か 魔性オーラは「男社会で愛される女」の生存戦略?

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群馬県・前橋市の小川晶市長が市幹部職員の既婚男性とホテルで複数回面会した問題。小川市長はホテルで「相談や打ち合わせ」をしていたと釈明するが、ライターの冨士海ネコ氏は、「相談」という言葉は男女の境界線をあいまいにする「魔法の言葉」だと指摘する。
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既婚男性職員とホテルで10回以上「相談や打ち合わせ」を繰り返していたと報じられた、前橋市の小川晶市長。本人は「男女としての一線は越えてはおりません」と釈明したが、世間の反応は冷ややかだった。報道を見た人の多くが抱いたのは「またこのパターンか」という既視感だったろう。そう、「相談」という魔法の言葉で女性側が関係を正当化する構図は、政界から芸能界までたびたび繰り返されてきた。
政界では元SPEEDの今井絵理子議員が、当時妻帯者だった橋本健氏と新幹線の手つなぎデートを撮られ、ホテルでも同部屋に出入りしていたことが発覚。小川市長と同様に「一線は越えていない」「講演会の原稿の打ち合わせをしていた」と釈明して批判を呼んだ。
また卓球女子元日本代表の福原愛さんも、既婚男性とのホテル連泊と「自宅お泊まり」が撮られた一人である。やはり不倫は否定し、「立ち上げたばかりの会社のことをいろいろと相談」する仲だったという釈明をしたものの、夫と子どもを置いて一時帰国中という背景もあって、爽やかで頑張り屋のアスリートというイメージは大きく失墜することとなった。
つい先日大きな反響を呼んだ永野芽郁さんと田中圭さんの不倫疑惑も、一部では「永野さんが田中さんに別の俳優の愚痴を聞いてもらっていた」と報じるメディアもある。いずれも、男性人気の高い女性が「無邪気」という好感属性を持ちながら、距離を詰めていく構図だ。
「相談」という言葉は、男女の境界線をあいまいにする。恋愛でも仕事でもない形で心の距離を縮めるための「安全な口実」として機能するのだ。「彼にだけは本音が言える」「他の人とは違う」。そう思わせる関係は、明確な線引きがなく第三者からも見えづらい。だからこそ、周囲からの誤解や本人同士の感情のズレが生じやすく、結果として“厄介”な関係になりやすいのだ。「相談女」の多くは分かりやすくあざとい美女というタイプではなく、むしろ地味で控えめ、でも人懐っこくて愛嬌がある女性が多い。彼女たちは男社会の中で「目立ち過ぎず、嫌われないポジション」を保ちながら、気付けば誰よりも近い存在になるコツをよく分かっているのだ。
小川市長の話に戻ろう。政治の世界は今も圧倒的に男性中心だ。全国の市長の平均年齢は50代後半とされる中、小川市長はまだ若手ともいえる42歳。議会も地元の有力者も年上の男性が多数を占める中で、女性が頭角を現すには「敵をつくらず、愛されること」が不可欠になることは想像に難くない。SNSでは「ぼく」という一人称やドジっ子ぶりが紹介され、「親しみやすくて感じの良い人」という評判を得ていたようだ。
だが、「感じが良い」女性が、「距離の近過ぎる」女性と捉えられるのは紙一重である。男社会で「嫌われないために好かれる」という努力を強いられてきた女性たちは、愛嬌を武器に、空気を読むスキルを覚えていく。男社会で女性が出世するには、「よく気が付く」「場を和ませてくれる」といった評価が鍵の一つになるが、その「気遣い」をどう線引きするかは極めて難しい。上司や年長男性が相手の場合、女性側が意識せずとも、相手が「オレを特別扱いしてくれている」と勘違いすることもしばしばだ。
SNSでは、こうした女性を「相談女」や「サークルクラッシャー」と呼ぶこともある。男社会の中で、紅一点として「かわいがられながら生き抜くすべ」を身に付けたタイプ。彼女たちは、女性に期待されがちな気配りや共感力を武器に、男性の承認欲求を刺激する。
2日に行われた前橋市議への説明会では、市長のお相手である男性職員の弁護人が「市長はすぐ泣いちゃうからホテルがいいと思った」と自分がホテルに誘ったというコメントが読み上げられた。また「週刊文春」によると、以前から小川市長は「相手が政治的に頼りになりそうな男性だとみると、手を握る、腰に手を回す」などのボディタッチが多かったという。相手が強い権力を持つ人であればあるほど、女性が「頼る」「弱みを見せる」ことで優越感を感じ、深みにハマりやすいことを、小川市長はよく分かっていたのではないか。
つまり、「相談」とは男社会の中に置かれた女性にとっては自己防衛、生存戦略の手段になり得るものなのだ。
政治家や女子アナ、女優など、男性人気に支えられる職業ほどこの構図から逃れにくいが、一般社会でも男性が多い職場やコミュニティーで、夫に「相談女」がついてきて困っているという既婚女性側の話はよく聞く。
「相談」は本来、信頼関係の証しのはず。しかし、その言葉が「男女の境界線」をあいまいにするための免罪符のように使われるとき、そこには往々にして甘えと計算が入り混じっている。とくに政治の世界は、今なお「男社会」の気配が濃い。議会での振る舞い、有権者との距離の取り方、そしてメディアへの発信力……すべての場で「人たらし」、とりわけ「男たらし」が重宝される。その空気を、優秀な女性ほど敏感に読み取っているはずだ。
政治家や経営者が若い女性から「悩みを聞いてほしい」と誘われるとき、そこに恋愛感情があったかどうかは問題ではない。むしろ、立場のある既婚男性が「対等な相談相手」として若い女性と二人きりで会うという行為自体が、リスクを伴うことを理解していないことが問題なのである。
「相談」の名を借りた親密さの裏には、「頼られる自分」を気持ちよく感じてしまう男性心理と、「男性社会でかわいがられたい」女性心理が共犯関係のように絡み合う。小川市長は部下である男性とのその「距離感」が、市民や世間にどう見えるのか、致命的に認識が甘かったといえる。
小川市長は「男女の関係ではない」と潔白を訴えているが、問題はそこではない。ホテルで人事を含む仕事の相談を部下とするような軽率な行動を取った人物が、組織や市民との信頼関係を築けるのか。恋愛スキャンダルというより、これは「信頼ガバナンス」の崩壊だ。有権者にとっては誠実さこそが最大の公務。まして「相談」という言葉を使って関係をぼかすやり方は、誠意ではなく逃げ口上に見えてしまう。
「支援者や弁護士に相談する時間を頂きたい」と話していた小川市長。つくづく「相談」が好きなようだが、13日の市民との対話集会で「約束した選挙公約を進めるのが責任だ」と続投に意欲を見せた。自身の「相談力」は、市民との信頼回復にこそ使ってほしいものだ。
冨士海ネコ(ライター)
デイリー新潮編集部

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