先生のイジメで「不登校になった少年」→超イケメンのバンドマンに大変身…“4年間の引きこもり”だった少年の人生を救った『有名ロックバンド』の正体

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マラソン大会を欠席しただけで「太ってるからサボったんでしょ」と教師からイジメられたことも……。少年時代、太った体型を中傷されたことで「不登校・引きこもり」になってしまった元バンドマンで、現在は美容家として活躍するヒィロさん(42歳)。
《変わりすぎ!!》「体重70キロの引きこもり少年」→「超イケメンのバンドマン」になったヒィロさん(42)の写真をすべて見る
彼はなぜ4年間の引きこもり生活から抜け出せたのか? 人生を一変させるきっかけとなった「ある有名V系ロックバンド」とは? インタビュー(1回目)をお届けする。(全2回の1回目/後編を読む)

◆◆◆
――ヒィロさんは不登校を経験したそうですが、どんな子供時代だったのでしょうか。
ヒィロ 小4までは、自分の中ではイケてる人生だったと思います。自宅の隣で祖父が開業医をしており、跡取りとして大切に育てられました。大手塾に通い、成績は上位だったし、医者になるんだと思っていました。ただ、兄が父に反発する姿を見ていたので、「僕だけは期待に応えなければ」というプレッシャーが徐々に強くなってしまったのかもしれません。
食欲旺盛だった僕に、祖父母や両親はじゃがバターや揚げ餅などの美味しいものをたくさん作ってくれました。食べることが唯一のストレス発散だったし、いくら太っても家族は「可愛い」と言ってくれました。しかし、小5になるとクラスメイトから容姿をからかわれたり、いじめられるようになりました。
最もつらかったのが、担任の先生にイビられていたことです。決定的だったのが、マラソン大会でした。どうしても嫌で、親にお願いして欠席させてもらったのですが、翌日、先生から「太ってるからサボったんでしょ」と言われたんです。友達に「デブ」とイジられたりするのは、幼いながらも「子供だから仕方ない」と捉えることができました。でも先生の言葉は刃のように胸に突き刺さりました。
勉強のプレッシャーや、いじめなどで張り詰めていたものが、プツリと切れたのかもしれません。その翌日から中3までの4年間、全く学校に行かなくなりました。
引きこもりだった頃のヒィロさんさん(写真:本人提供)
――ご両親は、どんな反応でしたか?
ヒィロ 両親からすれば、突然「学校に行きたくない」と言われて驚いたでしょう。父は、僕の髪の毛をつかんで引きずりまわし、何とか登校させようとしました。「不登校」という言葉すらなかった時代です。「なぜ、うちの息子が」と親は恥ずかしかっただろうし、僕自身も自分が情けなかったです。
しかし、僕が泣き叫びながらも絶対に登校しなかったので、両親は徐々にあきらめるようになりました。
――学校に行かなくなってからは、どう過ごしていたのですか?
ヒィロ 誰とも喋らずに自室に引きこもっていました。勉強は全くやらなくなり、髪の毛をつかんでは引き抜いていましたね。長い間お風呂にも入らなかったので、体中が痒かったです。ひたすらゲームをやったり、夜通しネット掲示板に書き込んだりしていました。「この世からいなくなりたい」と思ったけど、実行する勇気はありませんでした。
僕という“モンスター”が家にいることで、家庭内に大きな負荷をかかっていたと思います。進学校に通っていた兄も荒れるようになり、一時は家の中がカオスでした。「親父は何のために頑張って、俺達を養っているんだろう」と子供ながらに気の毒になりました。

――学校に行かせることを諦めてからは、ご両親の対応はどう変化したのでしょうか。
ヒィロ 両親はすごく優しくなりました。母は不登校の子供を持つ保護者が集まる会合に参加したり、不登校に関するフリーペーパーを作る活動を始めました。僕が望めば、ゲームや漫画なども買ってくれましたね。壊れてしまった息子を、回復させようとしてくれたんだと思います。
勉強が遅れるのを心配して、小6の終わり頃に家庭教師を付けてくれました。以前から家族ぐるみでお付き合いのあった仲の良いお兄さんだったので、心を許して話をすることができました。段々と僕も落ち着いて、両親と一緒に食事ができるようになりました。
――不登校は中3までだったそうですが、何か心境の変化があったのでしょうか。
ヒィロ 親が理解を示してくれるようになると、4年間もぬくぬくと引きこもっていることに罪悪感を抱くようになったんです。
そんなとき、深夜番組でビジュアル系バンドの「Janne Da Arc(ジャンヌダルク)」に出会いました。ただかっこいいだけではなく、闇を感じる世界観に魅了されました。その瞬間から、「ビジュアル系バンドマンになりたい」ということだけを考えるようになり、「バンドを組むためには高校に行かないといけない」という理由で、親に「高校受験をしたい」と伝えました。
――4年間の不登校を経て、高校受験をするのは大変だったのでは?
ヒィロ 学力が身についていなかったので、作文だけで合格できる高校を選びました。また、誰も僕のことを知らない環境でやり直したいと思い、自宅のある千葉県から遠い、東京都荒川区の高校に進学することを、親に懇願しました。
同時に、食事の改善やウォーキングを開始しました。成長期だったこともあり、1年ほどかけて70kgから55kgまで体重を落とすことができました。

晴れて高校生になることはできましたが、4年ぶりの社会復帰は予想以上に苦しかったです。電車に乗るだけで吐き気が襲い、エチケット袋を握り締めて通学する日々が始まりました。
〈先生にもイジメられていた「ぽっちゃり少年」→『超イケメン』に大変身&メジャーデビューもできたけど…V系バンドに人生を救われた男(42)を襲った「さらなる試練」〉へ続く
(都田 ミツコ)

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