「26歳で髪も眉毛もなくなりました」過食嘔吐→うつ病→引きこもりを経験しただけじゃない…『全身の毛が抜け落ちる難病』にかかった女性(46)の壮絶人生

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26歳のときに全身の毛が抜け落ちたインフルエンサーの葉月さん(46歳)。現在では脱毛症でも「キレイに」「明るく」生きるための工夫を発信する彼女だが、そこに至るまでには過食嘔吐やうつ病、引きこもりなど壮絶な人生があった。
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なぜ彼女は病気になってしまったのか? 多くの障害にぶつかり、ときにはドン底にまで落ち込みながらも幸せをつかめた理由とは?(全3回の1回目/つづきを読む)
26歳のときに「脱毛症」にかかった葉月さん。外にでるときはウィッグを被って生活している 末永裕樹/文藝春秋
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――脱毛症とは、どのような病気なのでしょうか?
葉月 脱毛症の正式名称は「円形脱毛症」というみたいです。円形脱毛症と聞くと、いわゆる「10円ハゲ」のように、髪の毛が丸く抜けるものを想像されると思います。でも、実際には円形に限らず、生え際だけが抜ける人もいますし、症状の出方はいろいろです。私はその中でも一番重いタイプの「汎発性脱毛症」で、髪の毛だけでなく、まつ毛や眉毛、体の毛まで、全身の毛が抜けてしまうんです。
――今は全身に毛がない状態ですか?
葉月 はい。26歳のときに脱毛症を発症してからは、髪の毛だけでなく、眉毛もまつ毛もないです。いくつもの病院をまわって、さまざまな治療を試しましたが、髪が生えてくることはありませんでした。今はウィッグをつけて、眉やまつ毛はメイクで描いて生活しています。
――脱毛症には、原因があるんでしょうか?
葉月 自己免疫疾患といって、自分の免疫が自分自身の組織や細胞を攻撃してしまうことで起こる病気だということは分かっています。ただ、それを引き起こすきっかけについては、まだはっきりと解明されていないそうです。円形脱毛症と聞くと、ストレスが原因なんじゃないかと思う方も多いと思いますが、ストレスはあくまで、たくさんある要因のひとつにすぎないみたいです。
――幼少期はどのように過ごされていましたか?
葉月 とても厳しい母親のもとで育ちました。母親は専業主婦で、父親は内科医をしていました。「勉強しなさい」とか「医者になりなさい」と言われたことはなかったのですが、制限の多い生活でした。テレビを自由に見せてもらえなかったですし、門限がほかの子よりもかなり早く、遅れると母はいつも怖い顔をしました。それが恥ずかしくて、友達と遊ぶのも毎回苦痛でした。

――かなり厳しいご家庭で育ったんですね。
葉月 はい。遠足に行くとバスの中でみんなで流行の歌謡曲を歌いますよね。でも、私だけ歌えないんです。友達同士でドラマの話をしていても、話についていけないので、知っているふりをして一生懸命話を合わせていました。子ども心にとても傷ついたし、悲しかったです。自分だけが知らないことが多くてすごく恥ずかしくて、それを無理やり隠していたので、常に自分に自信が持てない状態でした。
――自分に自信がついたタイミングなどはありますか?
葉月 高校1年のときに、私は身重が高いので「モデルみたいだね!」と友達から褒められたことでダイエットを始めたんです。ところが、食欲がコントロールできなくなり、2年後には体重が10キロ太ってしまいました。あるときテレビで「吐けば痩せる」という情報を見てしまったんです。そこからダイエット中に嘔吐するようになって、身長170cm・50キロの体型になれたことで自分に自信が持てるようになった時期がありました。
――かなり危険な痩せ方ですよね。
葉月 はい。吐き続けているうちに過食症を発症しました。パン一斤とか、家にある食材を手当たり次第に食べては吐く、というのを繰り返していました。ただ、その時は順調に痩せていることに満足していたし、忙しい生活を送っていたので、生活のバランスはとれていました。
――その後はどうなったのでしょうか?
葉月 ファッションの勉強がしたくて、19歳のときにニューヨークの大学に留学したのですが、過食症はどんどん酷くなっていきました。過食嘔吐をした後は、疲れて寝ちゃうんです。そうすると、そのまま起き上がれなくて、授業にも出なかったり、友達との約束もドタキャンしたりして、生活がたちゆかなくなっていきました。それにあわせて、うつ病も併発しました。とうとう何もできない、外にも出られない状態になって、なんとか日本に帰りました。22歳のときです。

――帰国できてよかったですね。
葉月 当時は「元気になったら絶対にニューヨークに戻る!」くらいの気持ちでいたのですが、日本に帰ってきたら安心したのか、心が折れてしまって。入院もしたのですが、よくなるどころか、過食症はさらに酷くなっていきました。母親が家族のために作った夕食を、一人で全部食べて、そのあと吐いてという状態です。吐いて疲れるから、リビングのソファに寝転がって、見たくもないテレビをずっと見ていました。
食べるか、吐くか、横になるか、という生活をしているうちに、ニューヨークに戻るどころか、引きこもりの生活になってしまい。そんな生活が4年間続きました。
――その頃、脱毛症を発症されたのでしょうか?
葉月 はい、26歳のときです。家のソファに横になっていて、何気なく頭をさわったら、ツルっとした感覚があって。母親に見てもらったら、10円くらいの大きさで脱毛していると言われて、すぐに皮膚科に行きました。そこでは塗り薬と飲み薬をもらったんですが、飲んでも塗っても一向によくならないんです。それどころか、1つだった丸が2つになって、10円サイズだったのが500円サイズになって……。
どんどん毛のない部分がつながっていきました。そうこうしている2~3カ月の間に、あっという間に毛がなくなってしまい、今度は大学病院で紫外線の治療を受けることになりました。
――症状は良くなったんですか?
葉月 効果もでないし、定期的に病院に通うのも厳しくなって、途中で治療をやめてしまいました。今でも当時の記憶ははっきりしないんです。
――当時、印象的だった記憶はありますか?
脱毛症で髪がなくなる前のことなんですが、引きこもっている間に、母への怒りが増していき、毎日母に怒っていました。幼少期にできなかったことや、制限されてきたことへの恨みが、大人になって思うように生活できなくなったタイミングで爆発したんです。「なんであのとき、あんなことをしたの!?」「あのときの、あの発言はいらなかった」とか、そんなふうに、いちいちぶつかっていました。
――今までためこんでいたものが大きかったんですね。
葉月 そうです。それで、いつものように些細なことで母と喧嘩をしました。そのとき、すべてが嫌になってしまって、「もう、どうなってもいいや」と思い、発作的に2階の自分の部屋から飛び降りました。自宅の2階でしたが、けっこうな高さでした。
〈「まるで落ち武者」「結婚も出産もあきらめていた」全身の毛が抜け落ちる病気のせいで“人生ドン底の女性(46)”→ちゃんと「幸せな人生」を取り戻せた理由〉へ続く
(大夏 えい)

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