福島6人死傷暴走事故 97歳運転手は「著名な独居歌人」だった 近隣住民が見ていた「ヤバい車庫入れ」

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「独りで暮らしていましたが、お元気そうでしたよ。ゴミ出しもいつも歩いて自分でされていました。ただ、『運転は危なっかしいね』とみんな不安げに見ていたんです」(近隣住民)。福島県福島市で起きた自動車の死亡事故で、ハンドルを握っていたのは大正生まれの高齢男性だった。地域では「有名な歌人」として知られていた独居老人の暮らしぶりは……。
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【写真】大正14年生まれ。97歳容疑者の素顔ブレーキとアクセルを踏み間違えたか? 事故が起きたのは、11月19日午後4時45分ころ。場所はJR福島駅から約4キロの距離にある大型ショッピングモール「イオン福島店」の駐車場を出てすぐの市道だった。軽自動車が歩道に乗り上げて数十メートル暴走。歩道を歩いていた近くに住む調理師の川村ひとみさん(42)をはねた後、信号待ちをしていた車3台に衝突した。

買い物客で賑わう土曜日の夕刻、イオン福島店の脇道で事故は発生した 現場は見通しの良い交差点近くの片側一車線の道路。事故当時は、土曜日の夕刻とあって買い物客らで道は渋滞していた。 川村さんは全身を強く打って意識不明の状態で病院に運ばれたが、2時間後に死亡。ほか衝突された2台の車に乗っていた女性など5人も軽い怪我を負った。福島県警は、軽自動車を運転していた福島市の波汐國芳(なみしお・くによし)容疑者(97)を自動車運転処罰法違反(過失運転致死)の疑いで逮捕した。「波汐容疑者は頭に軽い怪我を負った程度で、意識はしっかりしていたようです。ブレーキとアクセルを踏み間違えたのではないかと見られています」(地元記者)地元紙の歌壇選者だった 波汐容疑者の自宅は現場から、車で5分程、1キロもない距離の住宅街の中にあった。古い二階建ての家屋だが、玄関周りや庭は掃除が行き届いている。近隣住民は「ここらでは立派な先生として知られています」と語る。「地元紙『福島民友』の歌壇で選者も務めていた有名な歌人さん。普段からよくお弟子さんが、車や自転車に乗って自宅に訪ねて来られます。みなさん70過ぎの高齢な方ですがね」 ネット上のプロフィールによれば、波汐容疑者は1925(大正14)年生まれ。47年、短歌結社「潮音(ちょうおん)」に入社。2007年に第34回日本歌人クラブ賞受賞、09年に福島県文化功労賞受賞、17年には、福島原発事故などについてまとめた歌集「警鐘」で第32回詩歌文学館賞を受賞した。新聞のインタビューなどによれば、歌人活動のかたわら東北電力にも勤務していたようだ。 3~4年前に妻を亡くしてからは、ずっと一人暮らしだった。「ヘルパーさんが週に何度か家に来て、身の回りの世話をしています。どこか体が悪いのかリハビリ専門の方も出入りしていました。娘さんと息子さんがいますが東京に住んでいて、たまに帰ってくるくらいです」(同)最近、車を替えたばかりだった 出かける時はいつも車だったとも証言する。「イオンに買い物に行く程度で、遠くまでは行っていないとは思うんですが。散歩はあまりしませんね。歩いているのはゴミ出しの時くらい。ゆっくりですが、ちゃんと歩けますよ。寡黙な方なのでそんなにご近所付き合いはありませんが」(同) 近所では、このまま運転させていて大丈夫かと不安視されていたという。「車庫入れを苦労しながら、何度も切り返してやっていましたから。本人は頭がハッキリしているつもりでも、見ていて危なっかしい。前はもっと大きな車だったんです。3、4カ月くらい前に、今の軽自動車に替えたばかりなんですよ」(別の住民) 波汐容疑者は、前述の歌集「警鐘」でこう歌っていた。《ああ我ら何にも悪きことせぬを「原発石棺」終身刑とぞ》 自らのハンドルで罪なき人を殺めてしまったことについて、どう振り返っているのだろうか。デイリー新潮編集部
事故が起きたのは、11月19日午後4時45分ころ。場所はJR福島駅から約4キロの距離にある大型ショッピングモール「イオン福島店」の駐車場を出てすぐの市道だった。軽自動車が歩道に乗り上げて数十メートル暴走。歩道を歩いていた近くに住む調理師の川村ひとみさん(42)をはねた後、信号待ちをしていた車3台に衝突した。
現場は見通しの良い交差点近くの片側一車線の道路。事故当時は、土曜日の夕刻とあって買い物客らで道は渋滞していた。
川村さんは全身を強く打って意識不明の状態で病院に運ばれたが、2時間後に死亡。ほか衝突された2台の車に乗っていた女性など5人も軽い怪我を負った。福島県警は、軽自動車を運転していた福島市の波汐國芳(なみしお・くによし)容疑者(97)を自動車運転処罰法違反(過失運転致死)の疑いで逮捕した。
「波汐容疑者は頭に軽い怪我を負った程度で、意識はしっかりしていたようです。ブレーキとアクセルを踏み間違えたのではないかと見られています」(地元記者)
波汐容疑者の自宅は現場から、車で5分程、1キロもない距離の住宅街の中にあった。古い二階建ての家屋だが、玄関周りや庭は掃除が行き届いている。近隣住民は「ここらでは立派な先生として知られています」と語る。
「地元紙『福島民友』の歌壇で選者も務めていた有名な歌人さん。普段からよくお弟子さんが、車や自転車に乗って自宅に訪ねて来られます。みなさん70過ぎの高齢な方ですがね」
ネット上のプロフィールによれば、波汐容疑者は1925(大正14)年生まれ。47年、短歌結社「潮音(ちょうおん)」に入社。2007年に第34回日本歌人クラブ賞受賞、09年に福島県文化功労賞受賞、17年には、福島原発事故などについてまとめた歌集「警鐘」で第32回詩歌文学館賞を受賞した。新聞のインタビューなどによれば、歌人活動のかたわら東北電力にも勤務していたようだ。
3~4年前に妻を亡くしてからは、ずっと一人暮らしだった。
「ヘルパーさんが週に何度か家に来て、身の回りの世話をしています。どこか体が悪いのかリハビリ専門の方も出入りしていました。娘さんと息子さんがいますが東京に住んでいて、たまに帰ってくるくらいです」(同)
出かける時はいつも車だったとも証言する。
「イオンに買い物に行く程度で、遠くまでは行っていないとは思うんですが。散歩はあまりしませんね。歩いているのはゴミ出しの時くらい。ゆっくりですが、ちゃんと歩けますよ。寡黙な方なのでそんなにご近所付き合いはありませんが」(同)
近所では、このまま運転させていて大丈夫かと不安視されていたという。
「車庫入れを苦労しながら、何度も切り返してやっていましたから。本人は頭がハッキリしているつもりでも、見ていて危なっかしい。前はもっと大きな車だったんです。3、4カ月くらい前に、今の軽自動車に替えたばかりなんですよ」(別の住民)
波汐容疑者は、前述の歌集「警鐘」でこう歌っていた。
《ああ我ら何にも悪きことせぬを「原発石棺」終身刑とぞ》
自らのハンドルで罪なき人を殺めてしまったことについて、どう振り返っているのだろうか。
デイリー新潮編集部

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