【前後編の前編/後編を読む】継母に似た女性と結婚し、継母に抱いた想いで不倫する… 恋愛迷路から抜け出せない42歳夫が知った“まさかの真実”
結婚、離婚、不倫などを繰り返す人がいる。育った家庭環境がどのくらいその人の恋愛や結婚に影響を及ぼすのかはわからないが、中には強い影響を受ける人もいるだろう。
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伊丹良輔さん(42歳・仮名=以下同)は、「しょせん、オレは愚か者なんです」と恥じ入ったような表情で言った。最初の結婚ではなぜか贖罪意識が強く、2度目の結婚は衝動的すぎた。そしてその2度目の結婚を継続している今、彼には「大事な人」ができてしまった。これからどうするのか、どうしたいのかの岐路に立っている。
「女性に対して良くも悪くも自意識過剰なんですよね。自分でもわかっているけど、自分の力ではどうにもならない子ども時代に、ちょっと特異な育ち方をしたんじゃないかと思っています」
良輔さんはひとりっ子だった。父は自営業で気むずかしいタイプだったが、母はひたすら優しかった。彼がいたずらをしても叱ることなく、「なぜだめなのか」を簡単な言葉で説明してくれた。母の笑顔を見たいから「いい子でいよう」と心がけた。だが小学校に入ったころ、母親が病気で急逝した。父は取り乱し、棺にすがり、母の遺体を起こそうとして医師に止められた。
「そんなに大事な人だったのかと違和感がありました。父は何かというと母を怒鳴り、母はビクビクしながら暮らしていた。少なくとも僕はそう思っていた。母が死んでから、父に『おとうさんはおかあさんのことが好きだった?』と聞いたら父は無言でした。母に八つ当たりばかりしていたことを反省していたのかもしれません」
2年後、父は再婚した。当時、父は40歳で、再婚相手は15歳も年下だった。良輔さんは若い継母に警戒心を抱いたが、この継母が亡き母を思い出させるような優しい女性だった。
「どういうわけか父と継母の間には子どもができなかった。継母が作らないようにしていたのかもしれません。そんな気がするんですよ」
彼が中学3年生のとき、父は突然、家を出て行方がわからなくなった。血のつながらない母と息子が取り残された。そのあたりの事情を良輔さんは詳しく知らないが、その後、離婚が成立、継母には少しまとまったお金が渡されたようだ。
「小さなアパートでふたりで暮らすようになりました。受験期にいろいろなことが重なったので、第一希望の学校には行けなかった。でもなんとか公立校にひっかかりました。継母はずっと専業主婦だったから仕事が見つからなかったんでしょう。近所のスナックでアルバイトをするようになった。朝帰りすることもありました。寂しかったんでしょうね。それでも朝食とお弁当は必ず作ってくれた」
これ以上、継母に迷惑はかけられない。高校を出たら就職して、継母を解放してあげたい。良輔さんはそう考えていた。だが高校時代の成績が優秀だったため、教師に勧められてとりあえずは受験した。
「その先生がものすごくあちこちに相談してくれて、結局、学費免除の措置を受けることができました。生活費はアルバイトでなんとかまかなおうと思ったけど、結局、父方の親戚に少し借金をしました。大学入学と同時に継母とは別居したんです」
彼は継母を解放したいと言ったが、実は継母にかなり強烈な恋心を抱いていたらしい。このまま同居していると「親子」の関係を超えてしまいそうな恐怖感があった。仮にも父親の妻だった女性と男女の関係になるのはあり得ないと考えるのだが、継母を見ると邪な想像がふくらんだ。それが現実になる怖さから、彼はあえて継母のもとを去った。
「中学生のころから継母が好きでした。スナックで働いて、ときどき男に送られて帰ってくる継母に憎悪を抱いたけど、それは憎悪ではなく嫉妬だった。それに気づいて、とにかく早く継母と離れようと思ったんです」
実母への感情、継母への気持ちは、いずれも複雑なものだった。このあたりが彼の女性観に大きな影響を与えたのかもしれない。
「大学生になってひとりで暮らし始め、ようやく気持ちが落ち着きました。なんというか、子どものころからきちんと自分のことを考える時間がなかったような気がするんです。だからといって周りの人に思いを寄せていたわけでもない。いびつな心というか、無意識にあまり感情を覚えないようにしようとしてきたのかもしれない」
大学生になってやっと友だちと交流したり、アルバイト先にも友人ができたりと、「普通の生活」を楽しむ余裕ができた。そんな中で、ガールフレンドもできた。
「大学2年のときでした。同じ専攻の女友だちに好きだと告白されたんです。どう答えたらいいかわからなかった。誘われるままにデートをしたけど、ごく一般的な世間話しかできない。彼女が退屈しているのがわかって焦りました。嫌われたくなかった。結局、3ヶ月もたたずにフラれたんですが、僕にとってはいったい何だったんだろうという感じ。それでも友人たちの間では、僕がフラれたことがおもしろおかしく広まった。僕自身は淡々としているように見えたらしいですが、淡々としていたわけではなくてどうしたらいいかわからなかっただけ」
ただ、その“恋”は彼にとっていい経験となったようだ。周囲との関係なども少しずつ築いている実感が出てきた。恋も知らないイケてないヤツというレッテルは貼られたが、淡々としていたことで、意外と図太いヤツと評価もされた。いつの時代も、人は勝手にレッテル貼りをして勝手な想像で盛り上がるものだ。そのくせ、実は他人のことなど気にしてはいないのが実情。そういうことを良輔さんは学んだ。
「自分らしく生きる、みたいなこともよくわかりませんでしたね。ただ、僕は成績を落とすわけにはいかないので、とにかく一生懸命、勉強はしました。そのおかげか在学中に、ある国家資格にも合格しました」
就職もスムーズだった。初めて給料をもらった日、継母に食事をごちそうした。父や自分にかかわったことで、いちばん被害を受けたのは継母かもしれないと思うようになっていた。
24歳のとき、良輔さんは10歳年上の女性と結婚した。なれそめについては本人の希望で伏せておく。向こうには5歳の娘がいたが、彼はまるごと引き受けた。娘は「パパ」と懐いてくれた。
「なんだろう、継母に対する贖罪みたいな気持ちでしたね。ただ、そんな気持ちは長続きしませんよね。今度は僕が罪を犯しました。彼女に対して同情はあったけど愛情はなかったと数年のうちに気づいてしまったんです」
娘はかわいかったが、妻とはまったく合わなかった。会話も性格もセックスも。妻も努力はしていたようだ。だが、だんだん妻の口調ひとつにも苛立つようになった。
「たとえば、僕が夕飯に間に合わずに帰宅すると、食卓には何もない。いいんですよ、別に。自分でやればいいんだから。だけど妻が『食べる?』と聞くから『うん。いいよ、自分でやるから』というと、彼女は何も言わずにおかずを温めたりする。ありがとうと言うと、はあーっと大きなため息をつくんですよ。それだったら自分でやったほうがずっといい。だから自分でやるよと言っているのに……。細かなことですが、そういうのが積み重なるとこちらもストレスになるんですよね」
結局、この結婚は5年ほどで壊れた。彼は娘に申し訳なくてたまらなかった。離婚するとき「いつでも連絡していいんだからね」と言い聞かせた。娘は号泣して、なかなか彼から離れようとしなかったという。それが彼の心をその後も苦しめた。
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こうして良輔さんの最初の結婚生活は終わりを告げた。【記事後編】では2度目の結婚、そして現在の彼が「オレは愚か者」と自嘲するに至る経緯を紹介している。
亀山早苗(かめやま・さなえ)フリーライター。男女関係、特に不倫について20年以上取材を続け、『不倫の恋で苦しむ男たち』『夫の不倫で苦しむ妻たち』『人はなぜ不倫をするのか』『復讐手帖─愛が狂気に変わるとき─』など著書多数。
デイリー新潮編集部