参政党の政策顧問として政界に舞い戻った豊田真由子氏(50)。「このハゲーっ」から振り返れば奇跡のような復活だが、これまでの再起は彼女一人の力でなしえたものではない。実はウラで彼女を支え、“新生・豊田真由子”をプロデュースした“振付師”がいたのである。(前後編の前編)
***
【写真】「PRのプロ」が仕掛けた豊田真由子氏の「イメチェン比較画像」。8年前と現在ではこんなにも違う
「みんなビックリ、私もビックリ」
参政党の記者会見で政調会長補佐就任が発表された9月8日の翌朝。フジテレビの情報番組「サン!シャイン」に生出演した豊田氏は満面の笑みだった。政治評論家の杉村太蔵氏に「補佐なんて向いてないでしょ!」と突っ込まれ「向いているよ!」と、和気藹々としたスタジオトークを展開。8年前のあの騒動を振り返ると嘘のようである。
「このハゲーっ!」が繰り返しテレビで流されていた時、誰が豊田氏の復活を予見できただろうか。
「次はどんな失敗が来るのかな~」とミュージカル調で年配秘書を執拗にこき下ろしたかと思ったら、「つもりがなくてもなぁ! 人殺したら過失致死で牢屋に入るんだよ!」とドスの効いた声で怒鳴り散らす恐怖の音声テープ。
あのおぞましい声を聞いた誰もが「この人は二度と表舞台には戻れない」と確信したはずだ。実際、豊田氏はパワハラ騒動直後の総選挙で落選し、一度、姿を消した。しかし、いつの間にか人気テレビコメンテーターの座を得て、ついには政界復帰の大復活。いったいどのようにして、彼女は社会に再び受け入れられたのか。
永田町取材が長いベテランジャーナリストは「あの女性社長の描いた戦略が当たった」と語る。
PR会社「株式会社サニーサイドアップグループ」代表の次原悦子氏(58)である。次原氏はJリーグ全盛期の90年代、中田英寿のマネジメントに成功して一躍注目を浴び、同社を一代で上場企業へと成長させた辣腕経営者として知られる。21年には経団連のダイバーシティ委員長、23年には副議長に就任している。スポーツ界、芸能界のみならず、経済界、政界にも幅広く人脈を持ち、メディアにもあまり出てこないことから「女フィクサー」の異名を持つ。
実は次原氏が豊田氏を見出し、再プロデュースしていたというのである。
「豊田氏が選挙に落ちて世間から見放されていた時に、次原氏の方から近づいたようだ。そして、周到にタイミングを見計らってテレビに出させた。サニーサイドの所属にさせてね。ただし、中田英寿や前園真聖のようにホームページ上には豊田氏の名前は出てこない。あの会社には次原氏個人の人脈でサポートしている『裏所属』のタレント、文化人がごろごろいるがその内の一人」(同)
次原氏が目をつけたのは、豊田氏の衆院議員になる前のキャリアだったと言う。
「豊田氏は衆院議員になる前、厚労省の役人として公衆衛生を専門としていた。次原氏はこのキャリアに目をつけ、コロナ禍に入ったとき、コロナ対策のコメンテーターならばいけると踏んでテレビ局に売り込んだのです。報道色が強い番組なら一蹴されただろうが、最初に『バイキング』に狙いをつけたところは次原氏らしい。豊田氏は地頭はいい。わかりやすい解説をうまくやってのけ、あっという間にお茶の間に受け入れられた」(同)
このジャーナリストが「感心した」と語るのは、この時に図った“イメチェン”の成功である。
「最初、豊田氏がテレビに出たとき、イメージが変わったとみんなびっくりしたでしょう。かわいらしく前髪作って、ピンクの服を着て。あれは全部次原氏が手取り足取り仕込んだんですよ。最初の頃は、自らマネージャーを買って出てテレビ局まで出向いて豊田氏につきっきりだったと聞いている」(同)
次原氏の豊田氏のヘアメイクに対する尋常ではないこだわりぶりについて、テレビ局関係者は次のように証言する。
「眉毛の形まで、ヘアメイクにしつこく口出ししていたのは有名な話です。タレントでもないコメンテーターのメイクにまで上場会社の社長が細かく指示していると、当時業界では有名な笑い話になりました」
しかも、次原氏は「その後の展開まで見越して動いていた」とジャーナリストは続ける。
「豊田氏が関西でレギュラー番組を持ち、大阪で人気者になると、次原氏はさまざまな政党を渡り歩いて、豊田氏を政界復帰させようと、猛プッシュし始めた。経団連の要職に就いてからは、次原氏は政界への影響力を一段と強めており、豊田氏を利用しようとしたのでしょう。さすがに自民党は豊田氏の再起用に全く興味を示しませんでしたが、一部の野党は満更でもない様子だったと聞いている」(同)
さらに驚くべきことを明かすのである。
「参政党も豊田氏に数カ月前から接触していた。参院選でも出馬を打診し、豊田氏は前向きな姿勢を示していたようです」
これらは一切表に出ていない話である。次原氏はいったい何を企んでいるのだろうかーー。自宅を訪ねると玄関先で取材に応じ、「全然違います」「私じゃないです!」と参政党入りへの関与について大あらわで否定した。
「確かに彼女をウチがサポートしてきましたし、永田町の知人たちに彼女の話をしていたのも事実ですが、参政党の話は本当に知りません。私はいま経団連で選択的夫婦別姓の旗振り役をしている立場です。今、この政策に真っ向から反対を表明している参政党に彼女を推薦するということは絶対にありません。むしろ私は参政党入りは反対していましたよ」
そして次原氏は「どうしてこういうことになったのか。彼女が何を考えているかも、もうわからない」と語り、これまでのやり取りを打ち明け始めたのである。
後編【7月の参院選で参政党は豊田真由子氏に「出馬要請していた」 所属事務所の“名物女性社長”を直撃「彼女はギリギリまで出るか悩んでいました」】では、次原氏が豊田氏と出会い、“決裂”するまでの経緯を語っている。
デイリー新潮編集部