死んだはずの被害者が“生きていた”…? 謎が謎を呼ぶ遺体なき「無尽蔵」殺人事件 被告はなぜ有罪となったのか

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1982年、日本橋三越での「古代ペルシア秘宝展」に出品された品が贋作だらけだったことから発覚した「無尽蔵殺人事件」。同展の展示品の仕入れ元のひとつと目された池袋の骨董品店「無尽蔵」店主の川田実さん(仮名=当時55=)が失踪していたことが判明し、店員だった森本茂也(仮名=当時29=)が殺人容疑で逮捕されたのだ。森本は、“手当”をもらい、川田さんと性的交渉を持っていた。それに関するトラブルが殺害の動機だと自供したが、公判になると、一転否認に転じた。また、「遺体を捨てた」と供述した川崎市の京浜運河からも、一向に死体は見つからない。さらに公判では、検察側の立証を根本から覆す重大証言が相次いだのだ。【前後編の後編】
【高橋ユキ/ノンフィクションライター】
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【写真を見る】“決して口に出せない関係”で結ばれていた被害者と犯人の素顔
公判の時点で検察側は、森本の逮捕直後の供述に基づき、“殺害日”を1982年2月24日だと主張していた。しかし、川田さんの遺体が見つからないことから、犯行に及んだ裏付けが得られないばかりか、そもそも川田さんが亡くなっているのかどうかも怪しくなってきた。裁判では「死んだとされる時期より後に、川田さんを見た」と証言する関係者が何人も現れたのだ。
口火を切ったのは、当時の国立博物館の美術課長である。彼は「無尽蔵」の常連で、川田氏とは旅行に出かけるほどの仲だった。美術課長は公判でこう証言した。
「2月26日の夕方に川田さんと会う約束をしていました。五時半ごろ、私は約束通り『無尽蔵』を訪ねました。すると、妙なことに、店はすでに閉まっていました」
続いてその約束を川田さんと取り付けた時期について問われると、
「その日。つまり26日の昼頃だったと思います。仕事先から『無尽蔵』に電話しました」
つまり24日に殺害されているはずの川田さんと、26日昼に電話で話したということになる。
続けて「殺害日とされている2月24日の翌日に『無尽蔵』で会った」と証言したのは、さる著名な日本画家の当時の養女。彼女も美術課長同様に「無尽蔵」の常連だった。
「(殺害されたとされる翌日の)2月25日にも『無尽蔵』へ行きました。私の手帳には行動予定表と、実際の行動を記載する欄の二つがあります。当日の行動予定表には〈午後、無尽蔵〉とあります」
彼女は、養父の主治医と親しく、店に出向く際は主治医の下を訪ね、ふたりで出かけることが慣例となっていた。くわえて、主治医は出向く前に必ず「無尽蔵」に電話をかけ、川田さんが店内にいることを確認するのだという。養女は続けた。
「つまり、『無尽蔵』へ行って川田さんと会えない日はないんです。この日も、もちろん川田さんはいました」
“死んだはずの川田さんに会った”と証言したのはふたりだけではない。小田原の古美術商も裁判に証人として出廷。
「川田さんと会ったのは、昨年(1982年)6月22日に伊東市の旅館で開かれた美術市の場でした」
と、なんと殺害されたとされる日からおよそ4ヶ月後に目撃したと証言した。
「自分の左隣にいた鎌倉の同業者が、『川田がいる』と自分に耳打ちしたんです。後ろを振り向くと、たしかに川田氏がいた。それで『しばらくぶりだね、景気はどうだい?』ときくと『ぜんぜんだめだよ』と答えました。川田さんとは顔馴染みなので顔を見間違えるはずはありません」
立て続けに現れる“死後の目撃者”により、そもそも川田さんは生きているのではないか……という疑いまで生じさせる展開となったのだ。
法廷はにわかにミステリー色を帯びたが、のちに言い渡された判決では「川田の消息に関する生存目撃等の証言は、信用性が甚だ低いか全く証拠価値のないものであって、いずれも措信できず、その他の点も同日以降川田の生存を確認する証左となすにはいずれも足りない」と、すべての“死後の目撃証言”が信用できないと結論づけられた。森本は川田さんを殺害したと認定され、懲役13年の判決が言い渡されている。
森本は2月24日の川田さん殺害を否認していたが、25日以降、突如として「無尽蔵」の金に手をつけ、妻への送金やBMWへのターボ取り付けなど、その額209万円を、私的な目的に使用していた。「殺害当時強盗目的等があったのではないかと窺わせる状況が存し、現に捜査段階においてもそのような追及がなされている」と判決は指摘している。森本は地裁判決以降も控訴、上告し、否認を貫いたものの、1990年6月、最高裁で懲役13年の実刑が確定した。
“将来の養父”を殺害したのは、金が目的だったのか。それとも性的交渉が原因だったのか。森本本人が犯行を認めていないなか、これも、法廷での“死後の目撃情報”同様、謎のままだ。そして川田さんの遺体は、いまも見つかっていない。
【前編】では、事件発覚から逮捕までの経緯を詳述している。
※執筆に当たり、週刊文春(1982.9.9、1982.12.16、1983.11.24)、週刊新潮(1982.8.26、1982.10.7、1983.11.24)、週刊ポスト(1982.9.17)、週刊サンケイ(1982.10.14)の各誌を参考にしました。協力:公益財団法人大宅壮一文庫
高橋ユキ(たかはし・ゆき)ノンフィクションライター。福岡県出身。2006年『霞っ子クラブ 娘たちの裁判傍聴記』でデビュー。裁判傍聴を中心に事件記事を執筆。著書に『木嶋佳苗劇場』(共著)、『つけびの村 噂が5人を殺したのか?』、『逃げるが勝ち 脱走犯たちの告白』など。
デイリー新潮編集部

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