マクドナルドは1971年に東京の銀座三越に1号店が出店し、現在では全国に約2950の店舗を増やした。マクドナルドのある風景は国内外で馴染み深くもあり、ありふれた風景ともいえる。
普段は気にも止めないが、つい足を止めてマクドナルドの看板をじっくり見ることがあった。
「これは、でかくて、黒いな」
シンプルな関心のままに調べてみると、東京の古書店街・神保町にある店舗の看板は、10年前に黄色から現在の黒色に変わっていたことがわかった。でも、なんで? (弁護士ドットコムニュース編集部・塚田賢慎)
今年8月。書店街の東京・神保町でふと見上げたマクドナルドの看板が大きかった。
高さは3メートル近くありそうだ。もしかすると超えているかもしれない。よそのマクドナルドの店舗ではこの大きさの看板はなかなか見ないような気がする。
マクドナルドの看板というものは、平面のイラストではなく、立体にしていることが多いようだ。
この神保町店の看板は立体の上に大きく、アルファベット「M」の空間に2つの窓まで作った気合いの入ったものだった。
マクドナルドといえば、黄色と赤色をベースにした配色が印象的で、「M」の看板はいつも黄色だ。もし自分がマクドナルドの人(?)だったら、せっかく立体的に、ドでかく、かつ窓まで作ったのであれば、そりゃ最初は喜々として黄色く塗るはずだ–。
薄い根拠ながらも、直感に導かれ、Googleストリートビューで当地の過去をさかのぼって調べてみると、2014年4月から2015年4月にかけて黄色から黒色に変わっていたことがわかった。
やはり黄色だった–。看板がある3階の座席に座った筆者は、ホットコーヒーを飲んで1人ただうなずく。
店内にいると、窓が「M」の中にあることに気づくことは難しい。
難しいというか、そもそも誰も気にしない。外を歩いている人も、いちいち看板に目をひかれて見上げるようなこともない。見上げたとしても、壁の色も同系色の黒なので、看板の存在に気づきにくい。
こんなに大きいのに、なぜ黄色から目立たない黒色に変えたのだろうか。
マクドナルドの公式サイトなどを参照すると、この看板の「M」は「ゴールデンアーチ」と呼ばれている。
Q&Aでは、「マクドナルドの看板がなぜ赤色と黄色なのか?」という問いに対して、「創業当時より赤と黄色をシンボルカラーとしています。マクドナルドではゴールデンアーチをマクドナルドブランドの特徴を持った価値あるシンボルと位置づけています」と答えている。
また、全国の店舗の一部看板は、景観条例にもとづき、別の色を使用しているという。
「京都市では市の景観を守る条例に従い一部茶色のベースパネルを使用しています。また、軽井沢の店舗でも景観を損ねないように赤の替わりに白を使った看板を使用している店舗もあります。」(Q&Aの回答から)
マクドナルド神保町店がある東京都千代田区にも景観条例が存在する。
歴史的資産や皇居がある地域特性から、区の景観条例ガイドラインでは、たとえば「皇居から望むことができる屋外広告物は、皇居側に向けて設置しない」といった様々な配慮事項が設定されている。
「個々の屋外広告物それぞれが目立つことばかりでなく、地域特性を踏まえて、素材や色彩、大きさ、形態などをデザインに取り入れていくこととし、広告主やフランチャイズチェーンについてはフランチャイズ本部等に配慮を求めます」(区のガイドラインから)
それでは、神保町の店の看板は、京都市の事例のように、景観条例やガイドラインの内容にしたがって黄色から黒色にしたのだろうか。
それとも、他に考えられる仮説としては、たとえば店舗周辺から「黄色すぎる」などのクレームでも入ったのだろうか。
日本マクドナルド(東京都新宿区)に尋ねたところ、神保町店の看板について、次の回答が届いた。
「『神保町店』の看板の変更につきましては、自治体の景観条例やガイドラインやそれにもとづく対応ではなく当時のマクドナルド店舗デザインポリシーに沿ったものに変更をいたしました。」
条例は関係なかった。ただ、この答えをもってしても、看板のどのような要素が変更の要因となったかはいまだわからないままだ。
2014年から2015年ころのマクドナルド店舗デザインポリシーに沿って変更を実施した主な要因は何だったのか。
たとえば、「看板が3階以上の場所にあり、かつ大きさが1メートルを超えた場合は、黒く塗りつぶす必要があるとの規定がポリシーにある」といった回答を期待して、さらに追加で同社に質問してみた。
しかし、同社によれば、デザインポリシーは社外秘であり、個別の看板におけるデザイン変更の規定内容についても、回答できないということだった。
ただ、こうした考えがマクドナルドにはあるという。
「店舗デザインにつきましては、その時々に合わせ、お客様にfeel-goodを感じていただける食事の場の提供を心掛けて定めております」
神保町の店は、訪れた2度ともにぎわっていた。