田部井淳子 突然のがん告知と余命宣告。「5年生存率3割」という厳しい現実に直面しながらも、さほど落ち込まなかった理由は…

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2016年に逝去された登山家・田部井淳子さんは、女性初のエベレスト登頂を成し遂げたことで知られています。今回は、田部井さんがこれまでの出来事をエッセイとして書きまとめた著書で、2025年10月公開予定の映画「てっぺんの向こうにあなたがいる」の原案本ともなった『人生、山あり“時々”谷あり』から一部を抜粋し、再編集してお届けします。
【写真】埼玉県の日和田山にて。抗がん剤の治療中も近くの山へ出かけた
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2012年3月、私はがん性腹膜炎と診断されました。
といっても、がんを告知されたのはこれが初めてではありません。2007年にも初期の乳がんと診断され、手術や放射線治療をしましたが、副作用の影響はありませんでした。
再び異変に気づいたのは、12年の2月中旬のことです。時折、お腹にチクチクした痛みを感じるようになり、食欲もなくなりました。オフィス近くの胃腸病院で検査をしてもらったところ、「亜腸閉塞(サブイレウス)かもしれませんね」とのこと。
(えっ、腸閉塞?)と思いましたが、忙しかったこともあって、なんとなくそのままにしてしまいました。
同じ年の3月10日、私は新幹線で福島県に向かうことになっていました。震災から1周年という節目にあたり、翌日、「大玉村復興の集い」で講演することになっていたのです。
ところが、新幹線に乗ろうとしたとき、また、お腹にチクチクと痛みを感じました。
『人生、山あり“時々”谷あり』(著:田部井淳子/潮出版社)
(なんだか、腸閉塞という感じでもないな……)
心配になった私は、郡山市で泌尿器科クリニックを開いている兄に電話しました。そこで内科医をしている兄の娘婿に診察してもらったところ、「これは大きな病院で診てもらったほうがいいかもしれない」とのこと。急遽、大病院の救急外来に向かいました。
そのまま検査入院し、特別に外出許可をもらって翌日の講演をすませると、病院に戻りました。すると、夫の政伸が私を呼びに来て、一緒にお医者さんの説明を聞くことになりました。診察室に入ると、若いお医者さんが暗い顔をしています。私の顔を見ようとせず、腹部の写真を見せてこう言うのです。
「大変、深刻です。お腹の中にたくさんのがん細胞が見られます。骨盤まで入り込んでいるので、非常に厳しい状態です」
「どのぐらいということですか」
「ろろろ、6月……」
お医者さんは舌がもつれたように、こう答えました。
(6月ということは、今が3月だから……えっ、あと3カ月ってこと!?)
次の瞬間、(それはないな)と思いましたが、その場は「あぁ、そうですか」と答えて病室に戻りました。
がん研有明病院に転院したのは、それから4日後のことです。主治医の先生に、前の病院で撮影した画像を見てもらったのですが、さほど驚いた様子もなく、こう言いました。
「今はいい薬がありますからね。5月ぐらいになったら、『あれは何だったんだろう』ということになるかもしれませんよ」
ホッと安心したものの、検査結果は思わしくありませんでした。前回の検査から2週間しか経っていないのに、がんが増殖して、お腹の中で黒い帯状になっていることがわかったのです。「ステージIIICのがん性腹膜炎」との診断でした。
「それは、限りなく末期に近いということですよね」と質問すると、先生は「そうですね」と答えました。
5年生存率は3割──厳しい現実に直面しながらも、私はさほど落ち込むことはありませんでした。「あぁ、70歳を過ぎていてよかった」と思ったのです。もし、40歳でこの告知を受けたのだとしたら、さぞショックだったでしょう。でも、70過ぎまでやりたい放題やってきたのですから、もう思い残すことはない。「まあ、いいか。来月この世を去ることになっても後悔はない」という気持ちでした。
※本稿は、『人生、山あり“時々”谷あり』(潮出版社)の一部を再編集したものです。

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