妻に無精子症を隠していたら、ある日「あなたもパパよ」と告げられた 今も明かせずにいる夫のプライドと葛藤

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【前後編の後編/前編を読む】「僕は道化みたいなもの」40歳の浮気サレ夫 恋愛観の原点は「男を食い尽くす女」との日々
三田幹一郎さん(40歳・仮名=以下同)は、大学時代、「男を食い尽くす女」と噂される年上の女性・涼子さんに惹かれ、翻弄されながら数年にわたり関係を続けた。社会人になり、一度は常識的な女性と交際するも「つまらなくなってしまった」。数年ぶりに再会した涼子さんとふたたび関係をもった幹一郎さんは、「あなたを忘れられない」と告げる。
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それなのに涼子さんはまたどこかへ行ってしまった。彼女のおにいさんには「悪かったね、ごめん」と言われたが、そういう女性だとわかっているから腹も立たなかった。
「彼女、何もしないように見えて、実は英語は堪能だしピアノもうまい。おにいさんは、『オレなんかよりずっと才能がある。だけどすぐ飽きちゃうみたいなんだよ』と苦笑していました。そういえば、あのふたりがどういう家庭でどういうふうに育ったのか、聞いたこともなかったけど、おにいさんも魅力的な人でしたね」
さすがに2度も逃げられると、やはり彼女を追い続けるのは無理なのかもしれないと思うようになった。周りはみんな結婚していく。サラリーマンとしてはそろそろ家庭をもって落ち着くのもいいかもしれない。幹一郎さんはそう考えた。どうがんばっても、彼女からは自分が思うような“見返り”はない。かつては「愛させてくれればいい」と思ったが、彼も現実を見るようになったのだろう。
「学生時代の親友の結婚式で知り合った静佳とつきあうようになりました。親友の新婦がいちばん仲よくしている女性だというから、安心感がありました。確かに非の打ち所のない女性だった。一緒にいて楽しかったし、彼女のポジティブな考え方も好きだった。つきあうようになって1年足らずで結婚しました」
ついに年貢の納めどきか、と彼は心の中でつぶやいたという。涼子さんのことはもちろん色濃く残っていたが、彼女とは「幸せ」というものがつかめるかどうか定かではない。
「結婚して少したったころ、排尿時に痛みがあって、変な病気だと嫌だなと思ってすぐに会社近くの病院に行ったんです。軽い膀胱炎ということでしたが、『結婚したばかりだから、心配しちゃいました』と笑っていたら、『新婚だったら、精子の動きを調べてみませんか』と言われて。子どものことはまだあまり考えていなかったけど、軽い気持ちで調べてみたんです。そうしたらなんと無精子症だった……」
その後、詳しい検査もしたが病名に変わりはなかった。それでも人工授精で子どもは授かれるかもしれないと医者には言われたが、そんな言葉は耳に入ってこなかったという。
「男として能なしだと言われたも同然。そう思い込みました。どんなクズ男よりクズじゃないか、オレは男じゃないとそのときは落ち込んでしまって……。妻に言わなければいけないと思ったけど、言い出せなかった」
言い出せないままに平気な顔をして新婚生活を送った。内心はいつバレるかわからないとビクビクしていたし、こんな男が結婚していていいんだろうかとも思っていた。昼間は仕事をしているからいい。家に帰るときがつらかった。夜はもっとつらかった。それでも彼は妻と定期的に関係をもった。
「1年ほどたったころ、帰宅すると妻がニコニコしながら『あなたもパパよ!』って。衝撃でしたね。だって僕は無精子症なんだから」
彼はふと泣き笑いのような顔になった。まじめで前向き、どこへ出しても恥ずかしくない立派な妻が、「浮気か本気か知らないけど、他に男がいたというわけです」と小声で言った。思い返せば、静佳さんにプロポーズしたとき、彼女は少し逡巡していた。新婚生活を送る中で、夜中にこそこそ電話をしているのを見てしまったこともある。まさかというより、やっぱり誰かいたのかと腑に落ちた気になった。
「今で言う托卵。バカにしてますよね。僕が気づかないと思っていたんでしょうけど」
ただ、時間がたつにつれて、彼は「それでもいいか」と思い始めた。静佳さんの子には違いない。どうせ自分には子どもが望めないのだ。妻と誰かとの間にできた子であっても、自分の子として戸籍に入れ、育てていけるのは案外、悪いことではないかもしれない。
「つわりもあったし流産の危機もあったけど、静佳はがんばりましたよ。どうしても産みたかったんでしょう。僕はそんな妻を心の中では冷たく見ながら、現実には早く帰って家事をしたり妻をいたわったりしました。あなたは本当にやさしいと妻は涙ぐんでいたこともある。そうだよ、やさしいよ。だって他の男の子を産む妻を、こんなに大事にしているんだからと心の中でつぶやく。かなり自
それにしても……と彼は言う。結婚して1年たらずで妊娠したということは、もしかしたら妻は、ずっとつきあっている男性がいて、自分が結婚したら彼の子を産もうと考えていたのではないだろうか、と。結婚は計画的だったのかもしれない。僕なら騙しやすいと思ったんでしょうかねと、彼の声はさらに小さくなっていく。
一夜の関係を結ぶような女性ではない。だから考えられるのは、結婚前からの不倫の相手の子なのだろうと彼は言う。
「いざ出産というとき、僕も立ち会いました。妻がもしかしたら他の男の名前を言うのではないかと恐ろしい期待をしていたところもあります。でも妻は立派に産んだ。なぜか僕は涙が止まらなくて、看護師さんや助産師さんたちに『いいパパになりそうね』と褒められて。妻に『ありがとう』と言いましたが、それだけはちょっと詭弁だったなと思っています」
妻が退院するまでには「実は無精子症なんだ」と言いたかった。だが言えなかった。自分自身、それを認めたくなかったのと、やはりプライドが邪魔したんでしょう、くだらないけど本音としてはそうなんだと思うと彼は言った。
男性の無精子症は、女性の不妊症とはまた少し違う感覚がありそうだ。不妊症だからといって、性的にダメだと烙印を押されたわけではない。どうしても子どもがほしいなら、女性なら現実的な手立てを考えるだろう。だが男性は、特に幹一郎さんは「男としてダメ」と自分で烙印を押してしまった。そしてそこから抜けられなくなった。
「子どもは女の子です。妻に似て目鼻立ちが整っていてかわいかった。その後は娘を中心にした生活になりました。妻に変わった様子は見られなかったのが、すごいなと感服したりもして。一緒に住んで同じ物を食べていれば、愛情はわいてきます。娘は僕に懐いているんですよ。命に代えてもいいと思うけど、実は他の男の遺伝子なんだよなと考えるとやはり気分が落ちます。でも娘の笑顔に救われる。自分自身が裂かれるような、そんな年月を送ってきました」
娘は昨年から小学生になった。娘の成長を目の当たりにして、少しだけ緊張感が緩んだとき、彼は涼子さんとまたまた偶然、会ってしまった。
「彼女はなんだか僕の人生の要所要所で現れてくる。わかってるんですかね」
不惑を超えても涼子さんは魅力的だった。パワフルでシニカルで、そしていつでもひとりですっくと立っている。
「もう腐れ縁みたいなものだねと彼女が笑って。僕も笑いました。ついでに無精子症だけど子どもができたよと言ったんです。そうしたら涼子、『いいじゃん、誰の子だって。かわいいんでしょ』と。なんか、救われましたね。そうだ、僕は涼子からのこういう言葉を待っていたんだと思った。彼女のおにいさんが亡くなったことも聞きました。さすがに涼子もそれについては声が暗かったけど、『寿命だからしかたないよね。いつかみんな死ぬんだから』と自分に言い聞かせるように言っていました」
当然のように深夜までバーで飲みながら話し、そのままタクシーに乗った。涼子さんは前とは違うアパートに住んでいた。古い建物だが広いワンルームに風情があり、涼子さんらしくピアノとベッド以外はほとんど何もない部屋だった。
「お互いに何かをぶつけるように求めあって……。彼女はその後、だるそうに起き上がってコーヒーを入れてくれました。焙煎機まであるんですよ。そういえば昔から彼女はコーヒーが好きだった。焙煎したての豆を挽いていれたコーヒーが体にしみました。あなたは何かをほしいと思ったことはないの、とふと聞きました」
すると涼子さんは「焙煎機がほしかったから買ったよ」と笑った。そうじゃなくて、と幹一郎さんが言うと、「何かをほしがったって、所有しつづけることはできない」と涼子さんが言ったそうだ。
「形あるものは壊れる、見えないものはどこにあるかわからない。言葉も気持ちも、表現しているものが真実かどうかなんて、誰にもわからない。信じるかどうかは自分次第。そんな不確定で満ちているのが人生なのよねって。あの日の彼女の言葉はいちいち心に刺さりました」
娘が小学校に入ったら、「オレは無精子症だから」と妻に言ってみようかと思っていたが、それは先送りすると彼は決めた。もしかしたら一生、言わないかもしれない。娘がかわいいからDNA検査もしないと思うと彼は言った。妻の裏切りを真実と認めなければならない事態は避けたいのではないだろうか。
「涼子とはそれからも、ときどき会っています。断続的だけど20年のつきあいになるから、お互いの不在だった時間を簡単に埋めることができる。だから僕は彼女といると落ち着く。でも彼女はそもそもそんなふうにさえ思っていないかもしれません。恋人なのか、ただのセフレなのか。そんな名前さえつける必要のない関係なのか。わからないけど、僕の人生は彼女なしでは考えられない。これからもそうだと思う。妻が托卵したから、僕のことも許されると思っているわけではないんです。それとこれとは別の話」
娘が産まれたあと、そして小学校に入ったころの2度にわたって、もしかしたらと思いながら幹一郎さんは不妊症の検査を受けてみた。無精子症という判断は変わらなかった。それでも娘をかわいいと思える自分にほっとしたと彼はしみじみと言った。それこそが彼のプライドなのかもしれない。
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結婚と“托卵”を経てもなお、心の奥に残っているのは涼子さんの存在だった。彼女にまつわる幹一郎さんの原点は【記事前編】で描かれている。
亀山早苗(かめやま・さなえ)フリーライター。男女関係、特に不倫について20年以上取材を続け、『不倫の恋で苦しむ男たち』『夫の不倫で苦しむ妻たち』『人はなぜ不倫をするのか』『復讐手帖─愛が狂気に変わるとき─』など著書多数。
デイリー新潮編集部

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