定員割れ続く“Fラン大学”の価値は?簡単すぎる講義内容が問題視 止まらぬ少子化「どんどん淘汰される」学生が将来見つめる「モラトリアムとしての大学があってもいい」という声も

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

定員割れが続く“Fラン大学”の存在価値をめぐり、改めて議論が巻き起こっている。Fラン大学とは定員割れで不合格者が少なく、偏差値を明確にできない大学を指し、BF(ボーダーフリー)大学とも言われ、偏差値が低い大学の総称としても使われることがある。少子化が進み、2024年度には全国の私立大のうち59.2%が定員割れを起こしているという調査結果もある。Fラン大学の中には算数の「四則演算」や英語の「be動詞」など、中学までの義務教育で学ぶような内容の講義もあり、これが「高等教育でやる内容か」と問題視されている。
【映像】約30年で急増した定員割れ大学(数値比較)
「ABEMA Prime」では教育に携わる専門家とともに、Fラン大学の価値について議論。子どもの数に対して多すぎる大学が「どんどん淘汰される」という意見は一致した一方で、教育内容や存在価値については様々な見方や可能性があるという声が交わされた。
政府が示す「骨太の方針2025」の原案には、大学に関する記述がある。「国公私を通じた大学の連携、再編・統合による機能強化や縮小・撤退による規模の適正化を進めるとともに、教育の質の高度化を進める」。大学をめぐり財務省と文科省の間で“バトル”が勃発し、定員割れする大学について財務省が「義務教育で学ぶような内容の授業が行われている」と厳しく指摘すれば、これに対して文科省は「学び直しに関する内容が含まれていることのみをもって評価することは、適当ではない」と一面的な見方だと反発した。
大学の定員割れは数値でも明白だ。財務制度分科会の調べでは、1989年に18歳人口が198万人、大学数499校、学生数が193万人、大学進学率が25%だったところ、35年が経過した2024年は18歳人口が半数に近い109万人にまで減ったものの、大学は増加して813校に。学生数は263万人に増え、大学進学率は59%にまで上がった。また日本私立学校振興・共済事業団の調べでは、1990年度の調査に回答した私立大学366校が入学定員充足率123.62%、定員割れ大学がわずか4.1%だったが、2024年度は598校になり入学定員充足率は98.19%まで降下。定員割れ大学は59.2%と6割近くに及んでいる。2つのデータから見ると、子どもの進学率こそ高まったが少子化により絶対数が減り、逆に大学は増えたことで定員割れが続出していることがわかる。
まず財務省から指摘された四則演算やbe動詞など、義務教育レベルの講義がある状況をどう考えるか。吉田塾代表・吉田昭久氏は、学び直しだとしても大学ではない場所でするべきだと訴える。「大学の役割はやはり高等教育機関。四則演算やbe動詞は大学でやるべきではない。小学校や中学校でつまずいた子たちの学び直しは否定しないが、大学がやることではない。都立高校のエンカレッジスクールやチャレンジスクールのようなところで学び直せばいい」。
NPO法人ほっとプラス理事を務める藤田孝典氏は、自ら大学で教鞭を取ることもある。「日本が貧しくなっているので、教育予算を削るところで大学がやり玉に上がってると思う」と切り出すと「いろいろな学生がいていいと思う。義務教育の時に、勉強の面白さがわからなかった子たちが、大学でようやく自分が専門として勉強したいものに出会い、そこでbe動詞が必要になれば、その時の意気込みは違う。大学でやるべきかどうかは置いておいて、いろいろな形の大学教育があってもいいと思う」と述べた。
コラムニストの河崎環氏は、いずれ大学が「スリム化されてどんどん淘汰されていく」ことを前提に、学生が将来を考えるモラトリアムにも意義があると語る。「少子化のトレンドにあり、誰もが望んだら大学に入れる時代が来てしまった。そして定員が余り『Fラン』と言われるようなものが整理されていくのは仕方ない。ただ大学で学ぶことは勉強一本じゃないところもあって、それがまだ許されているFランはワンダーランドでもある。私からすれば、すごくモラトリアムを受け止める場所として幸せな空間に思える」。大学によっては、地元企業への就職斡旋など手厚いサポートもあり、学生にとってのメリットを説いた。
Fラン大学が担っている役割の一つとしては、今後さらに需要が高まると言われているエッセンシャルワーカー(介護・保育・福祉等)の人材育成も挙げられる。藤田氏は「私は社会福祉の分野にいて介護や保育、役所のケースワーカーを養成するっていう場所で働いているが、多くの学生は真面目。専門職養成として、偏差値がなかなか出てこない大学や専門学校の役割がある。偏差値には出てこない学生たちの評価を、社会全体がどうしていいかという答えを見出していない」と、偏差値という評価基準の枠外で育つ人材について触れた。
エッセンシャルワーカー育成だけを目的にするならば、大学ではなく専門学校でもいいが、藤田氏は「4年間ゆっくり考えるのもいい。早く知識を得て、すぐに出ていく子には専門学校が合っているが、ゆっくり考えていろいろな人脈を広げて、もしかしたら福祉は合わないのではと考えながらルートを辿ると考える場所、モラトリアムな期間はやはり大学にあっていい。エッセンシャルワーカーは本当に今、国が作りたい人材だ。社会が求める人材をどこの大学で、どこの学部で育てられるのか考える時期に来ている」とも述べた。
一方で国から助成金が出ている以上は、効率的な投資が求められるところだ。吉田氏は大学の評価の見直しを求めている。「税金の使い方という意味では、私学助成金がだいたい3000億円ぐらい。税の適正な使い方を考えると、大学に一律に渡してしまうのはちょっとまずいと思う。今は成果が見えにくい大学にも一律で渡しているので、そこはしっかり評価して各大学それぞれにあった額を出すべき。大学の目的は研究機関、教育機関の2本立て。まともに研究していない、年に1本も論文を書かないような先生がごろごろいる大学はどんどん削り、逆に論文は全然書かないけれど、ちゃんと生徒に資格を取らすようなところには金をつぎ込むべき」だと指摘した。
また、脳科学者の茂木健一郎氏も投資の集中を求める。「AIや生命科学、がんの撲滅など最先端科学においてはメリハリのある投資をしていただかないと、大学がもたない。おそらく財務省の議論もそこだろう。みんなに満遍なくというのもいいが、日本として戦略的に『ここには投資しましょう』というものは必要だ」。(『ABEMA Prime』より)

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

SNSでもご購読できます。